熊楠が「魂」が出たり入ったりする迷信の論考の中で引いた「伊勢物語」の和歌。そこから土葬の風習について述べた。前回触れたのは約四十年前に京都府丹波地方で行われた調査報告である。いったん、丹波地方だけでなくより一層視野を広げて土葬の風習について押さえてみる。
まず第一に、仏教勢力の圧倒的影響と近代以降に輸入された公衆衛生思想の世界的な広がりとから、中国では早くから火葬が普及していた。しかし新疆ウイグル自治区のウイグル族やカザフ族さらにはチベット自治区では今なお信仰上の違いがあるため限定的に土葬が認められている。中国の平野部は国土全体に占める比率が低いため土地確保の面から火葬が進んだことも一因である。
他方、中国のウイグル自治区やチベット自治区での人権問題を追求するアメリカはどうか。アメリカ国内の仏教徒は少数派であるということもありはするが、そもそもユダヤ教の黄金時代といえるダビデ王、ソロモン王は土葬されており、さらに決定的な事項として新約聖書以来イエス・キリスト自身も土葬されていることから、アメリカ合衆国全土は建国以来ほとんどずっと土葬が基本だった。公衆衛生と火葬優先という思想の徹底は実をいうとアメリカより中国の側が圧倒的に早い。唐朝の頃には中国のほとんどで火葬が採用されていた。アメリカで火葬が進んだのは二〇〇〇年代に入って五年ばかりしてようやくのことであり、この場合急ピッチで進められたがその理由は公衆衛生の観点もあるがそれ以上に不動産・土地確保が優先されたためと見られている。
また他の宗教を見るとイスラム教は伝統的に土葬が基本であり、今なお日本で暮らすイスラム教徒のために土葬専用の共同墓地を設置する自治体が各地にある。奈良県や和歌山県で土葬の許可性が今も残されているのはそもそも天皇を奉ずる神道が山岳地帯を主として常識化していたことが上げられる。なかでも吉野・熊野は歴代天皇のミソギの地であったことから今の日本政府がたとえ何と言おうとそう簡単に全廃してしまうわけにはいかない。さらに土葬と日本史との関係は大変深く、山岳修験の「辺路(へじ)=修行路」に当たっていた箇所や奈良時代から平安時代、さらには鎌倉時代から室町時代にかけて長く「流刑地」とされていた地域は、神道にも修験道にも共通する《儀式性》の高さゆえ土葬の伝統が残されているわけである。なお兵庫県神戸市の外国人専用共同墓地は土葬許可性で有名だが、長い間、関西圏の貿易拠点として機能していた点から説明可能である。
さらに隣国・韓国にも土葬制度が残っている。言うまでもなく日本がまだ倭国であり「小倉百人一首」冒頭の和歌を飾る天智天皇の時代すでに陵墓は「土葬」が基本であり、天智が最初に都を置いた今の滋賀県大津市役所裏にある「新羅三郎」(源義光)の墓は「塚」である。その後来日したフェノロサもそれを目で見て確認している。
そして遠く東欧にも土葬の習慣は残されている。例えば吸血鬼伝説発祥の地として観光で栄えたトランシルヴァニア山脈。土葬ゆえに蘇ることがあるとする信仰が神話化し、そのバリエーションの一つとして吸血鬼伝説が出現した。なぜ吸血鬼は特に処女の血を欲するのか。この点は日本の昔話における蛇の脱皮による若王子信仰とまるで同じ構造を取る。繰り返し脱皮するたびに永遠に新しい生を更新していくという日本神話。東欧の山岳地帯では若くて新鮮な女性の血には聖なる力が宿るという信仰。それが根っことなって生じてきた共通点として指摘できる。
さて、日本に戻ろう。「日本書紀」から。
「又(また)曰(い)へらく、『夫(そ)て葬(はぶり)は蔵(かく)すなり、人(ひと)の見(み)ること得(え)ざらむことを欲(ほつ)す』といへり」(「日本書紀4・巻第二十五・孝徳天皇大化二年三月・P.276」岩波文庫)
この箇所で「夫(そ)て葬(はぶり)は蔵(かく)すなり、人(ひと)の見(み)ること得(え)ざらむことを欲(ほつ)す」は、魏志の「文帝紀」からの引用。土葬を指す。
それほど古くからの伝統だった土葬が全国各地に残されたことは先に述べた。そして前回は京都府から兵庫県にまたがる丹波地方の事例について述べた。さらに前回の事例は約四十年前にはまだ丹波地方で残されていた風習だった。日吉町あるいは美山町など丹波山地でも冬になると最も激しい豪雪地帯として知られている。しかしさらに今から約六十年前のフィールドワークが残っている。どこかというと今の京都市山科区の東端でありなおかつ滋賀県大津市追分町付近である。要するに県境であり旧東海道から音羽山を少し山間部に入った地域。戦後十五年ばかり過ぎた頃。この時の故人は女性である。土葬が当たり前の地域。役所に届ける場合、火葬か土葬か選択して記入することになっていて、当然のように土葬許可を得た。土葬の形式としては京都府丹波の場合とさして異ならない。が、故人の家に嫁いできていた嫁は葬儀にあたって家の裏手の井戸の脇辺りに案山子のようなものを木で造り、故人が常日頃からよく着ていた半天のような普段着をその案山子のようなものに着せる。葬儀のあいだはもちろんだが、葬儀が済んでしばらくはそのまま故人の普段着を着せて置いておく。約一週間ほどが過ぎると処分する。片見分けというわけではなく、ふと気付くと処分されていたことだけは記憶に残っていると、それを見ていた人々は覚えている。周辺地域の人々も多くはそうしていたようだ。このケースでも特記すべきは、土葬の風習が長く残っていたのは県境であるという点だろう。関東近辺のレポートを見ているとかつての江戸時代のエピソードである土葬について比較的寛容な姿勢を示す地域は江戸へ入る少し手前の境界領域がたいへん多い。東北地方でも同様の傾向が見られる。そのなかでも特に注目したいのは「甲州街道」である。甲州街道というと今では何か東京都新宿区のことばかり思い浮かべがちだが、江戸時代は江戸から直接京へ向かう東海道ではなく、山岳地帯の側へ出る唯一の大動脈としての甲州街道だった。さらに大菩薩峠が上げられる。しかし差し当たり先に甲州街道について、またの機会に述べたいとおもう。次回は戦前の土葬の記録がまだ滋賀県と京都との県境に残っているのでそのことを要約して述べることにしたい。
なお、パンデミックと景気回復、さらには女性が関わる性風俗産業との関係について、いま少し述べておかなくてはならない。資本主義と新自由主義との違いが決定的であるという点は何度繰り返しても繰り返したりるという問題ではないということを頭に叩き込んでおくことが大事である。
パンデミックの収束を待っているあいだ、今の日本政府は様々な重要課題を次々と通してしまった。差し当たり与党にも野党にも責任があると言っておこう。新自由主義は資本主義から派生したイデオロギーに過ぎない。これについても何度も言ってきた。まずこの春入学の大学生の少なくない部分が休学や退学に追い込まれたことは重大ニュースである。と同時に母親とその娘ともども性風俗に流れて安易な小遣い稼ぎに走っているというのもまた一部では事実として上げられる。だが、だからといって、それこそがリアルな自然な流れだと結論づけるのは、結果的に考えてみた場合、さらに安易な処方箋に過ぎなくなるのは目に見えている。この種の貧困についてリアリズムの立場に立って考察するとすれば、もう少し経済的思想的な面から考察しなければ手続上肝心な部分を見逃してしまうことになるだろう。なるほどニーチェはこういった。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
現在、貧困に陥っている世帯の中で風俗へ流れるほかなくなっている女性らは確かにいる。別に特定のソープ街へ勤めに出なくても太っ腹のパトロンを探してメールで情報交換し合い、三十代の母親らが子育てのために体で稼ぐ。そういう事態は不景気の時期にはどこでもしばしば生じる。何も日本だけが特別でもなければ人工密集地であり学費も高額な首都圏にばかり見られる傾向だとは必ずしも限らない。関西でも京都や滋賀県あるいは神戸ではふつうにあった。七〇年代にはあちこちで見られた。高度経済成長は上流階級と貧困家庭という二極分裂をまともにこうむった時期であり、当時小学校高学年だった個人の目から見ても口に出さないだけのことであって、わかりきった事実として横たわっていた。大阪万博成功報道は、その一方で同時に出現した生活保護世帯の急増並びに日雇い労働者大量発生という目の前でのたりくねっている現実を覆い隠してしまった。大阪万博に続いた好景気の後、バブル景気が続いた。その頃だ、新自由主義というイデオロギーが大手を振ってささやかれ出したのは。
バブルは当然弾ける。虚業は全滅し跡形もなく消え去った。景気回復すると言われていたにもかかわらず、そうはならなかった。それも当然のことだ。ニーチェのいう「債権者」と「債務者」との関係は決裁される前に長期に渡る不況のトンネルに突入したわけだから当然の成り行きというほかなかない。だから冷めた目のリアリストを気取る評論家たちは二〇二〇年の惨状をリアリズムとして自然な話だと語る。半分は確かにそうだ。しかしこのリアリズムにはもっと凄まじい現実が待ち構えていることをリアリスト気取りの評論家たちは決して語ろうとしない。何か自己責任とでも言いたがっているかのようだ。馬鹿げている。プロの評論家が金を貰って堂々と述べているリアリズム経済論の中に、続きがあるということが書かれていない。さすが中途半端な人間ばかりが幅を効かせる世の中ではある。ローンを組んでようやく子育て可能な世帯は今のところはまだ救われている側であり、学費や自動車購入さらには家賃確保のために風俗で稼いでいける世帯も実をいえばまだ救いが残されている側なのである。ニーチェはどういっているだろうか。「債権者」と「債務者」との関係は両者の釣り合いが決裁されれば終わるなどと、そんな安易なことを語っているだろうか。「債務者」が体を売る(売春する)ことは「犯罪」である。買うこともまた「犯罪」である。だがプロを名乗る似非(えせ)リアリズム論者は「債務者」が体を売る(売春する)ことだけを「債務者」としての当然の行動様式であるかのようにまことしやかに語る。だが新自由主義のエネルギーは「債務者」の心身をぼろぼろにするだけでなく、速度を落とさず方向を置き換えてすかさず「債権者」へも襲いかかる本能を持つ。
「犯罪者は何よりもまず『破壊者』であり、これまで関与してきた共同生活のあらゆる財産や快適に関して言えば、《全体に対する》契約や言質の破棄者である。犯罪者は、単に自己のあらかじめ受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それゆえに彼は、その後は当然これらの財産や便益をことごとく喪失するのみならずーーーむしろ今や《それらの財産がいかに重要なものであったか》を思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる。『刑罰』はこの開花段階においては、あの憎悪され保護を解かれ抑圧された敵、一切の権利と保護のみでなく、一切の恩恵をも喪失した敵に対する正常な関係の単なる模写であり、《真似事》であるにすぎない。従ってそこにあるのは、あらゆる無慈悲と残忍とに充ちた《征服せられたる者は禍なるかな!》の軍律と祝勝のみだ。ーーーこのことからして、刑罰が歴史上に現われた際に取ったあらゆる《形式》が戦争そのもの(戦争の犠牲祭をも含めて)によって与えられたものであることが明らかになる」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.81~82」岩波文庫)
さらに新自由主義は「債務者」の内面に植え付けられた「良心のやましさ」を、言語を絶する怨念に置き換え、今度は「債権者」の側へ向けて「水虫」のように根深く食い込ませていく。というのも、新自由主義イデオロギーはたとえパンデミックが起こらなかったとしてもなお、返しても返しても終わりの見えないローン返済義務や債務者待遇から人々を解放するといった事態が発生する余地を残さないからである。むしろ負のエネルギーはますます強度を増して逆に「債権者」の側へと集中する。
「今や究極的な償却の見込みは、悲しいかなひとたまりもなく全く閉ざされ《なくてはならない》。今や眼は悄然と鉄の如き不可能性の前に跳ね返り、弾き返ら《なくてはならない》。今やあの『負い目』や『義務』の概念は後向きになら《なくてはならない》ーーーが一体、誰の方へ向かうのであるか。疑いもなく、まず『債務者』の方へである。今や債務者のうちに良心の疚(やま)しさが根を張り、食い込み、蔓(はびこ)って、水虫のように広く深く成長する。その結果、ついに負債を償却できなくなるとともに罪の贖(あがな)いもできなくなり、ここに贖罪の不可能(「《永劫の》罰」)という思想が抱かれることになる、ーーーがしかし最後には、あの概念は『債権者』の方へまで向かう」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.108」岩波文庫)
すると次に負債の返済のために風俗で働かなくてはならなくなるのはこれまで自称「リアリスト」を名乗っていたプロの評論家の家族(主に妻や娘)だ。それこそリアリズムである。それがリアリズムである。しかしまだ続きがある。自称「リアリスト」は本当の〔真の〕リアリズムがあると信じて疑っていない。それは或る種の信仰に過ぎないのではないだろうか。世にいう自称「リアリスト」は自分の考える「リアル」な世界を信じて疑っていないという点ではただ単なる「真理に対する信者」の一人でしかないのではないだろうか。
「なるほど彼らはどの点においても格別に拘束されてはいない。だが、真理に対する信仰という一点においては、彼らほど強く絶対的に拘束されている者は他に誰もいない」(ニーチェ「道徳の系譜・第三論文・P.193」岩波文庫)
とすれば、一般的なマスコミがよく口にするように「悪者は大物投資家」なのだろうか。それこそ勘違いも甚だしい。大物投資家悪者説はただ単なる「囮」(おとり)に過ぎない。どんなに責められても倫理的な責任を問われても痛くもなければ痒くもない。投資に見合う利子はしっかり手元に回帰してくるからである。だから利子が発生するのは大物投資家の手の中ではまったくない。ではいったい、どこでそれは発生する余地を持っているのか。生産資本の内部で、である。剰余価値発生の余地は常に既にそこに創設されている。ただ単なる始まりにしか見えないところで種も仕掛けもある生産過程が丸裸で横たわっている。しかも見慣れてしまっているため、それが複数の要因を持つとは考えられもしないほど頭が鈍感になってしまっている。次のように。
「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)
「言語はもろもろの大きな先入見を含んでおり、また維持している、たとえば、《一つの》語でもって表わされるものは当然また《一つの》出来事であるという先入見がそうである。意欲、欲求、衝動ーーーこれらは複雑なものなのだ!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三三・P.28」ちくま学芸文庫)
長い長い不況について、日本政府が何もかもパンデミックの責任にしたがるのはなるほど「自由」だ。情けない言葉でいうと「人情」といってもいいかもしれない。政治家や経済評論家らが足場にしているのは「人情」という、とっくの昔に駆逐された昭和の価値観なのである。体を売る(売春する)ことで地元に金が落ちるマーケットを形成していた売春産業は、売っても売っても返済できなくなるローン地獄・リボ払い地獄の中でとうとう売るものがなくなりパトロンを失う。今度は住んでいる土地建物を売るほかなくなる。するとそれまでは売買春によって遊んでいることができたパトロン自身が債務者を失い、逆にパトロン自身の債務履行義務へと転化するのだ。新自由主義は人間と機械との見極めなど知らない。しかし自己目的としての利子増殖は達成させなくてはならない。従って失われた債務者をこれまでの債権者の側へと置き換えて、今度はただ単なる資本の人格化としての資本家へと襲いかかる。
BGM1
BGM2
BGM3
まず第一に、仏教勢力の圧倒的影響と近代以降に輸入された公衆衛生思想の世界的な広がりとから、中国では早くから火葬が普及していた。しかし新疆ウイグル自治区のウイグル族やカザフ族さらにはチベット自治区では今なお信仰上の違いがあるため限定的に土葬が認められている。中国の平野部は国土全体に占める比率が低いため土地確保の面から火葬が進んだことも一因である。
他方、中国のウイグル自治区やチベット自治区での人権問題を追求するアメリカはどうか。アメリカ国内の仏教徒は少数派であるということもありはするが、そもそもユダヤ教の黄金時代といえるダビデ王、ソロモン王は土葬されており、さらに決定的な事項として新約聖書以来イエス・キリスト自身も土葬されていることから、アメリカ合衆国全土は建国以来ほとんどずっと土葬が基本だった。公衆衛生と火葬優先という思想の徹底は実をいうとアメリカより中国の側が圧倒的に早い。唐朝の頃には中国のほとんどで火葬が採用されていた。アメリカで火葬が進んだのは二〇〇〇年代に入って五年ばかりしてようやくのことであり、この場合急ピッチで進められたがその理由は公衆衛生の観点もあるがそれ以上に不動産・土地確保が優先されたためと見られている。
また他の宗教を見るとイスラム教は伝統的に土葬が基本であり、今なお日本で暮らすイスラム教徒のために土葬専用の共同墓地を設置する自治体が各地にある。奈良県や和歌山県で土葬の許可性が今も残されているのはそもそも天皇を奉ずる神道が山岳地帯を主として常識化していたことが上げられる。なかでも吉野・熊野は歴代天皇のミソギの地であったことから今の日本政府がたとえ何と言おうとそう簡単に全廃してしまうわけにはいかない。さらに土葬と日本史との関係は大変深く、山岳修験の「辺路(へじ)=修行路」に当たっていた箇所や奈良時代から平安時代、さらには鎌倉時代から室町時代にかけて長く「流刑地」とされていた地域は、神道にも修験道にも共通する《儀式性》の高さゆえ土葬の伝統が残されているわけである。なお兵庫県神戸市の外国人専用共同墓地は土葬許可性で有名だが、長い間、関西圏の貿易拠点として機能していた点から説明可能である。
さらに隣国・韓国にも土葬制度が残っている。言うまでもなく日本がまだ倭国であり「小倉百人一首」冒頭の和歌を飾る天智天皇の時代すでに陵墓は「土葬」が基本であり、天智が最初に都を置いた今の滋賀県大津市役所裏にある「新羅三郎」(源義光)の墓は「塚」である。その後来日したフェノロサもそれを目で見て確認している。
そして遠く東欧にも土葬の習慣は残されている。例えば吸血鬼伝説発祥の地として観光で栄えたトランシルヴァニア山脈。土葬ゆえに蘇ることがあるとする信仰が神話化し、そのバリエーションの一つとして吸血鬼伝説が出現した。なぜ吸血鬼は特に処女の血を欲するのか。この点は日本の昔話における蛇の脱皮による若王子信仰とまるで同じ構造を取る。繰り返し脱皮するたびに永遠に新しい生を更新していくという日本神話。東欧の山岳地帯では若くて新鮮な女性の血には聖なる力が宿るという信仰。それが根っことなって生じてきた共通点として指摘できる。
さて、日本に戻ろう。「日本書紀」から。
「又(また)曰(い)へらく、『夫(そ)て葬(はぶり)は蔵(かく)すなり、人(ひと)の見(み)ること得(え)ざらむことを欲(ほつ)す』といへり」(「日本書紀4・巻第二十五・孝徳天皇大化二年三月・P.276」岩波文庫)
この箇所で「夫(そ)て葬(はぶり)は蔵(かく)すなり、人(ひと)の見(み)ること得(え)ざらむことを欲(ほつ)す」は、魏志の「文帝紀」からの引用。土葬を指す。
それほど古くからの伝統だった土葬が全国各地に残されたことは先に述べた。そして前回は京都府から兵庫県にまたがる丹波地方の事例について述べた。さらに前回の事例は約四十年前にはまだ丹波地方で残されていた風習だった。日吉町あるいは美山町など丹波山地でも冬になると最も激しい豪雪地帯として知られている。しかしさらに今から約六十年前のフィールドワークが残っている。どこかというと今の京都市山科区の東端でありなおかつ滋賀県大津市追分町付近である。要するに県境であり旧東海道から音羽山を少し山間部に入った地域。戦後十五年ばかり過ぎた頃。この時の故人は女性である。土葬が当たり前の地域。役所に届ける場合、火葬か土葬か選択して記入することになっていて、当然のように土葬許可を得た。土葬の形式としては京都府丹波の場合とさして異ならない。が、故人の家に嫁いできていた嫁は葬儀にあたって家の裏手の井戸の脇辺りに案山子のようなものを木で造り、故人が常日頃からよく着ていた半天のような普段着をその案山子のようなものに着せる。葬儀のあいだはもちろんだが、葬儀が済んでしばらくはそのまま故人の普段着を着せて置いておく。約一週間ほどが過ぎると処分する。片見分けというわけではなく、ふと気付くと処分されていたことだけは記憶に残っていると、それを見ていた人々は覚えている。周辺地域の人々も多くはそうしていたようだ。このケースでも特記すべきは、土葬の風習が長く残っていたのは県境であるという点だろう。関東近辺のレポートを見ているとかつての江戸時代のエピソードである土葬について比較的寛容な姿勢を示す地域は江戸へ入る少し手前の境界領域がたいへん多い。東北地方でも同様の傾向が見られる。そのなかでも特に注目したいのは「甲州街道」である。甲州街道というと今では何か東京都新宿区のことばかり思い浮かべがちだが、江戸時代は江戸から直接京へ向かう東海道ではなく、山岳地帯の側へ出る唯一の大動脈としての甲州街道だった。さらに大菩薩峠が上げられる。しかし差し当たり先に甲州街道について、またの機会に述べたいとおもう。次回は戦前の土葬の記録がまだ滋賀県と京都との県境に残っているのでそのことを要約して述べることにしたい。
なお、パンデミックと景気回復、さらには女性が関わる性風俗産業との関係について、いま少し述べておかなくてはならない。資本主義と新自由主義との違いが決定的であるという点は何度繰り返しても繰り返したりるという問題ではないということを頭に叩き込んでおくことが大事である。
パンデミックの収束を待っているあいだ、今の日本政府は様々な重要課題を次々と通してしまった。差し当たり与党にも野党にも責任があると言っておこう。新自由主義は資本主義から派生したイデオロギーに過ぎない。これについても何度も言ってきた。まずこの春入学の大学生の少なくない部分が休学や退学に追い込まれたことは重大ニュースである。と同時に母親とその娘ともども性風俗に流れて安易な小遣い稼ぎに走っているというのもまた一部では事実として上げられる。だが、だからといって、それこそがリアルな自然な流れだと結論づけるのは、結果的に考えてみた場合、さらに安易な処方箋に過ぎなくなるのは目に見えている。この種の貧困についてリアリズムの立場に立って考察するとすれば、もう少し経済的思想的な面から考察しなければ手続上肝心な部分を見逃してしまうことになるだろう。なるほどニーチェはこういった。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
現在、貧困に陥っている世帯の中で風俗へ流れるほかなくなっている女性らは確かにいる。別に特定のソープ街へ勤めに出なくても太っ腹のパトロンを探してメールで情報交換し合い、三十代の母親らが子育てのために体で稼ぐ。そういう事態は不景気の時期にはどこでもしばしば生じる。何も日本だけが特別でもなければ人工密集地であり学費も高額な首都圏にばかり見られる傾向だとは必ずしも限らない。関西でも京都や滋賀県あるいは神戸ではふつうにあった。七〇年代にはあちこちで見られた。高度経済成長は上流階級と貧困家庭という二極分裂をまともにこうむった時期であり、当時小学校高学年だった個人の目から見ても口に出さないだけのことであって、わかりきった事実として横たわっていた。大阪万博成功報道は、その一方で同時に出現した生活保護世帯の急増並びに日雇い労働者大量発生という目の前でのたりくねっている現実を覆い隠してしまった。大阪万博に続いた好景気の後、バブル景気が続いた。その頃だ、新自由主義というイデオロギーが大手を振ってささやかれ出したのは。
バブルは当然弾ける。虚業は全滅し跡形もなく消え去った。景気回復すると言われていたにもかかわらず、そうはならなかった。それも当然のことだ。ニーチェのいう「債権者」と「債務者」との関係は決裁される前に長期に渡る不況のトンネルに突入したわけだから当然の成り行きというほかなかない。だから冷めた目のリアリストを気取る評論家たちは二〇二〇年の惨状をリアリズムとして自然な話だと語る。半分は確かにそうだ。しかしこのリアリズムにはもっと凄まじい現実が待ち構えていることをリアリスト気取りの評論家たちは決して語ろうとしない。何か自己責任とでも言いたがっているかのようだ。馬鹿げている。プロの評論家が金を貰って堂々と述べているリアリズム経済論の中に、続きがあるということが書かれていない。さすが中途半端な人間ばかりが幅を効かせる世の中ではある。ローンを組んでようやく子育て可能な世帯は今のところはまだ救われている側であり、学費や自動車購入さらには家賃確保のために風俗で稼いでいける世帯も実をいえばまだ救いが残されている側なのである。ニーチェはどういっているだろうか。「債権者」と「債務者」との関係は両者の釣り合いが決裁されれば終わるなどと、そんな安易なことを語っているだろうか。「債務者」が体を売る(売春する)ことは「犯罪」である。買うこともまた「犯罪」である。だがプロを名乗る似非(えせ)リアリズム論者は「債務者」が体を売る(売春する)ことだけを「債務者」としての当然の行動様式であるかのようにまことしやかに語る。だが新自由主義のエネルギーは「債務者」の心身をぼろぼろにするだけでなく、速度を落とさず方向を置き換えてすかさず「債権者」へも襲いかかる本能を持つ。
「犯罪者は何よりもまず『破壊者』であり、これまで関与してきた共同生活のあらゆる財産や快適に関して言えば、《全体に対する》契約や言質の破棄者である。犯罪者は、単に自己のあらかじめ受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それゆえに彼は、その後は当然これらの財産や便益をことごとく喪失するのみならずーーーむしろ今や《それらの財産がいかに重要なものであったか》を思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる。『刑罰』はこの開花段階においては、あの憎悪され保護を解かれ抑圧された敵、一切の権利と保護のみでなく、一切の恩恵をも喪失した敵に対する正常な関係の単なる模写であり、《真似事》であるにすぎない。従ってそこにあるのは、あらゆる無慈悲と残忍とに充ちた《征服せられたる者は禍なるかな!》の軍律と祝勝のみだ。ーーーこのことからして、刑罰が歴史上に現われた際に取ったあらゆる《形式》が戦争そのもの(戦争の犠牲祭をも含めて)によって与えられたものであることが明らかになる」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.81~82」岩波文庫)
さらに新自由主義は「債務者」の内面に植え付けられた「良心のやましさ」を、言語を絶する怨念に置き換え、今度は「債権者」の側へ向けて「水虫」のように根深く食い込ませていく。というのも、新自由主義イデオロギーはたとえパンデミックが起こらなかったとしてもなお、返しても返しても終わりの見えないローン返済義務や債務者待遇から人々を解放するといった事態が発生する余地を残さないからである。むしろ負のエネルギーはますます強度を増して逆に「債権者」の側へと集中する。
「今や究極的な償却の見込みは、悲しいかなひとたまりもなく全く閉ざされ《なくてはならない》。今や眼は悄然と鉄の如き不可能性の前に跳ね返り、弾き返ら《なくてはならない》。今やあの『負い目』や『義務』の概念は後向きになら《なくてはならない》ーーーが一体、誰の方へ向かうのであるか。疑いもなく、まず『債務者』の方へである。今や債務者のうちに良心の疚(やま)しさが根を張り、食い込み、蔓(はびこ)って、水虫のように広く深く成長する。その結果、ついに負債を償却できなくなるとともに罪の贖(あがな)いもできなくなり、ここに贖罪の不可能(「《永劫の》罰」)という思想が抱かれることになる、ーーーがしかし最後には、あの概念は『債権者』の方へまで向かう」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.108」岩波文庫)
すると次に負債の返済のために風俗で働かなくてはならなくなるのはこれまで自称「リアリスト」を名乗っていたプロの評論家の家族(主に妻や娘)だ。それこそリアリズムである。それがリアリズムである。しかしまだ続きがある。自称「リアリスト」は本当の〔真の〕リアリズムがあると信じて疑っていない。それは或る種の信仰に過ぎないのではないだろうか。世にいう自称「リアリスト」は自分の考える「リアル」な世界を信じて疑っていないという点ではただ単なる「真理に対する信者」の一人でしかないのではないだろうか。
「なるほど彼らはどの点においても格別に拘束されてはいない。だが、真理に対する信仰という一点においては、彼らほど強く絶対的に拘束されている者は他に誰もいない」(ニーチェ「道徳の系譜・第三論文・P.193」岩波文庫)
とすれば、一般的なマスコミがよく口にするように「悪者は大物投資家」なのだろうか。それこそ勘違いも甚だしい。大物投資家悪者説はただ単なる「囮」(おとり)に過ぎない。どんなに責められても倫理的な責任を問われても痛くもなければ痒くもない。投資に見合う利子はしっかり手元に回帰してくるからである。だから利子が発生するのは大物投資家の手の中ではまったくない。ではいったい、どこでそれは発生する余地を持っているのか。生産資本の内部で、である。剰余価値発生の余地は常に既にそこに創設されている。ただ単なる始まりにしか見えないところで種も仕掛けもある生産過程が丸裸で横たわっている。しかも見慣れてしまっているため、それが複数の要因を持つとは考えられもしないほど頭が鈍感になってしまっている。次のように。
「私たちは、後を追って継起する規則的なものに馴れきってしまったので、《そこにある不思議なものを不思議がらないのである》」(ニーチェ「権力への意志・下巻・六二〇・P.153」ちくま学芸文庫)
「言語はもろもろの大きな先入見を含んでおり、また維持している、たとえば、《一つの》語でもって表わされるものは当然また《一つの》出来事であるという先入見がそうである。意欲、欲求、衝動ーーーこれらは複雑なものなのだ!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三三・P.28」ちくま学芸文庫)
長い長い不況について、日本政府が何もかもパンデミックの責任にしたがるのはなるほど「自由」だ。情けない言葉でいうと「人情」といってもいいかもしれない。政治家や経済評論家らが足場にしているのは「人情」という、とっくの昔に駆逐された昭和の価値観なのである。体を売る(売春する)ことで地元に金が落ちるマーケットを形成していた売春産業は、売っても売っても返済できなくなるローン地獄・リボ払い地獄の中でとうとう売るものがなくなりパトロンを失う。今度は住んでいる土地建物を売るほかなくなる。するとそれまでは売買春によって遊んでいることができたパトロン自身が債務者を失い、逆にパトロン自身の債務履行義務へと転化するのだ。新自由主義は人間と機械との見極めなど知らない。しかし自己目的としての利子増殖は達成させなくてはならない。従って失われた債務者をこれまでの債権者の側へと置き換えて、今度はただ単なる資本の人格化としての資本家へと襲いかかる。
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