白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ174

2023年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十一月六日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

飼い主が昼寝しようと布団に横になるとたたたと寄ってきて人のふくらはぎを枕に一緒に居眠りだした。いたずらっ子であり甘えん坊でもある。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。PJハーヴェイ。キャリアも長くなってきたがそれよりPJハーヴェイの声がそもそもノン・ジャンルなものに思える。その3。

ちなみに三十年前はこんな感じ。個人的なことを言えば九十年代に大流行したグランジ系のギター・サウンドは少々苦手。ジミ・ヘンのファズは抵抗ないのだが。

以前紹介したスローソン・マローン1。ウィントン・マルサリスの息子なのだが、試しに妻に聞くとこれほど公然の事実をまったく知らなかった。知らない人は知らないものだと痛感。そこでウィントン・マルサリス演じる「JUST FRIENDS」。

なお「JUST FRIENDS」では裏名盤として名高いビル・パーキンスとリッチー・カミューカとの共演もお忘れなく。


Blog21・秋篠宮佳子「マチュピチュ遺跡」訪問

2023年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

南米ペルー訪問中の秋篠宮佳子。マチュピチュ遺跡を見学とのニュース。見ていて思った。

 

紀元前四〇〇〇~三〇〇〇年ころにかけて西ヨーロッパ一体で巨石文化が出現した。その遺構の多くはドルメンや支石墓と呼ばれる。中東、インド、中国、朝鮮半島、南アメリカなどでも数百基規模の支石墓群が発掘されている。時期的には縄文時代の日本にも入り九州を中心に多数残されている。

 

これらに用いる石材加工技術に注目してみる。例えば岡山県総社市「鬼ノ城」の石垣。朝鮮半島をルーツとする典型的な構造。さらに兵庫県朝来市「竹田城跡」の石垣。横から見ると大変よくわかるが石積み工法は同じであると考えられている。また京都市「銀閣寺庭園排水路」の構造。石材加工技術はほぼおそらく「穴太衆」(あのうしゅう)によるものだろうと推定されている。ペルーのマチュピチュ遺跡の場合、石積みだけでなく段々畑の作り方もこれら巨石文化の広がりと技術的発展に大変近い様式を持つと考えられている。

 

「漂著石(ヨリイシ)」について折口信夫はこう書いた。

 

「私の度々の旅行に、一番綿密なる研究をした地方は壱岐である。其処には対馬や隠岐などの様により石の信仰が存して居るのである。流れ寄った石を或時祠に祀ったところが、どんどん大きくなって遂に祠を突き破ったと言う話とか、石を拾って帰ったら家に著く迄に急に大きくなったなどと言う話は、諸国に数限りなく散在する。古代人はそうした石成長の信仰を有して居たが、之は既に二三繰り返した如くたましい成長の信仰と結ばれて居るものである。壱岐には不思議な巫女が居るが、彼等は其神事を行うに当って、此漂著石(ヨリイシ)を利用する。之は石にたましいが宿ると考える為に他ならぬのである」(折口信夫「剣と玉」『折口信夫天皇論集・P.162~163』講談社文芸文庫 二〇一一年)

 

折口はまた「死者の書」冒頭部分を、石と魂との融合から書き起こしている。

 

「彼(カ)の人の眠りは、徐(シヅ)かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものの澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。

した、した、した。耳に傳うふやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて来る。

膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、彼(カ)の人(ヒト)の頭に響いて居るものーーー。全身こはばつた筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。

さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まず壓(アツ)しかかる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀(ドコ)。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩傳(イハヅタ)ふ雫の音。時がたつたーーー。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであつた。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思つてゐた考へが、現実に繋がつて、ありありと、目に沁みついてゐるやうである」(折口信夫「死者の書」『折口信夫全集24・P.130~132』中公文庫 一九七五年)

 

ちなみに日本の穴太衆の場合、戦国時代が終わり江戸時代に入ると戦争のための築城の必要がなくなる。美術品としての刀剣製作へ活路を見出す者らが出てきた。文化圏はそれぞれ異なっているにせよ、石材加工は加工するための金属類を必要とする。石の文化と金属の文化とは切り離せないのである。


Blog21・ホッファー/労働/読書

2023年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

書記は古代官僚制度の最重要部門の一つである。しかし書記たちにも「失業」があった。失業した書記たちはどうなったか。「ものを書きはじめた」。多かれ少なかれ「どの文明でもある時点で書記は『作家』として登場する」。ホッファーはいう。

 

「実際には、文字は発明されたのち何世紀ものあいだひたする財宝や倉庫の出入りをもらさず記録するのに用いられていた。文字は書物を書くためではなく、帳簿をつけるために発明されたのだ。われわれに残された最古の文字の使用例は、商品の送り状やリストなのである。文字の技術を生業とした書記者は文官ーーー事務官兼簿記係ーーーであった。文字は吟遊詩人や語り部の専門領域に属し、彼らは他の職人が職業の秘訣を書こうなどとは思いもよらぬのと同様、彼らのネタを書き記すことなど考えてもみなかった。何世紀ものあいだ、書記は記録をとりつづけた。彼は自分の官僚的活動範囲にきちんとおさまり、苦情ももたなければ無夢もしなかった。その後、どの文明でもある時点で書記は『作家』として登場するようになる。書記に著作をはじめさせた動機を問うなら、答えはどのばあいでも同じである。つまり、書記は失業したときからものを書きはじめたのだ」(ホッファー「オートメーション、余暇、大衆」『現代という時代の気質・P.37』ちくま学芸文庫 二〇一五年)

 

次に有名な事例として差し当たり、ヘシオドス、孔子、ツキュディデス、マキャベリについてこう述べる。

 

「ギリシアでは文字は高度に官僚化したミュケナイ文明の崩壊後に登場する。ここでもまた、フェニキアのアルファベットの導入が、社会を管理することを自分の生得権とみなしながら適当な職をみつけることのできない、素質ある書記の数をふやした。アモスの同時代人であるヘシオドスは文章技術を習得したものの、農場にとどまらねばならなかった。彼もまた自分の同胞に説教し、教授し、そしてものを書きはじめたいという衝動にかられたのだった。

 

中国では文字の歴史は紀元前六世紀、周の崩壊につづく『群雄割拠』の混沌期にさかのぼる。国は群をなして放浪する書記でみちあふれており、彼らは行く先々で議論し、哲学し、陰謀を企て、執筆した。孔子もそのひとりであった。多忙で目的のある生活への渇望は廃業した書記たちのエネルギーを創造的方面にふりむけたのである。

 

余儀なくされた無為と創造的エネルギーの発散とが結びついているという例は、古今を問わず他に幾つも浮かんでくる。ツキュディデスは情熱的な将軍であった。作家になりたいなどとは思っていなかった。戦さで兵士を指揮したかったのである。しかし戦さに敗れたあと彼は追放され、他の将軍たちが戦争をするのを眺めて切歯扼腕するほかはなかった。そこで彼はかつて書かれた中で最もみごとな歴史の一つ、『ペロポネソス戦争』を書いたのである。

 

マキャヴェリは生まれながらの策士だった。彼の宿望は黒幕になったり、折衝したり、策謀したり、巨頭会談をしたり、使節に立ったりすることだった。だが彼は二流の外交官としての職を失い、生まれ故郷の村に戻らねばならなくなり、村の宿屋で噂話やトランプ遊びにふけって日々をすごしていた。晩になると家に帰り、泥まみれの服を脱ぎ、礼服をまとうと、坐して『君主論』と『リウィウス論』の著作にかかったのである」(ホッファー「オートメーション、余暇、大衆」『現代という時代の気質・P.40~41』ちくま学芸文庫 二〇一五年)

 

かといってホッファーは、書籍や情報が溢れかえっている現代では誰もがヘシオドスやマキャベリになれると説教しているわけでは全然ない。ヘシオドス、孔子、ツキュディデス、マキャベリといった人々は「失業」によって創造的衝動が腹の底から湧き上がってきたとりわけ激烈かつ急進的な人間だった。ホッファーはまた異なる。ただ単純に、毎日仕事をし、そして読書していた。もともと読書好きだったようだが労働者仲間にもしばしば読書をすすめた。ひたすらそればかり繰り返していた。すると当時の共産主義国家ではなくアメリカで、マルクスのいうような生活様式が手に入ってきた。

 

「共産主義社会では、各人は排他的な活動領域というものをもたず、任意の諸部門で自分を磨くことができる。共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそのゆえに可能になることなのだが、私は今日はこれを、明日はあれをし、朝は《狩をし》、<そして昼>午後には《漁をし》、夕方には《家畜を追い》、《そして食後には批判をする》ーーー《猟師、漁夫、<あるいは>牧人あるいは批判家になることなく》、私の好きなようにそうすることができるようになるのである」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.66~67」岩波文庫 二〇〇二年)

 

一九五〇~一九六〇年代アメリカで未曾有の急激な変化に襲われた人間とは何なのか。「誰でもみな初心者」だとモンテーニュを引用する。

 

「死は一度しか経験できない。死に臨むときには、誰でもみな初心者なのである」(モンテーニュ「エセー2・P.291」岩波文庫 一九六五年)

 

ひさしぶりにモンテーニュを開いてみると、ふと目に止まった箇所がある。

 

「私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうか」(モンテーニュ「エセー3・P.35」岩波文庫 一九六六年)

 

実際に猫と暮らすようになって始めてそう思うようになった。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて599

2023年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京とうふ藤野「鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個程度を粥と一緒に食する。

 

昨日夕食はニンジンと白菜の煮物。ヒドロモルフォン(ナルサス)投与以後痛みはほとんどない。夜間はベッドで横になっているとずいぶん楽なようだ。昨日からのドンペリドン投与で吐き気がもう少し抑制されれば食欲不振の改善が見込まれるかもしれない。モルヒネ製剤の場合はある程度の慣れというものがあり、慣れてくると吐き気は徐々に収まるはず。一方、癌発覚の三ヶ月前から異常に高まった全身倦怠感に対する薬剤でこれといった決定的なものは現在のところないというのが現状。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「STAIRWAY TO THE STARS」。