ジュネの感覚が一般人の持っている感覚とそれほど異なっているとはあまり思えないのはなぜだろう。一般人の起こす犯罪があまりにも醜悪に見えるからだろうか。それともジュネたちの起こす犯罪の側が実は一般人の起こす犯罪と類似する点を多く持っているからだろうか。この違いはどこからくるのか。社会一般の感覚というのは、犯罪者と非犯罪者とを区別する境界線というものに、あまりにも信頼を置き過ぎているというのが本当のところなのではなかろうか。
「わたしは、わたしがある自分の知らない罪を購(あがな)うために、徒刑場へ行くことを望んでいるのかどうか知りたいとは思わないが、わたしのそれへのノスタルジーはあまりにも強いから、わたしはどうしてもそこへ連れていってもらわねばすまないだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.377」新潮文庫)
ジュネはジュネ自身の好みゆえ、そう言う。ところがニーチェは正当にも次のように述べる。
「人々は、堅気(かたぎ)の男と悪党とのあいだの道徳的な違いをあまりにも大きく考えすぎている。泥棒や殺人者に対する法律は、教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なようにつくられている」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・七〇五・P.439」ちくま学芸文庫)
あくまでも「ギュイヤーヌ」監獄にこだわるジュネ。監獄に入ったことがあるかどうか。囚人になったことがあるかどうか。その境界線が余りにも長い間にわたり、余りにも強く深く信じ込まれてきた、という経緯がある。
「わたしは、ただそこにおいてのみ、わたしがそこに入ったときに断ち切られた人生を続けてゆくことができると確信している」(ジュネ「泥棒日記・P.377」新潮文庫)
だから、ジュネもまた、ギュイヤーヌへの夢を断ち切れない。ギュイヤーヌという監獄においてかつてどのような刑罰が行われていたか。そしてそこで犯罪者は加工=変造されたのだった。「秩序」というものに本来性などなく、むしろ「秩序」は監獄の《あり方において》改めて創られるものだった。そしてそこでさらなる犯罪的知性を獲得し練磨することで犯罪者はよりいっそう強力でなおかつ洗練された犯罪的知性の所有者と化して出てくることになる。
「栄光や富への顧慮から解放されて、わたしは気長なそして細心の忍耐をもって、もろもろの受刑人(罰せられた者)たちの苦しいしぐさを遂行するだろう。わたしは、毎日、ただそれが懲役人(ちょうえきにん)を屈服させているところの、そして懲役人を創(つく)りだすところの一つの秩序から発したという以外の権威を持たない規則の命ずる労役を行うだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.377」新潮文庫)
ところが思わぬことに、ジュネが欲望するような身体刑というものは徐々に形態を変えていく。だからといって身体刑が持っていた役割自体が変わるわけではない。刑罰の形式は徐々に変化していくが、その「経済性」、「合理性」、「懲役人を創(つく)りだすところの一つの秩序性」という点ではほとんど変わらない。むしろ更新されていく。ともかく、ジュネのいう身体刑の過酷さはどのような役割を持っていたか。フーコーから。
「刑罰としての身体刑は、身体へのありとあらゆる処罰を包括しているわけではない。というのは、それは分化したかたちで苦痛を生み出すことであり、刑の犠牲の刻印のために、また処罰する権力の明示のために組織される祭式であって、自分の立てた原則を忘れ自己統御を失ってしまうような司法権力の激怒のすがたではないのである。身体刑の《極端さ》には、権力の一つの経済策全体がもりこまれている」(フーコー「監獄の誕生・P.39」新潮社)
さらに「経済策」としての「身体刑の《極端さ》」は必ず「統治者が凱歌をあげる儀式」として成立しなければならず、そしてまた次のように「身体刑を課せられる身体において双方をともに結びつける」役割をも果たさなくてはならない。
「身体刑につきまとう《極度の残忍性》は、したがって二重の役割を果たすのである。つまり、それは刑罰と犯罪のつながりの根本である反面、犯罪にたいする懲罰の激昂状態でもある。それは真実の華々しさと権力の華々しさとを一挙に保証するのであって、完了しつつある証拠調べの祭式、しかも統治者が凱歌をあげる儀式である。しかもそれは身体刑を課せられる身体において双方をともに結びつける」(フーコー「監獄の誕生・P.59」新潮社)
ところが、かつての「ギュイアーヌ」(今の南米ギニアの一区画にあった徒刑場)はもう「廃絶されている」。
「わたしは自分をすりへらすだろう。わたしがそこで再会する仲間たちがわたしを援(たす)けてくれるだろう。わたしも彼らのように丁寧になるだろう。すっかりこすり磨(みが)かれてーーー。しかしわたしが語っている徒刑場はすでに廃絶されているのである」(ジュネ「泥棒日記・P.377~378」新潮文庫)
しかし問題は、目に見える「刑罰」の廃絶とともに、より目に見えにくい「刑罰」へ変化したことである。目に見えにくい「刑罰」へ変化したことで逆に《刑罰的なものは》よりいっそう狡猾なものになり広範囲かつ長期的に生き延びるのである。
さて、「葬儀」から。
死体と化して棺桶(かんおけ)に収まっているジャン。皆が順番にその顔を覗いて廻るシーン。ジュネにもそろそろ順番が廻ってくる。「機銃掃射」による射殺だからとことん無惨であるにちがいないという皆の好奇心を読み取るジュネ。ジュネはそれを皮肉を込めて「機銃掃射の奇蹟」と書く。けれどもジュネがおもう「奇蹟」は、恐るおそるの《受動的》好奇心ではなく、「機銃掃射」によって「かくもいたいけなしろものに、一人の若者に変り果てた若者の姿」、という落差あるいは差異の出現という「奇蹟」であり、また落差あるいは差異による「変り果て《ぶり》」に怖気を奮(ふる)いつつ死体そのものに奮(ふる)い付きたいという愛欲が「奇蹟」という言語によって生産され、《積極的》かつ《能動的》に目指されているのではと思われる。このような場合の愛欲のことをフロイト用語で「性的リビドー備給」と呼んでも差し支えないだろう。
「機銃掃射の奇蹟によって、かくもいたいけなしろものに、一人の若者に変り果てた若者の姿を眺めるために、私は人々の肩ごしに身を乗り出すのだった」(ジュネ「葬儀・P.24~25」河出文庫)
ところが尻フェチのジュネとしては「機銃掃射」による「穴だらけ」になったジャンのぼろぼろの顔面をこそ期待していたのかも知れないが、そもそもそういう事態を期待していたかどうかはわからない。けれども、常日頃のジュネにすれば、穴ならむしろ「尻の穴」であってほしいと願っているため、ジャンの死体がそうでないのを見て「あまりにもありふれている」と落胆する。
「それはたぶん死神の顔にほかならなかった、が、じっと動かぬその様は、あまりにもありふれているために、心のなかで私はこんなふうに考えるのだった」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
死神に不平不満を押し付けるジュネ。しかしこの不平不満の列挙は重要な意味を含んでいる。
「死神はどうしてまた肉体なんか、顔や、手足なんか身についているのか、映画スターや、海外巡業の名演奏家や、亡命中の女王や、追放された国王の場合も同じことだが。彼らの魅惑は人間的魅力とは別個のものから由来しているのに」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
世間一般でいう「映画スター」「海外巡業の名演奏家」「亡命中の女王」「追放された国王」。日本では折口信夫のいう「貴種流離」に相当する。説明しだすとあまりに長くなるので省略する。ウィキペディア参照。なお、日本では天皇はどうなのかという問いが出てくるにちがいない。どちらとも言えないとしか言えない。追放されたことがあるのかないのか、実際のところはよくわからないし、そもそも日本史は書き換えられた痕跡がすさまじい。だが、たとえばスサノオ神話の場合、神話ではあるものの、なおかつ天皇ではないものの、追放されたという記述がある。詳しくは山口昌男「天皇制の深層構造」『天皇制の文化人類学・P.51~92』(岩波現代文庫)を参照してほしい。スサノオを神でもなく人間でもなく一種の記号として捉え、スサノオが神話の中で果たしている役割に焦点を当てて述べられている。四〇頁も丸写しできないので。
また、今の天皇制でいえば、昨年の豪雨災害の被災地での振る舞いが話題になった「ひざまずく天皇」というキャッチコピー。天皇がひざまずくシーンをマスコミを通して見て、個人的には、何かこれといった違和感を抱いた人々はかつてほど多くはなかったのではという感想を持っている。なぜ「おかしい」と見えないか。それは言うまでもなく資本主義特有の平均化作用が皇室内へも浸透しているからだというほかない。資本主義の平均化、均質化、一般化作用がどれほど世界的規模で浸透するものか、それがいち早く始まったのは近代ヨーロッパにおいてであり、その兆候をいち早く察したニーチェはこういっている。
「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫)
したがって、これ以上天皇と国民とを近づけることは危険だと感じる右翼あるいは左翼は、いずれの陣営にしても資本主義の持つ一般化、群畜化、平板化作用について、今後どのような態度を取るのか。決めるべき時期が加速的に到来したことは確かだとおもう。なるほど「ひざまずいた」ことは確かだ。けれども、あの光景がどうして「おかしい」と見えないか、あるいは「おかしい」と見えるか、それは人々が個々別々に考え思うことであって国家が介入すべきでない。そうでないと「思想信条の自由」は消滅する。日本からは右派も左派も両方ともまったくいなくなってしまい、ほとんど「記号《としての》人間」しか存在しなくなってしまうからでもある。資本主義というモンスターは、アフリカや南米や中東を見ればわかるように、絶え間なく流動する多様性としては、まだまだ有り余るエネルギーを噴出している。日本だけが例外というわけにはいかない。その実例として、「ひざまずく天皇」という光景が、かつてほど「おかしく」は見え《ない》という一つの事例として出現したと見るのが実際的なのではと思うのである。先手を打っていたのは日本の国会議員ではなくましてや与党でも野党でもなく、ほかでもない資本主義という世界的規模の諸力の運動だというべきではないだろうか。少なくともそのための認識を刷新させる機会にはなったと思われるのである。しかしかつてはそうではなかった。
ジュネは「マッチ箱の姿で現われる」ことも可能なはずだとして「サラ・ベルナール」の名をあげる。そしてその条件として殺到する人間は「客車の昇降口にひしめく百姓女ども」でなければならないと考える。なぜなら、是非「見たい」と殺到する側と「見られる」ことを前提に殺到される側とのあいだには、或る《距離》が必要だからだ。
「だから、彼女を一目見ようとして客車の昇降口にひしめく百姓女どもの熱狂を裏切ることなく、サラ・ベルナールはマッチ箱の姿で現われることだってできたはずだ」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
この《距離》は始めはただ単なる《差異》に過ぎない。だがしかし《差異》は、ただ単に出現するだけでなく、出現するやいなや或る種の感情をも同時に出現させないではおかない。それは「憎悪」である。
「《差異は憎悪を生む》」(ニーチェ「善悪の彼岸・二六三・P.280」岩波文庫)
また、何度も繰り返し引用しているように、ニーチェは人間の「仮面/顔」について、「最良の仮面は素顔である」、と述べている。
「私たちが着けている最良の仮面は、私たち自身の素顔である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一一六三・P.595」ちくま学芸文庫」)
とすれば、次のセンテンスはどう考えればいいのだろうか。
「私たちは顔ではなく、死んだジャンを拝(おが)みにやってきたのだ、おまけに私たちの期待はたいそう熱烈なために、それほど私たちを驚かせることなく、彼はどのようなかたちででも出現する権利を有していた」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
ジャンの素顔は流動する。常に既にさらに生成変化の過程にある。ジュネが「拝(おが)みにやってきた」ジャンの顔は、常に既にさらに流動する生成変化の過程としてのジャンである。だから、ジャンの素顔がたとえばジュネ好みの「尻の穴」に変容していたとしてもジュネはけっして驚くことはない。むしろジュネにとってとりわけジャンらしい部分はジャンという若年のレジスタンス運動の闘士として果敢に躍動する様々な姿態であり、なかでも最もジャンらしい部分はほかでもないジャンの「尻の穴」をおいてほかにないからだ。ゆえに棺桶の中に収められたジャンの顔は、あの華々しく生きていた頃と同様の力とともに「尻の穴」という素顔で「出現する権利を有していた」にもかかわらず、なぜありふれたただ単なる顔でしかないのかという脱力感がジュネにはある。
ヒントとしてのカスタネダ。
「見つめることは《すること》だが、《見ること》、それは《しないこと》なんだ」(カスタネダ「呪師に成る・P.261」二見書房)
人間は或る対象を見つめているうちにその対象を対象たらしめている諸条件を総動員して、その対象についてのステレオタイプ(固定概念)に行きついてしまう。それが「見つめること=《すること》」であり、結局のところ、与えられた対象についてのステレオタイプ(固定概念)を再認し、再認を反復し、再認の反復を再生産してしまうことにしかならない。だがしかし「《見ること》」は「見つめること=《すること》」とは異なる作業である。それは或る対象を「見つめること」によってその対象についてのステレオタイプ(固定概念)を再認し、再認を反復し、再認の反復を再生産することにはけっして《行きつかない》作業だ。その対象を対象たらしめている諸条件を逆に《忘れてしまうこと》。さらに《別の仕方で》アプローチするための準備体操ともいうべき生きいきした別種の感性を解放することだ。したがって、「《見ること》、それは〔これまでと同じようには〕《しないこと》」なのである。「《見ること》、それは〔これまでと同じようには〕《しないこと》」によって、すなわち《別の仕方で》アプローチすることによって、まったく新らしい発見を見出すことになる。ドゥルーズとガタリならこういうだろう。
「生成変化とは、線が点から解放され、線が点を識別不可能にする運動なのだ。つまり樹木状組織の対極にあるリゾーム。樹木状組織からの離脱。《生成変化は反-記憶である》」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.271~273」河出文庫)
そしてさらに。
「身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体となることなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作の音響の線に、『放浪の線』が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作と音響があらわれる」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.319」河出文庫)
というように。あるいはニーチェは次のように述べる。
「《非歴史的》に感覚する能力ーーー忘却する力を全然所有せず、到る所に成長を見るように宣告されている人のことを考えてみてくれ給え。かかる人はもはや彼自身の存在を信ぜず、もはや自己を信ぜず、すべてのものが分散して動点に流れ込むのを見、生成のこの流れのなかに自己を見失う」(ニーチェ「反時代的考察・P.124~125」ちくま学芸文庫)
そのような「新陳代謝」の作業がときどきは必要なのだ。でないと人間は非多様的な一本調子の歴史の密室の中に監禁され窒息して死んでしまうほかないだろうから。
BGM
「わたしは、わたしがある自分の知らない罪を購(あがな)うために、徒刑場へ行くことを望んでいるのかどうか知りたいとは思わないが、わたしのそれへのノスタルジーはあまりにも強いから、わたしはどうしてもそこへ連れていってもらわねばすまないだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.377」新潮文庫)
ジュネはジュネ自身の好みゆえ、そう言う。ところがニーチェは正当にも次のように述べる。
「人々は、堅気(かたぎ)の男と悪党とのあいだの道徳的な違いをあまりにも大きく考えすぎている。泥棒や殺人者に対する法律は、教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なようにつくられている」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・七〇五・P.439」ちくま学芸文庫)
あくまでも「ギュイヤーヌ」監獄にこだわるジュネ。監獄に入ったことがあるかどうか。囚人になったことがあるかどうか。その境界線が余りにも長い間にわたり、余りにも強く深く信じ込まれてきた、という経緯がある。
「わたしは、ただそこにおいてのみ、わたしがそこに入ったときに断ち切られた人生を続けてゆくことができると確信している」(ジュネ「泥棒日記・P.377」新潮文庫)
だから、ジュネもまた、ギュイヤーヌへの夢を断ち切れない。ギュイヤーヌという監獄においてかつてどのような刑罰が行われていたか。そしてそこで犯罪者は加工=変造されたのだった。「秩序」というものに本来性などなく、むしろ「秩序」は監獄の《あり方において》改めて創られるものだった。そしてそこでさらなる犯罪的知性を獲得し練磨することで犯罪者はよりいっそう強力でなおかつ洗練された犯罪的知性の所有者と化して出てくることになる。
「栄光や富への顧慮から解放されて、わたしは気長なそして細心の忍耐をもって、もろもろの受刑人(罰せられた者)たちの苦しいしぐさを遂行するだろう。わたしは、毎日、ただそれが懲役人(ちょうえきにん)を屈服させているところの、そして懲役人を創(つく)りだすところの一つの秩序から発したという以外の権威を持たない規則の命ずる労役を行うだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.377」新潮文庫)
ところが思わぬことに、ジュネが欲望するような身体刑というものは徐々に形態を変えていく。だからといって身体刑が持っていた役割自体が変わるわけではない。刑罰の形式は徐々に変化していくが、その「経済性」、「合理性」、「懲役人を創(つく)りだすところの一つの秩序性」という点ではほとんど変わらない。むしろ更新されていく。ともかく、ジュネのいう身体刑の過酷さはどのような役割を持っていたか。フーコーから。
「刑罰としての身体刑は、身体へのありとあらゆる処罰を包括しているわけではない。というのは、それは分化したかたちで苦痛を生み出すことであり、刑の犠牲の刻印のために、また処罰する権力の明示のために組織される祭式であって、自分の立てた原則を忘れ自己統御を失ってしまうような司法権力の激怒のすがたではないのである。身体刑の《極端さ》には、権力の一つの経済策全体がもりこまれている」(フーコー「監獄の誕生・P.39」新潮社)
さらに「経済策」としての「身体刑の《極端さ》」は必ず「統治者が凱歌をあげる儀式」として成立しなければならず、そしてまた次のように「身体刑を課せられる身体において双方をともに結びつける」役割をも果たさなくてはならない。
「身体刑につきまとう《極度の残忍性》は、したがって二重の役割を果たすのである。つまり、それは刑罰と犯罪のつながりの根本である反面、犯罪にたいする懲罰の激昂状態でもある。それは真実の華々しさと権力の華々しさとを一挙に保証するのであって、完了しつつある証拠調べの祭式、しかも統治者が凱歌をあげる儀式である。しかもそれは身体刑を課せられる身体において双方をともに結びつける」(フーコー「監獄の誕生・P.59」新潮社)
ところが、かつての「ギュイアーヌ」(今の南米ギニアの一区画にあった徒刑場)はもう「廃絶されている」。
「わたしは自分をすりへらすだろう。わたしがそこで再会する仲間たちがわたしを援(たす)けてくれるだろう。わたしも彼らのように丁寧になるだろう。すっかりこすり磨(みが)かれてーーー。しかしわたしが語っている徒刑場はすでに廃絶されているのである」(ジュネ「泥棒日記・P.377~378」新潮文庫)
しかし問題は、目に見える「刑罰」の廃絶とともに、より目に見えにくい「刑罰」へ変化したことである。目に見えにくい「刑罰」へ変化したことで逆に《刑罰的なものは》よりいっそう狡猾なものになり広範囲かつ長期的に生き延びるのである。
さて、「葬儀」から。
死体と化して棺桶(かんおけ)に収まっているジャン。皆が順番にその顔を覗いて廻るシーン。ジュネにもそろそろ順番が廻ってくる。「機銃掃射」による射殺だからとことん無惨であるにちがいないという皆の好奇心を読み取るジュネ。ジュネはそれを皮肉を込めて「機銃掃射の奇蹟」と書く。けれどもジュネがおもう「奇蹟」は、恐るおそるの《受動的》好奇心ではなく、「機銃掃射」によって「かくもいたいけなしろものに、一人の若者に変り果てた若者の姿」、という落差あるいは差異の出現という「奇蹟」であり、また落差あるいは差異による「変り果て《ぶり》」に怖気を奮(ふる)いつつ死体そのものに奮(ふる)い付きたいという愛欲が「奇蹟」という言語によって生産され、《積極的》かつ《能動的》に目指されているのではと思われる。このような場合の愛欲のことをフロイト用語で「性的リビドー備給」と呼んでも差し支えないだろう。
「機銃掃射の奇蹟によって、かくもいたいけなしろものに、一人の若者に変り果てた若者の姿を眺めるために、私は人々の肩ごしに身を乗り出すのだった」(ジュネ「葬儀・P.24~25」河出文庫)
ところが尻フェチのジュネとしては「機銃掃射」による「穴だらけ」になったジャンのぼろぼろの顔面をこそ期待していたのかも知れないが、そもそもそういう事態を期待していたかどうかはわからない。けれども、常日頃のジュネにすれば、穴ならむしろ「尻の穴」であってほしいと願っているため、ジャンの死体がそうでないのを見て「あまりにもありふれている」と落胆する。
「それはたぶん死神の顔にほかならなかった、が、じっと動かぬその様は、あまりにもありふれているために、心のなかで私はこんなふうに考えるのだった」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
死神に不平不満を押し付けるジュネ。しかしこの不平不満の列挙は重要な意味を含んでいる。
「死神はどうしてまた肉体なんか、顔や、手足なんか身についているのか、映画スターや、海外巡業の名演奏家や、亡命中の女王や、追放された国王の場合も同じことだが。彼らの魅惑は人間的魅力とは別個のものから由来しているのに」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
世間一般でいう「映画スター」「海外巡業の名演奏家」「亡命中の女王」「追放された国王」。日本では折口信夫のいう「貴種流離」に相当する。説明しだすとあまりに長くなるので省略する。ウィキペディア参照。なお、日本では天皇はどうなのかという問いが出てくるにちがいない。どちらとも言えないとしか言えない。追放されたことがあるのかないのか、実際のところはよくわからないし、そもそも日本史は書き換えられた痕跡がすさまじい。だが、たとえばスサノオ神話の場合、神話ではあるものの、なおかつ天皇ではないものの、追放されたという記述がある。詳しくは山口昌男「天皇制の深層構造」『天皇制の文化人類学・P.51~92』(岩波現代文庫)を参照してほしい。スサノオを神でもなく人間でもなく一種の記号として捉え、スサノオが神話の中で果たしている役割に焦点を当てて述べられている。四〇頁も丸写しできないので。
また、今の天皇制でいえば、昨年の豪雨災害の被災地での振る舞いが話題になった「ひざまずく天皇」というキャッチコピー。天皇がひざまずくシーンをマスコミを通して見て、個人的には、何かこれといった違和感を抱いた人々はかつてほど多くはなかったのではという感想を持っている。なぜ「おかしい」と見えないか。それは言うまでもなく資本主義特有の平均化作用が皇室内へも浸透しているからだというほかない。資本主義の平均化、均質化、一般化作用がどれほど世界的規模で浸透するものか、それがいち早く始まったのは近代ヨーロッパにおいてであり、その兆候をいち早く察したニーチェはこういっている。
「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫)
したがって、これ以上天皇と国民とを近づけることは危険だと感じる右翼あるいは左翼は、いずれの陣営にしても資本主義の持つ一般化、群畜化、平板化作用について、今後どのような態度を取るのか。決めるべき時期が加速的に到来したことは確かだとおもう。なるほど「ひざまずいた」ことは確かだ。けれども、あの光景がどうして「おかしい」と見えないか、あるいは「おかしい」と見えるか、それは人々が個々別々に考え思うことであって国家が介入すべきでない。そうでないと「思想信条の自由」は消滅する。日本からは右派も左派も両方ともまったくいなくなってしまい、ほとんど「記号《としての》人間」しか存在しなくなってしまうからでもある。資本主義というモンスターは、アフリカや南米や中東を見ればわかるように、絶え間なく流動する多様性としては、まだまだ有り余るエネルギーを噴出している。日本だけが例外というわけにはいかない。その実例として、「ひざまずく天皇」という光景が、かつてほど「おかしく」は見え《ない》という一つの事例として出現したと見るのが実際的なのではと思うのである。先手を打っていたのは日本の国会議員ではなくましてや与党でも野党でもなく、ほかでもない資本主義という世界的規模の諸力の運動だというべきではないだろうか。少なくともそのための認識を刷新させる機会にはなったと思われるのである。しかしかつてはそうではなかった。
ジュネは「マッチ箱の姿で現われる」ことも可能なはずだとして「サラ・ベルナール」の名をあげる。そしてその条件として殺到する人間は「客車の昇降口にひしめく百姓女ども」でなければならないと考える。なぜなら、是非「見たい」と殺到する側と「見られる」ことを前提に殺到される側とのあいだには、或る《距離》が必要だからだ。
「だから、彼女を一目見ようとして客車の昇降口にひしめく百姓女どもの熱狂を裏切ることなく、サラ・ベルナールはマッチ箱の姿で現われることだってできたはずだ」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
この《距離》は始めはただ単なる《差異》に過ぎない。だがしかし《差異》は、ただ単に出現するだけでなく、出現するやいなや或る種の感情をも同時に出現させないではおかない。それは「憎悪」である。
「《差異は憎悪を生む》」(ニーチェ「善悪の彼岸・二六三・P.280」岩波文庫)
また、何度も繰り返し引用しているように、ニーチェは人間の「仮面/顔」について、「最良の仮面は素顔である」、と述べている。
「私たちが着けている最良の仮面は、私たち自身の素顔である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一一六三・P.595」ちくま学芸文庫」)
とすれば、次のセンテンスはどう考えればいいのだろうか。
「私たちは顔ではなく、死んだジャンを拝(おが)みにやってきたのだ、おまけに私たちの期待はたいそう熱烈なために、それほど私たちを驚かせることなく、彼はどのようなかたちででも出現する権利を有していた」(ジュネ「葬儀・P.25」河出文庫)
ジャンの素顔は流動する。常に既にさらに生成変化の過程にある。ジュネが「拝(おが)みにやってきた」ジャンの顔は、常に既にさらに流動する生成変化の過程としてのジャンである。だから、ジャンの素顔がたとえばジュネ好みの「尻の穴」に変容していたとしてもジュネはけっして驚くことはない。むしろジュネにとってとりわけジャンらしい部分はジャンという若年のレジスタンス運動の闘士として果敢に躍動する様々な姿態であり、なかでも最もジャンらしい部分はほかでもないジャンの「尻の穴」をおいてほかにないからだ。ゆえに棺桶の中に収められたジャンの顔は、あの華々しく生きていた頃と同様の力とともに「尻の穴」という素顔で「出現する権利を有していた」にもかかわらず、なぜありふれたただ単なる顔でしかないのかという脱力感がジュネにはある。
ヒントとしてのカスタネダ。
「見つめることは《すること》だが、《見ること》、それは《しないこと》なんだ」(カスタネダ「呪師に成る・P.261」二見書房)
人間は或る対象を見つめているうちにその対象を対象たらしめている諸条件を総動員して、その対象についてのステレオタイプ(固定概念)に行きついてしまう。それが「見つめること=《すること》」であり、結局のところ、与えられた対象についてのステレオタイプ(固定概念)を再認し、再認を反復し、再認の反復を再生産してしまうことにしかならない。だがしかし「《見ること》」は「見つめること=《すること》」とは異なる作業である。それは或る対象を「見つめること」によってその対象についてのステレオタイプ(固定概念)を再認し、再認を反復し、再認の反復を再生産することにはけっして《行きつかない》作業だ。その対象を対象たらしめている諸条件を逆に《忘れてしまうこと》。さらに《別の仕方で》アプローチするための準備体操ともいうべき生きいきした別種の感性を解放することだ。したがって、「《見ること》、それは〔これまでと同じようには〕《しないこと》」なのである。「《見ること》、それは〔これまでと同じようには〕《しないこと》」によって、すなわち《別の仕方で》アプローチすることによって、まったく新らしい発見を見出すことになる。ドゥルーズとガタリならこういうだろう。
「生成変化とは、線が点から解放され、線が点を識別不可能にする運動なのだ。つまり樹木状組織の対極にあるリゾーム。樹木状組織からの離脱。《生成変化は反-記憶である》」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.271~273」河出文庫)
そしてさらに。
「身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体となることなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作の音響の線に、『放浪の線』が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作と音響があらわれる」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.319」河出文庫)
というように。あるいはニーチェは次のように述べる。
「《非歴史的》に感覚する能力ーーー忘却する力を全然所有せず、到る所に成長を見るように宣告されている人のことを考えてみてくれ給え。かかる人はもはや彼自身の存在を信ぜず、もはや自己を信ぜず、すべてのものが分散して動点に流れ込むのを見、生成のこの流れのなかに自己を見失う」(ニーチェ「反時代的考察・P.124~125」ちくま学芸文庫)
そのような「新陳代謝」の作業がときどきは必要なのだ。でないと人間は非多様的な一本調子の歴史の密室の中に監禁され窒息して死んでしまうほかないだろうから。
BGM