「どこの放送局が」という必要はもはやなく今や「すべての」放送局が連発し始めわざわざ危機感を煽り立てつつある国民年金「五年延長《報道》」問題。
十一月二十一日。テレビを付けた家族がいけなかったのだろうか。そのとき目に飛び込んできた光景はまたしても国民年金「五年延長《報道》」。
とても息苦しく著しく不自由な生活環境が蔓延している今の日本。その中で目立つどころかむしろ逆に細々と生きている妻は精神障害を患っている。もう限界に近いところへなぜこそこそ背後からしのびより金属バットでいきなり殴り倒すような危険行為をいとも平気でやってのけるのか。
これまでずっと支払ってきたではないか。支払ってきたし今なお支払い続けている。六十歳までは生きよう。最低でもそのつもりで長く遠くうすら寒い難治性精神障害とのつき合いを通しながら、それでもこれまで支払ってきた。あと何が欲しい。ドロボー・ジャパン。
今日はたまたま診察日に当たっていたのがせめてもの救いだ。最寄り駅まで十分ほど歩くのも苦しがる。衰弱が激しい。どの医療機関でもなぜか原因が特定できない急激な腰の曲がりよう。かかりつけ医院へほとんど担ぎ込んだような形になった。次の診察までもし何かあれば緊急で予約が取れるよう改めて治療態勢を整えてもらわねばならなかった。
帰宅途中の薬局はさほど待ち時間がないのだが、帰りぎわ、とうとう体まで崩折れ泣き出してしまった。薬局の薬剤師さんたちは引き継ぎも確かであるがゆえに昔から見知ってくれるいて、どんな時も声のかけかた、事情に応じた対応の仕方などよく心得てくれている稀にみるスタッフばかり。そうでなかったら、あわや転倒して地面に頭をぶつけ死んでしまうところだった。
それにしてもだ。いつまでしらじらしい三文芝居ばかり演じ続けるつもりなのか。テレビ「報道」というのは。先日の宝塚歌劇団もそうだが、死人が出るまでわかろうとしない。というより死人が出ることでますます稼ぎほかの大事な案件をいよいよ覆い隠しさらにつるんで恥ひとつしらない。デリカシーなど求めようとしたところで所詮テレビ局、自分で自分自身の傍若無人さがいったいどんなふうに映っているか、どれほど危険な刃物自身なのか、ぜんぜん見ようともしない。「詳しい方をお呼びしましょう」。どんな方。見ればそこらへんにうようよいる単なるファイナンシャルプランナー。単なる「知ったか」。こそこそ背後からしのびより金属バットでいきなり殴り倒すような危険行為をいとも平気でやってのけるネオリベ一名に過ぎない。
しかしだ。もし死んでいたらどうする。夜と霧にまぎれて行く先ひとつない人間を。どうすればいいのか。どう動けば適切か、適切と判断されるか、知りもしないのだろう。ん?ドロボー・ジャパン。