白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

裏切り行為の成就としての「美と音楽」/クレルの殺人における聖なる儀式性

2019年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム
歌の出現は美の実現の証明であるだけでなく歌の出現は美の実現と《同時》である。その意味で裏切り行為において思いがけず歌い出された歌あるいは脳内に響き渡った音楽の出現は、そのときなされた裏切り行為が美そのものであることの根拠ともなる。

「わたしは初めのほうで、それが優美であるかどうかが行為の価値を決める唯一の基準だといった。わたしが裏切り行為を選びとるということを確言しても、それは上の言葉と決して矛盾しない。裏切るということは、神秘的な力と優美さとからなる、優雅な、美しい行為でありうる」(ジュネ「泥棒日記・P.355」新潮文庫)

それが思いがけず「歌を歌わせる」からだ。最初にジュネはそういっている。美しいかどうかは自分で決めることだ。さらにそれが本当に美しい行為であったとすれば、その行為の達成は自然に「歌を歌わせる」からにほかならないと。しかしその歌はどのような歌であろうか。ベートーベンの弦楽四重奏かもしれないし、あるいは場末の溜まり場で仲間たちが歌っている単なる流行歌であるかもしれない。ついでにいうと中世から近世にかけての日本では、一寸先は闇の世界だったため、何かほんの些細なことであれ目出度いとされていることがあると、仕事仲間や遊び仲間たちのあいだで流行っている小歌をみんなで、なおかつ下卑た調子で唱和して楽しむ習慣があった。それは先細っていきながらも戦後日本の八〇年代バブル崩壊まで続いた。たとえば「閑吟集」や「宗安小歌集」など。

「何(なに)せうぞ、くすんで 一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ (現代語訳)どうする気だい、まじめくさって。所詮(しょせん)人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え」(新潮日本古典集成「閑吟集・55・P.41」新潮社)

こういうのも。

「濡(ぬ)れぬ前(さき)こそ露(つゆ)をも厭(いと)へ 濡れて後(のち)には兎(と)も角(かく)も (現代語訳)濡れる以前はわずかな露に触れることさえ嫌だったが、このように一度濡れてしまった以上は、はい、お心任せに」(新潮日本古典集成「宗安小歌集・62・P.179」新潮社)

ジュネは「裏切り者、泥棒、性倒錯者」であるかぎり、高貴という観念を除外すると宣言する。高貴という言語(記述、意味、価値)は常に「調和のとれた形態」という観念と繋がりをもっているため、高貴という語を記すやいなや人々の関心を「調和のとれた形態=美」という陳腐な幻想へとそらせてしまう。だがジュネが問題にしているすべての事柄はそのような「調和のとれた形態=美」という高級そうな幻想などではまったくなく、それこそどこの「巷」(ちまた)にでもある「社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物」というありふれた物事の圏内から幾らでも引き出してくることができるものなのだ。特別な美術館や博物館に行くとかえって見えなくなってしまいがちになることのほうが多い。というのは、言うまでもなく「裏切り」は「社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物」の活用方法の一つとして美を構成する行為だからである。

「わたしはこの場合、高貴という性格はそれからはっきりと除外する。高貴という観念は、より隠れた、ほとんど見ることのできない美、調和のとれた形態へと人の考えを外(そ)らせるのであり、そうした美や形態は、社会から忌(い)み嫌(きら)われる行為や物以外のものの中に探(たず)ねなければならないものだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)

ジュネのいう「裏切りは美しい」というフレーズ。たとえば、或る裏切り行為によって一人の人間を窮地から救うことができるかもしれないとしよう。そのためにやむなく何か裏切った場合、世間はその裏切り行為に対して「善」であるとして賛辞を呈したりしないだろうか(よくやったと褒め称えて)。あるいは賛辞を呈するふりをしないだろうか(所詮、裏切りは裏切りに過ぎないと考えて)。しかしジュネ作品の読者の中にそのような誤解あるいは誤読する読者はいないはずだとジュネは信じている。

「わたしが『裏切りは美しい』と書いても、誰一人としてそれを誤解して、その場合わたしが言っているのは、この行為が絶対に必要であり、高貴なものとなる場合、それが『善』の成就をゆるす場合であると卑劣にも信じるーーーあるいは信じるふりをするーーーことはないと確信する」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)

何度も繰り返し反復される言葉。「わたしは穢(けが)らわしい裏切りについて語っているのだ」と。「いかなる英雄的な動機もそれを正当化することのない裏切り」なのだと。もしそうでなければ、ややもすれば、ジュネは「英雄化=神格化」されてしまうという世にもおぞましい宗教的政治的世界の中に簡単に取り込まれてしまうだろう。あくまでジュネは警戒する。

「わたしは穢(けが)らわしい裏切りについて語っているのだ。いかなる英雄的な動機もそれを正当化することのない裏切り。陰険な、賤(いや)しい裏切り、最も高貴でない感情、妬(ねた)みとか、憎しみとか(もっとも、憎しみを高貴な感情の一つに数えることをあえてする倫理観もあるが)貪欲(どんよく)等に起因する裏切りなのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)

ジュネのいう聖性とは何ものにも還元不可能な「汚辱《への》意志」、その尽きることのない、かぎりない、終わりのない過程そのものでなくてはならない。そしてそれをあえて喩えるとすれば「砂漠《への》意志」であり同時にニーチェの言葉を借りれば「全宇宙との共演」というのがふさわしい。

「《道徳的》観点は局限されているーーー。各個人は宇宙の全実在と共演しているのだ、ーーー私たちがそのことを知ろうが知るまいが、ーーー私たちがそのことを欲しようが欲しまいが!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一二三一・P.656」ちくま学芸文庫)

ところが、あえて悲惨無残というべきだろう。砂漠といってもアフリカのサハラ砂漠とかではなく、それは今や世界中の主要都市から主要都市への「移動《への》意志」を指すのであって、大都市にせよ地方都市にせよ、もはや「資本主義ニヒリズム」(再帰性無力感)という《砂漠》はどこにでもあるという程度の意味に過ぎないと考えてよいとおもわれる。ジュネには絶え間なくエネルギッシュな「汚穢復権《への》意志」がある一方、社会的にはどうしたって「アブノーマル(変則者)、ボーダー(境界線)、共同体の果てまで排除された者」としての諦観(あきらめ)を垣間見せないわけにはいかない。しかしマルクスはいっている。「共同体の果て」とは何のことか、と。

「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・交換過程・P.161」国民文庫)

とはいえ、あまり急ぐことなく、ジュネのいう裏切りと美との関係に戻ろう。裏切りが美であるためにジュネに必要なことは「裏切る者が自己の背信を自覚していること、彼がそれを欲し、そして彼を人間仲間に結びつけていたもろもろの愛の絆(きずな)を断ち切ることができさえすれば十分なのだ」。要するにジュネにはありあまるほどの「裏切り《への》性愛」があるのだ。そして別のところでこうも述べている。覚えているだろうか。裏切りと性愛(エロチスム)とのただならぬ関係についてである。

「裏切り者と裏切り行為へのこの《追求》は、性愛の追求(エロチスム)の一つの形態以外のものではなかったのだ。ある若者がわたしに眩暈(げんうん)的な歓喜を提供することは稀でありーーーそのような経験をしたことはほとんどないーーー、そうした眩暈的な歓喜は、ただ、わたしがある若者と一つに混り合って構成する人生の組紐だけがわたしに与えることができるのだ。わたしのシーツの下に横たわっている肉体、あるいは街路に立ったまま、あるいは夜、林の中で、また砂浜で、愛撫(あいぶ)されている肉体は、わたしに快楽の半ばを与える、すなわち、わたしにはその肉体を愛しつつある自分を見ることがはばかられる、なぜならわたしはかつて、優美さにおいて重要性を持っていたわたしの体がその瞬間の魅力の主要因であった状況を、あまりのも多く経験したからだ。わたしは今後はもうそうした状況をふたたび持つことは決してないだろう。このことにによってわたしは気がつくのだが、わたしはこれまで性愛追求(エロチック)の意図に満ちた状況しか求めなかったのだ。これが、他のいくつかのものと共に、わたしの人生を導いたものなのだ。わたしは、その主人公とそのもろもろの部分(ディテール)が性愛追求(エロチック)である冒険が存在していることを知っている。そうした冒険をこそ、わたしは生きたいと思ったのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.117~118」新潮文庫)

それにしてもなぜ「愛」の必要性と「愛をぶち壊す残酷さ」とを両立させることが大事なのか。こう述べている。

「それが成り立つためには、ただ、裏切る者が自己の背信を自覚していること、彼がそれを欲し、そして彼を人間仲間に結びつけていたもろもろの愛の絆(きずな)を断ち切ることができさえすれば十分なのだ。美を得るために不可欠なものーーー愛。そして愛をぶち壊す残酷さ」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)

ジュネはいう。「美を得るために不可欠なもの」ーーー「愛」。が、そこで停止することは許されない。「愛」の成立で停止してしまえば、それは裏切りからやって来たものであったとしても、周囲からは「愛の成就」と見なされ、宗教的な意味で祝福されてしまいかねない危険がある。だから、愛は、目指す美のために必要とされながらも、美の成就が見えるやいなや、ただちに裏切り、それを「ぶち壊す残酷さ」を発揮しなければならない。「ぶち壊す残酷さ」の全面的発揮によってさらなる裏切り行為はよりいっそう美しく輝く。

とはいえ、この「ぶち壊し」について、ジュネはそれほど怖れを持っているとはおもえない。どんな「引き裂かれ方」をしたとしても、である。というのは、裏切りの美が性愛によって成立を見るものであるかぎり、それは再び、とはいえ相手を別人と置き換えて、結び直されないではいられないものでもあるからだ。ニーチェはいともあっさり語っている。

「性欲の妄想は、それが引き裂かれるなら、つねにおのずからふたたび編まれる一つの網である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八七五・P.485」ちくま学芸文庫)

さらに「ぶち壊す残酷さ」が徹底的であればあるほど、この「残酷さ」は自己破壊へも向けられる。なぜなら、社会は社会に加えられる暴力がどんな暴力であっても、個別的な暴力の場合、どのようにでも簡単に処理してしまう能力をすでに身につけてしまっているからである。だから、ニーチェが「国家的体制による恐るべき防堡(ありとあらゆる刑罰)」=「社会的防波堤」とよんだシステムは、ジュネの破壊衝動などいともたやすく跳ね返し逆にジュネの内面へと逆流させジュネ自身を自己破滅させてしまう方法を心得ている。口に出して言わないだけだ。個人に対する社会的孤立化、地域的いじめ、ありもしない風評拡散、社会的破滅という見せしめ、そしてそのデータバンク化と民間を通した売買による収益化。このように国家の側が「残酷さ」を発揮する場合、その「残酷さ」は意味がまったくちがってくる。

「残酷さは傷つけられた誇りをいやす薬である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・四五五・P.273」ちくま学芸文庫)

だから国家がジュネのようなちっぽけな「裏切り者、泥棒、性倒錯者」に敗北することはけっしてない。それを承知でジュネは述べていることを忘れないようにしよう。そんなわけで、結果的にジュネはますます汚辱に満ちた敗北の惨野へ排除され、ますますとぼとぼと放浪の線を創造していくほかない。ところがジュネはジュネなりの生き方を自分のものにしている。国家がどのようなものであれ、すでに少年ではないジュネにしてみれば国境線の突破くらい手慣れたものだ。馬鹿馬鹿しいスパイ活動に手を染めてきた経験もあることだし。それより、はるかに重要な文章がつづいている。

「彼が雄々しい心の持主であればーーーわたしの言う意味を理解していただきたいーーー、罪を犯した者は、その罪が彼をそうならせたところの者であろうと決意する。彼にとって、自己を正当化する論拠を見つけることは容易だ、もしそれを見つけなかったならば彼はどうして生きてゆけるだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.356」新潮文庫)

次の部分。「罪を犯した者は、その罪が彼をそうならせたところの者であろうと決意する」。ニーチェが「運命愛」と名づけた情動(パトス、パッション)の動きである。ジュネもまた自分のものにしている。二箇所上げておきたい。

「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)

「弱い人間たちは『私はこうせざるをえない』と言い、強い人間たちは『事はこうあらざるをえない』と言う」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・五二三・P.289」ちくま学芸文庫)

ジュネは是非もなく「強い人間」になろうとますます自分で自分自身を鍛錬していく。しかしそれはただ単に筋肉隆々な肉体改造によってマッチョになることとは何の関係もない。そうではなく、政治的社会的機構を通して操作される世間からの排除圧力に対して、「《ディオニュソス的に然りと断言すること》」、である。それがよりいっそうの汚醜への過程であれ、ますます激しくなる性倒錯への過程であれ、救いようがなければなくなるほど、少なくとも自己「英雄化=神格化」される機会から遠のくことができるし、人間たちから隔絶されればされるほど人間たちから搾取されることもないのであるから。

さて、クレルの話。まだ続きがある。その前にフロイトによる次の文章を見ておきたいとおもう。

「無意識のうちには、欲動活動から発する《反復強迫》の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快不快原則を超越してしまうほどに強いもので心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症患者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(フロイト「無気味なもの」『フロイト著作集3・P.344』人文書院)

ではクレルの意識について少しおさらいしておこう。

「アルメニア人を殺害したとき、クレルは屍体から金品を剥ぎ取っていた。略奪の観念が、殺人の観念および行為(よしんばその動機に色情的なものがほとんど含まれていなかったにせよ)から派生しないことは、めったにない。一人の女衒が、彼に近づいてきた男色家(ペデ)を殺したあとで、その屍体から金品を剥ぎ取らないことは、めったにない。剥ぎ取るために殺すのではなく、《殺したから》剥ぎ取るのである」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.301」河出文庫)

さらに。

「彼は盗むために殺すのである。殺人が行われると、盗みは正当化されるのではなくて、ーーーむしろ殺人は盗みによって正当化されるという命題を、思い切って提出したい誘惑に駆られるだろうが、ーーー聖化されるのだ。クレルは偶然のおかげで、犯罪によって美化され破壊された盗みというものの精神的な力を知ったのだろうと思われる。血によって美化され賛美されるとき、盗みという行為は、ともすると殺人の豪奢のかげに完全に埋没するまでに、その人目につく重要性を失ってしまうのではなく、胸のむかつくような一種の吐息によって、殺人という純粋行為を次第に腐敗させるのだけれども、ーーー犠牲者が犯人の友達であるとき、この盗みという行為は、犯人の意志を強固にする」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.341~342」河出文庫)

そしてまた「泥棒日記」に戻ってみると、「盗み」と「宗教的儀式」との「等価性」という非凡な記述が見られる。

「すべて強盗行為は、それをしているときには、例外なく、それが最後だと感じられるものなのだ。と言っても決して、以後は二度とやるまいと考えるわけではないーーー、我々は何も考えはしないのだ。そうではなく、そのような自己の集中はもう二度とありえないと感じるからだ(少なくともこの人生ではーーー、もしそれがさらに押し進められたならば、我々をこの生の外へ連れていってしまうだろう)。そしてこの行為は(薔薇がその花冠へと発展するように)いくつかの動作へーーー己れの大きな功力(くりき)と、脆(もろ)さと、しかもなおそれらがこの行為に付与する強暴さとをよく知っている、いくつかの意識された動作へと発展するのだが、その唯一性は、その点でもまた、この盗みという行為に宗教儀式と同じ価値を与える」(ジュネ「泥棒日記・P.35」新潮文庫)

そしてもう一度、フロイトからまた別の場所をみておきたい。

「神経症的儀式は、日常生活の一定行為のさい、つねに同じか、あるいは規則的に変更される方法で実行されている細かい仕種、付加行為、制限、規定から成り立っている。これらの行動は、われわれには単なる『形式』という印象をあたえ、いわば、まったく無意味に思われる。これは、患者自身もそう思っていないわけではないが、彼らはこれをやめることができない。というのは、この儀式に違反すればかならず耐えがたい不安という罰を受け、この不安がすぐに、中止したことの埋めあわせを強要するからである。儀式行為自体と同じように、その外見や行動もまた細かく、これらは儀式によって飾り立てられ、難しくされ、それだけにどうしても遅滞しがちになる。たとえば、衣服の着脱、就床、身体的諸欲求の充足などがこれである。ある儀式のやり方を記述するには、これをいわば一連の不文律のようなものにあてはめていけばできる、たとえば、寝床儀式ではつぎのようになる。椅子はベッドの前のこうこうきめられた位置になければならず、その椅子の上には、衣服が一定の順序でたたんでおかれていなければいけない。掛布団は足もとでさしこみ、シーツは平らに伸ばしていなければならない。クッションはかくかくに配置し、体まである正確にきめられた姿勢になっていなければいけない。こうして初めて、眠ってよいことになる。軽い症例では、儀式は、習慣上の当り前なやり方が過度になったものと同じように見える。だが、これを行なうにあたっての特殊な小心さと等閑に付したさいの不安とが、この儀式をとくに『聖なる行為』にさせている、たいていの場合、これを邪魔されることは耐えられない」(フロイト「強迫行為と宗教的礼拝」『フロイト著作集5・P.377~378』人文書院)

注目すべきは、クレルの殺人の観念がそうであるように、強迫神経症的な宗教的儀式性を帯びた犯罪の秩序が、あまりにも「『聖なる行為』」と似通っている点にあると言わなければならないことであるだろう。

BGM

神格化に抗するジュネ/増殖するクレルの分身

2019年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム
アルマンが渡り歩いてきた数々の冒険。それぞれの場所で、おそらく最も多いのは刑務所で、アルマンは繊細な技巧を身につけた。「一挺(ちょう)の鋏(はさみ)と折りたたんだ紙片から作りだされた、繊巧な出来ばえのナフキンやハンケチなど」を丁寧に折り上げる技術である。それはヨーロッパ中のカフェからカフェへと渡り歩く名もない労働者としてのアルマンの姿の一つだ。そのことを知ったジュネ。アルマンのように堂々とした筋肉隆々たる人物は「この世で最も硬い構成要素から成り立っていると想像すること」でジュネのようなちっぽけで「不安定な気質」の「支柱」として機能しているというばかり思っていた思い込みがもろくも崩壊するのを感じる。

「わたしはそれまで、おそらく自分を安心させるため、わたしの不安定な気質に支柱を与えるために、わたしの恋男(こいびと)たちはこの世で最も硬い構成要素から成り立っていると想像することを必要としていたのだった。それが、突然そのとき、その中でもわたしにとって最も権威を持っていた男が人間的な惨めさから成り立っていることを知らされた」(ジュネ「泥棒日記・P.324」新潮文庫)

ところがこの「惨めさから成り立っている」という事実は、「惨めさから《も》成り立っている」と考えるのが妥当だろうと思われる。アルマンは常に「この世で最も硬い構成要素から成り立っている」わけではない。むしろときどき「溶ける」あるいは「溶融する」のだ。生成変化するのである。他人によって代理不可能な固有性。アルマンはそれをヨーロッパ中のカフェからカフェへと渡り歩く名もない労働者であるときに、自分の情動に従って、しばしば行っていたのだ。

「生成変化が情動そのものであり、欲動それ自体であるということ、そしてこれは何の表象〔代理〕でもない」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.205」河出文庫)

「現在、わたしの脳裡に最も頻繁(ひんぱん)に浮かんでくる思い出は、アルマンがーーーわたしは彼がこの商売をしているところは実際には一度も見たことがないのだが、ーーー料理店で客の坐っているテーブルに近寄っていっては、彼の紙のレースをーーーヴェニス風といわれる繊細な薔薇(ばら)形模様にーーー切り抜いている姿なのである。彼が、誰の援(たす)けもなしに、ふつう態度物腰とよばれるものの優雅さではなく、さまざまな姿態の《数的な》戯れの優雅さを発見したのは、この商売をしていた時代のことなのかもしれない」(ジュネ「泥棒日記・P.324~325」新潮文庫)

だからアルマンが様々に身につけていた数々の「姿態」が、「態度物腰とよばれるものの優雅さ」から身についたわけ「ではなく」むしろ〔複数の〕「《数的な》戯れの優雅さ」であったのは、ほかの誰でもないアルマン自身がヨーロッパ中のカフェからカフェへと渡り歩く名もない労働者だったとき、自分の《情動》に従って「生成変化する=溶ける=溶融する」反復のうちに、次第に身についていった「戯れの優雅さ」の系列であったからである。そしてその「戯れの優雅さ」の系列の中にはジュネを奮起させた性行為の優雅さも当然入っていたであろう。アルマンはアルマンなりに洗練さにおいても自分で自分自身に磨きをかけていたのだ。

ところで喪の作業というものは、フロイトが述べたように人それぞれに異なっている。しかし何らかの、数的に換算できる一連の儀式なしには終えることができない。ジュネの場合まず、もぬけの殻のなる。悲しみの裡(うち)に打ち沈む。ところが逆に躁状態に陥る人々もいるだろう。葬式となると突然いつも以上に張り切るというタイプであって、むしろ世間一般では後者のほうが断然多いのではないだろうか。ギーもまた後者のタイプ、仲間が死ぬと躁状態に陥り断然張り切るタイプだった。それはあたかも死者に対する喪の作業に服しているというより、逆に葬式という言葉によって引き出された興奮状態を思わせる。

「わたしにとって喪に服するということは、やがてわたしが脱却してしまう苦痛(かなしみ)にーーーというわけは、わたしはこの苦痛を通常の道徳から抜け出すのに必要な一つの力に変化させるからだーーーまず身を任せることであるので、わたしには花を盗んでそれをわたしが愛惜する死人の墓に供(そな)えることができない。ものを盗むという行為は、努力なしでは得られない一つの倫理的態度を必然ならしめる、ーーーそれは一つの英雄的(ヒロイック)な行為なのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.325」新潮文庫)

貧困ゆえの盗みに対する弁明が含まれている。「愛する者の死による苦痛は、人間たちとの紐帯(じゅうたい)を我々に気づかせる」と。しかしジュネには、たびたび触れてきたように、「人間たちとの紐帯(じゅうたい)」を断ち切ろう、切断してしまおうという「汚辱《への》意志」がある。別の人間への、「生成変化《への》意志」がある。世間一般が排除した社会的な恥部を積極的に引き受けたいという「汚穢《への》意志」がある。それは世間一般の恥部あるいは社会的な汚濁部分を可視化する作業でもある。とはいえ、一応、貧困によって不可能になってしまう喪の作業に対する弁明も述べてはいる。

「一方、愛する者の死による苦痛は、人間たちとの紐帯(じゅうたい)を我々に気づかせる。この苦痛は、残された者に何はともあれまず形式上の威儀を死者のために調(ととの)えることを要求する。それで、この威儀を調えたいと思う心が、我々にそれを買う金がない場合、やむなく花を盗ませるのである。したがってこの花を盗むという行為は、死者への訣別(けつべつ)の慣例的作法を果すことができないという絶望感によって招来されたものなのである」(ジュネ「泥棒日記・P.325~326」新潮文庫)

というふうに。けれどもジュネが問題にしているのは、粗暴なギーに特有でしばしば陥りがちな世俗の価値観への舞い戻りである。

「ギーがやってきて、モリス・Bが殺された顚末(てんまつ)をわたしに語った。

『花輪が要(い)る』
『なぜだい?』
『葬式のためさ』

彼の声はきっぱりと短かった。彼は、一つ一つの音節を長くのばして発音すると、彼の心が弱々しくなってしまうことを懼(おそ)れたにちがいない。また、彼は、まだ涙や嘆きのときではないと考えていたのにちがいない」(ジュネ「泥棒日記・P.326」新潮文庫)

ギーは世間一般で広く行われている「葬式」を想定している。しかし、とジュネはおもう。一方の「儀式」に対してもう一方でもまた「儀式」を対抗させることに、或る種の違和感を抱かざるを得ない。

「彼はいったいどんな花輪のことを、どんな葬列、どんな儀式を心に描いていたのだろうか。

『葬式には、どうしたって花がなくちゃ』
『お前さん、金持ってるのかい?』
『それが一文もねえんだ、寄付をつのって回るさ』
『どこで?』
『むろん教会の中じゃねえさ。仲間のとこや、酒場でよ』
『今、みんなしけてるぜ』

ギーが死者のために要求していたのは決して立派な墓ではなかった。彼は何よりもまず、この世の盛儀が、警察(でか)の弾(たま)に殺された彼の友である一人の悪党(ならずもの)に与えられることを望んだのだ。最も賤(いや)しい者のために、世人の最も豪華とする衣を花で編んでやることだった」(ジュネ「泥棒日記・P.326~327」新潮文庫)

世人が「最も賤(いや)しい者」とする者の死に際して、逆に世人の「最も豪華とする衣を花で編んでやること」を対置するとすれば、それはただ単に世間一般の価値観を正反対に転倒させるだけのことに過ぎない。ジュネはただ単なる転倒は安易であると述べている。たとえば、Aという価値観に対して反Aという価値観を持ってきたとしよう。しかし反Aは、Aが確固たる価値観として成立しているだけでなく社会的規模で流通しているということを条件としているかぎりで事後的に成り立つ価値観でしかない。反Aという価値観はAという世間一般の価値観に依存して始めて発生することができる。だから反Aという価値観の根拠になっているのはまさしく自分が反対しようとしているAという価値観にほかならない。だから、ただ単なる転倒は安易なのでは、とジュネは考えるわけだ。しかし粗暴で派手好みのギーにはそのような事情がわからない。

「彼や彼の仲間たちを最も卑賤(ひせん)な者と考え、そう決定しさえする連中が自らに施す方法で、彼の友に名誉を、しかし何よりも特に栄光を与えることだった」(ジュネ「泥棒日記・P.327」新潮文庫)

そのような態度では依然として自分たちを排除した世間一般の側の論理に従っていることにしかならない。ジュネの仲間たちの価値観は一様ではなく多様である。ジュネにはジュネなりの考えがある。だから華々しく、ときにマスコミの映像から出てきて事件の英雄になることすらある殺人やカーチェイスなどではなく、逆に「裏切り、盗み、倒錯」を意志するのである。「英雄化=神格化」は単におぞましいばかりで、そこには「貨幣」や「性倒錯」のような「夜陰性」が見当たらない。ジュネはいう。

「卑しいものたちを、ふつう高貴さを表現するのに使われる言葉でよんだことは、幼稚な、たやすいやり方だったかもしれない、ーーーわたしは目的を急ぎすぎた」(ジュネ「泥棒日記・P.153」新潮文庫)

さて、霧にかすむ軍港の町ブレストで、クレルとジルとの関係はただならぬ領域にまで達しつつある。

「クレルのなかで、ジルに対する友情は恋愛とすれすれの線にまで発展していた。ジルに対して、彼は兄のような一種の愛情を感じていた。ジルもまた、自分と同じ人殺しなのであった。いわば小さなクレルであったが、それ以上に成長してはならず、それ以上に極端に走ってはいけないのだった。こうしたジルに対して、クレルはあたかも未成熟のクレルの胎児の前にいるかのような、思いやりと好奇心とを感じていた。クレルは愛の行為をしなかった。そうすれば自分の愛情がもっと強くなると思ったからであり、そうすれば自分がいよいよ強くジルに結びつき、ジルがいよいよ強く自分に結びつくだろうとおもったからである」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.337」河出文庫)

この部分で「クレルは愛の行為をしなかった」とある。同一化を避けた。ジルはジルとして一人前にならなければならない。クレルの二代目を襲名することが目的ではない。そうではなくブレスト全体がクレルの《分身》であふれるということでなくてはならない。境界線に沿ってではなく、境界線の横断でなくてはならない。そのときもはやブレストはクレルの《分身》だ。世俗とはかけ離れた世界でしかないにしても。そしてジルはもっと他の場所を選択し、他の方法を見出し続け、他の性あるいは生をまっとうすべきなのだ。それこそクレルの愛だ。この愛は恋愛というより保護者が子どもに向ける愛に最も近い。それはそれで構わないのだ。さらにいえば、クレルはすでに他の重要な愛人に奉仕していたことが上げられる。淫売屋《ラ・フェリア》に出入りしている警察官マリオに、である。クレルは全身全霊を込めてマリオの巨大な男性器を何度も繰り返し音を立ててフェラチオする。顔面を中心に上半身を何度も上下させる。キリスト教の神の前で何度も繰り返し祈りを捧げる信者の姿と見分けがつかないほどに。バルトが文学作品についてテクストと呼んだように、彼ら彼女らの諸関係は次から次へと編まれては解かれ、また編まれては解かれを繰り返す、テクストという名の《漂流》のようだ。

クレルの思想が記述される。特に特異なものではまったくない。むしろ世間一般では常識の領域に属する。なぜなら、クレルはクレルの裡(うち)に「星」を持っていたからだ。特に「星」でなくてもよいのである。信頼という強度を現わすことができるものであれば、それはほかの何でも構わないのだ。たとえば、異性愛の男性の場合、特に多いのは女性の「脚《への》信頼」が上げられる。そのような男性にとって特定の女性の「脚」は、クレルにおける「星」と等価関係をなす。略語で「脚フェチ」と呼ばれるが、クレルの場合はそれが「星フェチ」だった。それだけのことだ。しかし「脚フェチ」であれ「星フェチ」であれ、それらは「絶対の信頼」に裏打ちされていなければならない。「脚」であれ「星」であれ、あるいはセブロン少尉における「徽章」であれ、それらはいずれにせよ、人間との《あいだ》で、互いに互いを力づけ合い、互いに互いが力づけられ合うような相互依存関係をなしていなくてはならない。ジルにおける「瘤のような痔」のように。「なぜかといえば、この痔が彼に、自分自身であることの機会をあたえてくれたのだから」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.146」河出文庫)。

「クレルは自分の星に絶対の信頼を置いているはずであった。この星は、水兵が星に対して抱いていた信頼のおかげで存在していた。お望みならば、この星は、まさしく彼の信頼に対する光によって、隈なく夜を照らす星だと言ってもよかった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.338」河出文庫)

クレルの「星に対する信頼」は強固だ。そしてその「星」がクレルに固有の「星」であるためには、その「星」はクレル自身である必要性はないが、しかしそれゆえ、その「星」はクレル自身の「微笑」と等価性を保っていなければならない。クレルの思う「星」とクレル自身の「微笑」との等価性が保たれているかぎりで、ようやく「星はクレルの信頼そのもの」に《なる》。だがしかし、今述べた事情は、サルトルのジュネ論とは当然違っており、翻訳者の澁澤龍彦の解釈とも違っている。わざと違うことを言おうとしているわけではない。むしろ違ってくるのは当り前でもある。というのは、サルトルや澁澤龍彦はジュネの言語論にばかりこだわり過ぎているからだ。とはいえ彼ら彼女らの活躍した時代ではそれでよかった。いまやそうではない。少なくとも言語論だけでジュネを語るのには無理がある。そこで、ここでもまた問題にしていることは、あくまでジュネに固有の「言語、貨幣、性」との関係なのである。

「この星が、その威力と輝き、つまりその効力を保持するためには、クレルが星に対する信頼と、自分の微笑とを保持していなければならないのだった。ーーー星はクレルの信頼そのものだった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.338」河出文庫)

なかでも注目したいのはクレルが「星」に与える強度でありそれは「微笑《への》意志」としても量的に等価でなくてはならない。「星《への》意志」と「微笑《への》意志」との等価性を保障しているのは、「信頼」という言葉に置き換えられたクレル自身の「力《への》意志」にほかならない。したがって、次のようにときどき「星の光が吹き消されはしまいかと思うと、一種の眩暈(めまい)のような感覚が彼の内部に生じる」ということが起こってくる。わざわざ書かれてはいないが、そのようなときは同時に「微笑」にも不安の陰りが生じているはずなのであり、両者は別々のものでありながら、しかし二つに分裂した「力《への》意志」の強度が同時に変動することによって生ずる。クレルの「微笑」に不安の陰りが生じているとき、クレルは陰りだ。

「クレルの微笑が消えない限り、星とクレルとのあいだには、どんな稀薄な雲も割りこまず、星の光はエネルギーを少しも弱めず、どんなぼんやりした疑念によっても曇らされることがないのだった。クレルは、各瞬間ごとに自分から生れ出る星にしがみついていた。一方、星は力強くクレルを保護していた。星の光が吹き消されはしまいかと思うと、一種の眩暈(めまい)のような感覚が彼の内部に生じるのだった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.338~339」河出文庫)

次の一節は世間一般の感覚であれば十分理解できるに違いない。なお、「偶然の状況のからみ合い(わたしたちはそれを幸福と呼ぶ)」とジュネは書く。ところがそれも科学的に説明されてしまえば消滅してしまいかねない、とても脆(もろ)く儚(はかな)い「状況」に過ぎない。

「クレルは全速力で生きていた。星の光を絶やさないために神経を張りつめていたので、だらけた生活をしていたのでは絶対に不可能だと思われるような(第一、何の役に立つのだ?)、一種の正確な身のこなしを余儀なくされていた。いつも警戒の目を光らせていたので、邪魔者がよく見え、邪魔者を避けるためには、どんな大胆な動作をすべきかを理解していた。彼が挫折するのは、彼が精力を使い果している時(そんな場合があったとして)のみであった。星を所有しているという彼の確信は、偶然の状況のからみ合い(わたしたちはそれを幸福と呼ぶ)に由来していた」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.339」河出文庫)

そしてもし科学的論証を与えられたとしよう。事実、これまで謎とされてきた多くの神秘的現象は科学的に論証されることでそのトリックはただ単なる手品に過ぎないことが証明されてきた。人間は科学の力によって計り知れない呪術や神秘主義から解放されてきた。それは科学の勝利であり恩恵でもある。ところが科学には科学なりの弱みがある。それを正当にも指摘したのはニーチェである。だからといってニーチェは神秘主義や呪術を擁護するわけではなく、逆に神秘主義や呪術などもっと盛大に廃棄されねばならないと告発する。

「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫)

ジュネは「偶然の状況のからみ合い」から生じる「星への信頼」について、なぜ「星」なのかは「かなり運に左右されたもの」だと考える。しかし一方、「からみ合い」にもかかわらず「薔薇窓のように整然としている」ことを認める。

「それは組織されたというよりも、むしろかなり運に左右されたもので、しかも薔薇窓のように整然としているので、どうしてもそこに形而上的な理由を求めたくなるほどであった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.339」河出文庫)

探求者としてのジュネはそのことに「形而上的な理由を求めたくなる」と書いている。いまや可能である。グローバル資本主義がそれを可能にした。「リゾーム」という形で。

「リゾームは任意の一点で切れたり折れたりしてもかまわない。それ自身のしかじかの線や別の線にしたがってまた育ってくるのだ。蟻を相手にしていると際限がないのは、それが動物的リゾームを形作っていて、その大部分が破壊されてもたえず再形成されるからである。どんなリゾームも数々の切片線を含んでいて、それらの線にしたがって地層化され、領土化され、組織され、意味され、帰属させられている。けれどもまた脱領土化の線も含んでいて、これを通してたえず逃走してもいるのである。切片線が逃走線の中に破裂するたびにリゾームにおいて切断がおきる。けれども逃走線はリゾームの一部分をなしている。これらの線はたえずお互いにかかわりあっている」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.28」河出文庫)

ところが今や実現されたリゾームによって、リゾームを生んだ資本主義自身が想定外の危険をますます多発させる度合いを増殖させていくという逆説におちいっている、と言わねばならない。というのも、資本主義は自己目的だからである。そして自己目的としての資本主義の運動は、言い換えれば、「超越論的探求」というにふさわしい。するとこう言うことができる。

「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫)

その特性は「好きなときにやめることができないという点にある」。にもかかわらず、なぜ世界は、その都度ただ単なる対処療法をほんの少し示して見せるだけで、実質的には指を加えて手をこまねいているばかりなのだろうか。それとも、よりいっそう強烈で回転の速い「死《への》意志」をもっと段違いにまで加速させることを願って止まないということなのだろうか。

BGM