歌の出現は美の実現の証明であるだけでなく歌の出現は美の実現と《同時》である。その意味で裏切り行為において思いがけず歌い出された歌あるいは脳内に響き渡った音楽の出現は、そのときなされた裏切り行為が美そのものであることの根拠ともなる。
「わたしは初めのほうで、それが優美であるかどうかが行為の価値を決める唯一の基準だといった。わたしが裏切り行為を選びとるということを確言しても、それは上の言葉と決して矛盾しない。裏切るということは、神秘的な力と優美さとからなる、優雅な、美しい行為でありうる」(ジュネ「泥棒日記・P.355」新潮文庫)
それが思いがけず「歌を歌わせる」からだ。最初にジュネはそういっている。美しいかどうかは自分で決めることだ。さらにそれが本当に美しい行為であったとすれば、その行為の達成は自然に「歌を歌わせる」からにほかならないと。しかしその歌はどのような歌であろうか。ベートーベンの弦楽四重奏かもしれないし、あるいは場末の溜まり場で仲間たちが歌っている単なる流行歌であるかもしれない。ついでにいうと中世から近世にかけての日本では、一寸先は闇の世界だったため、何かほんの些細なことであれ目出度いとされていることがあると、仕事仲間や遊び仲間たちのあいだで流行っている小歌をみんなで、なおかつ下卑た調子で唱和して楽しむ習慣があった。それは先細っていきながらも戦後日本の八〇年代バブル崩壊まで続いた。たとえば「閑吟集」や「宗安小歌集」など。
「何(なに)せうぞ、くすんで 一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ (現代語訳)どうする気だい、まじめくさって。所詮(しょせん)人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え」(新潮日本古典集成「閑吟集・55・P.41」新潮社)
こういうのも。
「濡(ぬ)れぬ前(さき)こそ露(つゆ)をも厭(いと)へ 濡れて後(のち)には兎(と)も角(かく)も (現代語訳)濡れる以前はわずかな露に触れることさえ嫌だったが、このように一度濡れてしまった以上は、はい、お心任せに」(新潮日本古典集成「宗安小歌集・62・P.179」新潮社)
ジュネは「裏切り者、泥棒、性倒錯者」であるかぎり、高貴という観念を除外すると宣言する。高貴という言語(記述、意味、価値)は常に「調和のとれた形態」という観念と繋がりをもっているため、高貴という語を記すやいなや人々の関心を「調和のとれた形態=美」という陳腐な幻想へとそらせてしまう。だがジュネが問題にしているすべての事柄はそのような「調和のとれた形態=美」という高級そうな幻想などではまったくなく、それこそどこの「巷」(ちまた)にでもある「社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物」というありふれた物事の圏内から幾らでも引き出してくることができるものなのだ。特別な美術館や博物館に行くとかえって見えなくなってしまいがちになることのほうが多い。というのは、言うまでもなく「裏切り」は「社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物」の活用方法の一つとして美を構成する行為だからである。
「わたしはこの場合、高貴という性格はそれからはっきりと除外する。高貴という観念は、より隠れた、ほとんど見ることのできない美、調和のとれた形態へと人の考えを外(そ)らせるのであり、そうした美や形態は、社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物以外のものの中に探(たず)ねなければならないものだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
ジュネのいう「裏切りは美しい」というフレーズ。たとえば、或る裏切り行為によって一人の人間を窮地から救うことができるかもしれないとしよう。そのためにやむなく何か裏切った場合、世間はその裏切り行為に対して「善」であるとして賛辞を呈したりしないだろうか(よくやったと褒め称えて)。あるいは賛辞を呈するふりをしないだろうか(所詮、裏切りは裏切りに過ぎないと考えて)。しかしジュネ作品の読者の中にそのような誤解あるいは誤読する読者はいないはずだとジュネは信じている。
「わたしが『裏切りは美しい』と書いても、誰一人としてそれを誤解して、その場合わたしが言っているのは、この行為が絶対に必要であり、高貴なものとなる場合、それが『善』の成就をゆるす場合であると卑劣にも信じるーーーあるいは信じるふりをするーーーことはないと確信する」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
何度も繰り返し反復される言葉。「わたしは穢(けが)らわしい裏切りについて語っているのだ」と。「いかなる英雄的な動機もそれを正当化することのない裏切り」なのだと。もしそうでなければ、ややもすれば、ジュネは「英雄化=神格化」されてしまうという世にもおぞましい宗教的政治的世界の中に簡単に取り込まれてしまうだろう。あくまでジュネは警戒する。
「わたしは穢(けが)らわしい裏切りについて語っているのだ。いかなる英雄的な動機もそれを正当化することのない裏切り。陰険な、賤(いや)しい裏切り、最も高貴でない感情、妬(ねた)みとか、憎しみとか(もっとも、憎しみを高貴な感情の一つに数えることをあえてする倫理観もあるが)貪欲(どんよく)等に起因する裏切りなのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
ジュネのいう聖性とは何ものにも還元不可能な「汚辱《への》意志」、その尽きることのない、かぎりない、終わりのない過程そのものでなくてはならない。そしてそれをあえて喩えるとすれば「砂漠《への》意志」であり同時にニーチェの言葉を借りれば「全宇宙との共演」というのがふさわしい。
「《道徳的》観点は局限されているーーー。各個人は宇宙の全実在と共演しているのだ、ーーー私たちがそのことを知ろうが知るまいが、ーーー私たちがそのことを欲しようが欲しまいが!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一二三一・P.656」ちくま学芸文庫)
ところが、あえて悲惨無残というべきだろう。砂漠といってもアフリカのサハラ砂漠とかではなく、それは今や世界中の主要都市から主要都市への「移動《への》意志」を指すのであって、大都市にせよ地方都市にせよ、もはや「資本主義ニヒリズム」(再帰性無力感)という《砂漠》はどこにでもあるという程度の意味に過ぎないと考えてよいとおもわれる。ジュネには絶え間なくエネルギッシュな「汚穢復権《への》意志」がある一方、社会的にはどうしたって「アブノーマル(変則者)、ボーダー(境界線)、共同体の果てまで排除された者」としての諦観(あきらめ)を垣間見せないわけにはいかない。しかしマルクスはいっている。「共同体の果て」とは何のことか、と。
「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・交換過程・P.161」国民文庫)
とはいえ、あまり急ぐことなく、ジュネのいう裏切りと美との関係に戻ろう。裏切りが美であるためにジュネに必要なことは「裏切る者が自己の背信を自覚していること、彼がそれを欲し、そして彼を人間仲間に結びつけていたもろもろの愛の絆(きずな)を断ち切ることができさえすれば十分なのだ」。要するにジュネにはありあまるほどの「裏切り《への》性愛」があるのだ。そして別のところでこうも述べている。覚えているだろうか。裏切りと性愛(エロチスム)とのただならぬ関係についてである。
「裏切り者と裏切り行為へのこの《追求》は、性愛の追求(エロチスム)の一つの形態以外のものではなかったのだ。ある若者がわたしに眩暈(げんうん)的な歓喜を提供することは稀でありーーーそのような経験をしたことはほとんどないーーー、そうした眩暈的な歓喜は、ただ、わたしがある若者と一つに混り合って構成する人生の組紐だけがわたしに与えることができるのだ。わたしのシーツの下に横たわっている肉体、あるいは街路に立ったまま、あるいは夜、林の中で、また砂浜で、愛撫(あいぶ)されている肉体は、わたしに快楽の半ばを与える、すなわち、わたしにはその肉体を愛しつつある自分を見ることがはばかられる、なぜならわたしはかつて、優美さにおいて重要性を持っていたわたしの体がその瞬間の魅力の主要因であった状況を、あまりのも多く経験したからだ。わたしは今後はもうそうした状況をふたたび持つことは決してないだろう。このことにによってわたしは気がつくのだが、わたしはこれまで性愛追求(エロチック)の意図に満ちた状況しか求めなかったのだ。これが、他のいくつかのものと共に、わたしの人生を導いたものなのだ。わたしは、その主人公とそのもろもろの部分(ディテール)が性愛追求(エロチック)である冒険が存在していることを知っている。そうした冒険をこそ、わたしは生きたいと思ったのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.117~118」新潮文庫)
それにしてもなぜ「愛」の必要性と「愛をぶち壊す残酷さ」とを両立させることが大事なのか。こう述べている。
「それが成り立つためには、ただ、裏切る者が自己の背信を自覚していること、彼がそれを欲し、そして彼を人間仲間に結びつけていたもろもろの愛の絆(きずな)を断ち切ることができさえすれば十分なのだ。美を得るために不可欠なものーーー愛。そして愛をぶち壊す残酷さ」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
ジュネはいう。「美を得るために不可欠なもの」ーーー「愛」。が、そこで停止することは許されない。「愛」の成立で停止してしまえば、それは裏切りからやって来たものであったとしても、周囲からは「愛の成就」と見なされ、宗教的な意味で祝福されてしまいかねない危険がある。だから、愛は、目指す美のために必要とされながらも、美の成就が見えるやいなや、ただちに裏切り、それを「ぶち壊す残酷さ」を発揮しなければならない。「ぶち壊す残酷さ」の全面的発揮によってさらなる裏切り行為はよりいっそう美しく輝く。
とはいえ、この「ぶち壊し」について、ジュネはそれほど怖れを持っているとはおもえない。どんな「引き裂かれ方」をしたとしても、である。というのは、裏切りの美が性愛によって成立を見るものであるかぎり、それは再び、とはいえ相手を別人と置き換えて、結び直されないではいられないものでもあるからだ。ニーチェはいともあっさり語っている。
「性欲の妄想は、それが引き裂かれるなら、つねにおのずからふたたび編まれる一つの網である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八七五・P.485」ちくま学芸文庫)
さらに「ぶち壊す残酷さ」が徹底的であればあるほど、この「残酷さ」は自己破壊へも向けられる。なぜなら、社会は社会に加えられる暴力がどんな暴力であっても、個別的な暴力の場合、どのようにでも簡単に処理してしまう能力をすでに身につけてしまっているからである。だから、ニーチェが「国家的体制による恐るべき防堡(ありとあらゆる刑罰)」=「社会的防波堤」とよんだシステムは、ジュネの破壊衝動などいともたやすく跳ね返し逆にジュネの内面へと逆流させジュネ自身を自己破滅させてしまう方法を心得ている。口に出して言わないだけだ。個人に対する社会的孤立化、地域的いじめ、ありもしない風評拡散、社会的破滅という見せしめ、そしてそのデータバンク化と民間を通した売買による収益化。このように国家の側が「残酷さ」を発揮する場合、その「残酷さ」は意味がまったくちがってくる。
「残酷さは傷つけられた誇りをいやす薬である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・四五五・P.273」ちくま学芸文庫)
だから国家がジュネのようなちっぽけな「裏切り者、泥棒、性倒錯者」に敗北することはけっしてない。それを承知でジュネは述べていることを忘れないようにしよう。そんなわけで、結果的にジュネはますます汚辱に満ちた敗北の惨野へ排除され、ますますとぼとぼと放浪の線を創造していくほかない。ところがジュネはジュネなりの生き方を自分のものにしている。国家がどのようなものであれ、すでに少年ではないジュネにしてみれば国境線の突破くらい手慣れたものだ。馬鹿馬鹿しいスパイ活動に手を染めてきた経験もあることだし。それより、はるかに重要な文章がつづいている。
「彼が雄々しい心の持主であればーーーわたしの言う意味を理解していただきたいーーー、罪を犯した者は、その罪が彼をそうならせたところの者であろうと決意する。彼にとって、自己を正当化する論拠を見つけることは容易だ、もしそれを見つけなかったならば彼はどうして生きてゆけるだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
次の部分。「罪を犯した者は、その罪が彼をそうならせたところの者であろうと決意する」。ニーチェが「運命愛」と名づけた情動(パトス、パッション)の動きである。ジュネもまた自分のものにしている。二箇所上げておきたい。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
「弱い人間たちは『私はこうせざるをえない』と言い、強い人間たちは『事はこうあらざるをえない』と言う」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・五二三・P.289」ちくま学芸文庫)
ジュネは是非もなく「強い人間」になろうとますます自分で自分自身を鍛錬していく。しかしそれはただ単に筋肉隆々な肉体改造によってマッチョになることとは何の関係もない。そうではなく、政治的社会的機構を通して操作される世間からの排除圧力に対して、「《ディオニュソス的に然りと断言すること》」、である。それがよりいっそうの汚醜への過程であれ、ますます激しくなる性倒錯への過程であれ、救いようがなければなくなるほど、少なくとも自己「英雄化=神格化」される機会から遠のくことができるし、人間たちから隔絶されればされるほど人間たちから搾取されることもないのであるから。
さて、クレルの話。まだ続きがある。その前にフロイトによる次の文章を見ておきたいとおもう。
「無意識のうちには、欲動活動から発する《反復強迫》の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快不快原則を超越してしまうほどに強いもので心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症患者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(フロイト「無気味なもの」『フロイト著作集3・P.344』人文書院)
ではクレルの意識について少しおさらいしておこう。
「アルメニア人を殺害したとき、クレルは屍体から金品を剥ぎ取っていた。略奪の観念が、殺人の観念および行為(よしんばその動機に色情的なものがほとんど含まれていなかったにせよ)から派生しないことは、めったにない。一人の女衒が、彼に近づいてきた男色家(ペデ)を殺したあとで、その屍体から金品を剥ぎ取らないことは、めったにない。剥ぎ取るために殺すのではなく、《殺したから》剥ぎ取るのである」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.301」河出文庫)
さらに。
「彼は盗むために殺すのである。殺人が行われると、盗みは正当化されるのではなくて、ーーーむしろ殺人は盗みによって正当化されるという命題を、思い切って提出したい誘惑に駆られるだろうが、ーーー聖化されるのだ。クレルは偶然のおかげで、犯罪によって美化され破壊された盗みというものの精神的な力を知ったのだろうと思われる。血によって美化され賛美されるとき、盗みという行為は、ともすると殺人の豪奢のかげに完全に埋没するまでに、その人目につく重要性を失ってしまうのではなく、胸のむかつくような一種の吐息によって、殺人という純粋行為を次第に腐敗させるのだけれども、ーーー犠牲者が犯人の友達であるとき、この盗みという行為は、犯人の意志を強固にする」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.341~342」河出文庫)
そしてまた「泥棒日記」に戻ってみると、「盗み」と「宗教的儀式」との「等価性」という非凡な記述が見られる。
「すべて強盗行為は、それをしているときには、例外なく、それが最後だと感じられるものなのだ。と言っても決して、以後は二度とやるまいと考えるわけではないーーー、我々は何も考えはしないのだ。そうではなく、そのような自己の集中はもう二度とありえないと感じるからだ(少なくともこの人生ではーーー、もしそれがさらに押し進められたならば、我々をこの生の外へ連れていってしまうだろう)。そしてこの行為は(薔薇がその花冠へと発展するように)いくつかの動作へーーー己れの大きな功力(くりき)と、脆(もろ)さと、しかもなおそれらがこの行為に付与する強暴さとをよく知っている、いくつかの意識された動作へと発展するのだが、その唯一性は、その点でもまた、この盗みという行為に宗教儀式と同じ価値を与える」(ジュネ「泥棒日記・P.35」新潮文庫)
そしてもう一度、フロイトからまた別の場所をみておきたい。
「神経症的儀式は、日常生活の一定行為のさい、つねに同じか、あるいは規則的に変更される方法で実行されている細かい仕種、付加行為、制限、規定から成り立っている。これらの行動は、われわれには単なる『形式』という印象をあたえ、いわば、まったく無意味に思われる。これは、患者自身もそう思っていないわけではないが、彼らはこれをやめることができない。というのは、この儀式に違反すればかならず耐えがたい不安という罰を受け、この不安がすぐに、中止したことの埋めあわせを強要するからである。儀式行為自体と同じように、その外見や行動もまた細かく、これらは儀式によって飾り立てられ、難しくされ、それだけにどうしても遅滞しがちになる。たとえば、衣服の着脱、就床、身体的諸欲求の充足などがこれである。ある儀式のやり方を記述するには、これをいわば一連の不文律のようなものにあてはめていけばできる、たとえば、寝床儀式ではつぎのようになる。椅子はベッドの前のこうこうきめられた位置になければならず、その椅子の上には、衣服が一定の順序でたたんでおかれていなければいけない。掛布団は足もとでさしこみ、シーツは平らに伸ばしていなければならない。クッションはかくかくに配置し、体まである正確にきめられた姿勢になっていなければいけない。こうして初めて、眠ってよいことになる。軽い症例では、儀式は、習慣上の当り前なやり方が過度になったものと同じように見える。だが、これを行なうにあたっての特殊な小心さと等閑に付したさいの不安とが、この儀式をとくに『聖なる行為』にさせている、たいていの場合、これを邪魔されることは耐えられない」(フロイト「強迫行為と宗教的礼拝」『フロイト著作集5・P.377~378』人文書院)
注目すべきは、クレルの殺人の観念がそうであるように、強迫神経症的な宗教的儀式性を帯びた犯罪の秩序が、あまりにも「『聖なる行為』」と似通っている点にあると言わなければならないことであるだろう。
BGM
「わたしは初めのほうで、それが優美であるかどうかが行為の価値を決める唯一の基準だといった。わたしが裏切り行為を選びとるということを確言しても、それは上の言葉と決して矛盾しない。裏切るということは、神秘的な力と優美さとからなる、優雅な、美しい行為でありうる」(ジュネ「泥棒日記・P.355」新潮文庫)
それが思いがけず「歌を歌わせる」からだ。最初にジュネはそういっている。美しいかどうかは自分で決めることだ。さらにそれが本当に美しい行為であったとすれば、その行為の達成は自然に「歌を歌わせる」からにほかならないと。しかしその歌はどのような歌であろうか。ベートーベンの弦楽四重奏かもしれないし、あるいは場末の溜まり場で仲間たちが歌っている単なる流行歌であるかもしれない。ついでにいうと中世から近世にかけての日本では、一寸先は闇の世界だったため、何かほんの些細なことであれ目出度いとされていることがあると、仕事仲間や遊び仲間たちのあいだで流行っている小歌をみんなで、なおかつ下卑た調子で唱和して楽しむ習慣があった。それは先細っていきながらも戦後日本の八〇年代バブル崩壊まで続いた。たとえば「閑吟集」や「宗安小歌集」など。
「何(なに)せうぞ、くすんで 一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ (現代語訳)どうする気だい、まじめくさって。所詮(しょせん)人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え」(新潮日本古典集成「閑吟集・55・P.41」新潮社)
こういうのも。
「濡(ぬ)れぬ前(さき)こそ露(つゆ)をも厭(いと)へ 濡れて後(のち)には兎(と)も角(かく)も (現代語訳)濡れる以前はわずかな露に触れることさえ嫌だったが、このように一度濡れてしまった以上は、はい、お心任せに」(新潮日本古典集成「宗安小歌集・62・P.179」新潮社)
ジュネは「裏切り者、泥棒、性倒錯者」であるかぎり、高貴という観念を除外すると宣言する。高貴という言語(記述、意味、価値)は常に「調和のとれた形態」という観念と繋がりをもっているため、高貴という語を記すやいなや人々の関心を「調和のとれた形態=美」という陳腐な幻想へとそらせてしまう。だがジュネが問題にしているすべての事柄はそのような「調和のとれた形態=美」という高級そうな幻想などではまったくなく、それこそどこの「巷」(ちまた)にでもある「社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物」というありふれた物事の圏内から幾らでも引き出してくることができるものなのだ。特別な美術館や博物館に行くとかえって見えなくなってしまいがちになることのほうが多い。というのは、言うまでもなく「裏切り」は「社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物」の活用方法の一つとして美を構成する行為だからである。
「わたしはこの場合、高貴という性格はそれからはっきりと除外する。高貴という観念は、より隠れた、ほとんど見ることのできない美、調和のとれた形態へと人の考えを外(そ)らせるのであり、そうした美や形態は、社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物以外のものの中に探(たず)ねなければならないものだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
ジュネのいう「裏切りは美しい」というフレーズ。たとえば、或る裏切り行為によって一人の人間を窮地から救うことができるかもしれないとしよう。そのためにやむなく何か裏切った場合、世間はその裏切り行為に対して「善」であるとして賛辞を呈したりしないだろうか(よくやったと褒め称えて)。あるいは賛辞を呈するふりをしないだろうか(所詮、裏切りは裏切りに過ぎないと考えて)。しかしジュネ作品の読者の中にそのような誤解あるいは誤読する読者はいないはずだとジュネは信じている。
「わたしが『裏切りは美しい』と書いても、誰一人としてそれを誤解して、その場合わたしが言っているのは、この行為が絶対に必要であり、高貴なものとなる場合、それが『善』の成就をゆるす場合であると卑劣にも信じるーーーあるいは信じるふりをするーーーことはないと確信する」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
何度も繰り返し反復される言葉。「わたしは穢(けが)らわしい裏切りについて語っているのだ」と。「いかなる英雄的な動機もそれを正当化することのない裏切り」なのだと。もしそうでなければ、ややもすれば、ジュネは「英雄化=神格化」されてしまうという世にもおぞましい宗教的政治的世界の中に簡単に取り込まれてしまうだろう。あくまでジュネは警戒する。
「わたしは穢(けが)らわしい裏切りについて語っているのだ。いかなる英雄的な動機もそれを正当化することのない裏切り。陰険な、賤(いや)しい裏切り、最も高貴でない感情、妬(ねた)みとか、憎しみとか(もっとも、憎しみを高貴な感情の一つに数えることをあえてする倫理観もあるが)貪欲(どんよく)等に起因する裏切りなのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
ジュネのいう聖性とは何ものにも還元不可能な「汚辱《への》意志」、その尽きることのない、かぎりない、終わりのない過程そのものでなくてはならない。そしてそれをあえて喩えるとすれば「砂漠《への》意志」であり同時にニーチェの言葉を借りれば「全宇宙との共演」というのがふさわしい。
「《道徳的》観点は局限されているーーー。各個人は宇宙の全実在と共演しているのだ、ーーー私たちがそのことを知ろうが知るまいが、ーーー私たちがそのことを欲しようが欲しまいが!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一二三一・P.656」ちくま学芸文庫)
ところが、あえて悲惨無残というべきだろう。砂漠といってもアフリカのサハラ砂漠とかではなく、それは今や世界中の主要都市から主要都市への「移動《への》意志」を指すのであって、大都市にせよ地方都市にせよ、もはや「資本主義ニヒリズム」(再帰性無力感)という《砂漠》はどこにでもあるという程度の意味に過ぎないと考えてよいとおもわれる。ジュネには絶え間なくエネルギッシュな「汚穢復権《への》意志」がある一方、社会的にはどうしたって「アブノーマル(変則者)、ボーダー(境界線)、共同体の果てまで排除された者」としての諦観(あきらめ)を垣間見せないわけにはいかない。しかしマルクスはいっている。「共同体の果て」とは何のことか、と。
「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・交換過程・P.161」国民文庫)
とはいえ、あまり急ぐことなく、ジュネのいう裏切りと美との関係に戻ろう。裏切りが美であるためにジュネに必要なことは「裏切る者が自己の背信を自覚していること、彼がそれを欲し、そして彼を人間仲間に結びつけていたもろもろの愛の絆(きずな)を断ち切ることができさえすれば十分なのだ」。要するにジュネにはありあまるほどの「裏切り《への》性愛」があるのだ。そして別のところでこうも述べている。覚えているだろうか。裏切りと性愛(エロチスム)とのただならぬ関係についてである。
「裏切り者と裏切り行為へのこの《追求》は、性愛の追求(エロチスム)の一つの形態以外のものではなかったのだ。ある若者がわたしに眩暈(げんうん)的な歓喜を提供することは稀でありーーーそのような経験をしたことはほとんどないーーー、そうした眩暈的な歓喜は、ただ、わたしがある若者と一つに混り合って構成する人生の組紐だけがわたしに与えることができるのだ。わたしのシーツの下に横たわっている肉体、あるいは街路に立ったまま、あるいは夜、林の中で、また砂浜で、愛撫(あいぶ)されている肉体は、わたしに快楽の半ばを与える、すなわち、わたしにはその肉体を愛しつつある自分を見ることがはばかられる、なぜならわたしはかつて、優美さにおいて重要性を持っていたわたしの体がその瞬間の魅力の主要因であった状況を、あまりのも多く経験したからだ。わたしは今後はもうそうした状況をふたたび持つことは決してないだろう。このことにによってわたしは気がつくのだが、わたしはこれまで性愛追求(エロチック)の意図に満ちた状況しか求めなかったのだ。これが、他のいくつかのものと共に、わたしの人生を導いたものなのだ。わたしは、その主人公とそのもろもろの部分(ディテール)が性愛追求(エロチック)である冒険が存在していることを知っている。そうした冒険をこそ、わたしは生きたいと思ったのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.117~118」新潮文庫)
それにしてもなぜ「愛」の必要性と「愛をぶち壊す残酷さ」とを両立させることが大事なのか。こう述べている。
「それが成り立つためには、ただ、裏切る者が自己の背信を自覚していること、彼がそれを欲し、そして彼を人間仲間に結びつけていたもろもろの愛の絆(きずな)を断ち切ることができさえすれば十分なのだ。美を得るために不可欠なものーーー愛。そして愛をぶち壊す残酷さ」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
ジュネはいう。「美を得るために不可欠なもの」ーーー「愛」。が、そこで停止することは許されない。「愛」の成立で停止してしまえば、それは裏切りからやって来たものであったとしても、周囲からは「愛の成就」と見なされ、宗教的な意味で祝福されてしまいかねない危険がある。だから、愛は、目指す美のために必要とされながらも、美の成就が見えるやいなや、ただちに裏切り、それを「ぶち壊す残酷さ」を発揮しなければならない。「ぶち壊す残酷さ」の全面的発揮によってさらなる裏切り行為はよりいっそう美しく輝く。
とはいえ、この「ぶち壊し」について、ジュネはそれほど怖れを持っているとはおもえない。どんな「引き裂かれ方」をしたとしても、である。というのは、裏切りの美が性愛によって成立を見るものであるかぎり、それは再び、とはいえ相手を別人と置き換えて、結び直されないではいられないものでもあるからだ。ニーチェはいともあっさり語っている。
「性欲の妄想は、それが引き裂かれるなら、つねにおのずからふたたび編まれる一つの網である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八七五・P.485」ちくま学芸文庫)
さらに「ぶち壊す残酷さ」が徹底的であればあるほど、この「残酷さ」は自己破壊へも向けられる。なぜなら、社会は社会に加えられる暴力がどんな暴力であっても、個別的な暴力の場合、どのようにでも簡単に処理してしまう能力をすでに身につけてしまっているからである。だから、ニーチェが「国家的体制による恐るべき防堡(ありとあらゆる刑罰)」=「社会的防波堤」とよんだシステムは、ジュネの破壊衝動などいともたやすく跳ね返し逆にジュネの内面へと逆流させジュネ自身を自己破滅させてしまう方法を心得ている。口に出して言わないだけだ。個人に対する社会的孤立化、地域的いじめ、ありもしない風評拡散、社会的破滅という見せしめ、そしてそのデータバンク化と民間を通した売買による収益化。このように国家の側が「残酷さ」を発揮する場合、その「残酷さ」は意味がまったくちがってくる。
「残酷さは傷つけられた誇りをいやす薬である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・四五五・P.273」ちくま学芸文庫)
だから国家がジュネのようなちっぽけな「裏切り者、泥棒、性倒錯者」に敗北することはけっしてない。それを承知でジュネは述べていることを忘れないようにしよう。そんなわけで、結果的にジュネはますます汚辱に満ちた敗北の惨野へ排除され、ますますとぼとぼと放浪の線を創造していくほかない。ところがジュネはジュネなりの生き方を自分のものにしている。国家がどのようなものであれ、すでに少年ではないジュネにしてみれば国境線の突破くらい手慣れたものだ。馬鹿馬鹿しいスパイ活動に手を染めてきた経験もあることだし。それより、はるかに重要な文章がつづいている。
「彼が雄々しい心の持主であればーーーわたしの言う意味を理解していただきたいーーー、罪を犯した者は、その罪が彼をそうならせたところの者であろうと決意する。彼にとって、自己を正当化する論拠を見つけることは容易だ、もしそれを見つけなかったならば彼はどうして生きてゆけるだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)
次の部分。「罪を犯した者は、その罪が彼をそうならせたところの者であろうと決意する」。ニーチェが「運命愛」と名づけた情動(パトス、パッション)の動きである。ジュネもまた自分のものにしている。二箇所上げておきたい。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
「弱い人間たちは『私はこうせざるをえない』と言い、強い人間たちは『事はこうあらざるをえない』と言う」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・五二三・P.289」ちくま学芸文庫)
ジュネは是非もなく「強い人間」になろうとますます自分で自分自身を鍛錬していく。しかしそれはただ単に筋肉隆々な肉体改造によってマッチョになることとは何の関係もない。そうではなく、政治的社会的機構を通して操作される世間からの排除圧力に対して、「《ディオニュソス的に然りと断言すること》」、である。それがよりいっそうの汚醜への過程であれ、ますます激しくなる性倒錯への過程であれ、救いようがなければなくなるほど、少なくとも自己「英雄化=神格化」される機会から遠のくことができるし、人間たちから隔絶されればされるほど人間たちから搾取されることもないのであるから。
さて、クレルの話。まだ続きがある。その前にフロイトによる次の文章を見ておきたいとおもう。
「無意識のうちには、欲動活動から発する《反復強迫》の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快不快原則を超越してしまうほどに強いもので心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症患者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(フロイト「無気味なもの」『フロイト著作集3・P.344』人文書院)
ではクレルの意識について少しおさらいしておこう。
「アルメニア人を殺害したとき、クレルは屍体から金品を剥ぎ取っていた。略奪の観念が、殺人の観念および行為(よしんばその動機に色情的なものがほとんど含まれていなかったにせよ)から派生しないことは、めったにない。一人の女衒が、彼に近づいてきた男色家(ペデ)を殺したあとで、その屍体から金品を剥ぎ取らないことは、めったにない。剥ぎ取るために殺すのではなく、《殺したから》剥ぎ取るのである」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.301」河出文庫)
さらに。
「彼は盗むために殺すのである。殺人が行われると、盗みは正当化されるのではなくて、ーーーむしろ殺人は盗みによって正当化されるという命題を、思い切って提出したい誘惑に駆られるだろうが、ーーー聖化されるのだ。クレルは偶然のおかげで、犯罪によって美化され破壊された盗みというものの精神的な力を知ったのだろうと思われる。血によって美化され賛美されるとき、盗みという行為は、ともすると殺人の豪奢のかげに完全に埋没するまでに、その人目につく重要性を失ってしまうのではなく、胸のむかつくような一種の吐息によって、殺人という純粋行為を次第に腐敗させるのだけれども、ーーー犠牲者が犯人の友達であるとき、この盗みという行為は、犯人の意志を強固にする」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.341~342」河出文庫)
そしてまた「泥棒日記」に戻ってみると、「盗み」と「宗教的儀式」との「等価性」という非凡な記述が見られる。
「すべて強盗行為は、それをしているときには、例外なく、それが最後だと感じられるものなのだ。と言っても決して、以後は二度とやるまいと考えるわけではないーーー、我々は何も考えはしないのだ。そうではなく、そのような自己の集中はもう二度とありえないと感じるからだ(少なくともこの人生ではーーー、もしそれがさらに押し進められたならば、我々をこの生の外へ連れていってしまうだろう)。そしてこの行為は(薔薇がその花冠へと発展するように)いくつかの動作へーーー己れの大きな功力(くりき)と、脆(もろ)さと、しかもなおそれらがこの行為に付与する強暴さとをよく知っている、いくつかの意識された動作へと発展するのだが、その唯一性は、その点でもまた、この盗みという行為に宗教儀式と同じ価値を与える」(ジュネ「泥棒日記・P.35」新潮文庫)
そしてもう一度、フロイトからまた別の場所をみておきたい。
「神経症的儀式は、日常生活の一定行為のさい、つねに同じか、あるいは規則的に変更される方法で実行されている細かい仕種、付加行為、制限、規定から成り立っている。これらの行動は、われわれには単なる『形式』という印象をあたえ、いわば、まったく無意味に思われる。これは、患者自身もそう思っていないわけではないが、彼らはこれをやめることができない。というのは、この儀式に違反すればかならず耐えがたい不安という罰を受け、この不安がすぐに、中止したことの埋めあわせを強要するからである。儀式行為自体と同じように、その外見や行動もまた細かく、これらは儀式によって飾り立てられ、難しくされ、それだけにどうしても遅滞しがちになる。たとえば、衣服の着脱、就床、身体的諸欲求の充足などがこれである。ある儀式のやり方を記述するには、これをいわば一連の不文律のようなものにあてはめていけばできる、たとえば、寝床儀式ではつぎのようになる。椅子はベッドの前のこうこうきめられた位置になければならず、その椅子の上には、衣服が一定の順序でたたんでおかれていなければいけない。掛布団は足もとでさしこみ、シーツは平らに伸ばしていなければならない。クッションはかくかくに配置し、体まである正確にきめられた姿勢になっていなければいけない。こうして初めて、眠ってよいことになる。軽い症例では、儀式は、習慣上の当り前なやり方が過度になったものと同じように見える。だが、これを行なうにあたっての特殊な小心さと等閑に付したさいの不安とが、この儀式をとくに『聖なる行為』にさせている、たいていの場合、これを邪魔されることは耐えられない」(フロイト「強迫行為と宗教的礼拝」『フロイト著作集5・P.377~378』人文書院)
注目すべきは、クレルの殺人の観念がそうであるように、強迫神経症的な宗教的儀式性を帯びた犯罪の秩序が、あまりにも「『聖なる行為』」と似通っている点にあると言わなければならないことであるだろう。
BGM