ジャヴァの魅力を列挙した後、しかしこれら様々な魅力の「光り輝くばかりの《合金化》」は、ジュネとジャヴァとのあいだで生じた大喧嘩〔罵り合い〕の果ての「別離」の瞬間に最も強烈に把握させられたものだ、とジュネはいう。ジュネはこれまで数頁にわたってジャヴァの諸特質の組み合わせから突然発生する《光輝性》について称賛してきた。しかしそのような瞬間が最も強烈に生じたのはジャヴァとの別れの瞬間においてである、と述べる。
「シャンゼリゼーのマロニエの下で、わたしは彼にわたしの熱情的な愛を告げてやった。わたしは情勢を支配していた。わたしは今なお、そしてまさに彼から離れ去るときに、彼に愛着させるものは、彼の感動であり、わたしの決意を前にしての、そしてこの突然の別離の荒々しさを前にしての、彼の周章狼狽(ろうばい)なのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.366」新潮文庫)
愛の告白と別れの宣告。ジャヴァの情動が最も揺れ動いたのは、その二回きり、であると言明するジュネ。そしてそのときにジャヴァが見せた「周章狼狽(ろうばい)」。さらに「彼はすっかり気が顚倒(てんとう)し」たこと。あるいはジャヴァを罵ったときにジャヴァの「両眼は涙で曇った」こと。ジャヴァは「悲しそうだった」こと。またさらにジャヴァは「黙ったまま悲嘆にくれた」こと。そういった幾つかの「仕草」の組み合わせがジャヴァを「詩(ポエジー)の背光で輝かせ、彼を一段と魅惑的にした」とジュネはいう。なぜなら、「今や彼は霧の中で光り輝いたのだから」、と説明を付け加える。ところで、ここで重要なのは、ジャヴァの「身体《において》出現した幾つかの《仕草》による組み合わせ」が「彼を一段と魅惑的にした」という一連の流れである。ジャヴァは始めから魅惑的であったのではない。また常に終始一貫して魅惑的だったのでもない。そうではなく、或る諸要素がジャヴァの「身体《において》出会う」瞬間、そしてその瞬間にかぎり、ジャヴァは魅惑的であり、同時に「詩(ポエジー)の背光」をまとう、ということでなくてはならない。だからジャヴァは「或る諸要素の出会い」としてのみ《合金》でありなおかつ《光輝》であり、さらに《魅惑的》で《詩的》でもある。ところがその諸要素の組み合わせが崩れ去るやいなやジャヴァはすでに廃墟でしかない。そこにジャヴァはいない。少なくとも光り輝いてなどいない。世間一般で通用しているジャヴァという名前を与えられただけの、ただ単なるごろつきが一人いるというだけのことに過ぎなくなる。なお、「シャンゼリゼーのマロニエの下」とあるが、それはジュネの好みの問題であって、必ずしもそれが詩(ポエジー)と結びついて切り離せないとは限らない。
「彼はすっかり気が顚倒(てんとう)していた。わたしが彼に言ったことーーー我々二人について、特に彼について、言ったことーーーは我々二人の存在を悲痛な色で彩(いろど)ったので、彼の両眼は涙で曇った。彼は悲しそうだった。彼は黙ったまま悲嘆にくれた、そしてこの嘆きは彼を詩(ポエジー)の背光で輝かせ、彼を一段と魅惑的にしたーーーなぜなら今や彼は霧の中で光り輝いたのだから」(ジュネ「泥棒日記・P.366~367」新潮文庫)
避けられない別離。もはや不可避となった別れ。ジュネはジャヴァに対し、そんなときにこそよりいっそう湧き溢れてくる「愛着を感じる」。
「こうして、わたしは、彼から離れ去らねばならないときに、彼にいっそう愛着を感じる」(ジュネ「泥棒日記・P.367~368」新潮文庫)
ニーチェはいう。
「《別れるときに》。ーーー在る心が他の心に近寄ってゆく様子のなかにではなく、それから離れてゆく様子のなかに、私は、それと他の心との親近性や同質性を見てとる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二五一・P.185」ちくま学芸文庫)
さて、作品「葬儀」において、ジュネは或る情動であり、なおかつ或る流動する情動でしかなくなる。
「《ひどい人間》という言葉は、《慣れる》という言葉のこだまで呼び醒されたにちがいない」(ジュネ「葬儀・P.14」河出文庫)
というふうに、或る種の言葉あるいは感覚が、次々と、ほとんど無限といっていいほどの記憶や想像やそれらの奇妙な合成物(モンタージュ)の系列を出現させることは珍しくない。プルーストがそうだ。
「私の就寝の舞台とドラマ、私にとってそれ以外のものが、コンブレーから、何一つ存在しなくなって以来、すでに多く年月を経ていたが、そんなある冬の日、私が家に帰ってくると、母が、私のさむそうなのを見て、いつもの私の習慣に反して、すこし紅茶を飲ませてもらうようにと言いだした。はじめはことわった、それから、なぜか私は思いなおした。彼女はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝のほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、あの小づくりでまるくふとった、《プチット・マドレーヌ》と呼ばれるお菓子の一つだった。そしてまもなく私は、うっとうしかった一日とあすも陰気な日であろうという見通しにうちひしがれて、機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせた」(プルースト「失われた時を求めて1・P.74」ちくま文庫)
プルーストではマドレーヌの香りだった。ジュネの場合はどうだろう。
「ジャンが死を賭してまで向こうに廻して闘った連中のうちの一人を、私が断腸の思いなしに、自分の内面生活のなかへ迎え入れるなどということがありうるのだろうか?だって一九四四年八月十九日の市街戦において、若さと《いなせ》で飾られた惚れぼれするような対独協力義勇兵の弾丸によって弊された、この二十歳(はたち)の共産党員(コミュニスト)のしずかな死は、今も生き永らえている私に恥ずかしい思いを抱かせているのだから」(ジュネ「葬儀・P.14」河出文庫)
ジャン・ドカルナンという人物が兼ね備えていた「美と力」。その名によって保存されている「力《への》意志」である。だからジュネはときどき「ジャン」に《なる》。そればかりかジャンの敵である対独協力義勇兵にも《なる》。ジュネはつねに流動する力としてしか存在しない。ちなみにジャンというのはジュネ(作者ジャン・ジュネ)のことではない。ジャン・ドカルナンのこと。フランスのレジスタンス運動の闘士でありトロツキストであり、さらに男性同性愛者ジュネ(作者)の愛人だった。対独協力義勇兵によって二十歳で射殺された。
「《慣れますよ》という言葉を私は五、六秒も噛みしめていただろうか、そして砂や崩れた塀の堆積(やま)のイメージによってしか表わしようのないほのかな憂愁の一種を私は味わうのだった。ジャンのやさしさは、それを彷彿させる点で、壁土や壊れた煉瓦からーーーごく特有の匂いとともにーーー発散する厳粛な悲しみとどこか似通っている、それらは空洞(うつろ)であるにせよ、詰まっているにせよ、ともかくひどくやわらかな捏物(こねもの)でできているように思われる。若者の表情もこわれやすく、《慣れますよ》という言葉で脆くも崩れ去ってしまった」(ジュネ「葬儀・P.14~15」河出文庫)
ジュネはいう。「ジャンのやさしさ」について「壁土や壊れた煉瓦からーーーごく特有の匂いとともにーーー発散する厳粛な悲しみ」との類似性を指摘した上で、それは「空洞(うつろ)であるにせよ、詰まっているにせよ、ともかくひどくやわらかな捏物(こねもの)でできている」と。要するに、かちこちに固定されたものではないのではないか、という問いかけであり、むしろ常に流動し変化し変身を遂げていくものなのではないか、という確信にも似ている。カスタネダの経験したエピソードを引いてみよう。
「わたしが岩の上に腰をおろすと、コヨーテは触れんばかりのところに立っていた。わたしは、ものも言えないほどびっくりしてしまった。それほど近くで野生のコヨーテを見たこともなく、そのとき思いついたのはそれに話しかけてみることだけだった。ーーー人間が言葉を話すようにことばを声にしているのではなく、むしろ、それが話しているという『感覚』だった。ーーーコヨーテはじっさいになにかを言っていたのだ。それは思考を中継し、コミュニケーションは文章にひじょうに似たかたちで行なわれた。わたしは『元気かい、コヨーテ君?』と言うと、それが『元気だよ、君は?』と答えるのが聞こえたような気がした。そしてコヨーテがそれをくりかえすので、とびあがてしまった。コヨーテはまるで動かなかった。わたしが急にとびあがったのに、びっくりしてもいなかった。その目は相変わらずやさしく、澄んでいた。それは腹ばいになり、首をかしげてこうきいた。『なんで怖がってるの?』わたしはそれと向かい合わせにすわった」(カスタネダ「呪師に成る・P.337~338」二見書房)
肝心なのは次の認識である。
「コヨーテは流動体で、液状で、輝く存在だった」(カスタネダ「呪師に成る・P.338」二見書房)
ニーチェは述べる。人間はふつう、「《出来事の絶対的流動》を見てとるに足るほど《繊細》ではない」と。ゆえに途轍もなくたくさんの出来事を取り逃してきたと。
「私たちは推定上の、《出来事の絶対的流動》を見てとるに足るほど《繊細》ではない、言いかえれば、《持続するもの》は私たちの総括し平板化する粗雑な諸機関によって現存するにすぎず、そういったものは実は何ひとつとして現存しないのだ、と。樹木はあらゆる瞬間ごとに何か《新しいもの》である。〔樹木の〕《形式》といったものが私たちによって主張されるのは、私たちが最も微細な絶対的運動を知覚することができないからである」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三・P.53~54」ちくま学芸文庫)
惨劇のあった現場に足を踏み入れるとき。残された廃墟の上を歩くとき。ジュネはあたかも「ジャンの顔の上を踏みつけているような気分にさそわれる」と述べる。
「取壊し現場の、残骸の真只中へ、その赤色が埃をかぶってやわらげられた廃墟のなかへときどき私は足を踏み入れることがある、すると私は、ジャンの顔の上を踏みつけているような気分にさそわれるのだ、それほどその廃墟は華奢で、慎しく、謙虚で薫らされているからだ。四年前、一九四〇年八月に、私は彼と出会った。彼は十六歳だった」(ジュネ「葬儀・P.15」河出文庫)
さらにニーチェから。
「性欲の妄想は、それが引き裂かれるなら、つねにおのずからふたたび編まれる一つの網である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八七五・P.485」ちくま学芸文庫)
性欲はたとえ「引き裂かれる」としても「おのずからふたたび編まれる」。しかしこのことでニーチェがいっていることは、ただ単にどんどん相手を変えていきながら再び異性と交合することになる、というありふれた陳腐なことだけをいっているわけではない。欲望の対象は必ずしも人間でなくてはならないとは限らないのであって、むしろ世界中でフェティシズムあるいはフェチが商品として流通経済を立派に流動させているではないかという反語的な意味で読まれなければ読解の半分程度しか理解していないことになるだろうと言わねばならない。欲望は、ただそのままでフェチとして《も》生成する。欲望はすでに生産である。またさらに欲望はフェチ商品として世界中を流通し売買され、価値(剰余価値含む)として貨幣と交換され、常に既に利子率決定に参入している。
ところで、ジュネが廃墟の中へ足を踏み入れるとき、あたかも「ジャンの顔の上を踏みつけているような気分にさそわれる」というのは、愛人だったジャン・ドカルナンがその現場で死体と化したからだ。ジャンは射殺現場で廃墟の中へ溶け去った。ジュネにとって廃墟と化しているその現場は今なおジャンの身体(肉体、血、汗、等々)を含んでいる。銃撃戦のあった廃虚はジャンの身体(肉体)として感じられる。ジュネはそのことをジュネ自身の身体(肉体)で感じ取る。
「私たちは肉体に問いたずねる」(ニーチェ「権力への意志・下巻・四九二・P.36」ちくま学芸文庫)
「今日でも私たちは、いまだ筋肉でもって聞き、いまだ筋肉でもって読みさえする」(ニーチェ「権力への意志・下巻・八〇九・P.325」ちくま学芸文庫)
カスタネダもまたメキシコでのフィールドワークで、ヤキ・インディアンの老人が次のように語るのを記録している。
「力や《しないこと》の感じを、自分のからだに見つけさせるんだ」(カスタネダ「呪師に成る・P.275」二見書房)
意識化の作業はもちろん大事だ。しかし意識は言語という形式をとって最後に出現してくるものに過ぎない。だからこそニーチェは何度も繰り返し、驚きをもって《身体》に「問いたずねる」ことの重要性を反復するのだろう。
「より驚嘆すべきものはむしろ《身体》である。いくら感嘆しても感嘆しきれないのは、いかにして人間の《身体》が可能になったか、ということである。すなわち、〔身体を構成する〕各生命体は、依存し従属しながらも、しかも他方では、或る意味で命令し、そして自分の意志に基づいて行為しながら、そこに、これらかずかずの生命体のこのような巨大な統合〔としての身体〕が、全体として生き、成長し、そして或る期間存続することがいかにして可能であるのか、ということであるーーー、そして、これは明らかに意識によって起こるのでは《ない》!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三四三・P.192」ちくま学芸文庫)
これまで人間はかつて自然界に存在したであろう様々な可能性を取り逃してきた。絶滅させ葬り去りさえしてきた。にもかかわらず、ほとんど何らの反省もなしに、今なお人間は様々な可能性を取り逃し続けているのかもしれない。それらは絶え間なく変容する生成変化としてしか存在しないのだから。
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「シャンゼリゼーのマロニエの下で、わたしは彼にわたしの熱情的な愛を告げてやった。わたしは情勢を支配していた。わたしは今なお、そしてまさに彼から離れ去るときに、彼に愛着させるものは、彼の感動であり、わたしの決意を前にしての、そしてこの突然の別離の荒々しさを前にしての、彼の周章狼狽(ろうばい)なのだ」(ジュネ「泥棒日記・P.366」新潮文庫)
愛の告白と別れの宣告。ジャヴァの情動が最も揺れ動いたのは、その二回きり、であると言明するジュネ。そしてそのときにジャヴァが見せた「周章狼狽(ろうばい)」。さらに「彼はすっかり気が顚倒(てんとう)し」たこと。あるいはジャヴァを罵ったときにジャヴァの「両眼は涙で曇った」こと。ジャヴァは「悲しそうだった」こと。またさらにジャヴァは「黙ったまま悲嘆にくれた」こと。そういった幾つかの「仕草」の組み合わせがジャヴァを「詩(ポエジー)の背光で輝かせ、彼を一段と魅惑的にした」とジュネはいう。なぜなら、「今や彼は霧の中で光り輝いたのだから」、と説明を付け加える。ところで、ここで重要なのは、ジャヴァの「身体《において》出現した幾つかの《仕草》による組み合わせ」が「彼を一段と魅惑的にした」という一連の流れである。ジャヴァは始めから魅惑的であったのではない。また常に終始一貫して魅惑的だったのでもない。そうではなく、或る諸要素がジャヴァの「身体《において》出会う」瞬間、そしてその瞬間にかぎり、ジャヴァは魅惑的であり、同時に「詩(ポエジー)の背光」をまとう、ということでなくてはならない。だからジャヴァは「或る諸要素の出会い」としてのみ《合金》でありなおかつ《光輝》であり、さらに《魅惑的》で《詩的》でもある。ところがその諸要素の組み合わせが崩れ去るやいなやジャヴァはすでに廃墟でしかない。そこにジャヴァはいない。少なくとも光り輝いてなどいない。世間一般で通用しているジャヴァという名前を与えられただけの、ただ単なるごろつきが一人いるというだけのことに過ぎなくなる。なお、「シャンゼリゼーのマロニエの下」とあるが、それはジュネの好みの問題であって、必ずしもそれが詩(ポエジー)と結びついて切り離せないとは限らない。
「彼はすっかり気が顚倒(てんとう)していた。わたしが彼に言ったことーーー我々二人について、特に彼について、言ったことーーーは我々二人の存在を悲痛な色で彩(いろど)ったので、彼の両眼は涙で曇った。彼は悲しそうだった。彼は黙ったまま悲嘆にくれた、そしてこの嘆きは彼を詩(ポエジー)の背光で輝かせ、彼を一段と魅惑的にしたーーーなぜなら今や彼は霧の中で光り輝いたのだから」(ジュネ「泥棒日記・P.366~367」新潮文庫)
避けられない別離。もはや不可避となった別れ。ジュネはジャヴァに対し、そんなときにこそよりいっそう湧き溢れてくる「愛着を感じる」。
「こうして、わたしは、彼から離れ去らねばならないときに、彼にいっそう愛着を感じる」(ジュネ「泥棒日記・P.367~368」新潮文庫)
ニーチェはいう。
「《別れるときに》。ーーー在る心が他の心に近寄ってゆく様子のなかにではなく、それから離れてゆく様子のなかに、私は、それと他の心との親近性や同質性を見てとる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・二五一・P.185」ちくま学芸文庫)
さて、作品「葬儀」において、ジュネは或る情動であり、なおかつ或る流動する情動でしかなくなる。
「《ひどい人間》という言葉は、《慣れる》という言葉のこだまで呼び醒されたにちがいない」(ジュネ「葬儀・P.14」河出文庫)
というふうに、或る種の言葉あるいは感覚が、次々と、ほとんど無限といっていいほどの記憶や想像やそれらの奇妙な合成物(モンタージュ)の系列を出現させることは珍しくない。プルーストがそうだ。
「私の就寝の舞台とドラマ、私にとってそれ以外のものが、コンブレーから、何一つ存在しなくなって以来、すでに多く年月を経ていたが、そんなある冬の日、私が家に帰ってくると、母が、私のさむそうなのを見て、いつもの私の習慣に反して、すこし紅茶を飲ませてもらうようにと言いだした。はじめはことわった、それから、なぜか私は思いなおした。彼女はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝のほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、あの小づくりでまるくふとった、《プチット・マドレーヌ》と呼ばれるお菓子の一つだった。そしてまもなく私は、うっとうしかった一日とあすも陰気な日であろうという見通しにうちひしがれて、機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせた」(プルースト「失われた時を求めて1・P.74」ちくま文庫)
プルーストではマドレーヌの香りだった。ジュネの場合はどうだろう。
「ジャンが死を賭してまで向こうに廻して闘った連中のうちの一人を、私が断腸の思いなしに、自分の内面生活のなかへ迎え入れるなどということがありうるのだろうか?だって一九四四年八月十九日の市街戦において、若さと《いなせ》で飾られた惚れぼれするような対独協力義勇兵の弾丸によって弊された、この二十歳(はたち)の共産党員(コミュニスト)のしずかな死は、今も生き永らえている私に恥ずかしい思いを抱かせているのだから」(ジュネ「葬儀・P.14」河出文庫)
ジャン・ドカルナンという人物が兼ね備えていた「美と力」。その名によって保存されている「力《への》意志」である。だからジュネはときどき「ジャン」に《なる》。そればかりかジャンの敵である対独協力義勇兵にも《なる》。ジュネはつねに流動する力としてしか存在しない。ちなみにジャンというのはジュネ(作者ジャン・ジュネ)のことではない。ジャン・ドカルナンのこと。フランスのレジスタンス運動の闘士でありトロツキストであり、さらに男性同性愛者ジュネ(作者)の愛人だった。対独協力義勇兵によって二十歳で射殺された。
「《慣れますよ》という言葉を私は五、六秒も噛みしめていただろうか、そして砂や崩れた塀の堆積(やま)のイメージによってしか表わしようのないほのかな憂愁の一種を私は味わうのだった。ジャンのやさしさは、それを彷彿させる点で、壁土や壊れた煉瓦からーーーごく特有の匂いとともにーーー発散する厳粛な悲しみとどこか似通っている、それらは空洞(うつろ)であるにせよ、詰まっているにせよ、ともかくひどくやわらかな捏物(こねもの)でできているように思われる。若者の表情もこわれやすく、《慣れますよ》という言葉で脆くも崩れ去ってしまった」(ジュネ「葬儀・P.14~15」河出文庫)
ジュネはいう。「ジャンのやさしさ」について「壁土や壊れた煉瓦からーーーごく特有の匂いとともにーーー発散する厳粛な悲しみ」との類似性を指摘した上で、それは「空洞(うつろ)であるにせよ、詰まっているにせよ、ともかくひどくやわらかな捏物(こねもの)でできている」と。要するに、かちこちに固定されたものではないのではないか、という問いかけであり、むしろ常に流動し変化し変身を遂げていくものなのではないか、という確信にも似ている。カスタネダの経験したエピソードを引いてみよう。
「わたしが岩の上に腰をおろすと、コヨーテは触れんばかりのところに立っていた。わたしは、ものも言えないほどびっくりしてしまった。それほど近くで野生のコヨーテを見たこともなく、そのとき思いついたのはそれに話しかけてみることだけだった。ーーー人間が言葉を話すようにことばを声にしているのではなく、むしろ、それが話しているという『感覚』だった。ーーーコヨーテはじっさいになにかを言っていたのだ。それは思考を中継し、コミュニケーションは文章にひじょうに似たかたちで行なわれた。わたしは『元気かい、コヨーテ君?』と言うと、それが『元気だよ、君は?』と答えるのが聞こえたような気がした。そしてコヨーテがそれをくりかえすので、とびあがてしまった。コヨーテはまるで動かなかった。わたしが急にとびあがったのに、びっくりしてもいなかった。その目は相変わらずやさしく、澄んでいた。それは腹ばいになり、首をかしげてこうきいた。『なんで怖がってるの?』わたしはそれと向かい合わせにすわった」(カスタネダ「呪師に成る・P.337~338」二見書房)
肝心なのは次の認識である。
「コヨーテは流動体で、液状で、輝く存在だった」(カスタネダ「呪師に成る・P.338」二見書房)
ニーチェは述べる。人間はふつう、「《出来事の絶対的流動》を見てとるに足るほど《繊細》ではない」と。ゆえに途轍もなくたくさんの出来事を取り逃してきたと。
「私たちは推定上の、《出来事の絶対的流動》を見てとるに足るほど《繊細》ではない、言いかえれば、《持続するもの》は私たちの総括し平板化する粗雑な諸機関によって現存するにすぎず、そういったものは実は何ひとつとして現存しないのだ、と。樹木はあらゆる瞬間ごとに何か《新しいもの》である。〔樹木の〕《形式》といったものが私たちによって主張されるのは、私たちが最も微細な絶対的運動を知覚することができないからである」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三・P.53~54」ちくま学芸文庫)
惨劇のあった現場に足を踏み入れるとき。残された廃墟の上を歩くとき。ジュネはあたかも「ジャンの顔の上を踏みつけているような気分にさそわれる」と述べる。
「取壊し現場の、残骸の真只中へ、その赤色が埃をかぶってやわらげられた廃墟のなかへときどき私は足を踏み入れることがある、すると私は、ジャンの顔の上を踏みつけているような気分にさそわれるのだ、それほどその廃墟は華奢で、慎しく、謙虚で薫らされているからだ。四年前、一九四〇年八月に、私は彼と出会った。彼は十六歳だった」(ジュネ「葬儀・P.15」河出文庫)
さらにニーチェから。
「性欲の妄想は、それが引き裂かれるなら、つねにおのずからふたたび編まれる一つの網である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八七五・P.485」ちくま学芸文庫)
性欲はたとえ「引き裂かれる」としても「おのずからふたたび編まれる」。しかしこのことでニーチェがいっていることは、ただ単にどんどん相手を変えていきながら再び異性と交合することになる、というありふれた陳腐なことだけをいっているわけではない。欲望の対象は必ずしも人間でなくてはならないとは限らないのであって、むしろ世界中でフェティシズムあるいはフェチが商品として流通経済を立派に流動させているではないかという反語的な意味で読まれなければ読解の半分程度しか理解していないことになるだろうと言わねばならない。欲望は、ただそのままでフェチとして《も》生成する。欲望はすでに生産である。またさらに欲望はフェチ商品として世界中を流通し売買され、価値(剰余価値含む)として貨幣と交換され、常に既に利子率決定に参入している。
ところで、ジュネが廃墟の中へ足を踏み入れるとき、あたかも「ジャンの顔の上を踏みつけているような気分にさそわれる」というのは、愛人だったジャン・ドカルナンがその現場で死体と化したからだ。ジャンは射殺現場で廃墟の中へ溶け去った。ジュネにとって廃墟と化しているその現場は今なおジャンの身体(肉体、血、汗、等々)を含んでいる。銃撃戦のあった廃虚はジャンの身体(肉体)として感じられる。ジュネはそのことをジュネ自身の身体(肉体)で感じ取る。
「私たちは肉体に問いたずねる」(ニーチェ「権力への意志・下巻・四九二・P.36」ちくま学芸文庫)
「今日でも私たちは、いまだ筋肉でもって聞き、いまだ筋肉でもって読みさえする」(ニーチェ「権力への意志・下巻・八〇九・P.325」ちくま学芸文庫)
カスタネダもまたメキシコでのフィールドワークで、ヤキ・インディアンの老人が次のように語るのを記録している。
「力や《しないこと》の感じを、自分のからだに見つけさせるんだ」(カスタネダ「呪師に成る・P.275」二見書房)
意識化の作業はもちろん大事だ。しかし意識は言語という形式をとって最後に出現してくるものに過ぎない。だからこそニーチェは何度も繰り返し、驚きをもって《身体》に「問いたずねる」ことの重要性を反復するのだろう。
「より驚嘆すべきものはむしろ《身体》である。いくら感嘆しても感嘆しきれないのは、いかにして人間の《身体》が可能になったか、ということである。すなわち、〔身体を構成する〕各生命体は、依存し従属しながらも、しかも他方では、或る意味で命令し、そして自分の意志に基づいて行為しながら、そこに、これらかずかずの生命体のこのような巨大な統合〔としての身体〕が、全体として生き、成長し、そして或る期間存続することがいかにして可能であるのか、ということであるーーー、そして、これは明らかに意識によって起こるのでは《ない》!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三四三・P.192」ちくま学芸文庫)
これまで人間はかつて自然界に存在したであろう様々な可能性を取り逃してきた。絶滅させ葬り去りさえしてきた。にもかかわらず、ほとんど何らの反省もなしに、今なお人間は様々な可能性を取り逃し続けているのかもしれない。それらは絶え間なく変容する生成変化としてしか存在しないのだから。
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