白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/新宮速玉「蛇性の婬」

2020年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム
熊楠の文章から一度引用した箇所。上田秋成「雨月物語」の「青頭巾の条」に関する。

「智識が果円を済度の条は、上田秋成が『雨月物語』の内、青頭巾の条を仮用せしものなるべし、とあり候」(南方熊楠「口碑の猥雑さ、化け物譚、腹上死、柳田批判、その他」『浄のセクソロジー・P.539』河出文庫)

そこで「青頭巾」から該当箇所を引き、さらに関係する問題系について幾らか述べた。内容は、なぜ日本の古典には幽霊と僧侶との問答が実にしばしば出てくるのか、だった。さて今度は直接熊野には関係のない「青頭巾」ではなく、その一つ手前に置かれた「蛇性の婬」に触れておかねばと思う。熊野三山に関係する。

暇つぶし程度に学問している豊雄。熊野三山の一つ・那智に参詣にやって来たという女性が急な雨に濡れているのを見かけて、一緒に休んでいかれてはどうかと声をかける。女性の面影を覗くと腰を抜かすほどの美女で、年の頃は十八、九歳。豊雄は一も二もなく声をかけたに過ぎない。女性は素直にありがとうと答えて那智の滝まで参詣に来た理由を語る。といってもただ「お天気がよかったから」。豊雄はほとんど上の空。ともかく、衣服がにわか雨に濡れてしまっているので乾かしたい、と女性は申し出る。豊雄は宿の亭主のことなど放っておいてどうぞどうぞ幾らでもという軽さ。雨は止む気配を見せない。なのでさらに帰りのための傘も与える。女性はお礼に、もし機会があればわたしの家に来てください、「新宮の邊(ほとり)にて縣(あがた)の眞女児(まなご)が家はと尋(ね)給はれ」、と言い残して帰って行った。新宮(速玉大社)もまた熊野三山のうちの一山。しばらくして豊雄も家に帰った。が、さっき見た女性の姿が忘れられない。部屋でうとうとしている間に夢を見た。教えてくれた通りの女性の住所へのこのこと出かけて行く。そこで思いの外の持てなしを受けたためか、成り行き上、当然のことながら「つひに枕をともにしてかたる」。そこで目が覚めた。もう夜明けだ。

「『心ゆりて雨休(やめ)給へ。そもいづ地(ち)旅の御宿(やど)りとはし給う。御見送(おく)りせんも却(かへり)て無礼(なめげ)なれば、此傘(かさ)もて出(で)給へ』といふ。女、『いと喜(うれ)しき御心を聞え給ふ。其御(み)思ひに乾(ほし)てまいりなん。都のものにてもあらず。此近き所に年来(としごろ)住(み)こし侍(はべ)るが、けふなんよき日とて那智(なち)に詣(まうで)侍るを、暴(にはか)なる雨の恐(おそろ)しさに、やどらせ給ふともしらでわりなくも立(ち)よりて侍る。ここより遠からねば、此子休(をやみ)に出(で)侍らん』といふを、强(あながち)に『此傘(かさ)もていき給へ。何(いつ)の便(たより)にも求(もとめ)なん。雨は更に休(やみ)たりともなきを、さて御住ゐはいづ方(べ)ぞ。是より使奉らん』といへば、『新宮の邊(ほとり)にて縣(あがた)の眞女児(まなご)が家はと尋(ね)給はれ。日も暮(れ)なん。御恵(めぐみ)のほど指戴(さしいただき)て歸りなん』とて、傘とりて出(づ)るを、見送りつも、あるじが蓑笠(みのかさ)かりて家に歸りしかど、猶俤(おもかげ)の露忘(わす)れがたく、しばしまどろむ暁(あかつき)の夢(ゆめ)に、かの眞女児(まなご)が家に尋(ね)いきて見れば、門も家もいと大きに造(つく)りなし、篰(しとみ)おろし簾(すだれ)垂(たれ)こめて、ゆかしげに住(み)なしたり。眞女児(まなご)出(で)迎(むか)ひて、『御情(なさけ)わすれがたく待(ち)戀(こひ)奉る。此方(こなた)に入(ら)せ給へ』とて奥の方にいざなひ、酒菓子(くだもの)種々(さまざま)と管待(もてな)しつつ、喜(うれ)しき醉(ゑひ)ごこちに、つひに枕をともにしてかたるとおもへば、夜明(け)て夢さめぬ」(日本古典文学体系「蛇性の婬」『上田秋成集・雨月物語・巻之四・P.100~101』岩波書店)

なお、衣服を乾かす時、「御(み)思ひに乾(ほし)てまいりなん」、とある。「伊勢物語」からの引用。

「鶯の花を縫ふてふ笠はいなおもひをつけよ乾(ほ)してかへさむ」(新潮日本古典修正「伊勢物語・一二一・在原業平・P.133」新潮社)

歌中、「おもひ」(思い)と「燃え上がる火」とを懸けたもの。ちなみに、この種の返歌が「伊勢物語」に出てくるのは多少不自然なのだが、あくまで当時の返歌としてはすかさず返して答えておく「お約束」的なものだったようだ。

後の話はよく知られている通り。道成寺の「安鎮・清姫」に等しい。僧侶には女性の体に大型の蛇が巻きついて愛欲の焔を燃やしているのが見えるが、豊雄には見えない。僧侶が蛇を退治するという仏教説話で終わってしまっている。そもそも仏教説話はそういう形式を取るのが常道であって他に話を終わらせる方法はない。だが問題は仏の道がどうしたこうしたではなく、大蛇と化した愛欲の焔を全身にまとわりつかせているのは、なぜ豊雄の側ではなく、日常生活において様々な苦労を強いられていた時代の女性の側なのか、が問題とされなくては何一つわかったことにはならない、という点だろう。ただ単なる偏見とか古い時代だったからというだけでは済まされない問題系に属する。というのは、古代社会では世界中のあちこちで女系中心の共同体があったからである。逆に「男社会」というものが一般化してきたのはいつ頃からだろうか。縄文時代を入れると紀元前数万年前にはそんなものはなく、紀元前五千年程度から考えてみてもなお、その最後の一五〇〇年程度でしかない。そして言っておかねばならないが、もし女性に「蛇性の婬」がなかったとしよう。人類がこの世に出現することはなかったと確実に言える。

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