「3年半ぶりの福岡旅行 #1」のつづき、旅行2日目(2月26日)の話です。
私が泊まったホテルの近くには、2ブロックほどの広さの公園がありまして、その名は「冷泉公園」。これ、何と読むのだろうか? 「れいぜいこうえん」?それとも「れいせんこうえん」?
冷たい泉が涌いていたからならば「れいせん」だろうし、「和歌の家」として知られる冷泉家とのゆかりのある地ならば「れいぜい」だろうし…。
と、調べたら、「れいせんこうえん」でした。町の名前「れいせんまち」から採られたらしい。
じゃぁ「冷泉町」の町名の由来はなんだろ? と調べると、「人魚伝説」に行き着きました。
冷泉町にある「冷泉山 龍宮寺」(れいぜんざん りゅうぐうじ) について書かれたこちらのサイトによると、
創建時代は袖の港の海辺にあり浮見堂(うきみどう)と称されていました。
鎌倉時代はじめの貞王元年(1222年)、漁師の網に人魚がかかり、その報告を受け、都から勅使として冷泉中納言(れいぜいちゅうなごん)が下り、しばらく浮御堂に滞在されました。
占いの博士安部大富(あべのおおとみ)に占わせると「国家長久の瑞兆」というので、人々は大喜び、この人魚を浮御堂の地に手厚く葬り、「人魚は龍宮の使い」ということで、寺の名を龍宮寺、また勅使冷泉中納言にちなんで冷泉山と名付け、このあたりの海を冷泉の津というようになりました。
だそうです。
ただ、ややこしいことに、冷泉(れいぜい)中納言⇒冷泉(れいぜん)山⇒冷泉(れいせん)と、読みが変わって行っております
さて、ホテルで明太子マシマシの朝食を摂った後、前夜からの雨が上がって青空の下、博多の街へ観光に繰り出しました。
まず訪れたのは、ほど近い櫛田神社。
櫛田神社にお詣りするのは、これが3回目で、今回は参拝のあと、社殿の軒飾り・破風飾りをしげしげと拝見しました。
拝殿の正面には縁起物の波兎と、
なんともほほえましい風神雷神が楽しいぞ
さらに、こちらの記事にもちらりと登場した飛龍(応龍)もいるし、
これはなんだ?? 烏天狗か??
境内では、早咲きの河津桜が見頃を迎えておりました。
これが、今年初めて愛でるサクラだったんですが、そういえば、2019年シーズンも最初に咲いているサクラを見たのは福岡でしたっけ。
過去2回と同様に飾り山笠を拝見したあと、〆はおみくじ。
今年4回目となるおみくじは、
「吉」
末吉⇒末吉⇒吉⇒吉 と、破綻なく(?) 着実に運気が上昇しております。
そうそう、以前からどういう意味なんだろ? と思いつつも、ずっとほったらかしていた「懸案」が解決しました。
「懸案」とは、櫛田神社の楼門に掲げられている「威稜」と大書きされた扁額です。
こちらのサイトによると、
楼門の額「威稜」は「いつ」と読み天子・天皇の御威光という意味です。
だそうな。
そもそも読めませんでした
ところで、「威稜」「稜威」のどちらも、読み・意味とも同じで、櫛田神社の扁額についても、「威稜」とする説(左右)と「稜威」とする説(左右)が併存しています。
私としては、落款が左に記されていることを理由にして「威稜」説を採ります
櫛田神社の次に目指したのは、初めてとなる聖福寺だったのですが、大博通りに出て、横断歩道に向かって歩いていると、、、、
せっかくなので、境内に入らせていただきました。
お寺の建物はかなぁ~り新しくて、これが「人魚伝説の龍宮寺」なのか疑わしいほど
でも、「人魚塚」なるものがありました
境内にはいくつものお墓が立ち並んでいたのですが、その多くが、人魚塚同様、刻まれた文字に金色が施されていました
お墓に生存中の人の名前を事前に刻む際に、朱文字にすることには馴染みがありますが、金文字のお墓を見たのはこれが初めて
なんで?? と、この記事を書くにあたって調べてみたら、福岡に限らず、九州ではお墓の文字を金文字(多くが金箔文字)にするのが珍しくないのだとか (ご参照)
金文字のお墓を見たことにも驚きましたけど、九州じゃスタンダードだということにはもっと驚きました
いやぁ~驚いた。
と、驚きまくったところで「#2-2」につづきます。
つづき:2023/02/12 3年半ぶりの福岡旅行 #2-2