ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

野のユリ

2011-02-25 17:08:16 | Movie
Lilies of the Field - Amen


Lilies of the Field - Part 4 of 9


製作 ラルフ・ネルソン
監督 ラルフ・ネルソン
脚本 ラルフ・ネルソン / ジェームズ・ポー
原作 ウィリアム・E・バレット
撮影 アーネスト・ホラー
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
製作年:1963年・アメリカ

《キャスト》
ホーマー・スミス:シドニー・ポワチエ

キャンプ用具を積み込んだステーション・ワゴンで、きままな旅をしていたスミスは旅の途中で出会った尼僧たちに一杯の水を求めた。
たったそれだけのはずだった。しかし……
尼僧たちは東欧からベルリンの壁を命懸けで越えて来て、この荒れたアリゾナ砂漠に教会を建てようとしていたのだ。
そして彼こそ神が遣わした使徒だと言う。懸命に否定するスミスだったが、強引な院長に押し切られて教会の建設を引き受けてしまう事になった。
金も材料も人手も無い状況に町の人々は否定的だったのだが、彼の孤軍奮闘する姿に町の人々も心動かされていく。
やがてこの友情と信頼にささえられて教会は完成した。修道女たちが霊歌を歌うのを後に、スミスはステーション・ワゴンで静かに遠ざかっていった。

スミスは教会完成によって、自分の手によって1つのことを成し遂げることの幸福が、彼のこれからの旅の意味を持ったということ。

エーメン エーメン♪ シドニー・ポワチエはとってもステキ♪

一番面白かったこと。聖書とは便利である。
マリアとスミスとの会話の応酬で、引用されるのは聖書の言葉だった。

「野のユリ」と言うタイトルは「マタイの福音書6章25~34節」から引用されたもの。


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だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、
また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、
からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、
ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、
異邦人(神を信じない人)が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

屋根の上のヴァイオリン弾き

2011-02-24 16:53:47 | Movie
SUNRISE SUNSET


Opening Title(Instrumental half of Tradition)- Fiddler on the Roof film



監督 ノーマン・ジュイソン
原作 ショラム・アレイハム
脚本 ジョセフ・スタイン
音楽 ジョン・ウィリアムズ

《キャスト》
テヴィエ:トボル(1935年9月9日生まれ イスラエル/テル・アヴィヴ出身)
ゴールデ:ノーマ・クレイン(1928年11月10日生まれ アメリカ/ニューヨーク州出身)


またまた、ユダヤ人の映画である。

ショラム・アレイハムの短篇『牛乳屋テヴィエ』を原作としている。

ロシア革命前夜のユダヤ人迫害を背景に、ウクライナのユダヤ人一家の生活を描いたミュージカル。J・スタインのブロードウェイ劇をもとに映画化。
ウクライナ地方の小村に暮らすテヴィエ一家。
彼は牛乳屋を営み、妻と5人の娘に囲まれ、つましくも幸せな毎日を送っていた。そんな村人たちの様子を、
屋根の上にいるバイオリン弾きが楽しい曲を奏でながら見守っている。(これは何の象徴か?)
テヴィエとゴールデ夫婦には5人の娘がいる。
長女のツァイテルは貧しい仕立屋のモーテルと結婚。次女ホーデルは革命を夢見る学生闘士パーチックを追ってシベリアへ発ち、
さらに三女はロシア青年と駆け落ちしてしまう。そんな中、ユダヤ人の国外追放が始まる…。ここでは収容所、殺戮がないのは救いだった。。。


何故、このタイトルになったのか?
これは、マルク・シャガールの「The Blue Violinist」によるものか?
絵画は特定できないのですが、ご存じの方がいらっしゃいましたら、お教え下さい。



シャガールは、帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ・ヴィツェプスク)に、モイシェ・セガルとして生まれた。
ロシア名マルク・ザハロヴィチ・シャガル、ベラルーシ名モイシャ・ザハラヴィチ・シャガラウ。
故郷ヴィテブスクは人口の大部分をユダヤ人が占めているシュテットルで、シャガール自身もユダヤ系(東欧系ユダヤ人)である。
これは、帝政ロシアへの秘かな抵抗ではないか?

戦場のピアニスト

2011-02-24 02:00:08 | Movie
The Pianist - Ballade No.1 in G minor Op.23 - Chopin


/監督:ロマン・ポランスキー
原作:ウワディスワフ・シュピルマン
製作総指揮:ティモシー・バーリル ルー・ライウィン ヘニング・モルフェンター
製作:ロマン・ポランスキー ロベール・ベンムッサ アラン・サルド
脚本:ロナルド・ハーウッド ロマン・ポランスキー
音楽:ヴォイチェフ・キラール
製作年:2002年(フランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作)

《キャスト》
ウワディスワフ・シュピルマン:ウェイディク:エイドリアン・ブロディ
ヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉:トーマス・クレッチマン


『戦場のピアニスト』(The Pianist)は、ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、
ワルシャワの廃墟の中を生き抜いた実在のユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン本人の書いた体験記を元にしている。

映画の中でシュピルマンが、ヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉に頼まれて廃屋で弾いた、ショパンの「夜想曲第20番嬰ハ短調・遺作」がよく知られるようになった。
「バラード第1番ト短調作品23・クライマックス」「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調作品22・エンディング・華麗なる大ポロネーズ」など。

それにしても、なんと多くの命が粗末に扱われたことだろう。
これは「ナチス・ドイツ」に象徴されることのようだが、戦争はいつだってこうだ。
廃墟にかろうじて生き残ったシュピルマンをみつけた、ドイツ軍の陸軍大尉は「戦争は間もなく終わる。生き延びよ。」と
食べ物を密かに運んでくれたのだが、彼はドイツ軍人のために、今度はロシアの収容所で亡くなるという巡りあわせ。

人間は孤独のなかでも、生きることを止めないだろう。
しかし、人間が大きな群れをなす時には、侵略、狂気、殺戮も起きる。
一体人間とは?命とは?問い続けることを止めることはできない

思い出袋 鶴見俊輔 (その4=最終)

2011-02-18 23:22:41 | Book


この「思い出袋」は初出は「図書」。「1月1話」として2003年1月号~2009年12月号まで連載されたものに、
「書ききれなかったこと―結びにかえて」という「書きおろし」を加えて2010年に完結されたものです。
その間に鶴見俊輔は80歳から87歳になっています。貴重なものを頂いた思いがいたします。

鶴見俊輔の生い立ちと思想は、日米両国の文化のなかで生まれ、強靭な思想となって育てられ、
それは自由と孤独と郷愁(日米双方への。)に満ちたものと思われます。

この「書ききれなかったこと―結びにかえて」の最後の文章は、忘れることはないでしょう。
以下、引用します。これは鶴見俊輔の言葉ではなく、彼が選びとった言葉です。


『ところが歴史のない国、正確には先住民の歴史の抹殺の上につくられた開拓民の国アメリカでは、
 「金儲けの楽しさ」は妨げるものをもたずに展開してゆくことになる。
 トクヴィル的に述べれば、自分の富の増大と地位の向上をめざすことが人間の使命だというような精神が
 社会を覆っていったのである。そしてそのアメリカが世界の経済、政治、軍事の中心に座ったとき、
 伝統的なものと奥の方で結ばれているそれぞれの社会の抵抗する精神は、その力を弱体化させていった。』

  (内山節・「図書」2009年6月号より。)

フランクリン・ローズヴェルトは米国を安定させるために日米戦争を必要とした。
オバマ大統領は、自分の国で歯止めをかけられるか?……というのが、鶴見俊輔の大きな疑問。
彼が参画していた「べ平連」は非暴力の運動であり、ヴェトコンに対する共感がある。
1945年9月2日、ホーチミンがヴェトナム独立宣言のなかに、アメリカ独立宣言を引用したことと併せて考えると、
ヴェトナム戦争はアメリカがアメリカと戦って敗れた戦争であったと、アメリカ国民が理解するのはいつか?
……ということが鶴見俊輔の結びの言葉です。 

 (2010年第3刷 岩波新書)

シュルレアリスム展―パリ・ポンピドゥセンター所蔵作品による―

2011-02-18 14:59:15 | Art
17日午後、国立新美術館にて観てまいりました。
この傾向の絵画は、美術の歴史を読むためには大きな存在なのでせうが、170点の作品を観るのは神経が疲労困憊でした。



展覧会場入口で、まず驚いたことは、解説のはじめに「シュルレアリスム」は「男性名詞」だと書いてあったこと。
1924年「いとしい想像力よ、」と、シュルレアリスム宣言をしたのは、当時28歳の詩人のアンドレ・ブルトンだった。
これが20世紀最大の芸術運動の口火を切ったということになっています。


 《アンドレ・ブルトン 1935年・マン・レイ ゼラチン・シルバー・プリント》

これらの絵画については、疲れるから書きません。
その代わり、と言ってはなんですが、これは遊べるものでもあります。
上のマグリットの絵に向かって左側の顔を切りぬいて、右側にはめ込んだらどうなるのか?
帰宅してから、切り張り遊びをしました。疲れた神経に効きますよ(^^)。

そのためには絵葉書が2枚必要だなぁと思いましたが、ミュージアム・ショップでは上のパンフレットが山積み。
これを数枚失敬しました(^^)。そうしますと、以下のように微妙にはめ込みができないことが判明しました。
マグリットはわたくしの期待を裏切りました。


 《これはめ込み失敗作です。》


作品展示展開は5つにわかれていました。ほぼ時代順になっているようです。
1919年から1966年までの約50年の短い歴史です。わたくしが生まれる前から我が青春期までとなりませうか?

①ダダからシュルレアリスムへ(1919~1924)
②ある宣言からもうひとつの宣言まで(1924~1929)
③不穏な時代(1929~1939)
④亡命中のシュルレアリスム(1939~1946)←このあたり、第二次世界大戦。
⑤最後のきらめき(1946~1966) 

シュルレアリスムは、画家や詩人にとどまらず、文化全域に影響を与えています。
広告、映画、本の装丁などなど、今でもこの影響は我々の生活の細部にまで残っているのでせう。

『シュルレアリスム。私にとってそれは、青春の絶頂のもっとも美しい夢を体現していた。 マルセル・デュシャン・1966年』


以下、少しだけ作品紹介します。


 《「ギョーム・アポリネールの予兆的肖像」 ジョルジョ・キリコ・1914年》


 《「シエスタ」 ジョアン・ミロ・1925年》


 《「部分的幻覚:ピアノに出現したレーニンの6つの幻影」 サルバドール・ダリ・1931年》

 *    *    *

 《おまけ》




愛と追憶の日々

2011-02-15 15:07:36 | Movie
Terms of Endearment - Movie Trailer


監督/製作/脚色:ジェームズ・L・ブルックス
原作:ラリー・マクマートリー
製作:ペニー・フィンケルマン/マーティン・ジュロー
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
編集:リチャード・マークス
音楽:マイケル・ゴア
美術:ポリー・プラット/ハロルド・マイケルソン
特殊メイク:ベン・ナイ・ジュニア
日本語字幕翻訳:戸田奈津子

米国公開:1983年11月23日
日本公開:1984年2月25日

《キャスト》
オーロラ・グリーンウェイ:シャーリー・マクレーン
エマ・グリーンウェイ・ホートン:デブラ・ウィンガー
ギャレット・ブリードラヴ(元宇宙飛行士):ジャック・ニコルソン
フラップ・ホートン(エマの夫):ジェフ・ダニエル


テキサス州ヒューストン。48年、赤ん坊のエマを心配そうにみる母親のオーロラ。
56年、夫が死亡し、心細くなったオーロラはエマのベッドにもぐり込む。
64年、隣家に宇宙飛行士のギャレット・ブリードラヴ(ジャック・ニコルソン)が、引越して来た。
69年、エマは、大学教師のフラップ・ホートンと結婚。オーロラはこの結婚に反対して式にも不参加。

そこから展開する母娘との愛憎。
エマ&フラップ夫妻双方の浮気と3人の子供の誕生。オーロラの予測通りの貧乏生活。
子供は、長男のトミー、次男のテディ、長女のメラニー。
オーロラと元宇宙飛行士ギャレットとのあやうい恋。

エマは悪性の腫瘍となり助かる見込みはない。家族と母娘はそこで繋がってゆくが…。
エマの死後トミー、テディ、メラニーは祖母であるオーロラが育てることになった。
そこにはギャレットの今後の助力が予想される。

なんと、人間の愛し方に熟達しない人々だろう?
エマの死と引き換えに、それをそれぞれの周囲の人々に伝えることになる。

思い出袋 鶴見俊輔 (その3)

2011-02-13 13:34:13 | Book



「5・そのとき」のなかの「大きくつかむ力」より。

1941年、ハーバード大学3年の鶴見俊輔(日本人留学生は彼のみ。)は、在米日本大使館の「若杉公使」から、
日本への引き揚げを勧める手紙を受け取った。
彼の後見人の「アーサー・シュレジンガー(シニア)」と、すでに卒業して、同校の講師である「都留重人」との相談となった。
日米戦争についての見通しは、「都留重人」は「ならない。」鶴見俊輔は「なる。」と。
その時、「アーサー・シュレジンガー(シニア)」は、日本開国までの時代をさかのぼり、
その時代の指導者は、小さな貧しい国を指揮して、大国に負けない今日の一つの国というところまで、舵取りをしてきた。
そのような賢明な国の指導者が、負けるとわかっている戦争をするはずがない、という見解だった。

「ならない」はたしかに間違っていたが、「アーサー・シュレジンガー(シニア)」の考え方は基本的には間違っていない。

まず、「若杉公使」の忠告通り、大学の籍を抜いてアメリカ西岸に移動していたらどうなったか?
引き揚げ船は西岸まで来なかった。
船長は訓令により、太平洋上から日本に引き返したのだ。
1942年鶴見俊輔は東ボストンの留置場にいた。

「アーサー・シュレジンガー(シニア)」の考え方に沿って、彼は考えた。
200年前の「渡辺崋山」「高野長英」
150年前の「横井小楠」「勝海舟」「坂本龍馬」「高杉晋作」
100年前の「児玉源太郎」「高橋是清」さらに「夏目漱石」「森鴎外」「幸田露伴」
これらの方々は時代を大づかみする見識を持っていた。

その当時も現代においても、日本の官僚たちは200年の日本のおおまかな位置づけを離れて、
細かい情報処理のなかで、日米の舵取りをしているのではないか?
このもともとの病源は日本の大学教育にあると指摘している。

以上が80歳を越えた鶴見俊輔の、現代への警告と思えます。

愛と哀しみの果て

2011-02-11 12:27:38 | Movie
Out of Africa - "He was not mine"


これは、デニスを埋葬する前にカレンが詩(多分…)の本を読んであげるシーンです。
そして最後が「He was not mine」で終わる。涙が出る。。。
2人が会って話す時には、カレンは覚えている物語や詩をよく語ったものだ。


Out of Africa - Love scenes



監督:シドニー・ポラック
製作総指揮:キム・ジョーゲンセン
音楽:ジョン・バリー
原作:アイザック・ディネーセンの小説『アフリカの日々』
脚色:カート・リュードック

製作国:アメリカ合衆国
言語:英語&スワヒリ語

公開:1985年12月18日
日本公開:1986年3月15日

《キャスト》
カレン:メリル・ストリープ (←なんと美しい女性だろう!)
デニス・ハットン:ロバート・レッドフォード
プロア・ブリクセン男爵:クラウス・マリア・ブランダウアー



20世紀初頭のアフリカを舞台に、愛と孤独とコーヒー豆農場経営に生きたひとりの女性の半生を描いたもので、
観れば泣いてしまうことはわかっていても、やはり観てしまう。これで3度目です。懲りない性格。
1913年(翌年は第一次大戦のはじまり。)スウェーデン貴族のプロア・ブリクセン男爵と結婚し、ケニアに渡って来たデンマーク人の令嬢カレン。
だがそこには幸せな結婚生活はなかった。夫は農場経営をカレンに任せたまま、サバイバル生活ばかりで不在。
さらに、別の女性関係があった。そのためにカレンは重度の梅毒に侵される。
デンマークの実家に戻って、苦しい治療の結果、病気は治癒。しかし子供を産めないからだになってしまった。ついに別居。

そんな彼女の前にサファリのガイドを務めている冒険家デニスが現れた……。2人は当然恋におちる。
このアフリカの広大な自然を、デニスは馬ではなく車、さらに小型飛行機まで手に入れて、
カレンに見せる。そうしてまたしばらく不在。結婚はしない。同居ではあるが毎日一緒に暮らせるわけではない。

そしてコーヒー豆農場に併設しているコーヒー豆工場が突然焼失する。
もう、これ以上のどん底はないというところまで来て、
すべてのものを競売にかけ、カレンは実家に帰ることを決意する。
カレンが作った現地の学校の子供たち、雇いいれた黒人たちに惜しまれながら。

その時のワンシーンは忘れ難い。
カレンの身のまわりの世話をしていた黒人の手にいつも白い手袋をさせていたが、
それをカレンが謝罪しながら、カレンの手ではずしてあげたこと。
なにもかも失った時に初めて気づいたカレン。

その苦境にありながら、彼女はデニスに頼ることはしなかった。
しかしデニスは自らの生き方をカレンのために変えようとする。
そして数日後に帰ると約束していたが、カレンのもとに帰る時、飛行機事故で亡くなる。
そして、デニスを葬った台地には、ライオンの夫婦が来ていつも休んでいたという。


この映画はおそらく2度は観ています。今回で3度目。
しかし何度でも観たい映画ですが、この結末にはいつでも泣いてしまう。
どんなに愛しても、女性は孤独から解放されることはないのだと、突きつけられる思いがある。

この底知れぬ孤独のなかで、愛はどのように育むものなのか?それは永遠の問いでしかない。

思い出袋 鶴見俊輔 (その2)

2011-02-09 00:36:25 | Book


鶴見俊輔が「アガサ・クリスティ」の本に出会ったのは、1942年3月東ボストンの留置場に入れられていた時だった。
何故留置場に入れられたのか?ハーバード大学生だった彼が、日本人だったからだろう。
それを彼は「学校からの解放は楽しい時間をつくる。」とのたまう!!!
彼の同室にはほかにドイツ人とイタリア人だけだった。
本はもちろんない。

この留置場の網の外から、少年が売りにくる新聞と週刊誌を同室の人が買って、読んだ後は捨てていた。
それを読んだのが「アガサ・クリスティ」の「動く指」と鶴見俊輔との出会いだった。
最後まで読めないうちに、別の留置場に移され、やがて敵国の捕虜となり、メリーランド州ミード要塞に。
そこから交換船で日本に帰国。

それから10年後、彼はなめらかな言葉で邦訳された「アガサ・クリスティ」を次々に読んだそうな。

「アガサ・クリスティ」は2人の名探偵を生みだした。
もちろん「エルキュール・ポアロ」と「ミス・マープル」だが、
鶴見俊輔はこの「ミス・マープル」を絶賛している。
以下の引用文のために、これだけのことを説明してしまった(^^)。


『家の中のことを見届ける女の頭脳は、天下のことを見わける方法につながる、という考え方に立って
 女性作家クリスティは、ポアロよりもマープルをひいきにしていた。
 平和運動についても同じではないか。』

思い出袋 鶴見俊輔 (その1)

2011-02-06 22:13:45 | Book


本を読んでいて一番嬉しい出来事は、以前に読んだ本との共通項に出会った時。
今、鶴見俊輔のエッセー集「思い出袋」を読んでいます。その前にキルケゴールを拾い読みしていました。
この鶴見俊輔の本はほとんど全部を引用したいくらいに、光る言葉が続出します。
1回では書ききれませんので、分けて書いてゆきます。


まずは「1・はりまぜ帖」のなかの「学校という階梯」のなかに書かれた「金子文子」について。
「朴烈」「金子文子」夫妻(?)の話がある。
2人は「反天皇」思想を罪とされて死刑宣告。
その後「天皇」の名で大赦となるが、「大赦を受ける理由はない。」と金子文子は独房で自死。朴烈は終身刑となる。

1925年の「朴烈事件」

金子文子が獄中で書いた記録のなかで「今この時は、永遠のなかで保たれる。」という直感を述べているそうです。
ここで鶴見俊輔は、この金子文子の自死を、キルケゴールの説いた「永遠の粒子としての時間」という直観と響きあうと書いています。
天皇の大赦を退ける勇気が、その後の日常において保持できるか?という金子文子の予測感覚が自死に繋がる。

鶴見俊輔が彼女に着目した点はもう1つあります。
金子文子は、学校教育をほとんど受けていません。
それゆえに、教師の教えを念写することに習熟するだけの優等生の絶えざる転向の常習犯になる不幸に陥らなかったということでした。