白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ172

2023年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十一月四日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日は比較的お利口さんな一日。外耳炎も耳垢掃除も良好に済ませることができたと思えるのでリビングの隣の部屋への出入りを広げてみた。随分気ままに遊び回れるスペースへ戻した。二代目タマは狭いスペースがとても苦手。久しぶりに広がった家の中で秋の日和を満喫していた。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。PJハーヴェイ。キャリアも長くなってきたがそれよりPJハーヴェイの声がそもそもノン・ジャンルなものに思える。その2。

ちなみに三十年前はこんな感じ。個人的なことを言えば九十年代に大流行したグランジ系のギター・サウンドは少々苦手。ジミ・ヘンのファズは抵抗ないのだが。

 

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて597

2023年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京とうふ藤野「鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属のたれを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食は彩り野菜詰め合わせ。固いところ以外はまあまあ食べられたようだ。一方、緩和ケアへの移行に伴う薬剤変更による副作用(特に嘔吐)抑制のため出来るだけ早いうちに病院と相談しないといけない。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「POLKA DOTS AND MOONBEAMS」。


Blog21・パレスチナの暗闇で本格ミステリは語る

2023年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

一九九六年。綾辻行人「フリークス」(光文社カッパ・ノベルス)刊行。「患者」シリーズと呼ばれる一連の作品の最初のもの。二〇二二年「人間じゃない<完全版>」(講談社文庫)刊行。

 

後者「人間じゃない<完全版>」は「フリークス」(光文社カッパ・ノベルス)の番外編として書かれた「人間じゃないーーーB04号室の患者ーーー」を含む。これら「患者」シリーズの魅力は登場する「患者」がすべて「精神障害患者」をモデルとしているということが主軸だからなのではない。そうではなく、精神科医であるとないとを問わず、実際の幅広い医療従事者、さらに精神医療機関を受診することなく表向きだけ「健常者」とされているに過ぎない一般市民の「異常性」をも十分視野に入れた点で、いわゆる「サイコパス」を売り物にしたただ単なる説明書や擬似的ホラー、あるいは基礎的専門研究にすらほとんど目を通していない「名ばかりミステリ」とはまるで異なるからである。

 

さらに「館シリーズ」で有名になった綾辻行人だがその一つを占める「人形館の殺人」(講談社文庫)や「びっくり館の殺人」(講談社文庫)はファンの間で「館」というよりむしろ「患者」シリーズにずっと近いと述べる読者が意外に多いことはもはや有名でもある。「フリークス」同様、専門医療従事者並みの膨大な勉強量のないところでミステリへこう変換することはできないという信頼感も物をいっている。

 

ところで二〇二二年「人間じゃない<完全版>」(講談社文庫)には二〇一七年刊行「7人の名探偵」(講談社ノベルス)所収の「仮題・ぬえの密室」が追加収録されている。それはそれとしてーーー。

 

「7人の名探偵」所収作品の中で不意に頭の中に蘇ってきた作品がある。綾辻作品ではなく歌野晶午「天才少年の見た夢は」。なぜここで歌野晶午「天才少年の見た夢は」なのだろう。既読者の中にはピンとくる人々がいるかもしれない。ここ数日で世界中の話題をかっさらっているパレスチナ戦争を通して垣間見える多角的人体実験性を思わせずにはいられないからである。