老親の介護をしていた時代、私がほとんど孤立無援だったことは、今でも忘れない。
2人の姉がいながら、私1人で95%は引き受けた。
70%専業主婦だった私に、仕事のある姉たちが甘えたことは事実。私は仕事をすべて辞めた。
時々、そのころの事を言うと、聞き手の返事はいつでもこうだった。
「1人で抱え込むから、そのようなトラブルが発生するのだ。
公的支援に依頼すれば、そういうトラブルはなかった。」
両親と独身の姉を看取った後で「ごくろうさん」はなかったし、
「こっちだって主婦のいない生活は大変だったんだよ。」と。
それはわかる。家族に申し訳ないとは思う。しかし君たちは健康だったじゃないか。
しかし、ショートスティを引きうけて下さる施設の介護はあまりにもお粗末。
入浴は週2回、食事はまずい。徘徊がひどいご老人は車椅子にしばりつけられていた。
そのような状況の仲間として、そこに身を置くとなれば、
認知症の母はともかく、末期癌の父は尊厳をひどく傷つけられる。
そんな施設にいることは、認知症を悪化させるし、父はひどく嫌がった。
それでも、わたしの体力が限界にくると、それを頼るしかない。
そして、父の癌はだんだんひどくなる。最後の入院となった。
その時、順番待ちをしていた老人ホームが偶然に入所可能になった。母を急場しのぎに預けるしかない。
迎えに来て下さったホームの方の最初の科白には驚いた。
「今後はすべて施設のやり方に従っていただきます。わかりましたか?」
認知症の母はおびえていた。
その時、私について来て下さったのは、高校時代からの友人だった。姉は来ない。
ホームの方に「その言い方はなんですか!」と抗議して下さったのは、その友人だった。
それから10日で父は逝った。
その2か月後に姉の「死の宣告」…癌の再発、もう手の施しようがないとのこと。
また母をホームから出してやることができない。
そして父の死の半年後に姉も逝った。
状況が落ち着いたら、母を迎えて一緒に暮らしたかった。
しかし、ホームにいる間に母の認知症は急速に進んでいた。
それでも、面会に行って私が玄関を出ると、母は泣きながら走って追ってきた。
戻ろうとする私に、いつも一緒にきて下さった友は「今は我慢しなさい。」と…。
家で暮らすことができたら、認知症はここまで進むことはなかったと今でも思う。
それでも母を引き取りたかった。
しかし、それを反対された。「今度はお前が狂うぞ。」これが同居人の意見。
そして母は施設で心不全で突然の死。間に合わなかった。
公的機関が、入所者さんのそれぞれの人格を考えてはいない。
個人の力でなんとかなるのなら、私は自分の両親や姉の介護を自分の力で乗り切りたかった。
お粗末な公的機関の実態がどうなのか?以下が今の現状です。安心できるものとは程遠い。
しかも、わたしが介護していた時より、さらにひどい。
「介護保険制度」
だから国をあげて、成人病の予防とか、老人の健康管理の情報ばかりを流布する。
これで健康で長生きしたところで、老人が幸せになれるわけではない。
国が「介護保険制度」のお粗末さに気付くわけではない。
この制度を利用することを安心だと思う人はそう思っていてもいいけれどね。