熊楠は「帝釈天」について少しばかり触れている。よく知られたものだが、説話としては一つに見えるものの、その主題は二つある。
「帝釈天が瞿曇仙人の苦行に乗じその妻を盗みしを怒り、仙人が呪すると帝釈たちまち女体に変じ、全身に千個の牝戸を生じ、始終それぞれの牝戸をやり通しに男子にやりつづけられ大いに苦しみ、とある」(南方熊楠「粘菌の神秘」『森の思想・P.162』河出文庫)
帝釈天はそもそもインドで発生した神だが中国で仏教に取り入れられ、釈迦の弟子として名を連ねることになった。ところで熊楠が注目しているのは帝釈天の「変身性」だ。というのは、この論考は「粘菌」が次々とその形態を変えていく変態過程をテーマとしたものだからである。「瞿曇(くどん)仙人」は釈迦のこと。瞿曇が屋外での難行苦行に出かけている時を見計らい、帝釈天は瞿曇に変身し瞿曇の妻を犯した。現場を見た瞿曇は怒り、帝釈天を「石に化し千の子宮を付けて水に沈めた」。千個の女性器で埋め尽くして水中へ沈めたという。要するに帝釈天は普段は男性だが時として女性に変身することができると。
この処分を憐れんだ諸神は千個の女性器で埋め尽くされた帝釈天の身体を今度は逆に「千の眼に取り替えてやった」。「〔認識する〕千の眼=千個の男性器」と置き換えてやったというのである。
「インドでも子欲しき女はハヌマン猴神の祠に往き燈明を供える。古伝にアハリアは梵天創世初期に造った女で瞿曇(くどん)仙人の妻たり。帝釈かかる美婦を仙人などに添わせ置くは気が利かぬと謀叛を起し、月神チャンドラを従え雄鶏に化けて瞿曇の不在を覘(うかが)い、月神を門外に立たせ、自ら瞿曇に化け、入りてその妻と通じた処へ瞿曇帰り来れど月神これを知らず、瞿曇現場へ踏み込み、呵(か)して帝釈を石に化し千の子宮を付けて水に沈めた。後(のち)諸神これを憐み千の眼に取り替えてやった。一説には瞿曇詛(のろ)うて帝釈を去勢したるを諸神憐んで羊の睾丸で補充したという(グベルナチス『動物譚原』一巻四一四頁、二巻二八〇頁)」(南方熊楠「十二支考・下・猴に関する伝説・P.78」岩波文庫)
インド発祥の帝釈天は「猴神」(さるがみ)である。とともに帝釈天の自由自在な変態性というテーマが明確化してくる。或る時は男性神、また或る時は女性神。帝釈天は男性と女性との《あいだ》を難なく往来する。また、釈迦が与えた罰として「去勢」=「男性器切除」があり、しかしその後すぐ、去勢された帝釈天の男性器は諸神の憐れみによって「羊の睾丸で補充した」とされる。男性器と女性器とは置き換え可能であるということは仏教が成立する以前からインドでは知られていた。とはいっても、当時は外科手術など不可能である。手術ではなく、そもそもの始めから両性具有者が少なくなかった、という事実が先にあり、後になって逆に仏教説話化されたという点が大事だろうと思われる。「羊の睾丸」とあるけれども、インド周辺の諸宗教では、牛であったり象であったりする。今の京都市「東寺」にある帝釈天像は象にまたがっており密教系の色彩が濃い。ちなみに熊楠は「十二支考」の中で牛だけを独立させて取り上げてはいない。なぜなら、牛は羊でもあるからだ。とりわけ古代ギリシアでディオニュソス神が牛になったり羊になったりすることと共通する。
そうして帝釈天は干支(えと)に引き継がれたわけだが、「ハヌマン猴神」とあるように日本では「猴(さる)」に相当する。猿を神とする信仰は古く、全国的に分布する山王社が上げられる。次の文章では猿をトーテムとした氏族は案外多かったと述べている。
「かつて熊野川を船で下った時しばしば猴を見たが船人はこれを野猿(やえん)また得手吉(えてきち)と称え決して本名を呼ばなんだ。しかるに『続紀』に見えた柿本朝臣佐留(さる)、歌集の猿丸太夫、降(くだ)って上杉謙信の幼名猿松、前田利常(としつね)の幼名お猿などあるは上世これを族霊(トーテム)とする家族が多かった遺風であろう」(南方熊楠「十二支考・下・猴に関する伝説・P.28」岩波文庫)
柿本朝臣佐留(さる)の名は確かに「続日本紀」に見える。
「四月二十日 従四位柿本(かきのもと)朝臣佐留(さる)が卒した」(「続日本紀・巻第四・元明天皇和銅元年(七〇八)年・P.103」講談社学術文庫)
千の女性器と千の男性器を兼ね備えた無類の神として、その信仰は今なお熊野だけでなく京都・北野天満宮にも相続された。
「和歌山市附近有本という処に山王の小祠あり、格子越しに覗(のぞ)けば瓦製の大小の猴像で満たされて居る。臨月の産婦その一を借りて蓐頭(じょくとう)に祭り、安産の後瓦町という処で売る同様の猴像を添え、二疋にして返納する事、京都北野の子貰い人形のごとし」(南方熊楠「十二支考・下・猴に関する伝説・P.77」岩波文庫)
なお、ここでいう「千」という数字は「数えきれないほど無数の」という意味で用いられている。粘菌がどんどん変態過程を遂げていくことと人間が持つ性的多様性という二つのテーマは、熊楠の博学な知識の中では何ら矛盾せずむしろ当たり前に属するありふれた現実だった。
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「帝釈天が瞿曇仙人の苦行に乗じその妻を盗みしを怒り、仙人が呪すると帝釈たちまち女体に変じ、全身に千個の牝戸を生じ、始終それぞれの牝戸をやり通しに男子にやりつづけられ大いに苦しみ、とある」(南方熊楠「粘菌の神秘」『森の思想・P.162』河出文庫)
帝釈天はそもそもインドで発生した神だが中国で仏教に取り入れられ、釈迦の弟子として名を連ねることになった。ところで熊楠が注目しているのは帝釈天の「変身性」だ。というのは、この論考は「粘菌」が次々とその形態を変えていく変態過程をテーマとしたものだからである。「瞿曇(くどん)仙人」は釈迦のこと。瞿曇が屋外での難行苦行に出かけている時を見計らい、帝釈天は瞿曇に変身し瞿曇の妻を犯した。現場を見た瞿曇は怒り、帝釈天を「石に化し千の子宮を付けて水に沈めた」。千個の女性器で埋め尽くして水中へ沈めたという。要するに帝釈天は普段は男性だが時として女性に変身することができると。
この処分を憐れんだ諸神は千個の女性器で埋め尽くされた帝釈天の身体を今度は逆に「千の眼に取り替えてやった」。「〔認識する〕千の眼=千個の男性器」と置き換えてやったというのである。
「インドでも子欲しき女はハヌマン猴神の祠に往き燈明を供える。古伝にアハリアは梵天創世初期に造った女で瞿曇(くどん)仙人の妻たり。帝釈かかる美婦を仙人などに添わせ置くは気が利かぬと謀叛を起し、月神チャンドラを従え雄鶏に化けて瞿曇の不在を覘(うかが)い、月神を門外に立たせ、自ら瞿曇に化け、入りてその妻と通じた処へ瞿曇帰り来れど月神これを知らず、瞿曇現場へ踏み込み、呵(か)して帝釈を石に化し千の子宮を付けて水に沈めた。後(のち)諸神これを憐み千の眼に取り替えてやった。一説には瞿曇詛(のろ)うて帝釈を去勢したるを諸神憐んで羊の睾丸で補充したという(グベルナチス『動物譚原』一巻四一四頁、二巻二八〇頁)」(南方熊楠「十二支考・下・猴に関する伝説・P.78」岩波文庫)
インド発祥の帝釈天は「猴神」(さるがみ)である。とともに帝釈天の自由自在な変態性というテーマが明確化してくる。或る時は男性神、また或る時は女性神。帝釈天は男性と女性との《あいだ》を難なく往来する。また、釈迦が与えた罰として「去勢」=「男性器切除」があり、しかしその後すぐ、去勢された帝釈天の男性器は諸神の憐れみによって「羊の睾丸で補充した」とされる。男性器と女性器とは置き換え可能であるということは仏教が成立する以前からインドでは知られていた。とはいっても、当時は外科手術など不可能である。手術ではなく、そもそもの始めから両性具有者が少なくなかった、という事実が先にあり、後になって逆に仏教説話化されたという点が大事だろうと思われる。「羊の睾丸」とあるけれども、インド周辺の諸宗教では、牛であったり象であったりする。今の京都市「東寺」にある帝釈天像は象にまたがっており密教系の色彩が濃い。ちなみに熊楠は「十二支考」の中で牛だけを独立させて取り上げてはいない。なぜなら、牛は羊でもあるからだ。とりわけ古代ギリシアでディオニュソス神が牛になったり羊になったりすることと共通する。
そうして帝釈天は干支(えと)に引き継がれたわけだが、「ハヌマン猴神」とあるように日本では「猴(さる)」に相当する。猿を神とする信仰は古く、全国的に分布する山王社が上げられる。次の文章では猿をトーテムとした氏族は案外多かったと述べている。
「かつて熊野川を船で下った時しばしば猴を見たが船人はこれを野猿(やえん)また得手吉(えてきち)と称え決して本名を呼ばなんだ。しかるに『続紀』に見えた柿本朝臣佐留(さる)、歌集の猿丸太夫、降(くだ)って上杉謙信の幼名猿松、前田利常(としつね)の幼名お猿などあるは上世これを族霊(トーテム)とする家族が多かった遺風であろう」(南方熊楠「十二支考・下・猴に関する伝説・P.28」岩波文庫)
柿本朝臣佐留(さる)の名は確かに「続日本紀」に見える。
「四月二十日 従四位柿本(かきのもと)朝臣佐留(さる)が卒した」(「続日本紀・巻第四・元明天皇和銅元年(七〇八)年・P.103」講談社学術文庫)
千の女性器と千の男性器を兼ね備えた無類の神として、その信仰は今なお熊野だけでなく京都・北野天満宮にも相続された。
「和歌山市附近有本という処に山王の小祠あり、格子越しに覗(のぞ)けば瓦製の大小の猴像で満たされて居る。臨月の産婦その一を借りて蓐頭(じょくとう)に祭り、安産の後瓦町という処で売る同様の猴像を添え、二疋にして返納する事、京都北野の子貰い人形のごとし」(南方熊楠「十二支考・下・猴に関する伝説・P.77」岩波文庫)
なお、ここでいう「千」という数字は「数えきれないほど無数の」という意味で用いられている。粘菌がどんどん変態過程を遂げていくことと人間が持つ性的多様性という二つのテーマは、熊楠の博学な知識の中では何ら矛盾せずむしろ当たり前に属するありふれた現実だった。
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