白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて269

2023年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。今日の大津市の日の出前と日の出後の気象予報は曇り。湿度は6時で95パーセントの予想。湖東方面も曇り。鈴鹿峠も曇りのようです。

 

午前六時十分頃に湖畔へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.2.24)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

日の出時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.24)

 

二〇二三年二月二十四日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて268

2023年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。西から雲が湧き出てくる気まぐれな天気でした。日の入頃には晴れてきました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

日の入が近づきました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

「名称:“日の入”」(2023.2.23)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

二〇二三年二月二十三日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21・AIよりもさらに困難なアルベルチーヌ/制度化の謎・謎の制度化

2023年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

アルベルチーヌは依然として<未知の女>だ。というより<未知の部分>はさらに輪をかけて増殖していく。「私の考えを知ってからというものアルベルチーヌは、人がこの種のことをほのめかしたとたん、発言のみならず顔の表情ででも座談に加わるのをやめてしまった」わけだから。と同時に人間は、「顔の表情」を用いて「座談に加わる」ことができるし、「座談に加わ」らないこともできるとプルーストはいうのだ。

 

「バルベックでは、行儀のよくない娘たちのことが話題になると、アルベルチーヌはしばしばその娘たちと同じように笑いころげたり身体をくねらせたりしてその行儀の悪さを真似したもので、それがアルベルチーヌの女友だちにはなにを意味するかを想像して私は胸がはり裂ける想いをしたが、この点にかんする私の考えを知ってからというものアルベルチーヌは、人がこの種のことをほのめかしたとたん、発言のみならず顔の表情ででも座談に加わるのをやめてしまった」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.358」岩波文庫 二〇一七年)

 

もっとも、加わろうと加わるまいと、いずれにしても<制度化された顔>という文法が命ずるコンテクストに従う限りで、という条件付きだ。この種の文法に従う限りで始めて次のようにいうことができる。

 

「俎上にのせられたあれやこれやの女性にかんする悪口に一役買わないためなのか、それともべつの理由からなのか、ふだん目まぐるしく変化するアルベルチーヌの顔立ちのなかでそのとき私をはっとさせたのはただひとつ、人がこの話題に触れたとたん、その顔立ちが一瞬前の表情をじっと保ったまま、まるでうわの空の様子を呈したことだ。そんな軽薄めいた表情でも、じっと動かないと沈黙のように重々しくなった」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.358~359」岩波文庫 二〇一七年)

 

ところが、段落を置くことなく続くフレーズは、段落の欠如ゆえに、そこに屈折した問題が置かれているとはほとんど誰にも感じさせないような構造を取っている。

 

「アルベルチーヌがその手のことがらを非難しているのか賛同しているのか、その経験があるのかないのか、それを断定するのは不可能であったろう」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.359」岩波文庫 二〇一七年)

 

今でいう「AI」からの逆質問。瞬時に大量の情報を処理していく機能。その機能は、「情報処理」というより、むしろ大量の答えの系列を、どこまでも引き延ばし可能な答えの系列、として弾き出してくることにある。なるほど優先順位が付けられているため、今何を優先すべきか、はわかる。だがしかしそれはあくまで「差し当たり」とか「当面は」とかいった但し書き付きでしかない。逆に、時々刻々と変化=差異化されていく膨大無辺な過剰情報が次々インプットされていくため、結局のところ、わからない、と言っているに等しい。AI使用者はそういう現状を「見ない」ことでようやくAIに夢中になるとともに、一方的に「AI=神」という公式を打ち立て信仰するほかなすすべがない。もはや依存症化してきた。

 

「我々の感官は、力学的・物理学的・化学的な種々の実験にますます曝されるようになり、そうした外から圧しつけられる力や律動に対して、《陰険な中毒症状》に対するような反応をします。毒に適応し、やがて毒を要求するようになるのです。そして服用量が日々不足に思われてくるのです」(ヴァレリー「知性の決算書」『精神の危機・P.188~189』岩波文庫 二〇一〇年)

 

さらに。似たようなプロセスは第一次世界大戦の時すでに経験している。

 

「大国の仲間入りをする国、より古く、より完全な大国がすでに存在する時代にその仲間入りを果たす国はーーー古くからの大国が何世紀もかけて築いたものを駆け足で模倣し、よく考えられた方法にしたがって、自らを組織しようとするーーーそれは人工的に作られた都市がつねに幾何学的な構造の上に建てられるのと似た理屈である。ドイツ、イタリア、日本はそのようにして、隣国の繁栄や現代の進歩の分析がもたらした科学的概念の上に作られた、後発の国家である。もし国土の広大さが全体計画の迅速な実施の障害とならなかったら、ロシアも同様の一例を示すものとなったであろう」(ヴァレリー「方法的制覇」『精神の危機・P.73~74』岩波文庫 二〇一〇年)

 

とはいえ第二次世界大戦終結にあたってドイツ、イタリアは先に降伏した。<神は死んだ>(ニーチェ)を認めるほかなかった。そしてそれは実行に移された。ところが今のロシア。今のロシアによるウクライナ侵攻のための理屈はかつて大日本帝国が押し進めた理屈と同じ理屈だ。

 

「一九三三年三月にハッタは、企業視察のため日本を訪問している。そこでの対応は、インドネシア民族主義運動の展開と日本の満州侵略を考えるための、興味深い材料を提示する。『ジャワのガンジー』と日本の新聞で評されていた彼は、東京へ向かう列車の中で、インドネシアでの運動は最終的にオランダに対し、人民を反乱させようとするものかと尋ねられた。それに対し彼は、目覚めた民族がずっと踏みつけられているわけにはいかないと答え、その可能性を否定しなかった(『ハッタ回想録』)。

 

この日本訪問は、満洲国樹立の翌年であった。ハッタは東京で、帝国議会の副議長に食事に招待された。副議長から彼は、日本の満洲侵略の理由について聞かされた。副議長は、この地域がソヴィエト・ロシアに占領されると、日本には胸元に突きつけられたピストルになると述べた。自国を脅かす存在に対処するため、満洲に侵攻したという彼の主張である。副議長はハッタに、満洲訪問を勧めた。日本の満洲侵略を帝国主義的行動とみなしていたハッタは、副議長の主張に共感できず、それを断った。ただし、まさかその四二年後に、インドネシアが同様な理由から東ティモールに侵攻するとは思わなかったであろう」(弘末雅士「モハマッド・ハッタの夢」『図書・2022・6・P.28~29』岩波書店 二〇二二年)

 

この種の理念「信仰=崇拝」には種もあれば仕掛けもある。

 

「崇拝は崇拝される対象のもつオリジナルな、しばしばはなはだしく奇異な特徴や特異体質を消去するものであるーーー《崇拝とはそれそのものを見ないことなのである》」(ニーチェ「反キリスト者・三一」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.209』ちくま学芸文庫 一九九四年) 

 

どうすればいいのか。「エゴン・シーレ特集」で、偶然かもしれないが、村山悟朗がベイトソンを引用している。そういうしかないのだろう。

 

「二匹の犬が近寄って、『闘わない』というメッセージを交換する必要にせまられたとする。ところが、イコンによって『闘い』に言及するには、牙を見せるほかない。このとき彼らは、提示された『闘い』が単に《模索》段階のものであることを了解する必要がある。そこで彼らは、牙を見せられたことの意味を探っていくことを始める。一応けんかを始めてみて、その上でどちらも相手を殺傷する意志のないことを知り、その後に、親しくなるのであれば親しくなるというやり方である」(ベイトソン「プリミティブな芸術の様式と優美と情報」『精神の生態学・・P.215』新思索社 二〇〇〇年)

 

だがプルーストは、それは動物だからできる方法であって、人間同士の場合、まずできない、延々引き延ばされていくと告げている。というのも言葉の問題は貨幣の問題でもあるからだ。寄付名目であろうとなかろうと、戦場へ貨幣を投入する。貨幣は何にでも置き換え可能である。あっけなく軍事物資になることができる。そこに、問題は「人間自身」だと言ったマルクスの言葉の意味も滲み出てくる。

 

それだから「失われた時を求めて」は<ゾンビ的作品>だと述べたわけだけれども。そしてまた、アルベルチーヌには種もなければ仕掛けもない。AIよりもさらに困難なのだ。

 


Blog21・<総合と解体と>の<あいだ>はどう生きられるか/ブレイディみかこの勧める<非ハッピーエンドな絵本との出会い>/ドストエフスキーの場合

2023年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

前回引いた箇所はもう一つ大きな問いかけを含んでいる。<総合と解体と再総合>について、なぜそのようなことができるのか、だけではない。

 

「ところが消え失せていた危惧がいっそう強い力でふたたび私にとり憑いたのは、私がヴェルデュラン家へ行ってきたとアルベルチーヌに告げたとたん、その顔に不可解ないら立ちの表情がつけ加わるのを見て、そもそもその表情があらわれたのはこれが最初ではないと気づいたときである。その表情は、そんないた立ちをいだきながら口には出さずにいる人にとって、論理的裏づけのある不平不満や明確な考えが肉体のなかに結晶したもので、それらが総合されて目には見えるようになったがもはや合理性を失っていること、また愛する相手の顔からそうした不平不満や考えの貴重な残滓をかき集めようとする者は、相手の心中に生じていることを理解するために、こんどは分析の手法を用いて、総合された全体を元のさまざまな知的要素へ戻そうと試みることだということも、私はよく承知していた」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.356」岩波文庫 二〇一七年)

 

言いたいのは、<総合と解体と>の<あいだ>はどう生きられるか、ということだ。「これ」でもなく「あれ」でもなく「それ」としか言えないような<あいだ>の瞬間。ブレイディみかこはいう。

 

「谷川さんが書かれている言葉もそうですが、登下校する子どもたちや交差点を行き交う人々をじっと見ている半ズボン姿の少年は、まさに『この世とあの世のあわい』(somewhere between)にいるようで、『この世の記憶が木霊のようにかすかに残る』音を聴いているようです。絵を描かれた合田里美さんのなんとも言えないブルーのタッチ(ランドセルを背負っているから日本の子どもなのでしょうけど、目が青いんですよね)との相乗効果もあるでしょう。この絵本を危険だと思う人がいるとすれば、それは少年が自死するということより、この『その世』感にわけ知らず惹かれてしまうからだと思います」(ブレイディみかこ「青空」『図書・2022・7・P.43』岩波書店 二〇二二年)

 

ほとんど瓜二つといっていいような、似たような経験についてプルーストはこう書いている。

 

「私はその三本の木をじっと見つめた。すると木それ自体はよく見えるのだが、わが精神は自分の力の及ばないものをその木が隠しているのを感じた。対象があまりにも遠くにあって、伸ばした腕の先の指をさらに伸ばしてもときおり外皮をかすめるだけで、何もつかめない状態である。そんなとき人は一息いれ、いっそう勢いをつけて腕を前方につきだし、懸命にもっと遠くまで届かせようとする。ところが私の精神がそのように身構えて弾みをつけるには、ひとりになる必要があった。私は、ゲルマントのほうの散歩で両親のそばから離れたときのように、脇によけて一人きりになりたいとどれほど思ったことか!そうすべきだとさえ思えた。この歓びが実在することがわかっていたからである。この歓びは、おのが思考についての思考という努力をたしかに要求はするものの、この歓びを放棄させる呑気な楽しみなど、これに比べればじつに平凡な楽しみに思える。対象が何であるかが予感されるだけの歓び、私自身がつくりださねばならない歓び、それを私はごくたまにしか味わったことがなかったが、味わうたびに、そのあいだにすぎ去ったものにはほとんど重要性がなく、この歓びの実在だけに専念するならば私も晴れて真の生活をはじめることができるのではないかと感じられた。私はいっとき目の前に手をかざし、ヴィルパリジ夫人に気づかれずに目を閉じていられるようにした。そのまましばらくなにも考えず、やおら身構え、力を蓄えた思考の弾みで木立の方へとわが身をのりだした、というか、正確に言えば、心のなかで木立を見ていたその内なる方へとわが身をのりだしたのである。するとふたたび木立の背後に、見覚えはあるが漠とした同じ対象を感じはしたが、それをわが身にひき寄せることはできなかった。そのあいだも馬車は進み、それにつれて三本の木立が揃って近づいてくるのが見えた。いったいどこで見たことがあるのか?コンブレーの周囲にはこんなふうに小径が口を開けているところはどこにもない。まして私がある年に祖母と湯治に出かけたドイツの田舎などに、そんな木立を想い出させる光景が入りこむ余地はない。その木立は私の生涯のすでにあまりにも遠くなった歳月から現れてきたために、それをとり巻く景色は記憶からすっかり消えうせていて、一度も読んだことがないと想いこんでいた本のなかで突然それとわかる文章に再会して感動するのにも似て、幼いことに読んでいながらすっかり忘れていた本から、その木立だけが生き残って浮かんできたと考えるべきなのだろうか?それとも逆にその木立は夢の風景で見かけたにすぎないのだろうか、夢の風景というのはすくなくとも私にはつねに同じで、奇怪に見えるその様相も、ゲルマントのほうで頻繁に私に生じたように、ある場所がまとう外見の背後に私が予感した神秘をなんとか捉えようとする奮闘とか、バルベックがそうであったように、訪ねたいと願いながら実際に訪ねてからは余計に思えてきた場所にふたたび神秘を注ぎこむ努力とか、覚醒中にしていたそんな奮闘が睡眠中に客体化したものにすぎないのだろうか?その木立は前夜の夢から出てきたばかりのイメージなのに、早くもすっかりかすんでいてそのせいではるか遠い昔から到来したように見えただけなのだろうか?それとも私はその木立を一度も見たことがないけれど、その木立はゲルマントのほうで目にしたあちこちの木々や草むらに似て、遠い過去が有するような不分明で捉えがたい意味を背後に宿していたために、その木立からその想念を深めるよう要請されたとき、なんらかの想い出を認めなくてはならないと想いこんだのだろうか?いや、それとも木立はなんら想念など宿してはおらず、ただ目が疲れると空間上にものが二重に見えることがあるように、時間上でその木立が二重に見えたのだろうか?私にはわからない。そう考えているあいだにも、木立は私のほうにやって来る。もしかするとあれは神話のまぼろしか、魔女やノルンの踊るロンドで、その神託を私に告げているのかもしれない。私はむしろあれは過去の亡霊で、幼いころに親しかった仲間や亡くなった友人たちが想い出を共有したいと訴えているのだと思った。黄泉(よみ)の国の亡霊のように、いっしょに連れて行ってほしい、生き返らせてほしいと私に頼んでいるように感じたのである。その素朴で情熱的なしぐさに私が読みとったのは、愛されながらことばを使えなくなった人が、言いたいことが相手に通じない、相手も察してくれないと感じるときのすべもない想念の想いである。やがて、とある十字路で、馬車はその木立を見捨てた。馬車は、私がただひとつ真実と信じたもの、私をほんとうに幸せにしてくれるはずのものから私を遠ざけたのであり、その馬車の歩みはわが人生にそっくりだった。私の見た、必死に腕を振りながら遠ざかる木々は、こう言っているような気がした。『きみは今日ぼくらから学ばなければ、このことは永久に知らずじまいになるんだよ。この道の下からきみのところまで背伸びして行ってやったのに、そのぼくらをこの下に捨ておくのなら、せっかく届けてやろうとしたきみ自身の一部は永久に無に帰してしまうよ』。実際、このあと私は、またも今しがた感じたこの種の歓びと不安をふたたび見出し、ある夜ーーー遅ればせながら、しかし永久にーーーこの想いに専念することになったが、それとは裏腹に、木々が私にもたらそうとしてくれたものについても、私が木々をどこで見たのかについても、二度と知ることはなかった。そこで馬車は辻を曲がり、私は木々に背を向け、木々は見えなくなった。ヴィルパリジ夫人はなぜそんな夢見るような顔をしているのかと私に訊ねてきたが、私は今しがた友人を失ったような、以前の自分ではないような、死者に会いながら知らぬ顔をしたような、神に出会ったのにわからなかったような悲しい気分だった」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.178~182」岩波文庫 二〇一二年)

 

ブレイディみかこが「『その世』感にわけ知らず惹かれてしまう」と要約しているのはそういうことだろう。

 

プルースト作品の中でぽつぽつ見かけることができるようになった言葉。「わたしはわたし自身を生きる」。ヨーロッパでも十九世紀末から二十世紀初頭にかけてようやく流通し始めた比較的新しい言葉。偶然だがブレイディみかこは別のところからこの言葉を引いている。

 

「『わたしはわたし自身を生きる』というのは、(わたしのヒーローでもある)大正時代のアナキスト、金子文子の有名な言葉ですが、彼女は十三歳のときに朝鮮で川に飛び込んで自殺しようとします。でも、飛び込もうとした瞬間に蝉が力強く鳴き始めたのを聞いて自然の美しさに気づき、死を思いとどまります」(ブレイディみかこ「青空」『図書・2022・7・P.44』岩波書店 二〇二二年)

 

それが「《これだ》と感じる瞬間」というものなのだろう。ドストエフスキーの場合、また違うケースを通して「《これだ》と感じる瞬間」を描いた。三箇所。

 

(1)「彼はさまざまな物思いにふけるうちに、こんなことを考えてみたのであった。すなわち、自分の癲癇(てんかん)に近い精神状態には一つの段階があり(もっとも、それは意識のさめているときに発作がおこった場合にかぎっていたが)、それは発作のほとんど直前で、憂鬱と精神的暗黒と胸苦(むなぐる)しさの最中に、ふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように燃えあがり、ありとあらゆる彼の生活力が一時にものすごい勢いで緊張するのである。自分が生きているという感覚や自意識が稲妻のように一瞬間だけ、ほとんど十倍にも増大するのだ。その間、知恵と感情はこの世のものとも思えぬ光によって照らしだされ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、まるで一時にしずまったようになり、調和にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な境地へ、解放されてしまうのだ。しかし、この数秒は、この光輝は、発作がはじまる最後の一秒(決して一秒より長くない)の予感にすぎず、この一秒は、むろん、耐えがたいものであった。彼は健康な状態に戻ってから、この一瞬のことをいろいろと考えてみて、よくひとり言を言うのであった。この尊い自覚と自意識の、つまり、《至高の実在》の稲妻とひらめきは、要するに一種の病気であり、正常な状態の破壊にすぎないのではなかろうか。もしそうであるならば、これは決して至高な実在どころではなく、かえって最も低劣なものに数えられるべきものではなかろうか。彼はそう考えながらも、やはり最後には、きわめて逆説的な結論に到達したのであった。《これが病気だとしても、それがどうしたというのだ?》とうとう彼はこんなふうに断定した。《もしこれが異常な精神の緊張であろうとも、それがいったいどうしたというのだ?もし結果そのものが、健全なときに思いだされ、仔細(しさい)に点検してみても、その感覚の一瞬が依然として至高の調和であり、美であることが判明し、しかもいままで耳にすることも想像することもなかったような充実、リズム、融和、および最高の生の総合の高められた祈りの気持に似た法悦を与えてくれるならば、そんなことは問題外である!》この漠然(ばくぜん)とした表現は、まだあまりにも弱いものであったが、彼自身にはまったく明らかなものに思われた。いずれにしても、それが真に《美であり祈りである》ことを、また《至高なる生の総合》であるということについては、彼もまったく疑うことができなかった」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.419~420」新潮文庫 一九七〇年)

 

(2)「ついに生きていられるのはあと五分間ばかりで、それ以上ではないということになりました。その男の言うところによりますと、この五分間は本人にとって果てしもなく長い時間で、莫大(ばくだい)な財産のような気がしたそうです。この五分間にいまさら最後の瞬間のことなど思いめぐらす必要のないほど充実した生活が送れるような気がしたので、いろんな処置を講じたというのです。つまり、時間を割りふりして、友だちとの別れに二分間ばかりあて、いま二分間を最後にもう一度自分自身のことを考えるためにあて、残りの時間はこの世のなごりにあたりの風景をながめるためにあてたのです。その男はこの三つの処置を講じて、このように時間を割りふったことをよく覚えていました。この死を目前に控えた男は、当時二十七歳で、健康な頑丈(がんじょう)な体格の持主でしたが、友だちに別れを告げながら、そのなかの一人にかなりのんきな質問をして、その答えに非常な興味さえ持ったということです。さて、友だちとの別れがすむと、今度は《自分自身のことを考えるため》に割りあてた二分がやってきました。本人はどんなことを考えたらいいか、あらかじめ承知していました。いま自分はこのように存在し生きているのに、三分後にはもう何か《あるもの》になる、つまり、誰かにか、何かにか、なるのだ、これはそもそもなぜだろう、この問題をできるだけ早く、できるだけはっきりと自分に説明したかったのです。誰かになるとすれば誰になるのか、そしてそれはどこなのであろう?これだけのことをすっかり、この二分間に解決しようと考えたのです!そこからほど遠からぬところに教会があって、その金色の屋根の頂が明るい日光にきらきらと輝いていたそうです。男はおそろしいほど執拗(しつよう)にこの屋根と、屋根に反射して輝く日光をながめながら、その光線から眼を離すことができなかったと言っていました。この光線こそ自分の新しい自然であり、あと三分たったら、なんらかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、という気がしたそうですーーーいまにも訪れるであろうこの新しい未知の世界と、それに対する嫌悪(けんお)の情は、まったく空恐ろしいものでした」(ドストエフスキー「白痴・上・第一編・P.109~110」新潮文庫 一九七〇年)

 

(3)「ある数秒間がある、ーーーそれは一度にせいぜい五秒か六秒しかつづかないが、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるんだよ。これは地上のものじゃない。といって、なにも天上のものだと言うのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰(めいせき)で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかし、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終るごとに、『しかり、そは善(よ)し』と言った。これはーーー感激というのではなくて、なんというか、おのずからなる喜びなんだね。人は何を赦すこともしない、というのはもう赦すべきものが何もないからだ。人は愛するのでもない、おおーーーそれはもう愛以上だ!何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。もし五秒以上もつづいたらーーー魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくは全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ」(ドストエフスキー「悪霊・下・第三部・P.395」新潮文庫 一九七一年)

 

ドストエフスキーのケースでは、「《至高なる生の総合》」、「いまにも訪れるであろうこの新しい未知の世界と、それに対する嫌悪(けんお)の情は、まったく空恐ろしい」、「十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ」、とあるように<総合・分裂・変化>の瞬間の実際というものがどういう経験なのか、よく伝わってくる。それは「死刑」とか「教会」とかいう俗語の繋がりを維持しつつも、まるで違った生成変化の三つの仕方について述べられており、その点で大変興味深い。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて267

2023年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。今日の大津市の日の出前と日の出後の気象予報は雪。湿度は6時で93パーセントの予想。湖東方面も雪。鈴鹿峠は曇りのようです。

 

午前六時十分頃に湖畔へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.2.23)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

日の出時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.2.23)

 

 

二〇二三年二月二十三日撮影。

 

先日の身体測定で体重がさらに約1㎏減少していました。あと2㎏弱の減量に成功すればもともとの理想的体重に戻ることになります。一九八〇年代に買ったリーバイスの最も細いモデルをまた履くことができて、とても経済的。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。