白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/幽霊との悶答、その正体

2020年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
岩田准一との往復書簡の中で熊楠は日本の古典の中で「幽霊と僧の問答」がしばしば出てくる点について、或るヒントを与えている。

「幽霊と僧の問答の例」(南方熊楠「口碑の猥雑さ、化け物譚、腹上死、柳田批判、その他」『浄のセクソロジー・P.539』河出文庫)

長谷川元寛「かくやいかにの記」を引用してこう述べている。

「智識が果円を済度の条は、上田秋成が『雨月物語』の内、青頭巾の条を仮用せしものなるべし、とあり候」(南方熊楠「口碑の猥雑さ、化け物譚、腹上死、柳田批判、その他」『浄のセクソロジー・P.539』河出文庫)

では「青頭巾」の該当箇所を見てみよう。

「寺に入(り)て見れば、荻(をぎ)尾花のたけ人よりもたかく生茂(おひしげ)り、露は時雨めきて降(り)こぼれたるに、三(みつ)の徑(みち)さへわからざる中に、堂閣(だうかく)の戸右左(みぎひだり)に頽(たを)れ、方丈庫裏(はうじやうくり)に緣(めぐ)りたる廊(らう)も、朽目(くちめ)に雨をふくみて苔(こけ)むしぬ。さてかの僧を座(を)らしめたる簀子(すのこ)のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわからぬまでに髭髪(ひげかみ)もみだれしに、葎(むぐら)むすぼふれ、尾花おしなみたるなかに、蚊(か)の鳴(なく)ばかりのほそき音(こゑ)して、物とも聞えぬやうにまれまれ唱(とな)ふるを聞けば

江月照松風吹(こうげつてらしせうふうふく) 永夜清宵何所爲(えいやせいしやうなんのしよゐぞ)

禅師見給ひて、やがて禅杖(ぜんじやう)を拿(とり)なほし、『作麼生何所爲(そもさんなんのしよゐぞ)』と、一喝(かつ)して他(かれ)が頭(かうべ)を撃(うち)給へば、忽(ち)氷の朝日にあふがごとくきえうせて、かの青頭巾と骨(ほね)のみぞ草葉にとどまりける」(日本古典文学体系「青頭巾」『上田秋成集・雨月物語・巻之五・P.130』岩波書店)

しかしそこで、なぜこのような一見些細なことが男性同性愛を巡る岩田准一との書簡では問題となるのだろうか。次の熊楠の文章が解答となるに違いない。

「小生このほど金一円で、神戸より『野郎虫』一冊を購い、始めてこれを読み候に、西鶴始め諸書にかきたる男色の史略ともいうべき概説は、全くみなこの書より襲用したるものと判り候。その内に、歌舞伎若衆に『老若男女腰を抜かし、以作ちょいちょい《死にまする》と声々に呼ばわる』とあり、春本に多き死にます死にますという詞は、初めは若衆の所作に魂を奪われしとき発せし賛辞にて、それがおいおい閨中究境(くきょう)に達せしときの喊声となりしことと察し候」(南方熊楠「口碑の猥雑さ、化け物譚、腹上死、柳田批判、その他」『浄のセクソロジー・P.540』河出文庫)

今や同性愛のみならずありとあらゆる性行為において「死にまするっ!」は世界共通語と化したといえよう。

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