昨日の午前中に上げたブログが上がっていないとか、午後になって上がっているとか、ブログ主では判断できない。goo blogの管理責任なのかもしれないが、そこまではわからない。なのでもう一度上げてみることにしました。
プルーストは<制度化された顔>というテーマと<制度化された顔という制度からの解放>というテーマを接続する。二箇所。(1)「その表情は、そんないら立ちをいだきながら口には出さずにいる人にとって、論理的裏づけのある不平不満や明確な考えが肉体のなかに結晶したもので、それらが総合されて目には見えるようになったがもはや合理性を失っている」。(2)「愛する相手の顔からそうした不平不満や考えの貴重な残滓をかき集めようとする者は、相手の心中に生じていることを理解するために、こんどは分析の手法を用いて、総合された全体を元のさまざまな知的要素へ戻そうと試みる」。
「ところが消え失せていた危惧がいっそう強い力でふたたび私にとり憑いたのは、私がヴェルデュラン家へ行ってきたとアルベルチーヌに告げたとたん、その顔に不可解ないら立ちの表情がつけ加わるのを見て、そもそもその表情があらわれたのはこれが最初ではないと気づいたときである。その表情は、そんないら立ちをいだきながら口には出さずにいる人にとって、論理的裏づけのある不平不満や明確な考えが肉体のなかに結晶したもので、それらが総合されて目には見えるようになったがもはや合理性を失っていること、また愛する相手の顔からそうした不平不満や考えの貴重な残滓をかき集めようとする者は、相手の心中に生じていることを理解するために、こんどは分析の手法を用いて、総合された全体を元のさまざまな知的要素へ戻そうと試みることだということも、私はよく承知していた」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.356」岩波文庫 二〇一七年)
というのもそもそも人間の顔というのは、或る価値体系のもとで一つの<制度として>成立してきたものでしかなく、それがまた別の価値体系へ移動した場合、たちまち解体されるほかないような<制度>でしかないからだ。或る一つの条件のもとで、その有効期間中に限り、かろうじて持続することができる、余りにも脆く儚いものだ。
なおかつ<制度としての顔>がいっときの流行として何度でも繰り返し反復可能であり、様々な仮面の組み合わせ組み換えを要請するのは、文字通りそれがほんのいっとき有効性を持つに過ぎない<制度>でしかないという条件に取り憑かれているからに他ならない。
ルノワールの絵画が先頭に立っていた時期。それはルノワールの絵画がパリ全域で<制度化>され終わり、次の新しい絵画の潮流によって押し流されるまで続いた。
「ある新進作家が発表しはじめた作品では、ものとものとの関係が、私がそれを結びつける関係とはあまりにも異なるせいか、私には書いていることがほとんど理解できなかった。たとえばその作家はこう書く、『撒水管はみごとに手入れされたもろもろの街道に感嘆していた』(これはさして難しくないので、その街道沿いにすいすい進んでゆくと)『それらの街道は五分ごとにブリアンやクローデルから出てきた』。こうなるともはや私には理解できなかった。町の名が出てくるはずだと思っていたのに、人名が出てきたからである。ただし私は、出来の悪いのはこの文ではなく、私のほうに最後までゆき着くだけの体力も敏捷さも備わっていない気がした。そこでもう一度はずみをつけて、手脚も駆使して、ものとものとの新たな関係が見える地点にまで到達しようとした。そのたびに私は、文の中ほどまで来ると、のちに軍隊で梁木(りょうぼく)と呼ばれる訓練をしたときのように、ふたたび落伍した。それでもやはり私は、その新進作家にたいして、体操の成績にゼロをもらう不器用な子がずっと上手(じょうず)な子に向けるような賞賛の念をいだいた。そのころから私はベルゴットにさほど関心しなくなった。その明快さがもの足りなく思えたのだ。その昔には、フロマンタンが描くありとあらゆるものがだれにもそれとわかり、ルノワールの筆になるとなにを描いたものかわからない、といった時代もあったのである。趣味のいい人たちは、現在、ルノワールは十八世紀の大画家だと言う。しかしそう言うとき、人びとは『時間』の介在を忘れている。ルノワールが、十九世紀のさかなでさえ、大画家として認められるのにどれほど多くの時間を要したかを忘れているのである。そのように認められるのに、独創的な画家や芸術家は、眼科医と同じ方法をとる。絵画や散文によるその療法は、かならずしも快くはないが、治療が終わると、それを施した者は『さあ見てごらんなさい』と言う。すると世界は(一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家があらわれるたびに何度も創造し直される)、昔の世界とはまるで異なるすがたであらわれ、すっかり明瞭に見える。通りを歩く女たちも昔の女とは違って見えるが、それはルノワールの描く女だからであり、昔はそんなものは女ではないと言われていたルノワールの描いた女だからにほかならない。馬車もルノワールの描いたものだし、水も空も同様である。われわれは、その画を最初に見たときには、どうしても森にだけは思えず、たとえばさまざまな色合いを含んではいるが森に固有の色合いだけは欠いたタピスリーに思えたものだが、そんな森と今やそっくりの森を散歩したい欲求に駆られる。創造されたばかりの新たな世界、しかしやがて滅びる世界とは、このようなものである。この世界は、さらに独創的な新しい画家や作家がつぎの地殻の大変動をひきおこすまでつづくだろう」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・二・一・P.339~342」岩波文庫 二〇一三年)
だが顔の場合はもっと早い。顔を形成している諸断片は様々に解体・置き換え・再構成が可能だ。そのぶん、再解体、再総合、いずれの作業も人々の「お気に召すまま」自由自在に加工=変造できてしまう。人間は他人の顔を自分の頭の中に呼び出し、暇つぶしでもするかのようにしょっちゅう他人の顔、なかでも表情を歪めてみたり笑わせてみたり、とりわけ卑猥な取り扱い方に習熟する。
顔はなるほど制度ではある。ところが個々人の頭の中で推し進められるのはどんな作業だろうか。何人もの他人の顔の諸断片を組み合わせ組み換え、加工=変造する作業が止むことなく進行している。しまいに、その顔は一体誰の顔なのか、さっぱりわからないところまでもて遊んでしまうのである。プルーストがいうのは、<顔の制度化>と<制度としての顔の解体>とは、いつも同時に絶え間なく推し進められている、否定しようのない事情についてなのだ。
さて。今日も朝から騒々しいウクライナ問題。ロシアを追求する動きを加速すべきだと大声を上げる「自称テレビ-マス-メディア」。大いにやればいいと思う。だがそうすればそうするほど視聴者はまた別のことを思い出さざるを得ず、複雑な面持ちになるのは仕方がないのかもしれない。弘末雅士はいう。
「一九三三年三月にハッタは、企業視察のため日本を訪問している。そこでの対応は、インドネシア民族主義運動の展開と日本の満州侵略を考えるための、興味深い材料を提示する。『ジャワのガンジー』と日本の新聞で評されていた彼は、東京へ向かう列車の中で、インドネシアでの運動は最終的にオランダに対し、人民を反乱させようとするものかと尋ねられた。それに対し彼は、目覚めた民族がずっと踏みつけられているわけにはいかないと答え、その可能性を否定しなかった(『ハッタ回想録』)。
この日本訪問は、満洲国樹立の翌年であった。ハッタは東京で、帝国議会の副議長に食事に招待された。副議長から彼は、日本の満洲侵略の理由について聞かされた。副議長は、この地域がソヴィエト・ロシアに占領されると、日本には胸元に突きつけられたピストルになると述べた。自国を脅かす存在に対処するため、満洲に侵攻したという彼の主張である。副議長はハッタに、満洲訪問を勧めた。日本の満洲侵略を帝国主義的行動とみなしていたハッタは、副議長の主張に共感できず、それを断った。ただし、まさかその四二年後に、インドネシアが同様な理由から東ティモールに侵攻するとは思わなかったであろう」(弘末雅士「モハマッド・ハッタの夢」『図書・2022・6・P.28~29』岩波書店 二〇二二年)
ここで言及されている「日本の満洲侵略」とその理念。それは「今日のロシアによるウクライナ侵攻の理念」とまるで違わない、どこがどう違うのか、という指摘である。同じことが時間と場所とを移動させて反復されている。