新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(2日目・その7)

2016-11-05 09:38:20 | 旅行記

「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(2日目・その6)」のつづきです。

天平彫刻の大傑作東大寺戒壇院四天王像を拝見するべく戒壇堂へ。

と、ここで、前の文で「戒壇「戒壇に書き分けたことについて…。

四天王像について書かれたものをいろいろ読むと、「戒壇の四天王像」と書かれたものもあれば「戒壇の四天王像」と書かれたものもあって様々です。なのかなのか、どちらなんだぁって感じです。

「戒壇」というのは、仏教において守らなければならない道徳規範や規則(戒律)を授ける(受戒)場のことで、Wikipediaから引用すると、

日本に仏教が伝わったのは538年であるが、その際に伝わった戒律は、不完全なものであった。当時、出家は税を免除されていたため、税を逃れるために出家して得度を受けない輩(私度僧)が多く、出家といえど修行もせず堕落した僧が多かった。そのため、唐より鑑真が招かれ、戒律が伝えられた。この戒律を守れるものだけが僧として認められることとなった。その結果、仏教界の規律は守られるようになった。鑑真は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。これが最初の戒壇である。その後、東大寺戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いた(天下の三戒壇)。

とのこと。
さらにJR東海のサイトから引用すれば、

初期の戒壇院は受戒の儀式を行うだけでなく、受戒したばかりの僧が、戒律について修学するための施設が整えられていた。というのも、発掘や資料によって、戒壇堂を中心とした戒壇院には、講堂、僧坊、食堂などの大きな施設があったことがわかっており、戒壇院はそれ自体が一つの独立した伽藍の様相を呈していた。やがて鑑真唐招提寺に移ると、東大寺の戒壇院は受戒の場として特化されていく。

だそうで、戒壇戒壇との関係がよく判ります。そして、戒壇堂のリーフレットに載っている「東大寺戒壇院伽藍絵図」から、戒壇院全体の様子を見ることができます。

そして、現代の東大寺戒壇院、ちゃんとその機能は生きているようで、JR東海のサイトにもあるとおり、2011年11月7~9日、26年ぶり戒壇堂「授戒会」が行われたのだとか。
1200年の時を超えて、営みが続いているなんて、ホント、凄いことだと思います。

   

さて、中国語が飛び交う大仏殿周辺の喧噪を抜けて戒壇堂の「ふもと」にやってきました。

おぉ、人影がない
でも、観光客・参拝客が皆無なわけではありませんで、修学旅行中らしい中学生のグループもいました。

この門の飾り瓦すっとぼけていて面白い

何を象(かたど)ったものなんでしょねぇ

さて、初めて拝見する東大寺戒壇堂

あれ、火灯窓があって、禅宗風
リーフレットによると戒壇院は、

創立当初は金堂、講堂、軒廊、廻廊、僧坊、北築地、鳥居、脇戸等があったという(東大寺要録)。そののち、治承4年(1180)、文安3年(1446)、永禄10年(1567)の三度、火災にかヽり創建当時の伽藍は全て灰燼に帰した現在の戒壇堂は享保17年(1732)に建立されたものである。

と、災難の連続で、この建物は江戸時代中期のもの。
それにしても、東大寺禅宗風というのはどういうこと? と思って、受付のおじさんに尋ねたところ、「授戒に宗派は関係ありませんから」とのこと。なるほど…

それはそうと、これだけ何度も火災に遭った戒壇院で、内部に安置されていた仏さまたちはどうなったのでしょう。そして、現在安置されている仏さまたちは?

リーフレットによれば、

堂内には四天王(塑像)及び多宝塔(木造)を安置する。四天王はもと銅造のものであったが、今はない。現在の有名な四天王は東大寺内の中門堂から移されたものといわれ、天平時代の傑作である。(中略)
中央にある多宝塔は、享保17年(1732)、当堂と共に造顕されたものといわれ、中に鑑真和上が来朝したとき唐から将来したものといわれる釈迦、多宝の二仏を模したものをまつる。
※多宝塔内には、摸造に二仏(木造)をまつるが、受戒の折には、東大寺ミュージアムの収蔵庫に安置されている将来品(銅造)をまつることになっている。

だそうで、この記述からは、元来、戒壇堂に安置されていた仏さまたちの消息で明らかなのは、「銅造四天王像がなくなった」ことだけですナ。
また、「東大寺内の中門堂から移された」と書かれている現在の塑像四天王像が、かつては法華堂(三月堂)に安置されていたらしいとの説は「その6」で書いたとおりです。

で、お目当て四天王像素晴らしかったぁ~

怒りを全身に表す持国天増長天、穏やかな姿勢ながら表情厳格さがにじみ出る広目天多聞天個々の像としても、ユニットとしても、いやぁ~、お見事

なかでも、やはり広目天が素晴らしい

向き合う人外観だけでなく、その心の中までを見通すような強烈目力(めぢから)
やましいものを抱え込んでいると、震え上がりそう怖さです。

今は「(伝)日光・月光菩薩立像」と同様、全身が白っぽい四天王像ですが、造られた当時は、奈良博で拝見したばかりの海住山寺四天王立像記事はこちら)のように、持国天:緑増長天:赤広目天:白多聞天:青彩色されていたんでしょうねぇ

それにしても、参拝客・観光客が少ない静かな環境で、こんなに素晴らしい仏さまたちしげしげと、思う存分拝見できるなんて、もう、幸せぇ~って感じ。

東大寺境内の最西端に、創建当時の佇まいそのままに立つ転害門(てがいもん)(見聞録はこちら)と共に、

戒壇堂は、東大寺の穴場であると共に、超お薦めスポットです。

共に東大寺の中心部からはちょっと離れていますが、東大寺にお参りされる折には、是非お訪ねくださいませ

つづき:2016/11/07 Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(2日目・その8)

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