白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/鶏の名付けに見る「力への意志」

2020年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
十九世紀初頭、イギリスで或る噂が一都市を震撼させる出来事が起こった。

「一八〇九年三月三十日、大地震(ふる)うてビークン丘とビーチェン崖と打ち合い、英国バス市丸潰れとなる由を、天使が一老婆に告げた」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.177」岩波文庫)

単なる占いに過ぎない。しかしイギリス南部にあるバース市の住民や外国の観光客たちは先を争って市内から逃げ出した。ところが予言された期日を過ぎても何一つ変わったことは起こらない。そこでバース市民や外国人たちは自分たちが根も葉もない占いを信じて慌てて右往左往したことを恥じたとある。しかしなぜそのような事態が発生したか。闘鶏は賭博であって当局に知られるとまずい。だから参加者の名前を告げる際、その名前ではなく住所で告げ知らせた。一方は「ビークン山」、もう一方は「ビーチェン崖」。何も知らない人々がただ単にその部分だけを耳にすると、両者は一八〇九年三月三十日に激突してバース市全体が壊滅するというふうに聞こえる。そして人々は「天使」〔童子・童女〕と「老婆」との神話的関係が間に挟み込まれているものだから当然のように信じ込んだ結果そういう事態が生じた。

「ビークン丘とビーチェン崖の近所に住める二人の有名な養鶏家あって、酒店で出会い、手飼いの鶏の強き自慢を争うた後、当日がグード・フライデイの佳節に当れるを幸い、その鶏を闘わす事に定めたが、公に知られてはチェイと来いと拘引は知れたこと故、鶏を主人の住所で呼び、当日正真の十二時に、ビークン山とビーチェン崖が打ち合うべしと定め、闘鶏家連に通知すると、いずれもその旨を心得、鶏という事を少しも洩らさず件(くだん)の山と崖とが打ち合うとのみ触れ廻したのを、局外の徒が洩れ聞いて、尾に羽を添えて、真に山と崖が打ち合い、市は丸潰れとなるべき予言と変わったのだ」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.177」岩波文庫)

熊楠が注目するのはその「呼び名」である。西鶴は次の文章の中に三人の有名な歌舞伎役者の名を引いている。いずれも実在した人物。

「昔日(そのかみ)松本名左衛門、中頃に宮崎伝吉、今の峰の小瀑(こざらし)、いづれも美少人、その時にいたりて、花はさかりの客に悩(なづ)ませ、野郎の仕出しに姿をうけて呑(の)みつる事、今も身に添ひてわすれがたし。中にもこの人、役者どもの手本、よき衣装を着つけはじめける」(日本古典文学全集「男色大鑑・巻八・二・別れにつらき沙室の鶏」『井原西鶴集2・P.576』小学館)

松本名左衛門(まつもとなざえもん)は先発として引かれている。というのは寛永六年(一六二九年)から承応一年(一六五二年)まで行われていた若衆歌舞伎時代から既に若衆方として活躍し美少年の名をほしいままにしていただけでなく、若衆歌舞伎が禁止された翌年の承応二年(一六五三年)から始まる野郎歌舞伎時代に入るや若女方として再出発、大阪随一の名優として寛文・延宝時代には確固不動の地位を確立したことによる。若衆歌舞伎は美童〔美少年〕たちがまだ前髪を付けたまま演じていた歌舞伎であって、盛り上がる一方の男色関係と武士同士による若衆を巡る刃傷沙汰、経済活動に支障をきたすほどの演劇人気を問題視した幕府によって禁止に追い込まれた。だからといって、単純に若衆歌舞伎時代と野郎歌舞伎時代とを区別することはできない。とりわけ後の研究によってこの区別の存在自体が否定されるようになった。が、それは近代明治国家による欧米文化の輸入とともに同性愛が否定されて以降、芝居の世界でもまた同性愛愛好趣味などなかったことにしたいという国策的方向性が示されて以降の動きである。男性同性愛はなかった。女性同性愛もなかった。今で言うLGBTはまるでなかったと。そんなことを一体どこの誰が信じるだろうか。今やLGBTはどこの国にもあるしかつてずっとあったと認められている。そもそも古代ギリシア文献中、プラトン「饗宴」で既に自明として論じられているではないか。男性同性愛者をかつて「影間(かげま)」とか「影間野郎」(かげまやろう)とか呼んだのは彼らが「陰の間」に控えて年上の念者をじっと待っているその態度から相続された伝統だ。それを明治・大正・昭和という近代国家は破棄しようとしてとんだ勘違いを連発した。ところが昨今急速に、なおかつ世界的に広がったLGBTらの社会進出によって近年の研究結果は再びくつがえされないわけにはいかなくなっているのである。慌てて修正ばかり繰り返す態度は幾ら専門家といえども見苦しいだろう。日本の前首相による偽証の連発を思い起こさせて余りある。

宮崎伝吉(みやざきでんきち)も実在した歌舞伎役者。宮崎は演じるだけでなく歌舞伎作者としても活躍し俳人としても名を残している。江戸に上ってから市川團十郎や中村七三郎らと名を連ねるほどの名優として江戸歌舞伎界に君臨したがそもそもは大阪で若衆方として登場したのが出発。

峰の小瀑(こざらし)。延宝八年(一六八〇年)刊「役者八景」に若衆方として掲載されている。天和三年(一六八三年)頃刊行のパンフレットに若衆方として一世を風靡したとの記述がある。しかし貞享四年(一六八七年)刊行「野郎立役舞台大鏡」には既にその名は見えず、活躍した時期と全盛期とが重なっていることから歌舞伎役者としての生命は約五年ばかりだったと考えられる。峰野小瀑(みねのこざらし)と書くのが正しいと思われるが、延宝八年(一六八〇年)「西鶴大矢数」に見える峰野帆舟の名が峰野小瀑(みねのこざらし)のこととされる。また、芝居の町として有名になった大阪道頓堀だがもともとは道頓堀開削者の一人・安井九兵衛(やすいくへい)〔道卜(どうぼく)〕が寛永三年(一六二六年)に南船場に三箇所ほどあった芝居小屋を道頓堀へ集中移設させたのが始まり。以後、慶安五年(一六五二年)になって始めて道頓堀に中座、角座、浪花座がようやく開設された。安井九兵衛(やすいくへい)〔道卜(どうぼく)〕の道頓堀開削事業に対して敬意を表する意味でそれぞれの芝居小屋は特別に「安井桟敷」という特等席を設けVIP待遇で対応した。豊臣家滅亡後、大阪道頓堀の賑わいは明治・大正・昭和と続いたが、そもそもの始めから土木利権として出発したことを忘れてはいけない。

さて熊楠が注目するのは、今言ったようにその「呼び名」である。役者として頭角を現わし金銭的にも富裕となった峰の小瀑(こざらし)は様々な遊びに手を出すがとうとう飽きてしまう。そこで次に闘鶏を思いつき闘鶏の会を主催することにした。西鶴は物尽くしの手法でその名を並べ立てていく。

「ある時小瀑(こざらし)、紗室の鶏をあつめて会をはじめける。八尺四方にかたやを定め、これにも行司(ぎいやうじ)ありてこの勝負をただしけるに、よき見物ものなり。左右にならびし大鶏(おほどり)の名を聞くに、鉄石丸(てつせきまる)・火花丸(ひばなまる)・川ばたいだてん・しやまのねぢ助・八重のしやつら・磯松大風(いそまつおほかぜ)・伏見のりこん・中の嶋無類(むるい)・前の鬼丸・後(のち)の鬼丸・天満(てんま)の力蔵(りきざう)・けふの命しらず・今宮の早鐘(はやがね)・脇みずの山桜・夢の黒船・髭(ひげ)のはんくわい・神鳴の孫介・さざ波の金碇(かねいかり)・くれなゐの竜田(たつた)・今不二(いまふじ)の山・京の地車(ぢぐるま)・平野(ひらの)の岸くづし・寺島のしだり柳・綿屋の喧𠵅母衣(けんくわぼろ)・座摩(ざま)の前の首白(くびしろ)・尾なし公平(きんぴら)、この外名鳥かぎりなく、その座にしてつよきを求めて、あたら小判を何程か捨てける」(日本古典文学全集「男色大鑑・巻八・二・別れにつらき沙室の鶏」『井原西鶴集2・P.577~578』小学館)

熊楠は日本近代だけから始めたわけではまったくなく逆に日本の古典ばかり漁っていたわけでもまたない。むしろ米英留学期間が長い。なので当時は誰も考えつかなかった次のような比較が可能になる。

「その頃までも丸の字を鶏の名に付けたが、また丸の字なしに侠客や喧嘩がかった名をも附け、今不二の山と岸崩しが上出英国のビークン山とビーチェン崖に偶然似ているも面白い」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.178~179」岩波文庫)

日本で「丸」と言えば遥か昔から童子の名に多い。さらに「丸」は、宮廷で自分を呼ぶ時に用いられた「麿」(まろ)との関係が指摘されているが、今なお結論は見えていない。

また鶏に「侠客や喧嘩がかった名をも附け」たという事実。それこそまさしく動物に対しても力への意志・破格の破壊力としての「神の化身」を現わす表現として「過剰=逸脱」を目指したものにほかならない。「鉄石丸(てつせきまる)・火花丸(ひばなまる)、前の鬼丸・後(のち)の鬼丸、今不二(いまふじ)の山・平野(ひらの)の岸くづし」等々。「髭(ひげ)のはんくわい」はややわかりにくいかも知れない。「はんくわい」は樊噲(はんかい)のこと。鴻門の会で劉邦(りゅうほう)の危機を救って舞陽候の地位に任じられた漢の猛将。

明治近代国家の成立はそれ以前の実情がどうであったかという様々な事実をほぼ二、三十年のうちに覆い隠してしまったのだった。なお、鶏(にわとり)が干支(えと)の中でも一目置かれる理由は、金鶏(きんけい)伝説の名残りがその当時なお根強く実在していたことを物語る。「平家物語」でも「鶏合」(とりあわせ)は大変重要な箇所で出てくる。源平合戦の最終局面までもつれ込む重要な要素なのだ。

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