斎藤幸平「マルクス解体ーーープロメテウスの夢とその先」(講談社 二〇二三年)から。その1。
マルクスは《技術と自然のエコロジカルな連関》の重要性を無視していたか?していない。という言い方をすると斎藤幸平のマルクス論とはやや違う響きが得られるかもしれない。それはともかく斎藤幸平は「資本論」から次の箇所を引用する。
「より高度な経済的社会構成体の立場から見れば、地球にたいする個々人の私有は、ちょうど一人の人間のもう一人の人間にたいする私有のように、ばかげたものとして現われるであろう。一つの社会全体でさえも、一つの国家でさえも、じつにすべての同時代の社会をいっしょにしたものでさえも、土地の所有者ではないのである。それらはただ土地の占有者であり土地の用益者であるだけであって、それらは、よき家父として、土地を改良して次の世代に伝えなければならないのである」(マルクス「資本論・第三部・第六篇・第四十六章・P.268~269」国民文庫 一九七二年)
グローバルな規模ではまったくなかったけれども、少なくとも一九八〇年代の日本の大学キャンパスではマルクスのエコロジー概念についてあれこれ言ったり言わなかったりできる場所は幾つもあった。中途半端なものばかりで収拾が付かなかったことは確かだが。さらによくなかったのは「言ったもの勝ち、やったもの勝ち」というモラルハザードが常習化していたことも見逃せない要因だと言わねばならない。どちらかというと無口なタイプの書斎派としてはほとんどいつも肩身の狭い窮屈な想いをしていた。頭がわるくて大声ではったりを口にする「優等生」が大手を振ってのし歩いていた。強姦常習者もいた。左派にも右派にも。
話を戻そう。「私有」と「個人的所有」との違い。二箇所。
(1)「資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は、私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを基礎とする個人的所有をつくりだす」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十四章・P.438」国民文庫 一九七二年)
(2)「コミューンは、多数者の労働を少数者の富とするところの、あの階級的所有権を廃止しようとしたのである。それは、収奪者の収奪を目指したのである。それは、いまでは主として労働を奴隷化しこれを搾取する手段となっているところの生産手段、即ち土地と資本とを、単なる自由で且つ協力的な労働の要具に転化することによって、個人的所有権を一個の真実とすることを欲したのである」(マルクス「フランスの内乱・P.102~103」岩波文庫 一九五二年)
ところで「富」とは何か。そもそも論的な議論になってしまいそうだが肝心なところだ。斎藤幸平は「ブルジョア的富」と生産主義批判的な意味での「協働的富」との差異を明確化するため「経済学批判」と「ゴータ綱領批判」とを比較して輪郭を明らかにしてみせる。
(1)「一見するところブルジョア的富は、ひとつの巨大な商品集積としてあらわれ、個々の商品はこの富の原基的定在としてあらわれる」(マルクス「経済学批判・P.21」岩波文庫 一九五六年)
(2)「共産主義社会のより高度の段階において、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれてかれらの生産諸力も成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧きでるようになったのちーーーそのときはじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏みこえられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.38~39」岩波文庫 一九七五年)
それにしても。「否定の否定」ーーー、なんと懐かしい。そんなわけで次回はいつになるか未定。多忙ゆえ。