今日は近くの医院で「ワクチン接種」(七回目)。予約が取れたのはひと月ほど前。インフルエンザの流行と重なりふだんより混んでいる様子だった。加速する高齢化の激しさは他の地方都市と変わらない。とはいえ何も高齢者ばかりとはちっとも限らない。子どもたちもまた増えた。
年がら年じゅう騒々しい大阪や京都の子育て環境を避けて二十五年ほど前に滋賀県へ流入してきた人々の子どもたちはもう就職したり大学生になった。かつてベビーカーに乗って愛嬌を振りまき周囲をなごませてくれていた子らの中にはすでに結婚出産した女性もいる。ずいぶんしっかりしたものだ。流入はさらに続き今の小学生や中学生はませた子が多いのも目立つ。言葉遣いの端々にとても繊細な気配りが感じ取れる。他人に傷つけられるのは誰でも嫌だが、他人を傷つけるのはそれ以上にもってのほかという意識の共有が、こんな古色蒼然たる地域のかび臭い風土へもようやく広がりを見せつつある。
京都生まれ京都育ちでちょっとどこかへ遊びにでかけるといえば歩いて二分の祇園のゲームセンター、歩いて十分の四条河原町、歩いて二十分の三条商店街の楽器店、そして夏には電車に乗って琵琶湖の水泳場というのが腹の底まで染み込んだ人間としては、死ぬまでリハビリを続けていける衣食住環境に選んだのが滋賀県というのはもう当然の成り行きだったとしか言いようがない。
それはそれとして。難治性精神障害(長期化した統合失調症の特定症状不能状態)を患う妻の腰が急速に曲がり出したのが去年の秋ごろ。「どこの放送局が」という必要はもはやなく今や「すべての」放送局が連発し始めわざわざ危機感を煽り立てつつある国民年金「五年延長《報道》」。まず先に低所得者層の狙い撃ちになることがわかりきっているがゆえにあえてじわじわ追い込み追い詰める殺人的手法を用いて陰惨極まりなく著しく人心荒廃をきたした大手マス-コミがやり始めた時期とぴたりと一致する。
夫としては大学入学と同時に「日本の黒い霧」の一角を理解を絶する図々しさで占拠して止まないマス-コミについて実際の日常生活と現代思想の立場からずうっと観察してきたこともあり、問題だらけのしらじらしくもおぞましい国民年金「五年延長《報道》」が、難治性精神障害をこじらせてしまっている妻の脳に向けていつどんな形で回復不可能な一撃をぶち込んでしまうことになるかひやひやしながらなるべくテレビを不用意に見せてしまうことのないよう気を付けてきた。
一方、末期癌で来年があるかどうかわからないところまで来ている母はほかに楽しみがなくなりかけているため気楽に見られるテレビドラマだけでも見ることにしていたらチャンネルはそのままにテレビを切っていた。夕食後、チャンネルを切り換えずそのまま切っていてはニュースを見ようとテレビを付ければ最初に目に飛び込んでくるのは当然テレビドラマを放送していたのと同じチャンネル。十一月二十一日放送のテレビニュースがぶるぶる震え怯える妻の精神にとって報道リンチの決定打となってしまったのはそんな事情による。
そのテレビ局というのは新聞紙では弱者の味方のふりを演じながらテレビ放送では政府が押し進めようとする実質的国民年金「五年延長」を煽り立てて富裕層ばかり儲かる方向へ誘導することで有名なところ。煽って稼ぎ弱者の味方のふりで二度稼ぐ。ほかのテレビも似たり寄ったりなのだが、たまたま十一月二十一日放送のテレビニュースは昔から二枚舌を使うわるい癖がいまでも抜きがたい頑迷な体質を後生大事に守り抜いている放送局。役者揃いで視聴者をびっくりさせる三文芝居は確かにうまい。いつも「優等生だらけの紳士淑女」を気取っているだけに実情を知らない一般視聴者はいとも容易に信じ込んでしまいがちな局でもある。だがその報道姿勢は抜き打ちで視聴者の脳にダメージを与えてほいほい誘導操作する危険この上ないテクニックに長けている。世間で揶揄されるときの隠語を使えば「テレビテロ朝日」。
近くの医院まで歩いて往復できる距離なのに今年に入って妻の腰はますます異様なほど曲がってきた。歩いて行って歩いて帰ってくることができる距離なのにここ数ヶ月は往復タクシーを使わなければならない。苦悶の表情は日に日に深く刻み込まれていく。障害年金にしても法律はしっかり守ってきた。違反一つしたことはない。マス-コミとふつうの市民とのこの落差。
にもかかわらず日本政府の「飼い犬」と化して久しいマス-コミは何かまずいことが発覚するやたちまち社員約一名を処分してうやむやにするだけでとっとと幕引きを図る。日本のマス-コミ暴力機構は来る日も来る日も新しい精神障害者を生み落とし、回復の見込みが残っている精神障害者の脳を目がけてわざわざ狙い撃ちにするような悪質報道を打ち込みまくり、日本政府の用心棒としてせっせと精進励んでいる。わけても隠語で揶揄される「テレビテロ朝日」系列は、一九九〇年代を通して多くのでたらめ捏造記事を平然と載せてきた週刊誌も終わってしまい、ますますわけのわからない密林の奥地へ自分で自分を追い込み追い詰め破滅したがっているとしか思えない。だからといってほかの社は違うというわけではさらさらない。