ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

グスコーブドリの伝記

2012-07-27 15:02:46 | Movie
『グスコーブドリの伝記』特報


「グスコーブドリの伝記・オフィシャルサイト」

この映画の「監修」に、詩人「天沢退二郎」の名前があった。
驚くことではない。彼は「宮沢賢治」の研究者の1人ですから。
それでも、嬉しい気持になるのは何故か?

アニメそのものは、非常に真面目な展開だった。音楽がいい。
この時期にこの映画をつくることは、おそらく深い思いがあったことだろう。

なみだふるはな 石牟礼道子&藤原新也

2012-07-26 16:56:24 | Book



暑さで思考力低下している頭に、静かに語りかけてくるような本でした。
対談「なみだふるはな」は水俣病と原発の根底に流れているものが同じことだと、とてもよくわかる。
大きな声で言っているわけでないが、真実が見えてくる。心の底から納得できる。

石牟礼さんの会話というよりも「語り」と言いたいような言葉は
すべて覚えておきたい気持になります。活字には表れていないようですが、それを感じます。
大声ではない、そしてこの世のすべてをやさしく抱きしめている。
そして、この世の「悪」をなだめようとなさっています。
聴こえるかい?この世を「悪」と「欲」で思いのままにしようとした者たちよ。


「水俣病」と「原発」の共通項。
まず緑豊かな「田舎」がある。特に産業はない。
しかし美しい自然と、そこに生きる人々の自然のなかで生きる知恵が美しく伝承されてきた。
しかし、「田舎」より「市」を望む人々もいる。経済的豊かさのために。
水俣の「チッソ」そして「原子炉」。

1950年代を発端とするミナマタ。
そして2011年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共振している。(藤原新也)



亡父の故郷は福島。死期を感じ取った父の最後の願いは「あの海がみたい。」ということだった。
無理を承知で車で行った。父は海辺で車から降りる力もなく、車窓で涙を流していた福島の海。

その海が荒れて(ここまでは自然の力。)、そして汚染された。
いや、日本中のみならず、おそらく潮流、大気によって果てしなく汚染は拡大する。
そしてそれは何代もの世代に影響を残す。

にもかかわらず、政府は「水俣病認定」の期限を決めようとしている。

東京まで行ってみたが、
日本ちゅう国はみつからんじゃった。
(中略)
どこゆけばよかろか (石牟礼道子さんによる水俣の方の言葉)


この2つの大きな問題に向き合う自分の立ち位置がわからなかった。
この「なみだふるはな」の対談から、どう考えていけばよいのか教えていただいた。
わたくしにとって、大切な1冊になるだろう。

いろいろと書きたいことはあるが、とても書ききれないように思う。
せめて、この本を大事にしておきたい。

私は少女期に渡良瀬川のある市で育った者。

 (2012年3月20日初版・河出書房新社刊)

人生の冬はそれほど甘くはない。

2012-07-18 22:02:31 | Mama


老親の介護をしていた時代、私がほとんど孤立無援だったことは、今でも忘れない。
2人の姉がいながら、私1人で95%は引き受けた。
70%専業主婦だった私に、仕事のある姉たちが甘えたことは事実。私は仕事をすべて辞めた。
時々、そのころの事を言うと、聞き手の返事はいつでもこうだった。

「1人で抱え込むから、そのようなトラブルが発生するのだ。
公的支援に依頼すれば、そういうトラブルはなかった。」
両親と独身の姉を看取った後で「ごくろうさん」はなかったし、
「こっちだって主婦のいない生活は大変だったんだよ。」と。
それはわかる。家族に申し訳ないとは思う。しかし君たちは健康だったじゃないか。

しかし、ショートスティを引きうけて下さる施設の介護はあまりにもお粗末。
入浴は週2回、食事はまずい。徘徊がひどいご老人は車椅子にしばりつけられていた。
そのような状況の仲間として、そこに身を置くとなれば、
認知症の母はともかく、末期癌の父は尊厳をひどく傷つけられる。
そんな施設にいることは、認知症を悪化させるし、父はひどく嫌がった。
それでも、わたしの体力が限界にくると、それを頼るしかない。

そして、父の癌はだんだんひどくなる。最後の入院となった。
その時、順番待ちをしていた老人ホームが偶然に入所可能になった。母を急場しのぎに預けるしかない。
迎えに来て下さったホームの方の最初の科白には驚いた。
「今後はすべて施設のやり方に従っていただきます。わかりましたか?」
認知症の母はおびえていた。
その時、私について来て下さったのは、高校時代からの友人だった。姉は来ない。
ホームの方に「その言い方はなんですか!」と抗議して下さったのは、その友人だった。

それから10日で父は逝った。
その2か月後に姉の「死の宣告」…癌の再発、もう手の施しようがないとのこと。
また母をホームから出してやることができない。
そして父の死の半年後に姉も逝った。
状況が落ち着いたら、母を迎えて一緒に暮らしたかった。
しかし、ホームにいる間に母の認知症は急速に進んでいた。

それでも、面会に行って私が玄関を出ると、母は泣きながら走って追ってきた。
戻ろうとする私に、いつも一緒にきて下さった友は「今は我慢しなさい。」と…。
家で暮らすことができたら、認知症はここまで進むことはなかったと今でも思う。
それでも母を引き取りたかった。
しかし、それを反対された。「今度はお前が狂うぞ。」これが同居人の意見。
そして母は施設で心不全で突然の死。間に合わなかった。

公的機関が、入所者さんのそれぞれの人格を考えてはいない。
個人の力でなんとかなるのなら、私は自分の両親や姉の介護を自分の力で乗り切りたかった。
お粗末な公的機関の実態がどうなのか?以下が今の現状です。安心できるものとは程遠い。
しかも、わたしが介護していた時より、さらにひどい。

「介護保険制度」

だから国をあげて、成人病の予防とか、老人の健康管理の情報ばかりを流布する。
これで健康で長生きしたところで、老人が幸せになれるわけではない。
国が「介護保険制度」のお粗末さに気付くわけではない。

この制度を利用することを安心だと思う人はそう思っていてもいいけれどね。

マウリッツハイス美術館展(オランダ・フランドル絵画の至宝)

2012-07-08 22:58:27 | Art
「マウリッツハイス」はオランダの美術館である。

「マウリッツハイス美術館展オフィシャルサイト」

○○○美術館展というのは、大方その美術館が改装工事などのために、所蔵されている絵画が旅に出されるということ。
そのチャンスをありがたく観にゆくのである。
しかも平日でありながら、入口で30分の行列となった。しかしこの入場制限の方法は実に見事であった。
館内は、まぁ観ずらいところもあったけれど、不愉快な混雑はなかった。

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が、東京都美術館リニューアル・オープンのメインとなっている。
「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる、この青は、天然ウルトラマリン(ラピスラズリという青色の宝石)に由来している。
この絵の場合はターバンの色に注目。さらに光の当たらない左耳に輝く真珠、口元、瞳などに効果的に「白」が使われている。


 《真珠の耳飾りの少女》


ヨハネス・フェルメール(1632年~1675年)は、17世紀オランダで活躍した画家。
レンブラントとは対照的で、作品数が非常に少ない。

レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(1606年~1669年)は、17世紀を代表するオランダの画家。
単にレンブラントと呼ばれることも多い。
大画面が多く製作され、「光の画家」「光の魔術師」と呼ばれていたが、この時代のオランダの画家はすべて「光」の表現者ではないか?


 《自画像・レンブラント》


この2人の画家のほかに、個人的に観たかったのは、ルーベンスの「聖母被昇天」だった。
ペーテル・パウル・ルーベンス(1577年~1640年)は、バロック期のフランドルの画家及び外交官。
「ルーベンス」はドイツ語読みで、オランダ語では「リューベンス」と発音する。
「フランダースの犬」の主人公「ネロ」が、
幼くして亡くなった母の姿をこれに重ねたということだったから。


 《聖母被昇天・ルーベンス》

フランダースの犬 第1話「少年ネロ」



今回の展覧会は、構成が非常にスムースに展開されていたので、観る側としては流れがつかみやすかったと思う。
さらに、展示されている画家たちの時代が、集中的だったこともあるだろう。
経済的に市民が最も豊かだったオランダにおいて、絵画が身分の高い人々だけのものでなくなった時代ということもある。

以上、簡単メモにて。