新聞連載をちらほら。
ブロチゾラム依存(2)。
ベンゾジアゼピン系抗精神薬。連載記事を見る限り「入眠導入剤として」処方され連用・依存に陥ったケースのようだ。ブロチゾラムを含むベンゾジアゼピン(BZD)受容体作動薬というのは何も入眠導入剤として「のみ」処方されうるわけではない。手術前投与やてんかんの発作予防などにも用いられる。だが連用・依存に陥り抜け出せなくなる典型的パターンは「入眠導入剤として」処方される場合が圧倒的多数。
幾つかネット検索してみる。しかし製薬会社の公式サイトもウィキペディアもその他いろいろを含めて、依存症に関する情報は、ほとんど何も書かれていないに等しい。社会の構造的諸問題の観点に立ってひとつひとつ見ていかないと見えるものも見えてこない。しかもこの事情は何から何まで一方的に製薬会社の責任だとも言いがたい。連用・依存に関する限り、公害などの薬害訴訟とは切り離して考えないといけない。係争中に依存症に陥ったケースもまた別とする。後者にあたる訴訟関連課程で出現した依存症は主に係争中に起こりうるハラスメント問題・政治的圧力の有無・インターネットを含む誹謗中傷などから多分に分岐しつつ出現しがちなケースとして取り扱われるべきが近いようにおもえる。ただ、経済的に訴訟一つ起こせない場合もあり、その点は当事者が泣き寝入りする必要のない法整備の検討に期待するしかないのが現状。
ブロチゾラム(商品名レンドルミンその他)乱用の歴史はブロチゾラム発売と同時に始まる。日本では一九九〇年代に流行した。その際、依存症者も激増した。しかしなぜ「流行期間」というものがあったのか。ふしぎにおもわないだろうか。まだネットはさほど普及しておらず一般書店で何種類もの分厚い「薬の辞典」が販売されていた頃。なかには薬の「人気度ランキング」を載せたものも幾つか見られた。
若年層はともかく比較的中高年齢層のあいだで「人気度ランキング」に載った薬剤名の「人気」に吸い寄せられでもしたかのように病院を訪れ、「人気度ランキング」で目に止まった治療薬を処方してくれるよう医師に頼み込むという事例が急増した。もっとも患者は「人気度ランキングで目に止まった」とは決して言わず言うはずもない。そうではなく「こんな症状で困っている。仕事にならない」と言いさえすれば、だいたい目当ての薬剤かそれに近い薬剤の処方を受けるができた。しかし問題は薬剤のことなどはなから知らない患者がベンゾジアゼピン系薬剤の処方を受け取り連用・依存に立ち至ったケースである。
他の商品市場がそうであるように薬物市場にも似たような傾向が見られる。その「名」だ。薬物は言うまでもなく言語の一つである。化学構造式もまた言語である。言語化されていない商品はたとえ闇であれ市場に出回ることができないし市場を形成することもできず、そもそも商品になれない。貨幣交換不可能だからである。専門病棟入院者がまっさきに受け入れないといけないのは、だから、少なくとも最初の一週間、場合によっては月単位で、一切の貨幣を持たないという誓約である。鉄の扉の向こう側などでは全然ない。
ブロチゾラムに限らず依存から抜け出し薬物を断ち切るための方法というのは人によりけりで、ずいぶん時間がかかることが少なくないけれども、差し当たり「休薬トライアル」(漸減法)を用いて徐々に摂取量を減らしていくとともに認知行動療法などを併用する。だがこの時期、最も頼りになるのは自助グループの存在。依存していた薬物抜きのしらふで、新しい人間関係を始めから作り直していかなくてはどうしようもない。ところが自助グループもしばしば機能不全に陥る。しらふに戻って生身の人間関係をやり直すというのはそもそもおしゃべり好きな人には気持ちがいいのかもしれないが、そうでない人にとっては逆効果。音楽なら音楽、読書なら読書、カヌーならカヌーといったように自身の得意な分野で新しい人間関係をつくっていくほうがよほど楽な場合が少なくない。
また「ご飯を食べろ」とよく言われる。アルコールもそうだが「ご飯」がお腹に入っていると嗜好品の側はたいてい「まずい」。お腹の中が「ご飯」である程度満たされていると、アルコールなり薬物なり、シンナーやトルエン、他の揮発性物質や揮発性物質入りの化粧品など、体の隅々まで目一杯「味わう」ことができ「ない」。すると当然「ご飯」を避けるようになるのも早い。急速に痩せていく。おまけに痩せ方がへんてこだ。おかしい。
逆もある。ベンゾジアゼピン系薬剤は安定剤としてもよく利用される。抗不安薬として処方されることが多い。気持ちが大きくなる人の場合、食欲がふつう以上に出てくる。太る。ぶくぶく太る。ちなみに統合失調症治療薬の中に「オランザピン」という薬剤がある。オランザピンは太るとよく噂されているけれどもオランザピンだけでは何一つ太らない。オランザピンの作用の中には鎮静作用・吐き気止めなど抗不安薬と似た薬効があり、食欲が増してくる。食欲増進するがままにまかせて食べれば太るが、ほどほどで食べるの止めておくのはできない相談ではない。個人的に試したことがあるけれどもよく眠れるという面ではいいかもしれないが長時間眠りすぎるのですぐ止めた。そのあいだ食欲が増した感触を得たのは確かだ。また、あまりにも重い鬱状態にはまり込んだときは、睡眠時間確保のためだけに飲む強力な薬剤として個人的にレボメプロマジン(ヒルナミン)を用意してもらっている。しかしよほどでないと服用しない。一年に一度か二度。
話は戻る。比較的入手しやすいブロチゾラム等のベンゾジアゼピン系薬剤とその依存症が問題化していた一九九〇年代。若年層や薬物依存者のあいだではもっと早く、ベンゾジアゼピン系のトリアゾラム(商品名ハルシオン)、非ベンゾジアゼピン系のゾピクロン(商品名アモバン)、ブロムワレリル尿素(商品名ブロバリン)、クロルプロマジンその他合剤(商品名ベゲタミン)などをせっせと入手して遊んでいたのだった。
こんな調子では必要とされている場所へ必要な薬剤が適切に行き渡らず、必ずしも必要でない場所へハイリスクな薬物が行き渡ってしまう。なるべく早く手を打とうとすれば、薬物大国アメリカを例に取った場合、量的規制体制の法制化を推し進めるのが大変参考になるとおもう。まず国が、厚生労働省が、過度に薬物に依存することなく適切な量的規制を実施し、減少した薬物需要をそっくり福祉関連予算へ転化させるほうが妥当だろうとおもう。あくまで参考だが。厚労相がよほどの馬鹿でない限り、邪魔するエリート官僚があちこち脅してまわらない限り、検討してみる余地はあるかとおもう。
以前アルコールに関してこう書いた。
日本では高度成長期に全国的規模で爆発的に増えた。仕事帰りにたらふく飲む。体を壊すケースはふつうにあるのでしばらく措くも、帰宅後もまた飲む。しかも醸造用アルコールにこれでもかと砂糖を目一杯詰め込んでなんとなく重量感を感じさせているに過ぎない安酒を「辛口」と謳った超甘口。飲んだまま眠りこけてしまう。連続飲酒に発展するとぐうぐう眠り込んでいる間に便意をもよおし泥酔したままふらふらで目を回し、どこがトイレかわからない。タンスを便器と間違える。糞尿を出しているうちに後ろへ倒れる。起きあがろうとするとあらぬ方向へ起き上がり、よろめきつつ壁に顔面をぶつけ、間違えたと思う間もなく後ろへ倒れる。いけない、しっかりトイレへ戻らねばと注意深いつもりで床を探りながら這ってでもトイレへ戻る途中で肛門がゆるみそこでどろどろ糞尿を撒き散らす。さらにトイレへ向かわねばと動けば動くほど途中でちょいちょい出した小便溜まりで足をすべらせ転んでしまい、そこでまた糞尿をどろどろ垂れ流す。ようやく布団へ戻ってきたと思い気が抜けるや否や布団の中で糞尿をだらだら滴らせてあますところがない。
そして朝。目はなかなか覚めない。気になった家族、例えば心配した娘が飲んで寝ているはずの親の部屋のドアを開ける。その瞬間、目をおおうような光景が目に入るまでもなく、あまりにも異様な激臭が娘の鼻目がけて襲いかかる。そんなことが一度だけならまだしも、二度も三度も繰り返されたら、それは家出したまま二度と帰ったこない娘はわんさといる。吹き荒れるDV、家庭崩壊、カルト入信、多重債務ーーー。
というわけだが。しかしこれ、男に限った話だと思ったら勘違いもいいところである。家の中だから外から見てもわからないというだけのことで、女性もまた多い。そもそも日本人は欧米人と違って体質的にアルコールをさほど受けつけない。女性は特にそうだ。しかし蓄積したストレスをどこへ持っていけばいいのか。ここ二十年ほどのあいだ、短時間でぐいぐい隠れ飲みする女性が増殖した。コロナ禍の三年ほどでより経済的な家飲みを覚えた人々もあちこちにいる。さらに薬物が絡み、低賃金が続き、生活環境は低水準のまま据え置き、基本的「衣食住」さえままならない人々も放置されたまま。どうする日本。