白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

花々と殺人/ジルの社会化

2019年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネは散文を書く。しかしところどころで、もしこの部分が散文ではなく、散文詩であったならどれほど美しかったろうと思わせる文章を披露している。たとえば次の一節。あえて散文詩の形式に置き換えて引用してみたい。

「顳顬(こめかみ)から血が出た。二人の兵隊が喧嘩(けんか)をしたのだ。その原因については二人ともとうの昔に忘れてしまっていたのだが、若いほうが鉄のメリケンで顳顬を割られて倒れ、やったほうの男は、その血が流れて、ひと株の桜草の茂みになるのを見た。

この開花は急速に拡(ひろ)がっていった。それはまず顔に拡がり、やがて顔じゅうに何千という、この、兵隊たちが嘔(は)く葡萄(ぶどう)酒のような、優しい紫色の密集した花々によって蔽(おお)われた。

しばらくの後には、埃(ほこり)の中に横たわった若者の体全体が一つの塚(つか)と化してしまい、桜草は大きくなって、風にそよぐ白い野菊となっていた。ただ一本腕だけがまだ見えていて、揺れ動いていた、だが、風はそれらの草花をも残らず揺れ動かしていた。

まもなく勝利者の眼には、ただ、一つの手が不器用に別れの合図(しるし)を、絶望しいた友情の合図(しるし)を送るのが見えるだけとなった。しかし、やがてこの手もすぐに咲き乱れた花の草叢(くさむら)の下に姿を消してしまった。

風が、徐々に、残り惜しそうに、やなんだ。そして、初めのあいだ、人殺しをした、荒々しい若い兵隊の眼を照らしていた空も翳(かげ)った。兵隊は泣かなかった。彼は、彼の友の成り変った姿である。

その花の塚の上に腰をおろした。風が少し花々を動かしたようだったが、すぐに静かになった。兵隊は、眼の上に垂れかかった髪の毛を払いのけるしぐさをし、それから体を休めた。彼は眠りはじめた」(ジュネ「泥棒日記・P.306」新潮文庫)

草花の隠喩が用いられている。だから詩になるというわけではない。草花を持ち出してくればそれはただちに「文学的」とかいう、ありもしない制度に改変されるわけではまったくない。草花というのは残虐この上ない殺人行為を多彩に彩って見せるためのただ単なる便利な道具にすぎないようなものでは全然ない。草花の隠喩はさしあたり殺人とは何の関係もない。そしてまた、殺人を正当化し美化するために用いられようと常に待機している言葉でもない。一方に殺人があり他方に草花がある。両者の繋がりはけっして必然的ではない。実際、或る殺人事件が発覚したとして、それを草花の戯れにたとえるコメンテーターがマスコミに登場したとしよう。視聴者は他人のことであるにもかかわらず、「不謹慎」だとしてマスコミを攻撃したりしないだろうか。しかしそのとき、殺人事件を草花の戯れにたとえるコメンテーターだけでなく、あるまじき「不謹慎」だとしてマスコミを攻撃する視聴者も、或る勘違いの世界に生きている幸せな人々のうちの個々人あるいは暇人でしかない。

草花が殺人と暗黙の裡(うち)に結び隠喩関係。そのためにはそれなりの条件が必要となる。言うまでもなく草花と殺人とのあいだには本来何の繋がりもない。ところが突然繋がりが生じる瞬間がある。なぜだろうか。それは草花と殺人とがときとして等価性を帯びる瞬間があるからだ。その瞬間を捉えることを可能にするのは、この場合、ただジュネにとって、どうでもいいような名もなき殺人からほとばしり出た流血が草花の戯れ以外の何ものにも見えないという事実である。それだけのことだ。そしてジュネはこの散文詩としか思えない文章に続けてこう述べている。

「彼の微笑は、また、神々に対する一種の諧謔(かいぎゃく)によって起る。悲劇の英雄は、彼の運命を軽妙にからかう。彼があまりにも優雅にその運命を成就するので、このとき、操られるのは人間ではなくて神々なのである」(ジュネ「泥棒日記・P.306」新潮文庫)

しかしジュネが付け加えたこの解説にあたる文章は果たして必要だったろうか、と少しばかり考え込んでしまう。人間は、当初、あらかじめ与えられた運命的な諸条件に拘束されて生きていくほかない、諦めに満ちた悲惨な存在として神々の教えに従うしかないと思い込んでいる。資本主義では何よりもまず資本の論理が先行する。だからたとえ奇妙にねじくれた光景であっても、殺人事件の中にほかでもない「微笑」が浮き彫りされるとき、逆に神々〔資本〕の側が人間によって嘲笑われているような印象が多少なりとも生じてくるわけだ。

ところが最も印象的なのは、人間と神々の力関係の逆転などというしばしば起こりがちな事態ではまったくない。殺人を犯した人間に強度の変容が起こり、殺害された人間へと生成変化するとともに、殺害された人間の生を「咲き乱れた花」として生き残った自分の生の中へ保存しながら、今度は両者を同時に生きていかねばならないというまぎれもない二重化の重大この上ない重みが、この散文詩をただ単なる散文ではない散文詩へ叩き上げたという事情でなくてはならないだろう。

草花の比喩が「文学的」であるなどという幼稚な感想文など、荒くれ果てて汚辱にまみれ、ほとんど抜け殻と化したジュネたち犯罪者たちからみれば実に笑うべきセンスの欠落というほかない。ジュネたちははるかによく知っている。巨大戦艦とか高射砲とか戦車といったものこそ、人間の力の証明ではなく、逆に人間の怯えが生み出した馬鹿げた人間たちの被造物でしかないということを。ニーチェはいう。

「残酷であるというにはあまりにも臆病すぎる多くの残酷な者たちがいる」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八六一・P.478」ちくま学芸文庫)

さて、ブレストで孤軍奮闘するクレル。クレルには懸念がある。ジルがまだあまりにも少年すぎるということだ。ただ単に「殺人を犯す」ということと「殺人者に《なる》」ということとのあいだは天と地ほどの隔絶がある。両者のあいだには亀裂がある。だがジルはまだこの距離を超越するところまで達していない、ということだ。

「クレルにはまだ懸念があった。あえて断定はしなかった。ジルを眺めていると、その美貌のためになかなか天に到達することのできない、若いインド人を想わずにはいられなかった。彼の挑発的な微笑が、扇情的な視線が、彼自身および他人の内部に、淫蕩的なイメージを呼び起すのだった。クレルのように、ジルもまた偶然にーーー不幸にもーーー殺人を犯してしまったのである。水兵は、どうやら少年を自分と似た者にならせようという気なのかもしれなかった。《ブレストの霧のなかに、小さな一人のクレルが放たれることになったら、さぞ面白かろうな》。ジルが望まなかった殺人、犯さなかったもう一つの殺人を、彼に認めせせるようにしなかればならなかった。肥沃な土地に、クレルはクレルの胚種を植えようとしていた。それはやがて芽を出し、おおきく成長するだろう。水兵は、《ジルの内部に自分の力》を感じていた。一個の卵のように充実した自分を感じていた。ジルは殺人という行為を、正面から見すえることができるようにならなければならなかった。殺人という行為に慣れなければならなかった。殺人を犯したことを隠さなければならない、などと思っているうちは、まだまだ駄目であった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.302~303」河出文庫)

だからといって、クレルは「悪」だと単純に決めつけることができるだろうか。そもそも近現代人はどうだろう。その大多数はクレルのように、自分と同じ思想を持ち同じように行動する子どもたちを育て上げようと必死になってはいないだろうか。「小さな一人のクレルが放たれることになったら、さぞ面白かろう」というように。そこでクレルが考えたのは「どんな新聞をも見逃さずに、ジルのところへ持って行」くという地道だがそれだけに確実な作業である。

「クレルはどんな新聞をも見逃さずに、ジルのところへ持って行った。生れて初めて、自分の名前が大きな活字で刷られているのを見て、若い左官は奇妙な感動を味わった。それは新聞の第一面だった。まず最初、これは自分のことではない、と思い、しかも同時に、自分だけのことだ、とも思った。ジルは赤くなり、微笑を浮べた。感動のために微笑は際立って強調され、長い沈黙となり、自分自身にも、それがほとんど無気味に思われたほどだった。大きな活字で構成された、この印刷された名前が、殺人犯の名前なのであった。この名前をもった殺人犯は、現実に存在するのであった。日常生活のなかで生きているのであった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.314~315」河出文庫)

しかしジルはまだ自分のことを他人事のようにしか感覚できていない。それは次の文章にも明らかだ。

「ムッソリーニやイーデン氏と並んで。マレーネ・ディートリッヒよりも上段に。新聞は、ジルベール・テュルコと呼ばれる一人の殺人犯について語っていた。ジルは新聞を押しのけ、新聞からやや眼をそらし、自分だけの心の奥で、この名前をもった人物のイメージをひそかに思い描いてみようとした。彼はそのイメージに慣れようと思った。つまり、ずっと以前からこの名前が書かれ、読まれ、登録されているものと、すぐその場で思いこもうとした」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.315」河出文庫)

わざわざ「思いこもうと」しなければならない。マスコミはしばしば話題の犯罪者を大きく取り上げることでもっと巨大な犯罪者を覆い隠すことを心得ている。「ムッソリーニやイーデン氏と並んで。マレーネ・ディートリッヒよりも上段に」ジルの名を同列になおかつ華々しく掲載して見せる。この操作はすでに無罪ではあり得ない。ムッソリーニのファシズムを側面から支援することにほかならない。そしてムッソリーニ率いるファシスト党による壮烈無残なリンチによってどんどん虐殺されていった無数の抵抗者の存在をいともたやすく切り捨ててかえりみない態度をマスコミは素早く身につける。その芸術的なまでの変わり身の早さは、しかし、なぜ詩を思わせないのだろうか。ジュネの裏切り行為があれほど汚辱まみれでありながらもなお、言語的方法によって美へと上昇するにもかかわらず、マスコミの裏切り行為はなぜ、どこからどう見ても詩に見えないのはなぜだろうか。この問いに堂々と答えることができたマスコミがかつてあっただろうか。戦後のほんのいっときに限ればなるほどあったかもしれない。しかし今、あると言えるだろうか。

ジルではない。水兵殺人はクレルの仕業だ。ところがクレルという名などどこをどう探しても見当たらない。逆にジルの名はまちがいなく新聞紙上を湧かせているジル自身が犯した水兵殺害行為の代名詞へと加工=変造され、またたく間もなく凝固しつつある。ジル以外の誰の行為でもなくなりつつある。もっとも、ジルの裡(うち)に殺人に対する漠然とした憧れのようなものがまったくなかったわけではない。しかしもし、そのような憧れがあったとしても、それはまだちっぽけな左官見習い少年の観念の中にだけほんのわずかのあいだに浮かんでは消えていく殺人という幻想的光景でしかなく、あくまで、華々しい力の発散としての殺人行為への憧れの領域を出るものではなかった。ところが事情はジルを越えて急転した。クレルの巧妙な言語的トリック(既成事実化)によってジルのものへと置き換えられた水兵殺害事件について、新聞紙上に掲載された自分の名を自分自身と一致させるために、他人とかんちがいされないために、「自分の記憶をあらためてみなければならなかった」。

「そのためには、自分の記憶をあらためてみなければならなかった。ジルは自分の名前(他人のそれのように見慣れなかった)を、あの取返しのつかないほどに決定的な新しい形のもとに、自分の記憶のすべての夜のなかに遊ばせてみた。彼は自分の名前を、彼の記憶の曲りくねった、いちばん暗い片隅にさまよわせ、あらゆる記憶の破片の光で輝かせ、彼自身の記憶のいちばん親しい隠れ家のなかに、さまざまな自分の顔から発する光を当ててみた。それから、ふたたび新聞に眼をもどした」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.315」河出文庫)

ジルにとって「彼自身の記憶のいちばん親しい隠れ家」とは何か。記憶である。ジルは自分の中に残されているにちがいないすべての記憶に慎重に探りを入れる作業に没頭する。ちなみにベルクソンはその過程を次のように形式化して論じている。P.321図5参照。

「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321~322」岩波文庫)

ジルはまだ十五歳の少年だ。そう簡単に事情を飲み込むことができない。作業は繰り返される。ジルの名はすでに堂々と掲載されている。にもかかわらず「ジルは決して自分の名前に完全には慣れ」ることができない。なぜできないか。ジルはもはや自分が、俗世間の中では、ただ単なる「言語としてしか」存在していないという実感が持てないからだ。地方都市ブレストの全市民を恐怖に陥れているジル・テュルコという名。顔の見えない匿名の殺人者。それはまだ言語としてしか「見えない」。どこにでもあるようなジルの名は、その凡庸さゆえに匿名の殺人者としてよりいっそう底知れない恐慌状態を増大させていくばかりなのだ。

「すると、紙の上に《まざまざ》と刻印された名前にふたたびぶつかり、またしても新たなショックを受けるのだった。さっきと同じ微妙な羞恥の戦慄が、彼の膚を波のように走った。自分が裸でいるような気がしたのである。彼の名前は、彼を真っ裸のさらしものにしているのだった。それは軽蔑の門をくぐるのにも似た、おそろしく恥かしい名誉であった。ジルは決して自分の名前に完全には慣れなかった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.315~316」河出文庫)

ここで見られる「裸」の隠喩は実に巧みだといえる。ジルが身の覚えのない水兵殺人事件の犯人へ変容するためには、何より先に、いったん「裸」にさせられ、そのあと事後的に、「水兵殺人事件の犯人」という服装を着せられ改めて出現し直さなくてはならないからである。ジルはそれを否定しない。ジルは少年にすぎないが、少年ゆえに、この上ない「力《への》意志」の持主であることを証明したくもあるのだ。ところで、ムッソリーニやマレーネ・ディートリッヒの名であれば、それこそどんな歴史教科書にも出てくる。が、ジル・テュルコなどというどこにでもごろごろ転がっている一人の犯罪者の名前などほんの一時のことであり、すぐさま忘れ去られていくのは目に見えている。ところが俗世間はしばらくして欧州全土を戦火の巷と化すことになる日独伊枢軸よりも、ジルに関心を示す。それはマスコミがしばしば用いる一種の方法によってである。要するに、「新聞は明らかに、詩であることをやめた一つの危険」として「ジル・テュルコ」の名を置く、という方法にほかならない。いともたやすい。そのようなマスコミの動きとの連動のうちに、ジル自身の中に「危険《への》意志」の加速化をみることができる。ジルは柄にもなく華々しい犯罪者として、「永遠に語りつづけるであろう一人物」として、ムッソリーニやマレーネ・ディートリッヒらの名とともに「記念」の中に「溶けこみたい」と願っている夢見る少年でもあった。

「ジルベール・テュルコは、今後、新聞が永遠に語りつづけるであろう一人物であった。新聞は明らかに、詩であることをやめた一つの危険を示していた。その危険は、すでにジルがしばしば発見し、味わってさえいたものであり、彼が時としてそのなかに溶けこみたいと願っていたものだった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.316」河出文庫)

人間はショックを受けたとき始めて思考を開始するとドゥルーズは述べた(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.354」河出文庫)。「詩であることをやめた一つの危険」として未だ居場所のわからない殺人者ジル・テュルコという名を世間に暴露したマスコミ報道によって、ジルの思考もまた「一種の鋭くなった意識」に《なる》。大事なのは平常心だ。冷静さを取り戻すことだ。「鋭くなった意識」=「思考すること」がそれを可能にする。そう思ったときジルの意識にのぼってきたのは、あの、まぎれもない、他の何ものにも代えがたい「瘤のような自分の痔」、ジルの存在証明たる、あの「ジルに固有の痔」の存在だった。

「そして、そういう願いが生ずるとき、彼はほとんど存在するのが苦痛なほどの、一種の鋭くなった意識、一種の忘却、自己放棄、安心感といったようなものを同時に感じていたのである。ちょうど指で自分の痔のーーーたぶん薔薇色を呈しているだろうーーー肉瘤に触れた時のように」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.316」河出文庫)

ジルの唯一の、そして確固たる存在証明である「ジルに固有の瘤のような痔」。あの職場での悪夢のような侮辱に耐えていたとき、「自分の怒りと激しさの証拠であり、目的であるもの」、さらに「自分の保護者」、そして「自分自身であることの機会をあたえてくれた」、「敬意をこめて大事に扱わねばならない宝」としての誇り高き「瘤のような痔」。ほかの誰のものでもないジルに固有の自分の痔。自分の指先で注意深くその実在を再確認し、同時に、ジルは新たなジルに《なる》ということでなくてはならない。そうなって始めてクレルはもう一人のクレルを再生産することができる。

それはそうと。欧州全土を戦火の巷と化したばかりでなく東アジア全土をも血の海と変えた第二次世界大戦。あのとき自分はまぎれもない殺人者であったと、いまもなお日々の祈りを欠かさない人々が生きている。ときどきすれ違うことがある。彼ら彼女らももうかなり年老いた。

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