清水昶氏は、2011年5月30日、心筋梗塞のため東京都武蔵野市の自宅でご逝去。70歳でした。
そして、詩人清水昶さんは、詩から俳句に移行なさって、約13年間ネット上において、
お亡くなりになる前夜まで、膨大な俳句(約35000句)を残されました。
それをまとめたものが、2013年5月に「俳句航海日誌」という遺稿句集として出版されました。
俳句の収録数は厳選の結果947句となりました。版元は「七月堂」です。
その俳句の一部だけでも、つたない鑑賞ながら書いてみます。
百の時計百の遺志以て鳴る寒夜 2002年1月19日付
この句は、遺稿句集には「百の時計百の意志以て鳴る寒夜」と掲載されています。
わたくしの過去のメモから見つけた句ですので、どちらが正しいのか今は確かめようもありません。
あるいは、2度書かれたとも考えることもできます。
しかしながら、わたくしの考えでは「遺志」の方がふさわしく思えてなりません。
野の舟はまだ漂い続けているのか
うつくしい少女はまだ目覚めないままか
時間は遅れることもなく
急ぐこともなく
やがて男の内に遺志の音を鳴らす
悪童と闇を取り合ふ蛍狩り 2002年8月14日付
この句は昶さんの悪童時代を彷彿させるような句ですね。
おそらく蛍を追いかけて、悪童たちが捕獲数を競い合っていたのではないか。
しかし、それは「闇を取り合う」ことにもなりうるわけですね。
陽に焼けた少年たちの腕や足が、大きな闇をかきまわし、押して、切り裂きながら、そしてふいにひっそりと、小さな光を追いかける躍動感あふれる様子が、一枚の絵画のように立ちあがってくる。
《朝日新聞・8月11日付・「歌壇、俳壇」のページより切り抜き》
生まれたるかげろふたれの終命か 2000年8月20日付
この句に多くの方々は詩人吉野弘の「I was born」を重ねて思いだされるかもしれない。
わたくしも当然そうだったけれど。
夏に交尾と産卵を終えれば、数時間後に死んでしまうかげろふ。
その後幼虫は2~3年を水中で生きて、成虫に羽化する。成虫の寿命は数時間から数日と短い。
かげろふの誕生は、死と引き換えであることから逃れる術はないのですね。
生と死とはいつでも抱き合っているようです。
「I was born 吉野弘」 ←←ここをクリックしてね。
骨格の正しき町に女下駄 2000年8月20日付
硬質な風景かしら?と思うけれど、描かれているものは違うようだ。
高層ビルが立ち並ぶ風景ではなく、しっかりとした木造の家並みが思い浮かぶ。
家々の屋根や庇、あるいは腰板などに、大工の卓越した技術がはっきりと見えるような……。
そんな町並みに、女下駄の音が響く。
音は空間をかーんと移動するが、骨格の正しき町は微動だにせず。
良く笑う旧正月の赤ん坊 2005年5月28日付
旧正月は、今日の暦のうえでは、1月22日ごろから2月19日ごろまでを毎年移動する。
何故、赤ん坊が旧正月によく笑うのかはわからないけれど、赤ん坊が笑うことで「旧正月」という言葉に
ぬくもりが添えられるようだ。周囲の人間たちが福福と笑う情景までが想像できる。
昶さんは小さな子が好きだったなぁ~と思いだす。思わず微笑みたくなる一句。
(つづく)