ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

4月の小さな野花たち・その2

2016-04-30 22:03:25 | Stroll
相変わらず、小さな野花を見ると、素通りできなくなります。こまったね。


 ニワゼキショウ


 ノヂシャ


 ムラサキツメクサ(虫さんが蜜を求めているらしい。)


 アカバナ


下ばかり見ていると、立ち上がった時に眩暈が起きます。
ゆっくり休んで、見上げれば樹の枝にも季節の移ろいがはじまっています。


 染井吉野のさくらんぼ。撮影していたら老婦人に声をかけられました。
 「たべられるのですか?」「いいえ、残念ながら……。」


 もみじの種です。


上を見ても眩暈がします。ああああ。春は忙しい。

4月の小さな野花たち

2016-04-28 16:44:16 | Stroll
小さな野花は愛しい。その細部までをきれいに撮影できると、とても嬉しい。


 アメリカフウロ


 オトメフウロ


 ウシハコベ


 ムラサキサギゴケ


 キュウリグサ(このお花が一番小さいの。花の大きさが2ミリくらいです。)


 ハルジオン


 ウマゴヤシ


こんなことばかりしている。


ソ連が満州に侵攻した夏  半藤一利

2016-04-23 15:34:55 | Book


読後、どっと疲れましたが、読んでよかったと思っています。半藤一利さんが書かれたこの時期には、父はハルビンから現地召集令状を受けて、正体の見えにくい部隊に入り、母と子供たちはハルビンの家に残され、終戦の玉音放送を心細い思いで聴いたとのことです。
父が部隊から離れて(この離れた事情について書くと長くなりますので省略します。)母と子供たちと再会できるまでに2ヵ月以上かかりました。それから日本への引揚までの時期を、ハルビンよりも暖かい新京で生き抜いてきたわけです。

その時期にソ連と日本との間でどのような闘いと駆け引きと結末があったのかがよくわかりました。わかればわかるほど、私たち一家が終戦後1年余りで無事に日本へ引揚げられたことが「奇跡」のように思われます。

父も母もささやかな手記を残して下さいましたが、そこに書かれていないものが、今見えてきました。しかし、書かれていたことだけを信じていようとも思います。口には出せないような大きな不安を抱きつつ……。

でも、父も母ももうこの世にはおりません。父の末期の夢のなかには「ソ連兵」が現れました。母は認知症になってからは、満州にいる父のもとへ嫁いだ日から、その後の記憶はすべてなくなりまして、少女時代を生きておりました。戦争は終わっても、それぞれの戦争体験者に“戦後”はついになかったのです。

以下、引用します。
『満州国という巨大な“領土”を持ったがために、分不相応な巨大な軍隊を編成せねばならず、それを無理に保持したがゆえに狼的軍事国家として、政治まで変質した。それが近代日本の悲劇的な歴史というものである。司馬遼太郎氏がいうように、「他人の領地を併合して、いたずらに勢力の大を誇ろうとした」、その「総決算が“満州”の大瓦解で」あったのはたしかである。いまはこの教訓を永遠のものとすることが大事である。曠野に埋もれたあまりにも大きすぎた犠牲を無にしないためにも、肝に銘ずべきことなのである。』


小さな島国日本が、世界を知らないままに、大きすぎる国を造ろうとしたことはあまりにも稚拙であったのではないか?領土は小さくてもいいではないか。世界を把握し、理解する能力が問われるのではないか?


 (1999年7月 第一刷 文藝春秋刊)

4月の花の木&野花

2016-04-22 21:30:13 | Stroll
写真を撮ってから保存したまま、時は過ぎる。春は足早にその表情を変えてしまう。急いで整理します。


 ネコヤナギ


 トネリコ


 カリン


 クヌギ


 ヤエヤマブキ


 シロヤマブキ


 ハナミズキ


 グミノハナ


足元を見れば小さな野花たちが……。


 ノヂシャ(大好きな花)


 スズメノエンドウ


 ナノハナ

まだまだあるようですが、この辺まで。


もみじの花です。

2016-04-14 22:20:30 | Stroll


↑これは去年に撮った写真です。今年ももみじの花を探しに彷徨いました。


 これが全体像です。小さな花ですので、後は部分撮りでご紹介いたします。













小さな虫がいますが、花の蜜を求めてきたのですね。こんな小さな花にも……。

生きて帰ってきた男 小熊英二

2016-04-08 22:14:54 | Book




この本を読もうと思ったきっかけは、対談「戦争が遺したもの・鶴見俊輔・小熊英二・上野千鶴子」でした。この対談における小熊英二氏の鶴見俊輔氏への質問が、非常に見事だったことによります。

サブタイトルは「ある日本兵の戦争と戦後」となっています。これは小説ではありません。小熊英二氏によるお父上のお話の聞き取りと、時代考証から成り立っています。
読み終わって、深い感動を覚えました。小熊英二氏のお父上である「小熊謙二氏・1925年生まれ」の少年時代から旧制中学を早期卒業(戦争のため。)、その後の就職、そして召集で満州へ、終戦とともに、シベリア抑留者となる。そして帰国。貧しく働く場所を転々としてから、やがて仕事が順調になった。結婚、そして1962年小熊英二氏の誕生となる。

お話を「シベリア抑留」に絞らず、お父上の戦前、戦中戦後、そして今日に至るまでの歴史をすべて明らかにすることによって、「戦争」が一人の人間の生涯をどのように翻弄したか?そしてどのようにして、お父上が戦中戦後に誠実に向き合ってきたかが、丁寧に検証されていました。

その一例が、朝鮮人や台湾人の元日本兵が、元日本兵と同等の恩給その他を要求する運動や裁判に積極的に関わり、お父上の変わらぬ生き方をはっきりと見たという思いでした。

以前、新聞紙上で、小熊英二氏がお子さんと手を繋いでいる写真を見たことがありました。非常に忘れられないものでした。この本を読みながら、さらに忘れることはないでしょうと思いました。この先にも、さらに家族の歴史が続いてゆくのでしょう。どうか幸せな日々でありますように、と願っています。全ての人々も幸せでありますように。ふたたび戦争が起こりませんように。

書いていたら、きりがありません。感動をどう伝えたらいいのか?是非とも読んでいただきたいものです。


《覚書 引用です。》

『さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったのかを聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という問いである。
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」 そう謙二は答えた。』


 (2015年6月19日 第一刷 岩波書店刊)

覚書 春の小さな野花たち

2016-04-01 12:47:53 | Stroll
ちょっとだけ目を凝らすと、足元にはたくさんの小さな花が……。
踏まないようにと気をつけて、座り込んで撮影。


 タツナミソウ


 タンポポ


 シロツメクサ


 ミミナグサ


 カラスノエンドウ


 ヒメオドリコソウ


 カタバミ


 オオイヌノフグリ


 ハナダイコン


 キュウリグサ


 フラサバソウ


 ホトケノザ


 カタバミ


 ハコベ


 タネツケバナ


歩いても歩いても花……。