白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ベンゾジアゼピン(BZD)受容体作動薬とその周辺

2023年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

新聞連載をちらほら。

 

ブロチゾラム依存(2)。

 

ベンゾジアゼピン系抗精神薬。連載記事を見る限り「入眠導入剤として」処方され連用・依存に陥ったケースのようだ。ブロチゾラムを含むベンゾジアゼピン(BZD)受容体作動薬というのは何も入眠導入剤として「のみ」処方されうるわけではない。手術前投与やてんかんの発作予防などにも用いられる。だが連用・依存に陥り抜け出せなくなる典型的パターンは「入眠導入剤として」処方される場合が圧倒的多数。

 

幾つかネット検索してみる。しかし製薬会社の公式サイトもウィキペディアもその他いろいろを含めて、依存症に関する情報は、ほとんど何も書かれていないに等しい。社会の構造的諸問題の観点に立ってひとつひとつ見ていかないと見えるものも見えてこない。しかもこの事情は何から何まで一方的に製薬会社の責任だとも言いがたい。連用・依存に関する限り、公害などの薬害訴訟とは切り離して考えないといけない。係争中に依存症に陥ったケースもまた別とする。後者にあたる訴訟関連課程で出現した依存症は主に係争中に起こりうるハラスメント問題・政治的圧力の有無・インターネットを含む誹謗中傷などから多分に分岐しつつ出現しがちなケースとして取り扱われるべきが近いようにおもえる。ただ、経済的に訴訟一つ起こせない場合もあり、その点は当事者が泣き寝入りする必要のない法整備の検討に期待するしかないのが現状。

 

ブロチゾラム(商品名レンドルミンその他)乱用の歴史はブロチゾラム発売と同時に始まる。日本では一九九〇年代に流行した。その際、依存症者も激増した。しかしなぜ「流行期間」というものがあったのか。ふしぎにおもわないだろうか。まだネットはさほど普及しておらず一般書店で何種類もの分厚い「薬の辞典」が販売されていた頃。なかには薬の「人気度ランキング」を載せたものも幾つか見られた。

 

若年層はともかく比較的中高年齢層のあいだで「人気度ランキング」に載った薬剤名の「人気」に吸い寄せられでもしたかのように病院を訪れ、「人気度ランキング」で目に止まった治療薬を処方してくれるよう医師に頼み込むという事例が急増した。もっとも患者は「人気度ランキングで目に止まった」とは決して言わず言うはずもない。そうではなく「こんな症状で困っている。仕事にならない」と言いさえすれば、だいたい目当ての薬剤かそれに近い薬剤の処方を受けるができた。しかし問題は薬剤のことなどはなから知らない患者がベンゾジアゼピン系薬剤の処方を受け取り連用・依存に立ち至ったケースである。

 

他の商品市場がそうであるように薬物市場にも似たような傾向が見られる。その「名」だ。薬物は言うまでもなく言語の一つである。化学構造式もまた言語である。言語化されていない商品はたとえ闇であれ市場に出回ることができないし市場を形成することもできず、そもそも商品になれない。貨幣交換不可能だからである。専門病棟入院者がまっさきに受け入れないといけないのは、だから、少なくとも最初の一週間、場合によっては月単位で、一切の貨幣を持たないという誓約である。鉄の扉の向こう側などでは全然ない。

 

ブロチゾラムに限らず依存から抜け出し薬物を断ち切るための方法というのは人によりけりで、ずいぶん時間がかかることが少なくないけれども、差し当たり「休薬トライアル」(漸減法)を用いて徐々に摂取量を減らしていくとともに認知行動療法などを併用する。だがこの時期、最も頼りになるのは自助グループの存在。依存していた薬物抜きのしらふで、新しい人間関係を始めから作り直していかなくてはどうしようもない。ところが自助グループもしばしば機能不全に陥る。しらふに戻って生身の人間関係をやり直すというのはそもそもおしゃべり好きな人には気持ちがいいのかもしれないが、そうでない人にとっては逆効果。音楽なら音楽、読書なら読書、カヌーならカヌーといったように自身の得意な分野で新しい人間関係をつくっていくほうがよほど楽な場合が少なくない。

 

また「ご飯を食べろ」とよく言われる。アルコールもそうだが「ご飯」がお腹に入っていると嗜好品の側はたいてい「まずい」。お腹の中が「ご飯」である程度満たされていると、アルコールなり薬物なり、シンナーやトルエン、他の揮発性物質や揮発性物質入りの化粧品など、体の隅々まで目一杯「味わう」ことができ「ない」。すると当然「ご飯」を避けるようになるのも早い。急速に痩せていく。おまけに痩せ方がへんてこだ。おかしい。

 

逆もある。ベンゾジアゼピン系薬剤は安定剤としてもよく利用される。抗不安薬として処方されることが多い。気持ちが大きくなる人の場合、食欲がふつう以上に出てくる。太る。ぶくぶく太る。ちなみに統合失調症治療薬の中に「オランザピン」という薬剤がある。オランザピンは太るとよく噂されているけれどもオランザピンだけでは何一つ太らない。オランザピンの作用の中には鎮静作用・吐き気止めなど抗不安薬と似た薬効があり、食欲が増してくる。食欲増進するがままにまかせて食べれば太るが、ほどほどで食べるの止めておくのはできない相談ではない。個人的に試したことがあるけれどもよく眠れるという面ではいいかもしれないが長時間眠りすぎるのですぐ止めた。そのあいだ食欲が増した感触を得たのは確かだ。また、あまりにも重い鬱状態にはまり込んだときは、睡眠時間確保のためだけに飲む強力な薬剤として個人的にレボメプロマジン(ヒルナミン)を用意してもらっている。しかしよほどでないと服用しない。一年に一度か二度。

 

話は戻る。比較的入手しやすいブロチゾラム等のベンゾジアゼピン系薬剤とその依存症が問題化していた一九九〇年代。若年層や薬物依存者のあいだではもっと早く、ベンゾジアゼピン系のトリアゾラム(商品名ハルシオン)、非ベンゾジアゼピン系のゾピクロン(商品名アモバン)、ブロムワレリル尿素(商品名ブロバリン)、クロルプロマジンその他合剤(商品名ベゲタミン)などをせっせと入手して遊んでいたのだった。

 

こんな調子では必要とされている場所へ必要な薬剤が適切に行き渡らず、必ずしも必要でない場所へハイリスクな薬物が行き渡ってしまう。なるべく早く手を打とうとすれば、薬物大国アメリカを例に取った場合、量的規制体制の法制化を推し進めるのが大変参考になるとおもう。まず国が、厚生労働省が、過度に薬物に依存することなく適切な量的規制を実施し、減少した薬物需要をそっくり福祉関連予算へ転化させるほうが妥当だろうとおもう。あくまで参考だが。厚労相がよほどの馬鹿でない限り、邪魔するエリート官僚があちこち脅してまわらない限り、検討してみる余地はあるかとおもう。

 

以前アルコールに関してこう書いた。

 

日本では高度成長期に全国的規模で爆発的に増えた。仕事帰りにたらふく飲む。体を壊すケースはふつうにあるのでしばらく措くも、帰宅後もまた飲む。しかも醸造用アルコールにこれでもかと砂糖を目一杯詰め込んでなんとなく重量感を感じさせているに過ぎない安酒を「辛口」と謳った超甘口。飲んだまま眠りこけてしまう。連続飲酒に発展するとぐうぐう眠り込んでいる間に便意をもよおし泥酔したままふらふらで目を回し、どこがトイレかわからない。タンスを便器と間違える。糞尿を出しているうちに後ろへ倒れる。起きあがろうとするとあらぬ方向へ起き上がり、よろめきつつ壁に顔面をぶつけ、間違えたと思う間もなく後ろへ倒れる。いけない、しっかりトイレへ戻らねばと注意深いつもりで床を探りながら這ってでもトイレへ戻る途中で肛門がゆるみそこでどろどろ糞尿を撒き散らす。さらにトイレへ向かわねばと動けば動くほど途中でちょいちょい出した小便溜まりで足をすべらせ転んでしまい、そこでまた糞尿をどろどろ垂れ流す。ようやく布団へ戻ってきたと思い気が抜けるや否や布団の中で糞尿をだらだら滴らせてあますところがない。

 

そして朝。目はなかなか覚めない。気になった家族、例えば心配した娘が飲んで寝ているはずの親の部屋のドアを開ける。その瞬間、目をおおうような光景が目に入るまでもなく、あまりにも異様な激臭が娘の鼻目がけて襲いかかる。そんなことが一度だけならまだしも、二度も三度も繰り返されたら、それは家出したまま二度と帰ったこない娘はわんさといる。吹き荒れるDV、家庭崩壊、カルト入信、多重債務ーーー。

 

というわけだが。しかしこれ、男に限った話だと思ったら勘違いもいいところである。家の中だから外から見てもわからないというだけのことで、女性もまた多い。そもそも日本人は欧米人と違って体質的にアルコールをさほど受けつけない。女性は特にそうだ。しかし蓄積したストレスをどこへ持っていけばいいのか。ここ二十年ほどのあいだ、短時間でぐいぐい隠れ飲みする女性が増殖した。コロナ禍の三年ほどでより経済的な家飲みを覚えた人々もあちこちにいる。さらに薬物が絡み、低賃金が続き、生活環境は低水準のまま据え置き、基本的「衣食住」さえままならない人々も放置されたまま。どうする日本。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて620

2023年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

末期癌の母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は藤野「温めて食べるおぼろ豆腐」。冷え込んだ朝にはちょうどいいらしい。三分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属のたれをかけ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日夕食。

 

(1)サバの焼いたのを半身。焼き魚は往々にして少しくどい。胃にもたれる。大根おろしをやや多めに添えると半身程度なら案外食べる。

 

(2)白菜とニンジンの煮物。サバは食べたのだが今度はそのぶん白菜などの煮物が食べられない。どちらか一方という傾向が一段と固まりつつある。

 

(3)ドンペリドンは朝昼と同じく食事の一時間前に必ず服用。それが前提。

 

(4)ドンペリドンの時刻表を守っていれば、昼食時に並べるトマト(小型一個分)のスライスの煮込みはほぼ毎日食べる。このトマトの煮込みをどれくらい摂取できるかが今の体調を推し測る指標のひとつになっている。

 

午後のおやつはほとんどの場合、季節の果物。戦時中生まれの年寄りということもあるかもしれないが、それ以上に、物心つく前から良質の果物が身近かつ豊富にあった。すぐそばの畑の隅にはしっかり肥溜めがあり、水捌けもよく、そのぶん夏は辛いけれども、こつこつ手入れしてやると実のならない年というのはほぼない。

 

この秋の果物で母がまあまあ食べたもの。といっても目立って少ないわけだが。

 

(1)カキ。ずっと好物。ここ数日でぐっと冷え込む日が増えた。冷えたものはだめでどうするか。日の当たる窓辺のソファで常温保存。日当たりが強すぎると思ったらカーテンで日差しをカット。それでも気温が上昇すればキッチンの日陰に置けばいい。

 

(2)ナシ。今年初めて見た新潟県産「新興梨」。大きい。母の場合、量はもうあまり関係ないのだが、なかなか美味しそうに食べていた。

 

冬の果物を思案中。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はスタン・ゲッツ「GONE WITH THE WIND」。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ194

2023年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年十一月二十六日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日は飼い主がワクチン接種に出かけているあいだお利口にお留守番。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ユール。その3。「CYBER MEAT」。ちなみに二年前のユール、四年前のユールから幾つか聴き直してみた。以前はもっとユーモアというか余裕みたいなものがあったようにおもう。ところが今作はどれを聴いても傷(楽曲)にはこうもいろいろあるということを改めて伝えてくれるしそのためにはより一層ソリッドなパンクを動員しなくてはと思ったのかもしれない。当然ながらちょっといかしたしゃがれ声とか既成品になってしまったパンクとは無縁だ。


Blog21・低所得者層の精神障害者を狙い撃つ日本マス-コミ暴力機構

2023年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は近くの医院で「ワクチン接種」(七回目)。予約が取れたのはひと月ほど前。インフルエンザの流行と重なりふだんより混んでいる様子だった。加速する高齢化の激しさは他の地方都市と変わらない。とはいえ何も高齢者ばかりとはちっとも限らない。子どもたちもまた増えた。

 

年がら年じゅう騒々しい大阪や京都の子育て環境を避けて二十五年ほど前に滋賀県へ流入してきた人々の子どもたちはもう就職したり大学生になった。かつてベビーカーに乗って愛嬌を振りまき周囲をなごませてくれていた子らの中にはすでに結婚出産した女性もいる。ずいぶんしっかりしたものだ。流入はさらに続き今の小学生や中学生はませた子が多いのも目立つ。言葉遣いの端々にとても繊細な気配りが感じ取れる。他人に傷つけられるのは誰でも嫌だが、他人を傷つけるのはそれ以上にもってのほかという意識の共有が、こんな古色蒼然たる地域のかび臭い風土へもようやく広がりを見せつつある。

 

京都生まれ京都育ちでちょっとどこかへ遊びにでかけるといえば歩いて二分の祇園のゲームセンター、歩いて十分の四条河原町、歩いて二十分の三条商店街の楽器店、そして夏には電車に乗って琵琶湖の水泳場というのが腹の底まで染み込んだ人間としては、死ぬまでリハビリを続けていける衣食住環境に選んだのが滋賀県というのはもう当然の成り行きだったとしか言いようがない。

 

それはそれとして。難治性精神障害(長期化した統合失調症の特定症状不能状態)を患う妻の腰が急速に曲がり出したのが去年の秋ごろ。「どこの放送局が」という必要はもはやなく今や「すべての」放送局が連発し始めわざわざ危機感を煽り立てつつある国民年金「五年延長《報道》」。まず先に低所得者層の狙い撃ちになることがわかりきっているがゆえにあえてじわじわ追い込み追い詰める殺人的手法を用いて陰惨極まりなく著しく人心荒廃をきたした大手マス-コミがやり始めた時期とぴたりと一致する。

 

夫としては大学入学と同時に「日本の黒い霧」の一角を理解を絶する図々しさで占拠して止まないマス-コミについて実際の日常生活と現代思想の立場からずうっと観察してきたこともあり、問題だらけのしらじらしくもおぞましい国民年金「五年延長《報道》」が、難治性精神障害をこじらせてしまっている妻の脳に向けていつどんな形で回復不可能な一撃をぶち込んでしまうことになるかひやひやしながらなるべくテレビを不用意に見せてしまうことのないよう気を付けてきた。

 

一方、末期癌で来年があるかどうかわからないところまで来ている母はほかに楽しみがなくなりかけているため気楽に見られるテレビドラマだけでも見ることにしていたらチャンネルはそのままにテレビを切っていた。夕食後、チャンネルを切り換えずそのまま切っていてはニュースを見ようとテレビを付ければ最初に目に飛び込んでくるのは当然テレビドラマを放送していたのと同じチャンネル。十一月二十一日放送のテレビニュースがぶるぶる震え怯える妻の精神にとって報道リンチの決定打となってしまったのはそんな事情による。

 

そのテレビ局というのは新聞紙では弱者の味方のふりを演じながらテレビ放送では政府が押し進めようとする実質的国民年金「五年延長」を煽り立てて富裕層ばかり儲かる方向へ誘導することで有名なところ。煽って稼ぎ弱者の味方のふりで二度稼ぐ。ほかのテレビも似たり寄ったりなのだが、たまたま十一月二十一日放送のテレビニュースは昔から二枚舌を使うわるい癖がいまでも抜きがたい頑迷な体質を後生大事に守り抜いている放送局。役者揃いで視聴者をびっくりさせる三文芝居は確かにうまい。いつも「優等生だらけの紳士淑女」を気取っているだけに実情を知らない一般視聴者はいとも容易に信じ込んでしまいがちな局でもある。だがその報道姿勢は抜き打ちで視聴者の脳にダメージを与えてほいほい誘導操作する危険この上ないテクニックに長けている。世間で揶揄されるときの隠語を使えば「テレビテロ朝日」。

 

近くの医院まで歩いて往復できる距離なのに今年に入って妻の腰はますます異様なほど曲がってきた。歩いて行って歩いて帰ってくることができる距離なのにここ数ヶ月は往復タクシーを使わなければならない。苦悶の表情は日に日に深く刻み込まれていく。障害年金にしても法律はしっかり守ってきた。違反一つしたことはない。マス-コミとふつうの市民とのこの落差。

 

にもかかわらず日本政府の「飼い犬」と化して久しいマス-コミは何かまずいことが発覚するやたちまち社員約一名を処分してうやむやにするだけでとっとと幕引きを図る。日本のマス-コミ暴力機構は来る日も来る日も新しい精神障害者を生み落とし、回復の見込みが残っている精神障害者の脳を目がけてわざわざ狙い撃ちにするような悪質報道を打ち込みまくり、日本政府の用心棒としてせっせと精進励んでいる。わけても隠語で揶揄される「テレビテロ朝日」系列は、一九九〇年代を通して多くのでたらめ捏造記事を平然と載せてきた週刊誌も終わってしまい、ますますわけのわからない密林の奥地へ自分で自分を追い込み追い詰め破滅したがっているとしか思えない。だからといってほかの社は違うというわけではさらさらない。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて619

2023年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は藤野「温めて食べるおぼろ豆腐」。冷え込んだ朝にはちょうどいいらしい。三分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属のたれをかけ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。

 

漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。

 

昨日夕食。カキフライの皮を剥いた中身を五個。ところがこれまで食べられていたカボチャの煮物がなぜかひと切れも食べられない。これにはまいった。今までなかったことなので。また工夫しないと。

 

ちなみに先日、寿司ネタだけでも今の母には珍しくすっかり平らげることができた近くのスーパーのパック寿司について。

 

(1)寿司コーナーが二カ所ある店舗(専門店除く)。母が平らげたのはスーパーがふつうに提供する惣菜コーナーに置いてあるもの。

 

(2)一方、同じフロアに入るがスーパー直営ではなくいわゆる専門店でもない鮮魚コーナーのパック寿司。こちらは寿司自体ひと回り小型だがネタに厚みがある上にノンアルコールであり、わさび(アルコール含)抜きも用意してあるので母を介助する側の息子は安心して食べられる。

 

(3)寿司ネタについて問い合わせてみたところ、鮮魚コーナーの寿司ネタはスーパー直営惣菜コーナーのものとは基本的に異なるとのこと。仕入れ先の詳細まではわからないらしい。

 

(4)息子は念の為、イクラは食べない。緊急時であろうとなかろうと酒に手を出し止まらなくなり酔ってしまっていては母の介助(終末期医療領域)どころか妻の介助(精神科領域)もできず猫の世話もしてやれない。災害時対応はまず無理。もっとも万が一飲んでしまったとして、二日程度のうちの段階なら一人で断酒する方法があるにはある。ただし身に付いている場合に限って、である。

 

参考になれば幸いです。

 

今朝の音楽はスタン・ゲッツ「MY OLD FLAME」。