ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

百人一首我流解釈 25~27

2023-05-27 21:42:35 | Poem

25

名にし負(を)はば 逢(相)坂山のさねかづら

人にしられで くるよしもがな  (三条右大臣 873~932)

 

「さねかづら」の「ね」は「寝」。「かづら」はからみつくもの。

かなり濃厚な表現になっている。逢うことの難しさが歌われている。

 

26

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

今ひとたびの みゆき待たなむ  (貞信公 880~949)

 

「みゆき」は漢字で書くと「行幸」つまり天皇のお出かけ。

その日まで、小倉山のもみじよ、散らずにいておくれ。

 

27

みかの原 わきて流るる いづみ川 

いつ見きとてか 恋しかるらむ   (中納言兼輔 877~933)

 

記憶に遠い方を何度も思い出そうとしているのは何故?

「恋しい」という言葉すら遠いものと思えてならないのに

湧き出る泉のように胸の奥で音を立てています。


百人一首我流解釈 23~24

2023-05-21 20:20:53 | Poem

23

月みればちぢにものこそ悲しけれ

我が身ひとつの秋にはあらねど    (大江千里 生没年不詳) 

 

「ちぢ」は無秩序に数の多いさま、ということ。とても悲しい。

 

24

このたびは ぬさ(幣)もとりあへず手向山

紅葉の錦 神のまにまに    (菅家・かんけ 845~903)

 

「このたび」は「旅」「度」の掛詞。「幣」は旅の安全を祈って、神様に捧げるもの。

その「幣」の用意もないままに、来てしまいましたが、この美しい風景を手向けたく

思います。


百人一首我流解釈 21~22

2023-05-20 10:00:47 | Poem

21

今来むといひしばかりに長月の

有明の月を待ち出でつるかな  (素性法師 生没年不詳)

 

すぐに逢いにきて下さると、おっしゃいましたわね。長い夜を待っておりましたのに。

有明の月を待っていたわけではないのに。「長月」は陰暦九月、すでに夜は長い。

 

 

22

吹くからに秋の草木のしをるれば

むべ山風を嵐といふらむ    (文屋康秀・ふんやのやすひで 生没年不詳)

 

「むべ」は「なるほど」という意味が込められている。

山の風が吹くと秋の草木はすぐにしおれてしまう、ということだな。


百人一首我流解釈詩 19~20

2023-05-12 11:11:31 | Poem

19

難波潟みじかき葦のふしの間も

逢はでこの世を過ぐしてよとや  (伊勢 788~938頃)

 

 当時としては、珍しいことではないが、伊勢は天皇に寵愛されて、皇子を生み、

その後、天皇の御子・敦慶(あつよし)親王との間に娘も生んでいる。

しかし、白洲正子は優れた、孤独な歌人と記している。

 

20

わびぬれば今はた同じ難波なる

みをつくしても逢はむとぞ思ふ  (元良親王 890~943)

 

の辺で、少々「食傷気味」になっております。なんと恋歌が多いことか。

しかも、自由恋愛の時代ではないか? 民は貧しく暮らしていた時代ではないか?

勝手にしやがれ。

 

これで、五分の一終了。しばらく休憩します。

ご迷惑とは存じますが、お付き合い下さいませ。


百人一首我流解釈詩 16~18

2023-05-10 10:10:22 | Poem

16

立ち別れいなばの山の峰に生ふる

まつとし聞かば いま帰り来む  (中納言行平 818~893)

 

「因幡・いなば」を「居なば」、「松」を「待つ」にかけている。

因幡にゆくために、お別れですが、「待つ」と言ってくだされば、

すぐに戻ってまいります。

 

17

ちはやぶる神代もきかず龍田(たつた)川

からくれなゐに水くくるとは  (在原業平朝臣 825~880)

 

「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。紅葉で川が赤く染まることなんて、

神々の時代ですら、聞いたことがない。

 

18

住之江の岸に寄る波よるさへや

夢の通ひ路人目よくらむ  (藤原敏行朝臣 生没年不詳)

 

住之江の岸に寄せる波のように、人目のない夜、夢の中でさえ逢っては

下さらないのですね。

「よく」は避けるという意味がある。


百人一首我流解釈 14~15

2023-05-08 23:06:36 | Poem

14

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに

乱れそめにし われならなくに   (河原左大臣 822~895)

「陸奥・みちのく」は現在の東北地方東部。「しのぶ・信夫」は福島県の旧郡名。今の福島市南部にあたる。「もぢずり」は信夫地方の独特の織り方で、乱れ模様のような織り方でないかと言われています。そのように心が乱れています、ということかな。

 

15

君がため春の野に出でて若菜つむ

わが衣手に 雪は降りつつ  (光考天皇 830~887)

 

まだ雪が微かに降る頃ですが、野に出て、せり、なずななどをつみます。

冬の間に乏しかった野菜を好んで食しましょう。


百人一首我流解釈 (11~13)

2023-05-06 13:47:17 | Poem

11

わたの原八十島かけてこぎ出でぬと

人には告げよ海人(あま)のつりふね   (参議 篁・ 八〇二~八五二)

 

「八十」とは数が多いこと。沢山の島を巡って流されてゆく身を、

海人たちよ、都に残された人に伝えてほしい。残酷な時代だなあ。

 

12

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ

乙女の姿しばしとどめぬ  ( 僧正遍昭 ・そうじょうへんじょう・八一六~八九〇)

 

舞姫たちの美しい姿をもっと見ていたいから、雲を引き寄せて

天の通り道を塞いでおくれ。

 

13

筑波嶺の峰より落つるみなの川

恋ぞつもりて淵となりぬる (陽成院・八六八~九四九)

筑波の峰は「男体」「女体」という二つの峰から、滴る水が合流して「皆野川」になると言う。あなたへの思いも、そのように深い淵となってしまいました。


百人一首我流解釈 8~10

2023-05-05 10:49:54 | Poem

わが庵(いほ)は都のたつみしかぞすむ

世をうぢ山と人はいふなり    (喜撰法師・生没年不詳)

喜撰法師は、平安時代の六歌仙の一人だが、確かな情報がない。

鴨長明「無名抄」には「宇治山に喜撰法師が住んだ跡がある。」と記されている。

「都」は京都のこと。「たつみ」は東南。「うぢ」は「「憂い」と「宇治」の掛詞。

 

花の色はうつりにけりないたづらに

我身世にふるながめせしまに    (小野小町・生没年不詳)

 

「小町」と言えば、美しい女性の代名詞ではないか?

その彼女にも、「老い」は訪れる。花が色あせてしまうように。

 

10

これやこの行くも帰るも別れては

知るも知らぬも逢坂の関     (蝉丸・生没年不詳)

 

「逢阪」と「大坂」。この二つは掛詞。逢坂の関は交通量が多く。沢山の人々が

行きかうところだった。


我流解釈 百人一首 4・5・6・7

2023-05-01 15:52:05 | Poem

田子の浦にうち出でてみれば

白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ (山辺赤人 生没年不詳)

 

見晴らしのよい田子の浦(由比、蒲原あたりの海らしい。)に来ました。

雪をのせた富士を見上げています。どこにでもある風景ですが……。

奥山に紅葉(もみぢ)踏みわけ鳴く鹿の

声きくときぞ秋はかなしき (猿丸太夫 生没年不詳)

 

かなしみは、日本人の歌の栄養素みたいなものかもしれない。

鵲(かささぎ)の渡せる橋におく霜の

白きをみれば夜ぞ更けにける (中納言家持 七一八~七八五)

 

鵲の背中は黒くて、お腹の方が白い

橋の霜は鵲のお腹と同じくくらい真っ白だった?

陰暦七月七日の夜、牽牛星と織姫星とを会わせるため

鵲が翼を並べて天の川を渡すという想像上の橋。

 

天の原ふりさけみれば春日なる

三笠の山に出でし月かも   (安倍仲麿 六九八~七七〇)

 

七一六年に、遣唐使として、彼は唐に留学していた。李白や王維たちと親しくなった。

しかし、暴風のために船が漂着して帰国できず唐で生涯を終える。


百人一首 我流解釈 3

2023-05-01 15:36:30 | Poem

あしびきの山鳥の尾のしだり尾の

ながながし夜をひとりかも寝む (柿本人麻呂 生没年不詳) 

 

「あしびきの」とは、「山」への掛詞

「しだり尾」とは、長く垂れた尾のこと。

その尾のように、長い夜を独りで過ごしているのです……。