白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ196

2023年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十一月二十八日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

いつもよりおとなしい、というより、ソファでよく寝ていた。このところ昼間の睡眠時間が増えてきつつある。けれども飼い主の姿を見つけるとすかさずごろんとお腹を見せて遊んでほしいとアピールすることは忘れない。

 

成猫まであと約四ヶ月。人年齢でいえば中学入学くらい。今日は母に頼まれて近くのスーパーへ出かけたついでに切れかけていたキャットフードも一緒に買い込む。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ペリウィンクルズ。ギミックひとつないPOPが懐かしくも心地よい。初級英語の歌詞に日本語訳付き。


Blog21・ハンドルネーム綺談

2023年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

いつもネットに張り付き見張っているわけにはいかないし電気料金を馬鹿にすることは到底できない。そもそも個人がネットの番人あるいはデジタル警察と化す必要はないと考えるとともに日常的にそんな暇ひとつない立場から。

 

例えば白鑞金というハンドルネームでネット検索してみたとする。まっさきにではないようだが頁を繰っていくうちに「小説家になろう」というタイトルのサイトがヒットする。これまでそのようなサイトを見かけたと何度か知人に教えてもらったことはあった。けれどもこのブログとは無関係でありこちらから何かひと言でも書き込んだことは一切ない。実在人物のサイトだとすれば相手方にも失礼にあたるだろう。

 

もし万が一、ハンドルネームが同一であっても他に同じハンドルネームを使っている人々がどれほど多いか少ないか調べたことさえ一度もない。偽名を用いてほかの人々のサイトあるいは掲示板等へ侵入したこともまったくない。誤解なきようお願いしたいとおもうばかりである。

 

さて、「この年齢で」といえば一般論になってしまうかもしれないが、あえて言うと。

 

自身の体を痛めつけるようなことならこれまで随分やってきた。年齢的に今後は放っておいても体は徐々に痛んでいくだろう。それゆえ限りある時間を大切にしたい。大切にさせてほしい。しかしまだ死ぬわけにはいかず死ぬつもりもない。一致できる部分は一致へ同意する。一致できない部分は一致できないという点で一致することへ同意する。困難は承知の上でなお、そうありたいとおもう。できればの話だが。

 

そこでモデルケースというほどでもないが、ともかく何かできることはないか探ってみよう。特定の人々(団体など)から繰り返し何か嫌味を言われたとする。振り回されてしまわないために取れる態度のひとつ。ネット普及期にしばしば使われていた受け答え。

 

「よかった!いまちょうど嫌味のコレクションをしています」。

 

あとは放置しておけばいい。

 

しかしさらに誹謗中傷ばかり投げつけられたとする。悩んだ人間は数多い。有名な一節。

 

「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴(やつ)で埋(うずま)っている。元来何しに世の中へ面(つら)を曝(さら)しているんだか、解(げ)しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのを以(もっ)て、さも名誉の如く心得ている。五年も十年も人の臀(しり)に探偵をつけて、人のひる屁(へ)の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前(おまえ)は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みをせぬ事を数える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えば猶々(なおなお)云う。よせと云えば益々(ますます)云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々(にんにん)勝手である。只ひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのを以て、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう」(夏目漱石「草枕・P.131」新潮文庫 一九五〇年)

 

ヒントはたくさんあるとおもう。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて621

2023年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

末期癌の母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は藤野「温めて食べるおぼろ豆腐」。冷え込んだ朝にはちょうどいいらしい。三分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属のたれをかけ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日夕食。再びスーパーのパック寿司に挑戦したいと母はいう。わがままというか結構気まぐれ。そこでやや慌てつつもさしあたり皿に並べたのは八個の寿司ネタ。酢飯は酸っぱすぎるのでいつも通り食べない。ところが今回もまた寿司ネタだけなら八個ともすべて平らげた。ご飯は家で炊いたものを少し。

 

終末期患者の場合「わがまま」は通させるのがいい。偏りはあるにせよ生きる意欲が残っている。

 

母のわがままと気まぐれは息子が子どもの頃からの癖で一九七〇年代の消費行動にも現われていた。だからといってお金持ちとはほど遠いどこにでもある一般家庭の「中の下」レベル。使えるお金はあらかじめ限られている。ほとんどは食材に消えていく。それでも二週に一度くらいは近くの百貨店の一つも訪れ、そこそこゆっくり衣料品フロアを見て回る余裕はあった。家から近い順にいうと「高島屋」、「藤井大丸」、「大丸烏丸店」。

 

そんなとき息子は「荷物持ち」と称してこそこそ付いていく。高島屋の中にレコード店があり、ここでシングルレコード一枚はまず確実にゲットできた。大丸烏丸店まで足をのばす場合、帰りに脇道にそれたり交差点を少し折れたりすればすぐ幾つかの書店を覗くことができた。そんな時は文庫本を一冊ゲット。

 

わがままや気まぐれでもただ単なる老人の「わがまま」とか「気まぐれ」ではなく、かつて繰り返し経験し身に染み込んだ消費形態と同じパターンが見えてくると案外会話に幅を持たせることができる。母はお金持ち生活を知らない。だからかどうかは別として、「かつて繰り返し経験し身に染み込んだ消費形態と同じパターン」の再出現は今の出費の限度を越えることがなく、むしろ好奇心まで失われていないことの証拠にも見える。すると介助する側の気持ちも少しは持ち直そうという気が湧いてくる。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はスタン・ゲッツ「YESTERDAYS」。