白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ180

2023年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十一月十二日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日の午後もほとんど寝てばかり。テーブルの椅子でぐっすり。夕食後もまた寝ている。と、そろそろ起き出してきそうでもある。これまた日付が変わる頃からいたずらを始めるパターンのようだ。昨日もそうだった。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウィルコ。類別すればインディ・ロックということになるわけだが、特にこだわることなく何も考えずにぼうっとしていたい時に聴いてみるのがいいかもしれない。全然マッチョでない作り込みのさりげなさに工夫あり。その4。


Blog21(ささやかな読書)・脱成長コミュニズム2

2023年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

パレスチナ、ウクライナ、ジャニーズ、宝塚、ホストクラブ、フリースクール。どれも大きな問題というよりそもそも問題なのがわかりきっていたにもかかわらず突如降って湧いたかのように演出されている点でますます問題にみえる。大手マス-コミが繰り広げる効果が絶大過ぎるため、語られていないし報道されてもいない問題、逆に覆い隠されている遥かに巨大な問題があるとおもわないだろうか。アメリカの幾つもの大都市がいま現在苦しみ抜き喘ぎ抜いている諸課題についてほんの少しばかり立ち寄ってみたいとおもわないだろうか。

 

毀誉褒貶いずれも受けている斎藤幸平「マルクス解体ーーープロメテウスの夢とその先」(講談社 二〇二三年)から。と言いたいところだがーーー。

 

その前に。

 

訳知りぶった老害的知識自慢腕自慢の論客(言ったもの勝ち、やったもの勝ちの強姦主義者)の言説の中にはジジェクやネグリ=ハートがもっと先に提出していた概念を勝手に取ってきたに過ぎないと言って鬼の首の一つも取ったかのように豪語している人々がいる。わざわざ喚き立てなくても読めばわかりそうなことを言い立てる高齢の論客たちは、しかし、赤軍派の登場以来、その主だったメンバーが獄中から出てきた後、面と向かって彼らと渡り合ったことがあるのか。密室に連れ込まれてなお、渡り合ったことが一度でもあるのか。中核派も革マル派も解放派も第四インターも日本共産党本部もここというところで逃げ回っていたではないか。「腕自慢、材料自慢に走りおって〜!」(雁屋哲/花咲アキラ「美味しんぼ」小学館)

 

まず(1)はほんの確認事項。

 

(1)「資本主義的生産は、利潤の最大化を果てしなく追求し、拡大し続けるが、資本が使用価値を考慮するのは、それが価値の担い手であり、価値を増殖するのに必要な範囲に限られる。使用価値が二次的なものにされてしまうことで、社会的再生産に不可欠ではない製品や、人間や環境を破壊する製品ーーー例えばSUVやファストファッション、工場畜産ーーーが、売れさえする限りで、いくらでも大量に生産される。それに対して、利潤を生みにくい財やサービスーーー教育、芸術、介護ーーーは、それがどんなに暮らしにとってエッセンシャルなものであっても過小生産される」(斎藤幸平「マルクス解体ーーープロメテウスの夢とその先・P.358」講談社 二〇二三年)

 

(2)もまた「資本論」からの引用。

 

(2)「マルクスは、『自由の国』を拡張するために『労働時間の短縮が基本的な前提条件』であると述べている。しかし、資本主義がいかに生産力を発展させても、二十世紀から二十一世紀にかけて労働時間が減少することはなかった。それどころか、近年では、不安定で低賃金の仕事が増えているため、人々はこれまで以上に長時間働くことを強いられている。また、資本の価値増殖のための大量生産は、広告、マーケティング、金融、コンサルティングなどの非エッセンシャルな仕事を増やす。マルクスは、資本主義の発展にとともに必然的に増加する、無駄な仕事について、次のように書いている」(斎藤幸平「マルクス解体ーーープロメテウスの夢とその先・P.359」講談社 二〇二三年)

 

どう書いているか。

 

「資本主義的生産様式は、各個の事業では節約を強制するが、この生産様式の無政府的な競争体制は、社会全体の生産手段と労働力との最も無限度な浪費を生みだし、それとともに、今日では欠くことのできないにしてもそれ自体としてはよけいな無数の機能を生みだすのである」(マルクス「資本論・第一部・第五篇・第十五章・P.43」国民文庫 一九七二年)

 

マルクスのいう「この生産様式の無政府的な競争体制」というフレーズを覚えておこう。そして「それ自体としてはよけいな無数の機能を生みだす」とあるわけだが具体的にどういうことか。斎藤はいう。

 

(3)「資本主義的生産のパラドクスは、労働力の再生産費に対応する『必要労働時間』が、実際には膨大な量の不必要な製品の生産に費やされているということである。言い換えれば、社会的・生態学的な視点からすれば『必要労働』の大部分はすでに『不必要労働』なのである。このことは、『ブルシット・ジョブ』、つまり労働者自身さえも社会にとって無意味だと自覚しているような仕事が蔓延していることからも明らかである。将来社会においてこうした無意味な仕事が除去されたとしても、それらは最初から無意味で使用価値を生まない非生産的な仕事であるため、社会の繁栄や人々のウェルビーイングに否定的な影響を与えることはない。むしろ、ウェルビーイングは上昇しさえするだろう。なぜなら、人生の大部分を無意味な仕事に費やすことはメンタル・ヘルスにとって極めて有害であり、これらの仕事はまた、過剰な広告、スラップ訴訟、株の高速取引といった無意味な営為を大量に生み出しているからである。さらに、この種の無意味な労働は、多くのエネルギーと資源だけでなく、彼らの活動を支えるためのケア労働をも浪費する」(斎藤幸平「マルクス解体ーーープロメテウスの夢とその先・P.360」講談社 二〇二三年)

 

いま現在のアメリカの大都市を覆い尽くしている「無政府状態」。さらに世界最大の「メンタルヘルス」大国アメリカ。「メンタルヘルス」問題については特に高齢老害的知識自慢腕自慢のマルクス主義論客(言ったもの勝ち、やったもの勝ちの強姦主義者)はほとんど何一つ知らないだろう。知っているというのならなぜ今なお無益に等しいような自殺行為=党派闘争に打ち込めるのかまるきり気が知れない。もっとも、まったくの無益ではないとしても休憩時間は必要だろう。休憩とは何か。労働、投機、睡眠などいずれもただ一人だけで動いているわけでは全然ない。どんな活動であれその「活動を支えるためのケア労働」なしに人間とその集団は何一つすることができない。

 

極右集団、極左集団、その他いろいろ、人間である以上何らかのメンタルヘルスなしに生きていくことは決してできない。例えば音楽を必要とする人の場合。労働歌であれ単なるポップスであれ。

 

斎藤はMEGAから引いている。

 

「真に自由な諸労働、例えば作曲は、途方もなく真剣な行い、全力をふりしぼった努力なのである。物質的な生産の労働がこのような性格をもつことができるのは、ただ、第一に、労働の社会的性格が措定されていること、第二に、労働が科学的な性格をもち、同時に一般的労働であること(「資本論草稿集」2、340頁)」(斎藤幸平「マルクス解体ーーープロメテウスの夢とその先・P.360」講談社 二〇二三年)

 

なお斎藤は「それ自体としてはよけいな無数の機能」として「広告、マーケティング、金融、コンサルティングなど」を上げる。だがそれらだけでなく頻繁に繰り返されるわりには無駄の多いIT関連の「モデルチェンジ」を付け加えたいとおもう。

 

アメリカでさらに深刻な「無政府状態」を出現させる「てこ」の役割を演じているのは言うまでもなく「マーケティング、コンサルティング」だ。「不可視の管理」と巨大プラットフォーマーによる世界支配。ドゥルーズはいう。

 

「市場の獲得は管理の確保によっておこなわれ、規律の形成はもはや有効ではなくなった。コストの低減というよりも相場の決定によって、生産の専門化よりも製品の加工によって、市場が獲得されるようになったのだ。そこでは汚職が新たな力を獲得する。販売部が企業の中枢ないしは企業の『魂』になったからである。私たちは、企業には魂があると聞かされているが、これほど恐ろしいニュースはほかにない。いまやマーケティングが社会管理の道具となり、破廉恥な支配者層を産み出す。規律が長期間持続し、無限で、非連続のものだったのにたいし、管理は短期の展望しかもたず、回転が速いと同時に、もう一方では連続的で際限のないものになっている。人間は監禁される人間であることをやめ、借金を背負う人間となった。しかし資本主義が、人類の四分の三は極度の貧困にあるという状態を、みずからの常数として保存しておいたということも、やはり否定しようのない事実なのである。借金させるには貧しすぎ、監禁するには人数が多すぎる貧民。管理が直面せざるをえない問題は、境界線の消散ばかりではない。スラム街のゲットーの人口爆発もまた、切迫した問題なのである」(ドゥルーズ「記号と事件・政治・追伸ー管理社会について・P.363~364」河出文庫 二〇〇七年)

 

アメリカはもはや単独では自分自身に耐えられなくなり半分壊れてしまっている。一九六〇年~七十年代のマルクスをめぐる党派闘争についてどれほどぴいちくぱあちく多弁に語って見せることができるおしゃべり老害半壊知識人であっても、一九八〇年代に急増したアメリカの多くのエリートたちが朝からアルコールとカフェイン入りのエナジードリンクで大量のビタミン剤をあおって出社し、なかには昼間に電話ボックスでコカインを飲み下しながら午後の仕事をばんばん片付け、ネイティヴそっくりの外国語を「自然」に披露する「不自然」さを無自覚なネイティヴから称賛される滑稽さについて何をどれくらい知っているというのか。そんな身勝手きわまる八十年代アメリカの華々しいエリートは自身で「彼らの活動を支えるためのケア労働をも浪費」しておきながら、今やその子どもたちが大人になって「彼らの活動を支えるためのケア労働」をさらなる危機に陥れている。

 

アメリカを覆い尽くしている「不可視の管理」と「無政府状態」。その「卑劣さや野蛮さ」。ホッファーはいう。

 

「人間の極致が見られるのは、衝動や動機の純粋さや気高さにおいてではなく、卑劣さや野蛮さを、美的な聖的な思想および展望に転化させる人間精神の錬金術においてである。人間の内には原始的でどろどろとしたものが常に存在しており、それを加工することによって人間は特異な人間(ヒューマン)存在となる」(ホッファー「初めのこと今のこと・P.46~47」河出書房新社 一九七二年)

 

日本は何の躊躇もなしにアメリカ政府に追従していくしか態度の取り方がないだろうか。むしろ日本人はアメリカ一辺倒主義からきっぱり「足を洗い」、人間の内面に巣食う「原始的でどろどろとしたもの」を「加工」し、ただ単なる人間(マン)から人間(ヒューマン)へ向かう道へ一歩ずつ踏み出す選択を準備することのほうがよほど大切なのではと思わずにはいられない。

 

なお「その3」はあるのかないのか未定。多忙ゆえ。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて605

2023年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京とうふ藤野「鍋とうふ」。1パックの四分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日夕食はカキフライの衣を剥いて中身を五個。カニクリームコロッケの衣を剥いて中身を一個。食後、「朝ご飯より晩ご飯をもっと食べたい」とほとんど諦め顔で漏らす。

 

抗癌剤の副作用の足首のむくみ(しびれ含む)が復活。抗癌剤は七月二十六日開始。初回(二週間)の点滴のみで八月九日中止。それから三ヶ月以上経過している。毎日もみほぐして和らげていた足首のむくみだが、疲れていて一日だけ間を空けたところ午後くらいから足首がむくむく膨張し畸形化。もしかして転移?時間も遅いし一度寝てから様子を見ることに。

 

早朝。朝食後すぐ急な嘔吐に襲われ食べたばかりの内容物を全部吐き出してしまう。ドンペリドン(抗悪性腫瘍薬投与時の吐き気止め)は食事の一時間前に服用し、もう一度ベッドでゆっくり横になって血中濃度が高まるのを待つのが最も効果的なのだが、母に聞いてみると今朝は服用後二十分ほどしか経たないうちに食事の支度を始めてしまったらしい。

 

支度に取りかかるのがちょうど午前六時頃なので家族の見守りといってもそこからしか見ていないし見られない。ドンペリドンの食前一時間前服用は母がトイレに起きてきた時に自分で済ませる約束なのでそれはヒドロモルフォン(ナルサス)の痛み止め効果が持続していて幸いにも「めまい・ふらつき」のない時間帯の母に任せている。モルヒネ製剤の副作用特性は主に「めまい・ふらつき」と桁外れの便秘なのだが母の場合は「吐き気・嘔吐」。便秘が続くようならモルヒネ製剤に対応したまた違うタイプの下剤投入が原則でそのことは主治医ともかかりつけ薬局とも了承済み。

 

とはいえ今朝は食後服用のタケキャブ(制酸剤)もカロナール(痛み止め)もまとめて嘔吐。すっきりしたと言うので少し時間を置いてタケキャブとカロナールをもう一度服用。食事以前に薬ばかりになってしまう。

 

さらに前夜から懸案の足首の異様な膨張。ゆっくり指圧。多少おさまりを見せる。しかし見た目には生まれたばかりの嬰児の顔くらいの瘤が足首にくっついている感じ。思わずベトナム戦争の米軍空爆で出現した「ベトちゃんドクちゃん」の記憶が蘇る。写真撮影といっても興味本位になってしまえば逆に悪趣味なので止めておく。指圧で抑えられる間は決して焦らず慌てず根気よく続けるしかない。

 

家族だけで介護するには限界がある。かといって寝たきりになった場合、うちのような低所得世帯ではとてもではないが老人介護施設入居費用などまかなえない。大手マス-コミのような半分「ごろつき」関係者は知らないが。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はビル・エバンス「I HEAR A RHAPSODY」。