ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

モンスター・ママ(メモ8) 姥捨て

2012-02-24 22:40:07 | Mama


先の映画「楢山節考」と「デンデラ」を紹介したことには実はわけがある。それについて少々記してみます。
「楢山節考」に共通することは、70歳になると男女共に、山奥に捨てられるという村の規律があった。これは「死」を意味する。
「デンデラ」の場合は女性のみが捨てられる。しかしこの映画の場合は「捨てられた」というところから
物語ははじまる。その後実は「死」ではなく老女たちが逞しく山の中で集団で生きたという物語です。
「姥捨て」はもちろん貧しさのためである。

「楢山節考」で最もわたくしが魅かれたことは2つあります。
「おりん」が70歳の「姥捨て」を迎える時が来ても、歯が丈夫な自分と「食べられる身」を恥じるというところ。
そのために、石臼の縁に自分の前歯を打ちつけてしまう、鬼気せまるシーンがある。
さらにそれに関連して、息子に背負われて山へ行くことを想定すれば、自分は痩せていた方がよいという思いやり。
そして「姥捨て」の前夜、粗末な家の破れ障子を、ありあわせの紙で塞ぎ、古びた床をみがいていたおりん。

この「おりん」を演じた「田中絹代」と「坂本スミ子」は、お2人ともこの役のために本当に歯を抜いたという。
こちらもすごいお話です。

さらに山の中で、なるべく眠るように早く死ねるために、山に雪が降りはじめる日を選ぶおりん。
息子の苦悩を先取りするように、おりんは着々と事をはこぶ。

これは過去の歴史のなかでの物語ではない。
現代版「楢山節考」と「デンデラ」は形を変えながら、人間の根底にあるということだ。
老いても、人間の生きようとする意志。死の準備をする意志。どちらを選ぶか?
現代の老人の周囲は「殺意」や「悪意」すらある時代です。
それは貧しさのためではない。何のため?それを言葉にもしたくはない。

あらゆる反感や侮辱を買おうとも、わたくしは「おりん」を生きたい。


「うばすてやま」は諸説あります。

デンデラ

2012-02-23 21:14:33 | Movie
映画『デンデラ』


監督:天願大介
脚本:天願大介
原作:佐藤友哉
制作年:2011年

《出演女優陣…美人女優揃い♪》
浅丘ルリ子
倍賞美津子
山本陽子
草笛光子
山口果林
白川和子
山口美也子
角替和枝
田根楽子
赤座美代子

楢山節考

2012-02-22 16:59:45 | Movie
La ballata di Narayama (Shohei Imamura,1983)FILM COMPLETO SubIta


監督:木下恵介
原作:深沢七郎 「楢山節考」
脚本:木下恵介
制作:1958年

《キャスト》
田中絹代:おりん
高橋貞二:辰平(おりんの息子)
望月優子:玉やん (辰平の妻)


モンスター・ママ(メモ7) アンチ・フェミニズム??

2012-02-15 00:51:43 | Mama


フェミニズムとは、女性の社会的、政治的、法律的、性的、経済的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し、改正しようとする思想運動。
19世紀から20世紀初頭の欧米諸国を中心とする女性参政権運動の盛り上がりを第一波、
1960年代以後の「ウーマン・リブ」に代表される動きを第二波と区別することが多いようです。

「青鞜」は、上記のほぼ第一波に当るのでしょうか?
それは1911年(明治44年)から1916年(大正5年)にかけて発行された女性だけによる文学誌です。
当時の家父長制度から女性を解放するという思想のもとに、平塚らいてうが創刊。誌名は生田長江の命名。
当時のヨーロッパで知的な女性達がはいていた靴下が青かったことから「ブルー・ストッキング」と呼ばれたことに由来する。

同誌第1巻第1号に平塚が著した「元始、女性は太陽であつた。」という創刊の辞は、日本における婦人解放の宣言として注目され、多大な影響を及ぼしました。
1913年4月、文部省の提唱する「良妻賢母」の理念にそぐわないとの理由により、発禁処分を受けました。
1915年1月号より、発行人が平塚から伊藤野枝に交替。1916年2月に無期休刊となりました。


この重い歴史に反論するつもりは全くないのですが、これによって「家の外で働く女性」の歴史の基礎が築かれたのだろうと思います。
ここからは打ち寄せる波のごとく、女性運動は拡大、拡散してゆくことになりますね。その流れはどこまで行くのやら。。。

わたくし自身は、この流れにおかまいなく、「外で働かない女性」を生きてきました。
育児、家事、老親の看取り、これは重い労働でありながら、社会的評価は低い。
「最初」の育児、最後の「老親問題」は、まず働く女性には出来ない。
子供を持った働く女性は、身内の援助や、「育児」の賃金をどこぞに支払って、「育児」負担を減らしただけにすぎない。
「老親問題」は「仕事が休めない。」という理由で免除されてきた。(←誰に?)こうして「外で働かない女性」が担ってきた役割は大きい。

お次は「まごまご問題」です。こういう時代の若い母親の育児期間の憂鬱は、深刻な社会問題です。
これをなんとか助けるのは、またまた「外で働かない女性」の新たな仕事となるわけですね。なんとまぁ。充実した人生でしょう♪
それでも、世の中では「働く女性」は、それだけで世間からは高い評価を受けるのですよ。ごくろうさまです。乞う反論(^^)。

詩を書いている者には市民権がないのです。(←深刻なジョーク。笑。)
これはさておき。
「青鞜」に始まった「女性解放」の思想は、あまりにも拡散してしまったという感覚がわたくしには拭えないのです。
そしてその素朴な出発点がなんであったのか、それを継承しているのか?という疑問もあるのです。
「女性」であることが生きる上での「武器?」にもなる、ということもあります。これも含めて今の若い女性は本当に自立できているのか?
「自由・平等」をはきちがえていないか?という老婆心が拭いきれないのです。

また、「外で働く女性」=多忙&困難。「外で働かない女性」=有閑。と言う単純な世の図式に立腹しているのです。専業主婦が担ってきたものは大きいのです。
大分前の、ありふれたテレビドラマでしたが、そのなかで娘が母親に「いつも感謝しているのよ。」という言葉に対して、
「トイレにいつも花を欠かさなかったことに気付いていた?」という母親の質問に娘は絶句します。それは奇妙にいつまでもわたくしのなかに残りました。

三十年以上の主婦人生を総括することは困難なことです。
なんとかきちんとまとめたいのですが、申し訳ありません。

オニババ化する女たち 三砂ちづる

2012-02-15 00:03:28 | Book
映画『デンデラ』


 この著書の感想を書く前に、まず申し上げておきます。女性には「子供を産まない。」「結婚しない。」と主張する人生と、「子供を産めない。」という喪失の人生があります。後者の女性にとって、これはまことに残酷な著書だと思えます。この著書の趣旨は「女性よ、性をできうる限り幸福な営みとして受け入れ、子供を産みなさい。それもできるだけ早期に。」というものなのです。これはまさに酒井順子の著書「負け犬の遠吠え・講談社・2003年刊」の対極にあるかのようだが?

 さて、女性が仕事を持ち、自立できる時代が来たことは、おおいに喜ぶべきことです。しかしここでいつも問われるのは「母」と「子供」の問題なのでしょう。「母」が自立するために「子供」の存在は大問題となってしまった。まず今の出産適齢期にいる女性たちは「子供を産むか否か?」を考えるようになり、その後で「出産と育児の困難さ」に直面し、そして「仕事との両立は可能か否か?」という構図で考えるようになってしまったようです。

 しかし本来「子供」が産まれ、育ってゆくことは原初から引き継がれたものであり、特別なできことではない。無意識下にあった自然ないのちの営みを、女性の生き方の「大テーマ」として考えなければならない時代になってしまったということではないだろうか?元より「子供の生誕」と「女性の現代の生き方」とを並列して考えることには無理があるのではないだろうか?

 わたくし個人の過去の体験を思うとき、みずからのからだに内包されていた「人間の原初」を見たという鮮明な記憶があります。そして赤子は、母親の胎内で人間の進化の永い歴史を十月十日でやり遂げて、その時代に産まれてきたのです。口元に触れてくるものを「吸う」という記憶行為だけを母親の胎内からたずさえて……。そしてその行為の力強さも驚嘆に値するものでした。さらに四足歩行から二足歩行のいきものに変わるまでには約一年の期間があり、それらの過程は母と赤子の「蜜月時間」となるわけです。この相互の関わりが母と子供とのいのちの連鎖を自然に取り結ぶのではないでしょうか。そこは「フェミニズム」も「ジェンダー」も介在できない「アジール」的な世界なのではないかと思われます。

 この著書にはさまざまな事例が挙げられていて、列挙することは到底無理なことですが、「京言葉」についての事例のみご紹介いたします。わたくしにとっては一番興味深いところでもありましたので。「おいど」は通常「おしり」と解釈されていますが、実は「肛門、膣、子宮、外性器」全体を表現する言葉だそうです。また「おひし」は「女性性器」を表わす言葉で、お雛祭りの「菱餅」はこの「おひし」に由来するもの。ですから上方では「正座しなさい。」は「おいどをしめなさい。」となり、正座を崩すと「おひしが崩れますえ。」というお叱りを受けることになります。このなにげない日常の躾が、実はとても大切な女性の身体性を強靭に育てあげる教訓だったのですね。

 また、著者はさまざまな提言の根拠として、世界各地での母子に関する取材や保険活動の現状や統計報告もたくさん提出しています。また著者自身の「気付き」にすぎないものも記されています。この混在がこの著書の「生煮え」状況をつくっていることも否めません。この著書は「ジェンダー」「フェミニズム」の流れに「投げられた小石」の一つだと受け止めます。

「オニババ」を三砂ちづるはこのように定義しています。性と生殖にきちんと向き合えないまま、その時期を逸してしまった女性を昔話の「山姥」や「オニババ」に喩えたにすぎません。子供を持たぬ女性たちよ、早急に解釈して憤怒するなかれ。女性が「子供を産まない自由」について考えることのできる今日に至るまでには、過去の女性たちの永い永い歴史があるのだと考えてみてはどうか?ということなのではないでしょうか?

(光文社新書・2004年刊)

詩の樹の下で  長田弘

2012-02-07 21:30:31 | Poem
実は自分が詩の書き手でありながら、詩集の感想文(あえて批評とは言わない。)が苦手です。
冷汗が出ます。しかし今回は書いてみます。長田弘氏は「樹」と「木」を使い分けています。念の為。

ここに収録された作品は、2006年~2011年11月までに、雑誌掲載、
2011年3月以降の作品は主に新聞掲載、テレビ朗読などで公表されたものとなります。
多感な少年期を福島で過ごした長田氏を育んだものは「木」であったようです。
そして、2011年3月11日と前後して、長田氏は東京で命の瀬戸際を彷徨う病の床におられ、
そこから無事生還なさったという。その意識の放浪のなかで長田氏は記憶の「木」に出会っているようです。

この詩集の目次は、3部に分かれているわけではないのですが、
読み手のわたくしには、3部と考えられます。
1部は「記憶の木」、2部は「樹の絵」、3部は「人はじぶんの名を」に代表されるように東日本大震災及び原発事故に関する作品でした。

「人はじぶんの名を」の最終部分を。。。

 人はみずからその名を生きる存在なのである。じぶん
の名を取りもどすことができないかぎり、人は死ぬこと
ができないのだ。大津波が奪い去った海辺の町々の、行
方不明の人たちの数を刻む、毎朝の新聞の数字は、ただ
黙って、そう語りつづけるだろう。昨日は一万一〇一九
人。今日は一万八〇八人。

              (2011年5月3日に記す)



この↓「大きな影の樹」は「人はじぶんの名を」の前に置かれています。

 来て見てごらんよ。ここからは、歴史の木に吊るされ
た人びとの影が揺れながら消えていった、何もない向こ
う側が、とてもよく見える。



次は「樹の絵」と名付けた作品の1編です。

  

「モディリアーニの木」の最終部分から。。。

 モディリアーニの木の絵は、木がなにより自然のつく
った傑作であることを。あらためて想起させる。
 モディリアーニの完璧な肖像画が、自然のつくった失
敗作は人であることを、いつでも想起させるように。




最後になりましたが、「切り株の木」から。。。

 舗道のそばに、一本、大きな切り株だけがのこる木が
ある。椅子くらいの高さの切り株のまわりを、切り株の
木がずっと生きてきた時間が囲んでいる。日々の魂を浄
めるような時間が、そこにはのこっている。


  *    *    *

実は長田弘氏の詩集は何冊かは読んでいますが、苦手でした。
難解ではないのですが、ふっとかすかに「言葉の道徳教育」を受けているような気がするのでした。
(ごめんなさ~い。)
追憶の樹、画家たちの描いた樹(これは絵画の知識がないと…。)そしてこの詩集編纂以前に遭遇した病と津波と地震。
これらの3方向から書かれた「樹」と「木」は人間のささやかな幸福とは比べようもない永い時間を生きるのだと。
ここに人間はあらゆる思いを託すことができるのだろう、と思いました。

(2011年12月2日・みすず書房刊)