白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Bloh21(番外編)・二代目タマ’s ライフ181

2023年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十一月十三日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食後ひさしぶりにぬいぐるみをあちこちに放り分けて存分に走り回らせてやるとその後はとてもお利口な一日。昼寝に没入していた。性格的に夜間は多少いたずらしそうな気配を見せているもののそれはそれで猫としては全然不自然でない。

 

大阪の動物病院へ何度か往復した際にほぼ一日中母が留守番をしてくれていたので「おばあちゃんにありがとうを言っておこう」と母の前で抱っこしてやるといつになく不思議そうな眼で母を見つめていた。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウィルコ。類別すればインディ・ロックということになるわけだが、特にこだわることなく何も考えずにぼうっとしていたい時に聴いてみるのがいいかもしれない。全然マッチョでない作り込みのさりげなさに工夫あり。その5。


Blog21(ささやかな読書)・アメリカZ世代とインフルエンサー問題

2023年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

「群像」(二〇二三年五月号)で竹田ダニエルは言っていた。ほとんどいつも「アメリカでは」や「アメリカのZ世代の間では」というフレーズで始まる。

 

「過剰な消費のサイクルに、Z世代は疲れている」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・05・P.614』講談社 二〇二三年)

 

そうだろうとおもう。「ファストファッション」についてこう書いてもいる。

 

「汚染された海や、山のように蓄積したゴミなど、衝撃的な写真や動画がリアルタイムでSNSで流れてくることによって、Z世代は自分たちの行動がいかにして『リアルに』環境汚染に繋がっているのか、直視せざるを得ない。例えばファストファッションの『たくさん買って一回だけ着て、すぐに捨てる』ことの問題は常に議論されてきたが、今までは『古着屋やチャリティ団体に寄付すれば、必要としているホームレス状態の人や発展途上国の人々に届けられるはず』という考えもあった。しかしその弊害として、寄付をしたものの、最終的には質の悪い服の使い道がなく、発展途上国でもゴミになり、溜めるか燃やすかの選択肢しか残されていないという事実がイメージとして共有されたことによって、このままの消費スピードでは地球が危ない、という、強いインパクトをもたらした」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・05・P.615』講談社 二〇二三年)

 

さらにそうだろうとおもう。「ファストファッション」の大量生産大量消費は地球全土の環境汚染を押し進めている要因の一つとしてこれ以上無視できないレベルへ加速的に巨大化した。

 

ところが十二月号を開いてみると、何を伝えようとしているのかひどくわからづらい文章に出くわす。

 

「Z世代にとってのファッションは、自らをカテゴライズしたり、何かしらの世界観に没入するための、ないしは変身願望を叶えるための役割も果たす。ファストファッションによって安価に、そしてオンラインショッピングによって手軽に様々なファッションスタイルに挑戦できるようになった今、特定の『パーソナルスタイル』を確立しなくとも、そして実際にそのカルチャーに詳しくなかったとしても、何かしらの意味合いを含むサブカルチャーを気軽に楽しむことができる」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・12・P.498』講談社 二〇二三年)

 

この「ファストファッションによって安価にーーー何かしらの意味合いを含むサブカルチャーを気軽に楽しむことができる」という一節。今や世界中で大問題となっているファストファッションの大量生産大量消費による地球規模の環境破壊をアメリカのZ世代は「気軽に楽しむことができる」という。可能性について述べているだけなのかそれとも逆に煽り立てているのか、あるいはアメリカのZ世代を揶揄してその軽率さについて仄めかしたいのか、いずれにも取れてしまう。

 

だけでなくファストファッションの大量生産大量消費はアメリカを中心とする《グローバル・ノースのみ》をますます富ませ、ようやく解消に向かいつつある南北問題を再び押し広げてしまう。もっとも、日米地位協定があるため日本はグローバル・ノースの一角でありながらその恩恵にあずかることは決してできない永久敗戦下請け国家だが。

 

実際に見たことがないので竹田ダニエルの文章を信用して読むわけだが「Refinery29の記事」を引いている。旧来のフェミニズムは時代遅れである。半分以上その通りだとおもう。

 

「この一年で、社会における女性の関心のあり方に激震が走っている。ファッションコメンテーターでありYouTuberのMina Leは、『どうしてみんな小さい女の子のような格好をするのか?(why is everyone dressing like a kittle girl?)』というタイトルの動画の中で、『〔ーーー〕私たちはガールズ・エコノミーにいるのです』と語っている。自らを『女の子』と呼ぶ女性たちや『ガールトレンド』はいたるところで見られ、より子供らしい美意識が広まりつつあることに影響を及ぼしているのは間違いない。女性たちは、レースやピンク、スカート、リボンなど、伝統的にフェミニンで若々しいとされてきたスタイルを取り戻しつつある。こうしたスタイルはかつて、女性たちが家父長的に服従し、男性の視線に応えるために、か弱く無邪気で、家庭的であることを受け入れていると見なした旧来のフェミニストたちからの怒りを買ってきた。しかし、その時代遅れの考え方が皮肉なのは、フェミニズムは女性の選択の自由のために戦っているのに、私たちの文化は伝統的に女の子らしいものを好む女性を中傷するということだ」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・12・P.499~500』講談社 二〇二三年)

 

アメリカの、という意味だろうとおもう。「私たちの」という言葉は。引用末尾の「女の子らしいものを好む女性を中傷するということだ」というのも七割くらいはそうだろうとおもう。けれども「私たちの文化は伝統的に女の子らしいもの」という箇所で読者としてはつまずいてしまう。アメリカ「文化」の「伝統」とはなんなのか。それともアメリカのフェミニズム「文化」の「伝統」とはなんなのか、と取るべきなのだろうか。いずれにしても「アメリカ/文化/伝統」というのは昔より今に近づけば近づくほど複雑怪奇なこんがらがり方をしていて意味が伝わってこない。フェミニズムとかフェミニストとかは「あえてどうでもいい」と無理やり切り離して考えてみようとしてもひどくわかりづらい。

 

といってもただ単なるアメリカ批判では全然ない。逆に半壊状態の今のアメリカが心配なほどだ。そういうことではなく、「アメリカ」と「伝統」という言葉とがあまりにもさらさら接続されていることに多少なりとも不問に伏すことのできない違和感をおぼえる。

 

サブカルチャーの一言にしてもアメリカのサブカルチャーというのは恐ろしく大量にひしめき合っていてどこの何のことについて言及しているのかまるで雲をつかむような話になっていきそうな予感がする。

 

次の箇所へ行こう。

 

「ソニーエンジェルやサンリオ、セーラームーンやジブリがアメリカの若者の間で大ヒットとなっていることも、『ガール』トレンドによって巻き起こった大きな変化である。特に興味深いのは、これらは全て『日本』のカルチャーであるということだ」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・12・P.499~501』講談社 二〇二三年)

 

今度はちょっと驚きだ。

 

「特に興味深いのは、これらは全て『日本』のカルチャーである」。「文化」の話になったかと思えば「カルチャー」。謎めいてくる。「ソニーエンジェルやサンリオ、セーラームーンやジブリ」はなるほど大文字の「ブランド」である。とすればこれら大文字によって覆い隠されている無数の「神話/実話/漫画/文学」のパッチワークの巧みさ、言い換えれば「実質<パクリ>」のパッチワークからなる日本の「お家芸」文化のサブカルチャー性についての皮肉を込めているのだろうか。もし「実質<パクリ>」のパッチワークからなる日本の「お家芸」文化のサブカルチャー性についてという意味でなら、「特に興味深いのは、これらは全て『日本』のカルチャーである」と言えるかもしれない。そう考えると五月号で書かれていた「過剰な消費のサイクルに、Z世代は疲れている」というのも実に腑に落ちる。

 

「ファッションにおいても、ロリータファッションやなんちゃって制服などがアメリカでも認知されつつあり、90年代後半に日本で大きな注目を集めた雑誌『FRUiTS』は、アメリカのファッション好きのZ世代にとってはバイブルのような存在となっている。SNSにおける情報の多様化や選択の自由化は、このようにして日本のファッションブランドやクリエイターの意図や狙いとは関係なく、純粋な興味と関心によって『風変わりで先鋭的』なサブカルチャーを突如としてメインストリームにまで押し上げる機能を持ち合わせている」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・12・P.501』講談社 二〇二三年)

 

アメリカにはSNSの可能性がまだまだあるということだろう。もう一つは疑問。膨大かつ相当混み入ったアメリカのサブカルチャーのどれを指して言っているのかわからないままなので申し訳なくおもいつつ「サブカルチャーを突如としてメインストリームにまで押し上げる」というのは「メインストリーム」であればあるほど「良い」と聞こえてしまいそうである種のカルトにも似た宗教性を感じる。

 

三月号からでしかないとはいえ、これでも連載を通して読んできた。しかし今回はかなりの引っかかりをおぼえる。引っかかったままでもある。アメリカの「メインストリーム」は今のところ「イスラエル全面的支持」だ。にもかかわらずすでに二十歳を過ぎれば「立派な大人で当然」を自称するアメリカ人が、もし本当にアメリカの「文化」と「伝統」と「カルチャー」がどんなものかを混同したままでいるとしたらおそろしく厄介な悪ふざけにおもえる。パレスチナ戦争だけでなく日本にとってもっとずっと近いところ、沖縄周辺で否応なく押し進められていて、民主主義など風前のともしびと化しつつある米軍基地の無限拡張についてこれっぽっちも考えていないように見える。

 

五月号にはこうあった。

 

「一見deinfluencingに見せかけながら、実際は消費を促すような投稿も出始めている」(竹田ダニエル「世界と私のA to Z」『群像・2023・05・P.616』講談社 二〇二三年)

 

ファストファッションの大量生産大量消費による南北問題再燃を危惧しつつ、竹田ダニエルが「一見deinfluencingに見せかけながら、実際は消費を促すような」ことになってしまわないことを願っている。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて606

2023年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京とうふ藤野「鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日夕食はギョーザの皮を剥いた中身を四個分。白菜の煮物を少し。食前食後に服用する薬の手順を母にもう一度確認してもらう。

 

急に膨張した足首の浮腫(むくみ)は午前中の指圧でだんだん縮小する。縮小しはしたが縮小してもなお、急膨張を始めた一昨日以前の浮腫(むくみ)の程度までは回復せず。ちょっと驚いたのは午後から再びむくむく膨張しだした点。これまで見られなかった症状。こうなると一般的には余命一ヶ月と言われているわけだがどうなのだろう。何かもう一つの生物Xが足首の関節で産声を上げて動き回っているかのようだ。

 

また抗癌剤投与開始から二週間ほど経った頃に出てきた口の中のしびれ。抗癌剤中止から三ヶ月経過しているのでいくら個人差の大きさを考慮したにせよ、セオリー通りなら後遺症は残ったとしても一定程度レベルで収まるはず。だが母の場合は逆であって昨日一昨日くらいからしびれがひどく悪化。ほんの僅かな香辛料が入っているだけでピリピリと痛みが走り、ますます食欲低下。というより食事に対する拒絶反応が限度を越えてそもそも食べる気力が湧いてこない。並べた食事を前にしてもしばらく打ち沈んでいる。足首の浮腫(むくみ)の変容と同期している点からさらなる免疫低下の進行は無視できない。

 

ヒドロモルフォン(ナルサス)は癌の疼痛には効果的。だがそれ以外に出てくるいろいろな故障まで改善してくれるわけではない。今朝になって言うには「しゃべろうとするだけで吐き気がしてくる」とのこと。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「DREAM GYPSY」。