翻訳:豊崎光一・佐藤領時
この物語は「海を見たことがなかった少年・モンドほか子供たちの物語」に収められた8編の物語のなかの最初に置かれた1編です。
モンドは不思議な浮浪児でした。どこからこの南仏(多分・・・ここには地名が書いてありません。)の小さな海辺の町に来たのかを誰も知りません。町の人々が知っていることは「モンド」という名前と、気に入った人に遭った時には「僕を養子にしてくれませんか?」と挨拶することでした。この挨拶に人々が驚く表情を見せる前に、モンドはもうそこにはいませんでした。
モンドが1番恐れていたことは「シアパカン」の灰色の小型トラックでした。これは浮浪者を収容して、更生させるという名目で施設に閉じ込めるのでした。モンドはこの物語の瀬戸際まで、見事に逃げきっていました。朝の市場では荷物を降ろす手伝いをして、わずかなお金と食べ物をもらえましたし、届け物をすればそこでお駄賃のパンやお菓子ももらえました。友達はたくさんいました。遊びもたくさんありました。あたたかい土地でしたので、眠る場所はどこにでもありました。
1番好きな場所は海辺。毎日釣りをしているおじさんと仲良しになって、いつかあんな船に乗って海に出ようと約束したり・・・・・・もちろん実現はしません。また砂浜のお掃除をするおじいさんに「字」を教えてもらいます。砂浜の平たい石を集めて、そこにおじいさんはナイフでアルファベットを刻みこみ、それを並べて教えたのでした。その教え方はわくわくするような文字の短い物語があったのでした。全部書いてみませう。(←ヒマだなぁ・・・。)しかしこの物語の中で1番いいところ、1行の詩のようです。
A・・・2枚の羽根を後ろに折りたたんだ大きな蝿。
B・・・お腹が2つある、おかしなヤツ。
C・・・三日月
D・・・半月
E・・・熊手
F・・・シャベル
G・・・肘掛椅子に腰掛けた太った人。
H・・・高い樹や家の屋根にのぼる梯子。
I・・・爪先で踊り、飛び上がるたびに小さな頭が胴体から離れる。
J・・・バランスをとって体を揺らせている。
K・・・老人みたいに折れ曲がっている。
L・・・川岸に立っている木。
M・・・山。
N・・・名前(ノン)のためで、人々が挨拶している。
O・・・満月
P・・・片足で立って、眠っている。
Q・・・尻尾の上に坐っている。
R・・・兵士のように大股で歩く。
S・・・いつだって蛇。
T・・・きれいな船のマスト。
U・・・花瓶。
V&W・・・鳥たちが飛んでいる。
X・・・十字架。
Y・・・両腕を上げて立っており、「助けてくれ!」と叫んでいる。
Z・・・いつだって稲妻。
そして「MONDO」は、山があって、お月さまがあって、三日月(これは半月の間違いではないか?)に挨拶する人がいて、それからまたお月さま・・・たくさんのお月さまのいる名前となって、モンドをおおいに喜ばせた。「MARCEL」は、山で生まれ、前世は蝿で、元兵士で、三日月の夜に生まれて、今は熊手で砂浜のお掃除をしていて、死んだら川辺の木になるというおじいさんの名前だった。ああ、楽しい♪
モンドが母親のように1番大切に思う小さな老女は、ベトナム人の「ティ・シン」でした。しかしモンドはどうしたわけか「僕を養子にしてくれませんか?」とは言わない。一定の距離を置きながら彼女を大事に思っていた。彼女も同じ思いだったが、モンドはついに「シアパカン」に捕まる。「ティ・シン」の願いはモンドを今度こそ引き取るつもりであったけれど、モンドは脱走して、そのままその町から姿を消しました。彼女の庭に文字石のメッセージを残して。
いつまでも たくさん
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ル・クレジオの初期作品は明確な輪郭を示しているのですが、かなり込み入った構文やイメージをそなえた、濃密で難解な文章が多い作家です。それが彼の自然な文体とするなら、この子供を主人公とした作品群は、ル・クレジオが意識的に獲得した文章だということになります。しかしわたくしとしては、これで「ル・クレジオ」に一歩近づけたという安堵感がありました。感謝したい気持です。
(1988年・第6刷・集英社刊)