新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

3年半ぶりの福岡旅行 #2-1

2023-03-10 17:54:46 | 旅行記

「3年半ぶりの福岡旅行 #1」のつづき、旅行2日目(2月26日)の話です。

私が泊まったホテルの近くには、2ブロックほどの広さの公園がありまして、その名は「冷泉公園」。これ、何と読むのだろうか? 「れいぜいこうえん」?それとも「れいせんこうえん」?
冷たい泉が涌いていたからならば「れいせん」だろうし、「和歌の家」として知られる冷泉家とのゆかりのある地ならば「れいぜい」だろうし…。
と、調べたら、「れいせんこうえん」でした。の名前「れいせんまち」から採られたらしい。

じゃぁ「冷泉町」町名の由来はなんだろ? と調べると、「人魚伝説」に行き着きました。
冷泉町にある「冷泉山 龍宮寺」(れいぜんざん りゅうぐうじ) について書かれたこちらのサイトによると、

創建時代は袖の港の海辺にあり浮見堂(うきみどう)と称されていました。
鎌倉時代はじめの貞王元年(1222年)、漁師の網に人魚がかかり、その報告を受け、都から勅使として冷泉中納言(れいぜいちゅうなごん)が下り、しばらく浮御堂に滞在されました。
占いの博士安部大富(あべのおおとみ)に占わせると「国家長久の瑞兆」というので、人々は大喜び、この人魚を浮御堂の地に手厚く葬り、「人魚は龍宮の使い」ということで、寺の名を龍宮寺、また勅使冷泉中納言にちなんで冷泉山と名付け、このあたりの海を冷泉の津というようになりました。

だそうです。
ただ、ややこしいことに、冷泉(れいぜい)中納言冷泉(れいぜん)山冷泉(れいせん)と、読みが変わって行っております

   

さて、ホテルで明太子マシマシ朝食を摂った後、前夜からの雨が上がって青空の下、博多の街へ観光に繰り出しました。

まず訪れたのは、ほど近い櫛田神社

櫛田神社にお詣りするのは、これが3回目で、今回は参拝のあと、社殿の軒飾り・破風飾りをしげしげと拝見しました。

櫛田神社の破風

拝殿の正面には縁起物波兎と、

なんともほほえましい風神雷神が楽しいぞ

さらに、こちらの記事にもちらりと登場した飛龍(応龍)もいるし、

これはなんだ?? 烏天狗か??

境内では、早咲きの河津桜が見頃を迎えておりました。

これが、今年初めて愛でるサクラだったんですが、そういえば、2019年シーズンも最初に咲いているサクラを見たのは福岡でしたっけ。

過去2回と同様に飾り山笠を拝見したあと、〆はおみくじ
今年4回目となるおみくじは、

「吉」
末吉⇒末吉⇒吉⇒吉 と、破綻なく(?) 着実運気上昇しております。

そうそう、以前からどういう意味なんだろ? と思いつつも、ずっとほったらかしていた「懸案」が解決しました。

「懸案」とは、櫛田神社の楼門に掲げられている「威稜」と大書きされた扁額です。
こちらのサイトによると、

楼門の額「威稜」「いつ」と読み天子・天皇の御威光という意味です。

だそうな。
そもそも読めませんでした
ところで、「威稜」「稜威」のどちらも、読み・意味とも同じで、櫛田神社の扁額についても、「威稜」とする説(左右)「稜威」とする説(左右)併存しています。
私としては、落款に記されていることを理由にして「威稜」説を採ります

   

櫛田神社の次に目指したのは、初めてとなる聖福寺だったのですが、大博通りに出て、横断歩道に向かって歩いていると、、、、

あれま 冷泉山 龍宮寺ではありませんか

せっかくなので、境内に入らせていただきました。
お寺の建物はかなぁ~り新しくて、これが「人魚伝説の龍宮寺」なのか疑わしいほど

でも、「人魚塚」なるものがありました

境内にはいくつものお墓が立ち並んでいたのですが、その多くが、人魚塚同様、刻まれた文字に金色が施されていました
お墓に生存中の人の名前を事前に刻む際に、朱文字にすることには馴染みがありますが、金文字のお墓を見たのはこれが初めて

なんで?? と、この記事を書くにあたって調べてみたら、福岡に限らず、九州ではお墓の文字を金文字(多くが金箔文字)にするのが珍しくないのだとか (ご参照)

金文字お墓を見たことにも驚きましたけど、九州じゃスタンダードだということにはもっと驚きました
いやぁ~驚いた

と、驚きまくったところで「#2-2」につづきます。

つづき:2023/02/12 3年半ぶりの福岡旅行 #2-2 

コメント
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