ティトレリのアトリエ。Kはその極端な狭さに驚く。
「Kはそのあいだに部屋を見まわした。こんなにみじめでちっぽけな部屋をアトリエと呼ぶなんて、彼一人では考えつかなかったろう。間口奥行きとも大股(おおまた)で二歩以上は歩けまい」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.199」新潮文庫 一九九二年)
狭そうに思える場所は極端に狭い。ティトリエのアトリエはその見本のようなものの一つだ。裁判所事務局の「廊下」はどうか。途方もなく「長く感じる」。実際のところどれくらいあるのか判然としない。このアパートのおんぼろぶりについては前に述べたがその階段は一段々々が異常に思えるほど高くそして狭い。「天井が高い分だけ階段も桁(けた)はずれに高く、しかも抜け部分がない上に、狭い階段は両側を壁に挟(はさ)まれていて、そのところどころごく上のほうに小さな窓がついているだけ」というもの。またフランツとヴィレムが笞刑を受けている「物置部屋」はどうか。「天井が低いのでかがみこんで、三人の男がい」るといった狭さ。さらに「声」。これまた極端に大声だったり小声だったりする。一見どうでもいいような場所やほんのちょっとした物音。そこで発生しておりKがそこを通過する際、それらのいずれもが極めて重要な意味を持ってくるわけだが、その重要性が判明するのはいつも事後的にでしかない。どれくらい重要かがわかるのはKにとって、もう「とりかえしがつかないを-持っている」という複合過去として明るみに出る。
ところでティトレリのアトリエに招き入れられたK。部屋のすぐ外ではまだ少女たちが興味津々で「隙間からでも部屋が覗(のぞ)けるのか、彼女たちは鍵穴のまわりにひしめいているようだった」。
「ドアのむこうで少女たちの声がした。ひょっとしたら隙間からでも部屋が覗(のぞ)けるのか、彼女たちは鍵穴のまわりにひしめいているようだった」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.204」新潮文庫 一九九二年)
ここで何度目かの「覗(のぞ)き」が問題になる。しかし覗きたがっているにしても少女たちは一体何を覗こうと望んでいるのか。アトリエ内のKとティトレリのやりとりにほんの僅かばかりだが不可解な箇所がある。それはこう描かれている。
「しかし彼を不快にしたのは実は暖さでなく、むしろそのほとんど息もつけないような澱(よど)んだ空気なのだった。部屋はおそらくもう長いあいだ換気されたことがないのだ。画家が自分は部屋に一つしかない画架の前の椅子に坐って、Kにはベッドに腰かけるよう頼んだことも、Kの不快感をさらに強めることになった。しかもKがベッドの端にしか坐らないのを画家は誤解したらしく、もっと楽にしてくれとすすめ、Kが躇(ためら)っているとご本人が出むいてきて、むりやり彼をベッドとふとんの奥深く坐らせてしまった」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.205」新潮文庫 一九九二年)
なぜそうするのか理由がまったくわからない。だが当時の同時代人ではなく現代人でもわかる理由が見えている。それはジュネ文学や西鶴「男色大鑑」を通してようやく腑に落としておくしか手段がないわけだが。同性愛と言えば言えるだろう。けれどももっと注意深く見ておくべきは同性愛であろうとなかろうと二人の人間が密室で何を行っているのかということ<だけ>が問題にされているわけではまるで<ない>点だろう。むしろ二人の対話を通して何が囁かれているか、二人の身体がどれくらい近かったり遠かったりしているか、<強度>はどれくらい増大したり減少したりしているか、という<緊密性>こそ問題なのだ。そのわけはKを仰天させる発言がティトレリの口から漏らされるやKの眼前にたちどころに打ち立てられる。アトリエ内をしきりに覗いているらしい<少女たち>もまた「裁判所の一部」だと。
「『あの少女たちも裁判所の一部なんですよ』。『なんですって?』、とKはきき返し、頭を横に引いて画家をまじまじと見つめた。画家はしかしふたたび椅子に坐ると、なかば冗談、なかば説明というように言った。『なにしろすべてのものが裁判所の一部ですからね』」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.209」新潮文庫 一九九二年)
極端に歪んだ構造を強調するかのように描かれるアパートは、その反対方向にある建物の裁判所事務局がそうであったように「澱(よど)んだ空気」が充満している。それは貧民街にあるからというわけではなく、裁判所関連施設に共通の「澱み」なのだ。だから「ほとんど息もつけないような澱(よど)んだ空気」とある理由はティトレリの住んでいるアパート全体が裁判所の一部分だからにほかならない。では<少女たち>はなぜアトリエの鍵穴に群がって内部を覗き込もうとしていたのか。<少女たち>もまたまるでそうとは見えないにもかかわらず「監視人」を兼ねているというしかない。そう気づいたKは瞬時に考えるだろう。サルトルから三箇所。
(1)「他者のまなざしは、他者の眼をおおいかくしている。他者のまなざしは、あたかも他者の《眼の前方を》行くように思われる。この錯覚はどこから来るかというに、私の知覚対象としての相手の眼は、私からその眼にまでくりひろげられている一定の距離のところにとどまっているーーー要するに、私の方では、距離なしに相手の眼に現前しているのであるが、相手の眼は、私の《居る》場所から隔たっているーーーのに反して、相手のまなざしは、距離なしに私のうえにあると同時に、距離をおいて私を保っているからである」(サルトル「存在と無・上・第三部・第一章・4・P.456」人文書院 一九五六年)
(2)「私の背後で枝のざわめきが聞えるとき、私が直接的にとらえるのは、『《そこに誰かがいる》』ということではなくて、『私は傷つきやすい者である』ということ、『私は傷つけられるおそれのある一つの身体をもっている』ということ、『私は或る場所を占めている』ということ、『そこでは私は無防備であって、私は何としてもその場所から逃げだすことができない』ということ、要するに、『私は《見られている》』ということである。それゆえ、まなざしは、まず、私から私自身へ指し向ける一つの仲介者である。この仲介者はいかなる本性をもつものであろうか?『見られている』ということは、私にとって、何を意味するであろうか?」(サルトル「存在と無・上・第三部・第一章・4・P.456~457」人文書院 一九五六年)
(3)「われわれが対自をその孤独において考察したかぎりにおいて、われわれは、『非反省的な意識のうちに一つの《私》が住むことはありえない。《私》は、対象としては、反省的な意識にとってしか、与えられない』と、主張することができた。けれども、いまの場合には、『私』がやってきて非反省的な意識につきまとう。ところで、非反省的な意識は、世界《についての》意識である。それゆえ、『私』は、非反省的な意識にとっては、世界の諸対象の次元にしか存在しない。しかるに、『私』の現前化という、反省的な意識にのみ帰せられていたこの役割が、いまここでは、非反省的な意識に属する。ただし、反省的な意識は、『私』を、直接、対象とする。非反省的な意識は、《人格》を、直接、自分の対象として、とらえるのではない。つまり、人格は、《それが他者にとっての対象であるかぎりにおいて》、意識に現前的である。いいかえれば、私が私から逃れ出るかぎりにおいて、私は、一挙に、『私』を意識する。しかもそれは、私が私自身の無の根拠であるかぎりにおいてではなく、私が私のそとに私の根拠をもつかぎりにおいてである。私は、まったく他者への差し向けとしてしか、私にとって存在しない。しかしながら、この場合、『対象は、他者であって、私の意識に現前的な《自我》は、対象-他者の一つの副次的な構造もしくは一つの意味である』などと解してはならない。他者は、この場合、対象ではないし、対象ではありえないであろう。われわれがさきに示したように、他者が対象になるならば、それと同時に、『私』は、『他者にとっての対象』であることをやめて、消失してしまう。それゆえ、私は、他者を対象としてめざすのでもなく、私の《自我》を私自身にとっての対象としてめざすのでもない。私は、現在、私の手のとどかないところにある一つの対象へ向かってと同様、かかる《自我》へ向かって、一つの空虚な志向を向けることもできない。事実、かかる自我は、《それが私にとって存在するのでなく》して、原理的に《他人》にとって存在する《かぎりにおいて》、とらえるからである。それゆえ、私は、かかる自我がいつか私に与えられうるであろうかぎりにおいてそれをめざすのではなく、むしろ反対に、かかる自我が、原理的に私から逃げ去り、決して私に属しないであろうかぎりにおいて、それをめざすのである。しかしそれにしても、私はかかる自我《である》。私はかかる自我を一つの無縁な像としてしりぞけはしない。むしろ、かかる自我は、私がそれ《であり》ながらそれを《認識》しない一つの『私』として現前的である。なぜなら、私がかかる自我を発見するのは、羞恥において(他の場合には、傲慢において)であるからである。他者のまなざしを私に顕示し、このまなざしの末端において私自身を顕示するのは、羞恥もしくは自負である。また、私をして、『まなざしを向けられている者』の状況を、《認識》させるのでなく、《生き》させるのは、羞恥もしくは自負である。ところで、羞恥は、この章のはじめに指摘したように、《自己》についての羞恥である。羞恥は、『私に、まさに、他者がまなざしを向けて判断しているこの対象《である》』ということの《承認》である。私は、私の自由が私から逃れ出て、《与えられた》対象になるかぎりでの、この私の自由についてしか、羞恥をもつことができない。それゆえ、もともと、私の『まなざしを向けられている《自我》』と私の非反省的な意識とのきずなは、認識のきずなではなくして、存在のきずなである。私は、私がもちうるあらゆる認識のかなたにおいて、或る他人が認識しているところの『この私』である。しかも、私は、他者が私から奪って他有化した一つの世界のうちにおいて、私がそれであるところの『この私』である。なぜなら、他者のまなざしは、私の存在ばかりでなく、これと相関的に、壁、扉、鍵孔などをも、抱擁するからである。私はそれらの道具-事物のただなかに存在しているのであるが、それらすべての道具-事物は、原理的に私から逃れ出る一つの顔を、他人の方へ向ける。それゆえ、私は、他人の方へ向かって流出する一つの世界のただなかにおいて、他人にとって、私の《自我》である。けれども、さきに、われわれは、対象-他者へ向かっての《私の》世界の流出を、『内出血』と呼ぶことができた。というのも、事実、私のこの世界が他者の方へ向かって出血するときにも、私の方ではこの他者を私の世界の対象として凝固させるという事実そのものによって、その出血はくいとめられ、局所化されていたからである。かくして、一滴の血も失なわれずに、すべては、私の入りこむことのできない一つの存在のうちにおいてではあるにせよ、回復され、隈(くま)どられ、局所化されていた。ところが、ここでは、反対に、この逃亡ははてしがない。この逃亡は外部に自己を失なう。世界は世界のそとに流出し、私は私のそとに流出する。他者のまなざしは、この世界における私の存在のかなたに、《この世界》でありながら同時にこの世界のかなたにあるような一つの世界のただなかに、私を存在させる」(サルトル「存在と無・上・第三部・第一章・4・P.459~461」人文書院 一九五六年)
意図的に二十一世紀的だと考えて読んできたわけではないにもかかわらず、実にこうまでして、かくも執拗に現代的なのだ。スマートフォンは今やほとんど社会的インフラと化しているけれども、もはや世界を丸ごと覆い隠してしまうほど暗雲高々と監視管理ネットワークは世界を制覇することに成功している。カフカは短編「万里の長城」で、あまりに遠いところにあるため皇帝の姿などまるで見えないにもかかわらず「北京」は帝都として畏怖され君臨するわけではなく、逆にあまりに遠いところにあるため見えないがゆえに、なおさら激しい憧れを抱かせると述べた。
「中国の民衆は君主制を北京のひなた水から引き上げて、生きいきと鼓動する自分の胸に抱きしめることができない。実のところ恋いこがれ、抱擁のうちに死んでもいいと思わないでもないというのに。すなわちこのような見方は美徳でもなんでもない。それだけ奇異にうつるだろうが、まさにこのような弱点が民衆を一つにする絶好の手段であるらしいのだ」(カフカ「万里の長城」『カフカ短編集・P.253』岩波文庫 一九八七年)
ごく当たり前のように眺めていては「弱点」としか映って見えない事情が、実は「民衆を一つにする絶好の手段」になり得る。ネット社会はリゾーム化を遂げてこんがらがってしまい、いったい何がなんだかわからなくなっている部分が無数にある。しかしそれは果たして「弱点」だろうか。なるほどそう言うことはできる。だからもっと強化しなければならないと主張する権利は誰にでもある。しかしそうすればするほどサルトルのいう<まなざし>はますます熱烈に<欲望する>。この<欲望>はニーチェのいう逆転倒のように今度は監視管理される側が自ら進んで監視管理されることを熱烈に<欲望する>までに至る。
BGM1
BGM2
BGM3
「Kはそのあいだに部屋を見まわした。こんなにみじめでちっぽけな部屋をアトリエと呼ぶなんて、彼一人では考えつかなかったろう。間口奥行きとも大股(おおまた)で二歩以上は歩けまい」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.199」新潮文庫 一九九二年)
狭そうに思える場所は極端に狭い。ティトリエのアトリエはその見本のようなものの一つだ。裁判所事務局の「廊下」はどうか。途方もなく「長く感じる」。実際のところどれくらいあるのか判然としない。このアパートのおんぼろぶりについては前に述べたがその階段は一段々々が異常に思えるほど高くそして狭い。「天井が高い分だけ階段も桁(けた)はずれに高く、しかも抜け部分がない上に、狭い階段は両側を壁に挟(はさ)まれていて、そのところどころごく上のほうに小さな窓がついているだけ」というもの。またフランツとヴィレムが笞刑を受けている「物置部屋」はどうか。「天井が低いのでかがみこんで、三人の男がい」るといった狭さ。さらに「声」。これまた極端に大声だったり小声だったりする。一見どうでもいいような場所やほんのちょっとした物音。そこで発生しておりKがそこを通過する際、それらのいずれもが極めて重要な意味を持ってくるわけだが、その重要性が判明するのはいつも事後的にでしかない。どれくらい重要かがわかるのはKにとって、もう「とりかえしがつかないを-持っている」という複合過去として明るみに出る。
ところでティトレリのアトリエに招き入れられたK。部屋のすぐ外ではまだ少女たちが興味津々で「隙間からでも部屋が覗(のぞ)けるのか、彼女たちは鍵穴のまわりにひしめいているようだった」。
「ドアのむこうで少女たちの声がした。ひょっとしたら隙間からでも部屋が覗(のぞ)けるのか、彼女たちは鍵穴のまわりにひしめいているようだった」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.204」新潮文庫 一九九二年)
ここで何度目かの「覗(のぞ)き」が問題になる。しかし覗きたがっているにしても少女たちは一体何を覗こうと望んでいるのか。アトリエ内のKとティトレリのやりとりにほんの僅かばかりだが不可解な箇所がある。それはこう描かれている。
「しかし彼を不快にしたのは実は暖さでなく、むしろそのほとんど息もつけないような澱(よど)んだ空気なのだった。部屋はおそらくもう長いあいだ換気されたことがないのだ。画家が自分は部屋に一つしかない画架の前の椅子に坐って、Kにはベッドに腰かけるよう頼んだことも、Kの不快感をさらに強めることになった。しかもKがベッドの端にしか坐らないのを画家は誤解したらしく、もっと楽にしてくれとすすめ、Kが躇(ためら)っているとご本人が出むいてきて、むりやり彼をベッドとふとんの奥深く坐らせてしまった」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.205」新潮文庫 一九九二年)
なぜそうするのか理由がまったくわからない。だが当時の同時代人ではなく現代人でもわかる理由が見えている。それはジュネ文学や西鶴「男色大鑑」を通してようやく腑に落としておくしか手段がないわけだが。同性愛と言えば言えるだろう。けれどももっと注意深く見ておくべきは同性愛であろうとなかろうと二人の人間が密室で何を行っているのかということ<だけ>が問題にされているわけではまるで<ない>点だろう。むしろ二人の対話を通して何が囁かれているか、二人の身体がどれくらい近かったり遠かったりしているか、<強度>はどれくらい増大したり減少したりしているか、という<緊密性>こそ問題なのだ。そのわけはKを仰天させる発言がティトレリの口から漏らされるやKの眼前にたちどころに打ち立てられる。アトリエ内をしきりに覗いているらしい<少女たち>もまた「裁判所の一部」だと。
「『あの少女たちも裁判所の一部なんですよ』。『なんですって?』、とKはきき返し、頭を横に引いて画家をまじまじと見つめた。画家はしかしふたたび椅子に坐ると、なかば冗談、なかば説明というように言った。『なにしろすべてのものが裁判所の一部ですからね』」(カフカ「審判・弁護士・工場主・画家・P.209」新潮文庫 一九九二年)
極端に歪んだ構造を強調するかのように描かれるアパートは、その反対方向にある建物の裁判所事務局がそうであったように「澱(よど)んだ空気」が充満している。それは貧民街にあるからというわけではなく、裁判所関連施設に共通の「澱み」なのだ。だから「ほとんど息もつけないような澱(よど)んだ空気」とある理由はティトレリの住んでいるアパート全体が裁判所の一部分だからにほかならない。では<少女たち>はなぜアトリエの鍵穴に群がって内部を覗き込もうとしていたのか。<少女たち>もまたまるでそうとは見えないにもかかわらず「監視人」を兼ねているというしかない。そう気づいたKは瞬時に考えるだろう。サルトルから三箇所。
(1)「他者のまなざしは、他者の眼をおおいかくしている。他者のまなざしは、あたかも他者の《眼の前方を》行くように思われる。この錯覚はどこから来るかというに、私の知覚対象としての相手の眼は、私からその眼にまでくりひろげられている一定の距離のところにとどまっているーーー要するに、私の方では、距離なしに相手の眼に現前しているのであるが、相手の眼は、私の《居る》場所から隔たっているーーーのに反して、相手のまなざしは、距離なしに私のうえにあると同時に、距離をおいて私を保っているからである」(サルトル「存在と無・上・第三部・第一章・4・P.456」人文書院 一九五六年)
(2)「私の背後で枝のざわめきが聞えるとき、私が直接的にとらえるのは、『《そこに誰かがいる》』ということではなくて、『私は傷つきやすい者である』ということ、『私は傷つけられるおそれのある一つの身体をもっている』ということ、『私は或る場所を占めている』ということ、『そこでは私は無防備であって、私は何としてもその場所から逃げだすことができない』ということ、要するに、『私は《見られている》』ということである。それゆえ、まなざしは、まず、私から私自身へ指し向ける一つの仲介者である。この仲介者はいかなる本性をもつものであろうか?『見られている』ということは、私にとって、何を意味するであろうか?」(サルトル「存在と無・上・第三部・第一章・4・P.456~457」人文書院 一九五六年)
(3)「われわれが対自をその孤独において考察したかぎりにおいて、われわれは、『非反省的な意識のうちに一つの《私》が住むことはありえない。《私》は、対象としては、反省的な意識にとってしか、与えられない』と、主張することができた。けれども、いまの場合には、『私』がやってきて非反省的な意識につきまとう。ところで、非反省的な意識は、世界《についての》意識である。それゆえ、『私』は、非反省的な意識にとっては、世界の諸対象の次元にしか存在しない。しかるに、『私』の現前化という、反省的な意識にのみ帰せられていたこの役割が、いまここでは、非反省的な意識に属する。ただし、反省的な意識は、『私』を、直接、対象とする。非反省的な意識は、《人格》を、直接、自分の対象として、とらえるのではない。つまり、人格は、《それが他者にとっての対象であるかぎりにおいて》、意識に現前的である。いいかえれば、私が私から逃れ出るかぎりにおいて、私は、一挙に、『私』を意識する。しかもそれは、私が私自身の無の根拠であるかぎりにおいてではなく、私が私のそとに私の根拠をもつかぎりにおいてである。私は、まったく他者への差し向けとしてしか、私にとって存在しない。しかしながら、この場合、『対象は、他者であって、私の意識に現前的な《自我》は、対象-他者の一つの副次的な構造もしくは一つの意味である』などと解してはならない。他者は、この場合、対象ではないし、対象ではありえないであろう。われわれがさきに示したように、他者が対象になるならば、それと同時に、『私』は、『他者にとっての対象』であることをやめて、消失してしまう。それゆえ、私は、他者を対象としてめざすのでもなく、私の《自我》を私自身にとっての対象としてめざすのでもない。私は、現在、私の手のとどかないところにある一つの対象へ向かってと同様、かかる《自我》へ向かって、一つの空虚な志向を向けることもできない。事実、かかる自我は、《それが私にとって存在するのでなく》して、原理的に《他人》にとって存在する《かぎりにおいて》、とらえるからである。それゆえ、私は、かかる自我がいつか私に与えられうるであろうかぎりにおいてそれをめざすのではなく、むしろ反対に、かかる自我が、原理的に私から逃げ去り、決して私に属しないであろうかぎりにおいて、それをめざすのである。しかしそれにしても、私はかかる自我《である》。私はかかる自我を一つの無縁な像としてしりぞけはしない。むしろ、かかる自我は、私がそれ《であり》ながらそれを《認識》しない一つの『私』として現前的である。なぜなら、私がかかる自我を発見するのは、羞恥において(他の場合には、傲慢において)であるからである。他者のまなざしを私に顕示し、このまなざしの末端において私自身を顕示するのは、羞恥もしくは自負である。また、私をして、『まなざしを向けられている者』の状況を、《認識》させるのでなく、《生き》させるのは、羞恥もしくは自負である。ところで、羞恥は、この章のはじめに指摘したように、《自己》についての羞恥である。羞恥は、『私に、まさに、他者がまなざしを向けて判断しているこの対象《である》』ということの《承認》である。私は、私の自由が私から逃れ出て、《与えられた》対象になるかぎりでの、この私の自由についてしか、羞恥をもつことができない。それゆえ、もともと、私の『まなざしを向けられている《自我》』と私の非反省的な意識とのきずなは、認識のきずなではなくして、存在のきずなである。私は、私がもちうるあらゆる認識のかなたにおいて、或る他人が認識しているところの『この私』である。しかも、私は、他者が私から奪って他有化した一つの世界のうちにおいて、私がそれであるところの『この私』である。なぜなら、他者のまなざしは、私の存在ばかりでなく、これと相関的に、壁、扉、鍵孔などをも、抱擁するからである。私はそれらの道具-事物のただなかに存在しているのであるが、それらすべての道具-事物は、原理的に私から逃れ出る一つの顔を、他人の方へ向ける。それゆえ、私は、他人の方へ向かって流出する一つの世界のただなかにおいて、他人にとって、私の《自我》である。けれども、さきに、われわれは、対象-他者へ向かっての《私の》世界の流出を、『内出血』と呼ぶことができた。というのも、事実、私のこの世界が他者の方へ向かって出血するときにも、私の方ではこの他者を私の世界の対象として凝固させるという事実そのものによって、その出血はくいとめられ、局所化されていたからである。かくして、一滴の血も失なわれずに、すべては、私の入りこむことのできない一つの存在のうちにおいてではあるにせよ、回復され、隈(くま)どられ、局所化されていた。ところが、ここでは、反対に、この逃亡ははてしがない。この逃亡は外部に自己を失なう。世界は世界のそとに流出し、私は私のそとに流出する。他者のまなざしは、この世界における私の存在のかなたに、《この世界》でありながら同時にこの世界のかなたにあるような一つの世界のただなかに、私を存在させる」(サルトル「存在と無・上・第三部・第一章・4・P.459~461」人文書院 一九五六年)
意図的に二十一世紀的だと考えて読んできたわけではないにもかかわらず、実にこうまでして、かくも執拗に現代的なのだ。スマートフォンは今やほとんど社会的インフラと化しているけれども、もはや世界を丸ごと覆い隠してしまうほど暗雲高々と監視管理ネットワークは世界を制覇することに成功している。カフカは短編「万里の長城」で、あまりに遠いところにあるため皇帝の姿などまるで見えないにもかかわらず「北京」は帝都として畏怖され君臨するわけではなく、逆にあまりに遠いところにあるため見えないがゆえに、なおさら激しい憧れを抱かせると述べた。
「中国の民衆は君主制を北京のひなた水から引き上げて、生きいきと鼓動する自分の胸に抱きしめることができない。実のところ恋いこがれ、抱擁のうちに死んでもいいと思わないでもないというのに。すなわちこのような見方は美徳でもなんでもない。それだけ奇異にうつるだろうが、まさにこのような弱点が民衆を一つにする絶好の手段であるらしいのだ」(カフカ「万里の長城」『カフカ短編集・P.253』岩波文庫 一九八七年)
ごく当たり前のように眺めていては「弱点」としか映って見えない事情が、実は「民衆を一つにする絶好の手段」になり得る。ネット社会はリゾーム化を遂げてこんがらがってしまい、いったい何がなんだかわからなくなっている部分が無数にある。しかしそれは果たして「弱点」だろうか。なるほどそう言うことはできる。だからもっと強化しなければならないと主張する権利は誰にでもある。しかしそうすればするほどサルトルのいう<まなざし>はますます熱烈に<欲望する>。この<欲望>はニーチェのいう逆転倒のように今度は監視管理される側が自ら進んで監視管理されることを熱烈に<欲望する>までに至る。
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