次に問いたいのはジュネたちの意志が軽やかに、なおかつ様々に交錯し合うシーン。
「わたしはふと、事実は彼がわたしに言う前にロベールにも同じ話を持ちかけて、断わられたのではないかと考えた。その同じ時刻に、もしかすると、ロベールは、わたしをスティリターノに結びつけていたのと同じような親密な関係をアルマンとのあいだにつうろうと試みているのかもしれないと思った。しかし、わたしには、この相手を変える交錯ダンスで、わたしがわたしの選ぶべき相手を正しく選んだという確信があった」(ジュネ「泥棒日記・P.384」新潮文庫)
このような状況をヴァージニア・ウルフは「社交」と呼んでいる。
「『轟々いうこの急行列車に乗って。それにとってもすっすと走るもんだから、生垣が平らに見えたり、丘などが長っぽく見えたり』。ーーー『あの紳士が新聞を下げるのが見える。トンネルで反射して、映っている私に笑っているわ。私の身体は、見つめられて、わざときどっているの。私の身体はそれ自身の生涯を生きているんだわ。あら。又黒い窓ガラスが緑になったわ。トンネルを出てしまったの。あの人は新聞を読んでるわ。でも私たちはお互いに姿を見合ってまずいいと思ってしまったんだわ。それで身体と身体との、お互いのすばらしい社交があるわけ』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.60」角川文庫)
列車の窓が「鏡」として機能している。そこで、というより、「鏡《において》」、始めてこの種の「社交」は可能になる。しかし「鏡」は差し当たりまだ特権的な貨幣形態を持っていない。むしろ分散され延長されている。次のように。
「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)
スティリターノのことを思い切れないジュネ。というふうに読んでしまいがちだが、「アルマンを裏切る」快感を得んが《ために》わざわざスティリターノの身体へ想像力を注ぎ込み、アルマンからスティリターノへリビドー備給の強度を移動させたというのが真相だろう。その行為はきっと「眩(まばゆ)い」から。すなわち「音楽」に《なる》にちがいないから。
「アルマンを裏切るという考えが、わたしを眩(まばゆ)いばかりの光明で照らした。わたしはあまりにも彼を恐れ、愛していたので、彼を欺(あざむ)き、彼を裏切り、彼から盗むことを欲せずにはいられなかった」(ジュネ「泥棒日記・P.386」新潮文庫)
ただ単に「裏切る」だけでなく「盗む」とある。もちろん「ブレストの乱暴者」に出てきたセブロンのように、クレルが昼寝している肉体を「盗み見る」ことも含まれる。キリスト教の教義というのはそれほどまで多様な性愛に奉仕するための語彙で今なお溢れかえっているといえよう。
「わたしは、瀆聖(とくせい)の行為に伴う不安に満ちた悦楽を予感した。彼が神であったのならば(彼は憐(あわ)れみの感情を知っていた)、そしてわたしに情けをかけてくれたのならば、彼を否認することは、わたしにとっていうにいわれぬ優しい感動であった」(ジュネ「泥棒日記・P.386」新潮文庫)
さて、「葬儀」から。かつて儀式というものは長いものだった。今ではもっと短縮された。ということは儀式は延長することもできるし短縮することもできるということを意味する。必ずしも「こうでなくてはならない」という絶対的規則が始めからあったわけではない。伸び縮みする。しかしなぜ値段も変化するのだろう。ジャンの葬儀もこじんまりしていて、ジャンの母は嘆く。だがジャンの母の情夫は、息子ジャンを射殺した側であるナチスの一員エリックなのだ。昔はよくあった話かもしれないが。なので情報通信システムが比較にならないほど発達した今はもっと大量にあるかもしれない。
「人夫が棺の蓋を運び込んだ。私は胸をえぐられるような思いを味わうのだった。蓋はねじでしっかりとめられた。その凍結が目に見えない、たたき割ることも、また無視することだって可能な死体硬直のあとに、脆そうな、そのくせ頑丈で、確実な樅(もみ)板の鈍重さのせいで酷たらしい、最初の別離が控えていた」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
しかしどうして葬儀にたずさわる人々は「単なる人夫」として取り扱われるのか。それ以上ではなく以下であってもならないのか。それについてはいずれ取り扱うことになるだろう。先へ進もう。
ジュネは「胸をえぐられる」悲しみを感じる。けれどもジュネ的態度から考えると、アクセントが置かれているのは明らかに「味わう」という部分だろう。存分に味わい尽くすこと。それが大事だ。そうでないとジャンに《なる》ことなど畏れ多いと感じるジュネなのである。
「ジャンの魂より悪質な魂なら溶かし去ってしまえそうな、軽い、小さな孔だらけの、猫かぶりの板」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
確かにそうだ。しかしどんなに「軽い」「小さい」「猫かぶりの」、ただ単なる「板」ではあっても、儀式というものはそれを破壊したくなる衝動を躊躇させなくてはならない。儀式は掟だ。しかしただ単なる「板」でしかないのなら、やろうとおもえばそれこそ叩き割ってしまうことはできる。儀式はキリスト教の伝統に則って執り行われている。キリスト教の信者でなくなってしまえば関係ない。だがそれは礼を失した行為にあたる。よほど余裕のない状況下に置かれないかぎり誰もそうしない。ところで、もしこの「板」が手に入らなかったとしたら。放置しておくことになるのだろうか。そうではない。なぜかはわからないが、人間は人間の死に対して何らかの手を加えずにはいられないように出来ている。といっても、そうするのは人間が始めから宗教的な感情を備えているからではない。生き残った側の人間が死者に対して「良心の疚(やま)しさ」を感じるからである。善意からではないのだ。「良心の疚(やま)しさ」が大きければ大きいほど生き残った人間は死者を神妙かつ手厚く葬り去りたくなる。それは生前の人間に対して加えていたかもしれない暴力、憎悪、怨念、嫉妬、復讐感情、等々に対するせめてもの罪滅ぼしを荘厳化した行為だ。さらに儀式の荘厳化は自然の掟に対する畏怖の念を汲み取った結果でもある。生きている人間はいつも自然界からの報復を恐れている。ところが死は人間に、個々別々にではあれ、いずれ死ぬべき生きものでしかないという自然界の暴力的掟を現実のものとしてまざまざと思い起こさせる。人間は自分では自然の脅威をどれほど超越していると考えていても死の到来を通してどのみち自然界へ暴力的に連れ戻される。だから死は儀式という形式に還元された《暴力的祝祭》によって贖われねばならない。しかし儀式はときとして荒々しく転倒されることがある。敗北が決まって逆さ吊りにされたムッソリーニのように。それにしてもなぜ「逆さ吊り」なのか。情勢が決定的に逆転したことを内外に知らしめる、というより、まず誰よりも先に自分で自分自身に十分納得させ「味わう」ための「逆さ吊り」であるにちがいない。
「こいつは、黒々と、傲慢に、そのくせ私の冷やかな目つきと、その樹陰を歩むしっかりした足どりに怯えながら私の坂道をおおっていた、あの樹々のなかの一つから切り出されたのにちがいない、だって愛が飾り気なく私を迎え入れるあの高みへ私が訪れたおりの目撃者なのだから」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
ここでは「目撃」に力がこもっている。
「アポロン的陶酔はなかんずく眼を興奮させておくので、眼が幻想の力をうる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.96』ちくま学芸文庫)
ニーチェが「アポロン的」な「幻想の力」というように、静かな興奮の裡(うち)に、どこにでも何にでも類似性を発見していかざるをえないジュネ。この類似性の系列はあまりにもあっさりと書かれているため、その多種多様性について、それこそ大したものだとおもうこともないではない。ジュネは言語的な重層構造について一定の区切りを付けて無視するということができない。言語に対してふつうに振る舞うということができない。短絡的な言語活用を逆に偽善として軽蔑する。その態度はいつも世間一般の法則外あるいは道徳外に位置してしまうという事態を自分みずから呼び寄せる。しかしこのように道徳外に位置することには、それはそれでそれなりに利得というものがいつも付いてくるのである。
「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八〇・P.451」ちくま学芸文庫)
さらに。
「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)
しかし他の人々の想像力が貧困なのか、それともジュネの側の想像力が余りにも突出しているのか。もし両者に違いがあるとしても、そのあいだには無数の想像力の差異があるにちがいない。ネット社会の到来によって今や両者の境界線は茫漠たる彼方へ消え去ってしまおうとしていることは確かだ。これまで無数の驚異的労働力あるいは知力または体力が陽の目を見ぬまま無駄に消費されていったにちがいない。
「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)
悲しいかぎりというほかない。とはいえ、ジュネの記述を見るかぎり、悲しさはすぐさま壮大な想像力あるいは力能へ転化されているようにおもえる。というより、転化を待つまでもなくすでにジュネの想像力は拡張される瞬間を今か今かと待っていたかのように限度をぶち壊して押し広げられる。とうとう愛人ジャンと隔てられてしまったにもかかわらず。書かれているように、たった一枚の「板」だけで。宗教的儀式の威力というのはこういうときにまざまざと見せつけられるものだ。たった一枚の「板」に過ぎないのだが、それでもなお儀式ゆえ、叩き割ってしがみつくことはもうできない。そういえば、話題になっていた京都大学の立て看板。あれは「板」で出来ている。そしてそれらは記号であり旗でもありなおかつ主張でもあって、さらに人力でできているかぎり、「力《への》意志」が「板」へと加工されたぶん、個々別々に様々な儀式性を含んでいる。少なくとも八〇年代後半のそれらはどれも見事な出来栄えだった。芸術的でさえあった。それはさておき。
「ジャンは私から奪い去られた」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
ジャンとの切断は新たな接続への入口でもある。その意味でジュネはさらなる「境界性」「変則性」「放浪性」へと生成変化していく自由を手に入れたことになる。とりわけ「放浪性」はドゥルーズとガタリにいわせると、こうなるにちがいない。
「旅人は生成変化を変更する」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.182」河出文庫)
あるいは、よりいっそう微粒子化するといってもよい。人間であって人間でなくなるといっても構わないほどだ。その意味でアルトーは徹底的なリアリストだ。
「私は強調する、その身体構造を作り直すため、と。人間は病んでいる、人間は誤って作られているからだ。決心して、彼を裸にし、彼を死ぬほどかゆがらせるあの極微動物を掻きむしってやらねばならぬ、
神、
そして神とともに
その器官ども。
私を監禁したいなら監禁するがいい、しかし器官ほどに無用なものはないのだ。
人間に器官なき身体を作ってやるなら、人間をそのあらゆる自動性から解放して真の自由にもどしてやることになるだろう」(アルトー「神の裁きと訣別するため・P.44~45」河出文庫)
アルトーのいう「自動性から解放」するということ。連綿と受け継がれてきた有機体からの解放。それは人間の歴史の極めて早い時期から、人間は「こうでなければならない」とされてきた「神」というカルト的信仰への抵抗である。「神」の教えに基づいてステレオタイプ(固定観念)化された「有機体《としての》人間」という「鋳型」(いがた)。アルトーはそこからの全面的解放を意志する。というよりアルトーは極めてありふれた本当のことを語っているだけだ。人間はいつも神の名の濫用によって、神の名の濫用の下で、或る種の「鋳型」(いがた)へ流し込まれ加工=変造される憐れな流動性に過ぎないと。解体し微粒子化し絶え間なく流動し去っていくアルトー。
BGM
「わたしはふと、事実は彼がわたしに言う前にロベールにも同じ話を持ちかけて、断わられたのではないかと考えた。その同じ時刻に、もしかすると、ロベールは、わたしをスティリターノに結びつけていたのと同じような親密な関係をアルマンとのあいだにつうろうと試みているのかもしれないと思った。しかし、わたしには、この相手を変える交錯ダンスで、わたしがわたしの選ぶべき相手を正しく選んだという確信があった」(ジュネ「泥棒日記・P.384」新潮文庫)
このような状況をヴァージニア・ウルフは「社交」と呼んでいる。
「『轟々いうこの急行列車に乗って。それにとってもすっすと走るもんだから、生垣が平らに見えたり、丘などが長っぽく見えたり』。ーーー『あの紳士が新聞を下げるのが見える。トンネルで反射して、映っている私に笑っているわ。私の身体は、見つめられて、わざときどっているの。私の身体はそれ自身の生涯を生きているんだわ。あら。又黒い窓ガラスが緑になったわ。トンネルを出てしまったの。あの人は新聞を読んでるわ。でも私たちはお互いに姿を見合ってまずいいと思ってしまったんだわ。それで身体と身体との、お互いのすばらしい社交があるわけ』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.60」角川文庫)
列車の窓が「鏡」として機能している。そこで、というより、「鏡《において》」、始めてこの種の「社交」は可能になる。しかし「鏡」は差し当たりまだ特権的な貨幣形態を持っていない。むしろ分散され延長されている。次のように。
「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)
スティリターノのことを思い切れないジュネ。というふうに読んでしまいがちだが、「アルマンを裏切る」快感を得んが《ために》わざわざスティリターノの身体へ想像力を注ぎ込み、アルマンからスティリターノへリビドー備給の強度を移動させたというのが真相だろう。その行為はきっと「眩(まばゆ)い」から。すなわち「音楽」に《なる》にちがいないから。
「アルマンを裏切るという考えが、わたしを眩(まばゆ)いばかりの光明で照らした。わたしはあまりにも彼を恐れ、愛していたので、彼を欺(あざむ)き、彼を裏切り、彼から盗むことを欲せずにはいられなかった」(ジュネ「泥棒日記・P.386」新潮文庫)
ただ単に「裏切る」だけでなく「盗む」とある。もちろん「ブレストの乱暴者」に出てきたセブロンのように、クレルが昼寝している肉体を「盗み見る」ことも含まれる。キリスト教の教義というのはそれほどまで多様な性愛に奉仕するための語彙で今なお溢れかえっているといえよう。
「わたしは、瀆聖(とくせい)の行為に伴う不安に満ちた悦楽を予感した。彼が神であったのならば(彼は憐(あわ)れみの感情を知っていた)、そしてわたしに情けをかけてくれたのならば、彼を否認することは、わたしにとっていうにいわれぬ優しい感動であった」(ジュネ「泥棒日記・P.386」新潮文庫)
さて、「葬儀」から。かつて儀式というものは長いものだった。今ではもっと短縮された。ということは儀式は延長することもできるし短縮することもできるということを意味する。必ずしも「こうでなくてはならない」という絶対的規則が始めからあったわけではない。伸び縮みする。しかしなぜ値段も変化するのだろう。ジャンの葬儀もこじんまりしていて、ジャンの母は嘆く。だがジャンの母の情夫は、息子ジャンを射殺した側であるナチスの一員エリックなのだ。昔はよくあった話かもしれないが。なので情報通信システムが比較にならないほど発達した今はもっと大量にあるかもしれない。
「人夫が棺の蓋を運び込んだ。私は胸をえぐられるような思いを味わうのだった。蓋はねじでしっかりとめられた。その凍結が目に見えない、たたき割ることも、また無視することだって可能な死体硬直のあとに、脆そうな、そのくせ頑丈で、確実な樅(もみ)板の鈍重さのせいで酷たらしい、最初の別離が控えていた」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
しかしどうして葬儀にたずさわる人々は「単なる人夫」として取り扱われるのか。それ以上ではなく以下であってもならないのか。それについてはいずれ取り扱うことになるだろう。先へ進もう。
ジュネは「胸をえぐられる」悲しみを感じる。けれどもジュネ的態度から考えると、アクセントが置かれているのは明らかに「味わう」という部分だろう。存分に味わい尽くすこと。それが大事だ。そうでないとジャンに《なる》ことなど畏れ多いと感じるジュネなのである。
「ジャンの魂より悪質な魂なら溶かし去ってしまえそうな、軽い、小さな孔だらけの、猫かぶりの板」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
確かにそうだ。しかしどんなに「軽い」「小さい」「猫かぶりの」、ただ単なる「板」ではあっても、儀式というものはそれを破壊したくなる衝動を躊躇させなくてはならない。儀式は掟だ。しかしただ単なる「板」でしかないのなら、やろうとおもえばそれこそ叩き割ってしまうことはできる。儀式はキリスト教の伝統に則って執り行われている。キリスト教の信者でなくなってしまえば関係ない。だがそれは礼を失した行為にあたる。よほど余裕のない状況下に置かれないかぎり誰もそうしない。ところで、もしこの「板」が手に入らなかったとしたら。放置しておくことになるのだろうか。そうではない。なぜかはわからないが、人間は人間の死に対して何らかの手を加えずにはいられないように出来ている。といっても、そうするのは人間が始めから宗教的な感情を備えているからではない。生き残った側の人間が死者に対して「良心の疚(やま)しさ」を感じるからである。善意からではないのだ。「良心の疚(やま)しさ」が大きければ大きいほど生き残った人間は死者を神妙かつ手厚く葬り去りたくなる。それは生前の人間に対して加えていたかもしれない暴力、憎悪、怨念、嫉妬、復讐感情、等々に対するせめてもの罪滅ぼしを荘厳化した行為だ。さらに儀式の荘厳化は自然の掟に対する畏怖の念を汲み取った結果でもある。生きている人間はいつも自然界からの報復を恐れている。ところが死は人間に、個々別々にではあれ、いずれ死ぬべき生きものでしかないという自然界の暴力的掟を現実のものとしてまざまざと思い起こさせる。人間は自分では自然の脅威をどれほど超越していると考えていても死の到来を通してどのみち自然界へ暴力的に連れ戻される。だから死は儀式という形式に還元された《暴力的祝祭》によって贖われねばならない。しかし儀式はときとして荒々しく転倒されることがある。敗北が決まって逆さ吊りにされたムッソリーニのように。それにしてもなぜ「逆さ吊り」なのか。情勢が決定的に逆転したことを内外に知らしめる、というより、まず誰よりも先に自分で自分自身に十分納得させ「味わう」ための「逆さ吊り」であるにちがいない。
「こいつは、黒々と、傲慢に、そのくせ私の冷やかな目つきと、その樹陰を歩むしっかりした足どりに怯えながら私の坂道をおおっていた、あの樹々のなかの一つから切り出されたのにちがいない、だって愛が飾り気なく私を迎え入れるあの高みへ私が訪れたおりの目撃者なのだから」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
ここでは「目撃」に力がこもっている。
「アポロン的陶酔はなかんずく眼を興奮させておくので、眼が幻想の力をうる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.96』ちくま学芸文庫)
ニーチェが「アポロン的」な「幻想の力」というように、静かな興奮の裡(うち)に、どこにでも何にでも類似性を発見していかざるをえないジュネ。この類似性の系列はあまりにもあっさりと書かれているため、その多種多様性について、それこそ大したものだとおもうこともないではない。ジュネは言語的な重層構造について一定の区切りを付けて無視するということができない。言語に対してふつうに振る舞うということができない。短絡的な言語活用を逆に偽善として軽蔑する。その態度はいつも世間一般の法則外あるいは道徳外に位置してしまうという事態を自分みずから呼び寄せる。しかしこのように道徳外に位置することには、それはそれでそれなりに利得というものがいつも付いてくるのである。
「《『漂泊者』は語る》。ーーーわれわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、ーーーつまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・三八〇・P.451」ちくま学芸文庫)
さらに。
「哲学的誇大広告ーーーこれがお上品なドイツ市民の胸にさえ慈悲深い国民感情を奮い起こさせるのだがーーーを正しく評価するためには、また、《こうした青年ヘーゲル派運動総体の》狭量さ<と>、地方的偏狭さを、<そして>《とりわけ》これらの英雄たちの実際の業績と業績に関する幻想との間の悲喜劇的なコントラストを明瞭にするためには、この騒動全体をいったんドイツの外なる見地から眺めてみることが必要である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.36」岩波文庫)
しかし他の人々の想像力が貧困なのか、それともジュネの側の想像力が余りにも突出しているのか。もし両者に違いがあるとしても、そのあいだには無数の想像力の差異があるにちがいない。ネット社会の到来によって今や両者の境界線は茫漠たる彼方へ消え去ってしまおうとしていることは確かだ。これまで無数の驚異的労働力あるいは知力または体力が陽の目を見ぬまま無駄に消費されていったにちがいない。
「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)
悲しいかぎりというほかない。とはいえ、ジュネの記述を見るかぎり、悲しさはすぐさま壮大な想像力あるいは力能へ転化されているようにおもえる。というより、転化を待つまでもなくすでにジュネの想像力は拡張される瞬間を今か今かと待っていたかのように限度をぶち壊して押し広げられる。とうとう愛人ジャンと隔てられてしまったにもかかわらず。書かれているように、たった一枚の「板」だけで。宗教的儀式の威力というのはこういうときにまざまざと見せつけられるものだ。たった一枚の「板」に過ぎないのだが、それでもなお儀式ゆえ、叩き割ってしがみつくことはもうできない。そういえば、話題になっていた京都大学の立て看板。あれは「板」で出来ている。そしてそれらは記号であり旗でもありなおかつ主張でもあって、さらに人力でできているかぎり、「力《への》意志」が「板」へと加工されたぶん、個々別々に様々な儀式性を含んでいる。少なくとも八〇年代後半のそれらはどれも見事な出来栄えだった。芸術的でさえあった。それはさておき。
「ジャンは私から奪い去られた」(ジュネ「葬儀・P.26」河出文庫)
ジャンとの切断は新たな接続への入口でもある。その意味でジュネはさらなる「境界性」「変則性」「放浪性」へと生成変化していく自由を手に入れたことになる。とりわけ「放浪性」はドゥルーズとガタリにいわせると、こうなるにちがいない。
「旅人は生成変化を変更する」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.182」河出文庫)
あるいは、よりいっそう微粒子化するといってもよい。人間であって人間でなくなるといっても構わないほどだ。その意味でアルトーは徹底的なリアリストだ。
「私は強調する、その身体構造を作り直すため、と。人間は病んでいる、人間は誤って作られているからだ。決心して、彼を裸にし、彼を死ぬほどかゆがらせるあの極微動物を掻きむしってやらねばならぬ、
神、
そして神とともに
その器官ども。
私を監禁したいなら監禁するがいい、しかし器官ほどに無用なものはないのだ。
人間に器官なき身体を作ってやるなら、人間をそのあらゆる自動性から解放して真の自由にもどしてやることになるだろう」(アルトー「神の裁きと訣別するため・P.44~45」河出文庫)
アルトーのいう「自動性から解放」するということ。連綿と受け継がれてきた有機体からの解放。それは人間の歴史の極めて早い時期から、人間は「こうでなければならない」とされてきた「神」というカルト的信仰への抵抗である。「神」の教えに基づいてステレオタイプ(固定観念)化された「有機体《としての》人間」という「鋳型」(いがた)。アルトーはそこからの全面的解放を意志する。というよりアルトーは極めてありふれた本当のことを語っているだけだ。人間はいつも神の名の濫用によって、神の名の濫用の下で、或る種の「鋳型」(いがた)へ流し込まれ加工=変造される憐れな流動性に過ぎないと。解体し微粒子化し絶え間なく流動し去っていくアルトー。
BGM