ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

樹についての対話  ポール・ヴァレリー

2010-12-31 16:34:22 | Poem


わたくしは樹が好きだ。しっかりとしたあたたかい幹が好きだ。
枝先は陽に向かって伸びてゆく。そこに揺れるおびただしい葉。
根は大地をしっかりと掴み、大地の恵みをゆっくりと吸い上げている。
木漏れ日。小鳥の声。風にそよぐ音。

音と言葉との折り合いをどこでつけたらよいのか?わたくしは知らない。
「樹についての対話」の「ルクレティウス」「ティティルス」との対話から
その応えにわずかに触れたように思う。

年末にあたり、少々詩について真面目に書いておこうと思う。
以下は引用です。


ルクレティウス

『一本の植物とは、律動が確実な形態を展開し、空間のなかに時間を時間を展示するひとつの歌なのだ。
 毎日毎日、植物は、その捩れた骨格の担うところを、すこしずつ高く揚げ、
 その葉を何千となく太陽に委ねて、葉の一枚一枚は、微風からもたらせるところに従い、
 みずからの独自にして神的な霊感だと信じるままに、大気のうちのみずからの居場所でうわごとを言って……

 (中略)

 放散する瞑想はわたしを酔わせる……
 そしてわたしは感じるのだ、ありとあらゆる語がわたしの魂のなかでざわめくのを。』

されど われらが日々 柴田翔

2010-12-30 22:19:30 | Book


映画「ノルウェイの森」を娘と観たあとで、その村上春樹の原作をいつ読んだのか?という話題になった。
原作「ノルウェイの森」は1987年9月、講談社から書き下ろし作品として上下巻が刊行されていますが、
娘は高校生の時に読んで「こんな辛い大学生活があるのかしら?」と考えたそうです。

わたくしは、村上ファンの友人から薦められて、多分8年前に読んだと思います。

その娘の答えを聞いた母親のわたくしは、自分が高校生の時に、今は亡き大学生だった姉が送ってくれた本が、
単行本になる前の、文芸雑誌に掲載された柴田翔の「されど われらが日々」だったことをふいに思い出しました。
その後単行本になったのは1964年8月、文藝春秋刊でした。
それを読んで、姉を含めてその時代の大学生の生き方、考え方、愛と性のことなどを考えたものでした。
この不思議な繋がりをとても嬉しく思いました。

この2冊の小説の共通項は、その時代のある一握りの大学生の生き方を書いているということ。
そしてその背景にあるものは「学生運動」です。
この2つの物語の登場人物は、この運動の外で生きる若者ではありましたが、
全く影響を受けていないとも言えない時代でもあったのでしょう。

こんな青春もあったのでしたねぇ。単なるメモです。すみませぬ。

ノルウェイの森

2010-12-30 00:34:04 | Movie


ノルウェイの森・オフィシャルサイト

監督:トラン・アン・ユン
撮影:マーク・リー・ピンビン
音楽:ジョニー・グリーンウッド

《キャスト》
ワタナベ:松山ケンイチ
直子:菊地凛子
緑:水原希子
大学教授(哲学):糸井重里(ワンシーンのみ。学生運動家の授業中断要求に、さりげなく応じる。)


年末の忙しい時期に映画ばかり観ていていいのか?……と、自分につっこみを入れています。
近所に「MOVIX」がありますので、ついつい…。

もちろん、この映画は村上春樹原作の映画化です。
大分以前に読みましたので、記憶があいまいというか希薄というか?
いや、違うなぁ。この小説は強烈な印象を受けるものではなかったのです。
村上春樹の大学時代と同時代の大学生の恋愛と性を描いたもので、
特別変わった若者は登場せず、懐かしい思いがするような小説でした。

実際、映画を観ながら、ふと懐かしさに涙がこぼれました。

出会い、愛し合い(もちろん精神も肉体も。)傷つき、淋しく、それでも愛する。
そして「別れ」や「死」までも招く青春。そしてまた出会う。愛し合う。
そうして青春は過ぎてゆく。何が残る?それは「思い出」なのか?「喪失」なのか?
誰でもが通過した道だったのではないか?
これを懐かしむ時を持つことができるのは、わたくしなのかもしれない。

ロビン・フッド

2010-12-28 01:34:16 | Movie
『ロビン・フッド』予告編ver.2


「ロビン・フッド オフィシャルサイト」

監督:リドリー・スコット
脚本:ブライアン・ヘルゲランド イーサン・リーフ サイラス・ヴォリス
音楽:マルク・ストライテンフェルト
製作国:アメリカ合衆国 イギリス
上映時間:148分

《キャスト》
ロビン・フット:ラッセル・クロウ
レディ・マリアン:ケイト・ブランシェット


この「ロビン・フット」映画で描かれた時代は、イングランドの「リチャード1世・獅子心王(在位1189~1199)」が亡くなる直前からはじまり、
その弟のジョン王(在位1199~1216)の圧政に苦しむ民の時代にあり、その乱れたイングランドの弱みにつけこんだフランス軍の襲来と撃退が中心となっている。
そしてラストに描かれるのは、ノッティンガム近郊シャーウッドの森に、妻となったマリアンと、その仲間たちと住むまでを描いている。

1991年(アメリカ映画)「ケビン・コスナー」が演じた「ロビン・フット」
このシャーウッドの森に住み、ジョン王の圧政に対して森の仲間とともに闘う物語であって、
2010年(アメリカ&イギリス映画)「ラッセル・クロウ」が演じた「ロビン・フット」が前編、そちらが「後編」という感じです。
前者では「獅子心王」は十字軍遠征から無事帰り、「ロビン・フット」の活躍と結婚を祝福するのですが、
後者では「獅子心王」が死んでから、弟のジョンがイングランド王となって、国が荒廃するという設定です。

この伝説のヒーローは、どちらも素敵(♪)ですが、「ロビン・フッド」の定説はないようです。
「シャーウッドの森」の住人とは、王の圧政から逃れ、自由に生きる人々です。
また孤児になった子供たちの生きるところでもあったのです。

また前者では、ロビンの父親は貴族であり、「ロビン」が十字軍遠征で、敵国の捕虜となり、
困難な逃走の果てにイングランドに戻ると、ジョン王の圧政によって殺されていたという筋書きとなっている。

後者においては、ロビンの父親は石工であり、人々を知的にリードして、自由を要求する指導者と描かれていた。
ロビンの少年期の記憶は思い出したくないほどに辛い。父の処刑を見ていたのだった。
彼が活躍した12世紀は石造建築の革新の時期であり、石工は数学的知識をはじめ、高度な知的能力が必要とされた。
このように高度な最先端の知の世界に触れる存在として、石工という設定がふさわしいのだろうか?
ベンジャミン・フランクリンやジョージ・ワシントンといったアメリカ建国の父たちは「フリーメイソン=自由石工)のメンバーだったとか。
ちょっと出来すぎたお話だなぁ。

2つの「ロビン・フット」の比較ばかり書いてきましたが、今回観た「ロビン・フット」は戦闘シーンが延々と続くのでして、
本来見たくもないことないのですが、何故か観ていられたのです。
それは「ヒーロー」が勇気と正義というものを全面に出した映画だったからでせう。

それを見事に演じた「ラッセル・クロウ」に拍手♪ でも「ケビン・コスナー」もいいなぁ。



  *     *     *

心に残った科白。

「何度でも立ち上がれ!羊が獅子になるまで!」

若き女性への手紙  リルケ

2010-12-25 01:19:51 | Letter


 「リルケ」と「リーザ・ハイゼ」との往復書簡は、1919年「ベルサイユ条約」調印式によって、第一次世界大戦が終息した時期の1年前の1918年から1924年まで続きました。「リルケ」はスイスにいましたが、「グラウビュンデン、ソリオ」「ロカルノ(テッシン)」「チューリヒ州、イルヘル、ベルク館」「ヴァレリー州、上ジエル、ミュゾット館」と次々に住いを変えていますが、「リーザ・ハイゼ」からの手紙はもれなく届いているようです。最後の「ミュゾット館」において、1914年以来中断されていた「ドゥイノの悲歌」が1922年に完成され、それと時期が重なるように「オルフォイスヘのソネット」も完成します。1923年、この2冊が「インゼル書店」から出版されます。

 この往復書簡の始まりは「リルケ」の「形象詩集」を読んだ「リーザ・ハイゼ」が感動して、未知の詩人に手紙を書いたことから始まります。残念ながら2冊の本にあたりましたが、「リーザ・ハイゼ」の手紙は省略、あるいは簡単な説明があるだけでした。手紙好きの「リルケ」ではありますが、こうして未知の女性に真剣に優しい言葉を書き送るという厚意は稀有なことに思えます。若くして両親のもとを離れ、その後、夫はなく1人息子と共に真摯に生きようとする彼女(=自然を生きるということ。)への尊敬と危惧を抱きながら、送られた手紙でした。最終部分では「リルケ」はすでに病んでいます。


 リルケの第1信ではこのように書かれています。

芸術作品と孤独な人間とのあいだに起こるこの欺瞞は、太古以来神の所業を促進するために聖職にある者が用いてきたあの欺瞞と相通ずるものがあります。(中略)ですから私の方でも、あなたに劣らず正確に立ち向かいたいと思い、ありきたりのご返事ではなしに、心に触れたありのままの体験をお話しようと思います。

・・・と長い時間をかけて続くであろう、この往復書簡の予感をすでに書いています。

 最後の手紙は不安を残しているようです。これは「リーザ・ハイゼ」の転々と変わる境遇への不安、それを見届け、手を差し伸べることの出来ない「リルケ」自身への不安でしょうか?

あれほどに力を注いで素朴な、価値ある仕事をなさったあとで、謙虚に、しかしやっぱりなんらかの形で認められたいという純粋な期待を持ちながら立っておられるあなたには、偽りのものが語りかけたり、触れたりすることはできるはずがない――と思います。

 
(1994年「世界の文学セレクション36」所収・中央公論社刊)
 (翻訳:神品芳夫)

(平成19年・第62刷・新潮文庫「若き詩人への手紙・若き女性への手紙)
 (翻訳:高安国世)

さよなら、アルマ 赤紙をもらった犬

2010-12-22 13:24:07 | Movie


これは12月18日(土)NHKテレビドラマです。

チーフプロデューサー:内藤愼介
原作:水野宗徳
脚本:藤井清美

またまた「犬」です。今回は初めてその言葉「軍用犬」を知りました。

「アルマ」という名前は音楽家の名前からとったようですが、
ドラマのなかでは「第2次世界大戦」の時期にそのカタカナの呼び名が軍部でが許されたということは、
どこの国の音楽家だったのか?
多分「アルマ・マリーア・ロゼ」???

「アルマ」を検索しながら思いがけないブログに出会いました。
それは「帝国ノ犬達」というすごいブログです。
ここでは多くの軍用犬が紹介されています。
このドラマは実話ではありませんが、上記の写真から書かれたフィクションです。
これはその1例だと思う方がいいでしょうね。

犬の持つ鋭い嗅覚、主人に対する命がけの忠実さ。やさしさ、勇気。
敵軍の存在を嗅ぎわけること。
部隊が窮地に陥れば、援軍を求める使者ともなる。

そして敗戦後、引き揚げ船に乗る時、
部隊の仲間からの願いは「アルマを無事に祖国で待っている子供たちのもとに帰すこと。」であったが、
船に乗れるのは、アルマの訓練士か?犬か?許されるのは1人か1匹。
その時アルマは、初めて訓練士の若者の手に噛みついた。
「悪い犬」を演じて、若者を船に乗せるために……。

グレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」第2楽章から

2010-12-21 10:38:02 | Music
グレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」第2楽章から


このユーチューブをご覧になると、16日に掲載しました「ヘンリク・ミコワイ・グレツキ」の交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」の第2楽章の歌の背景がわかると思います。

作家「小川洋子」がアウシュビッツの取材の旅に出る時に、友人が持たせてくださった曲であると、彼女は書いていました。

Karita Mattila stars in Tosca (Live from the MET)

2010-12-14 21:18:45 | Music
Karita Mattila stars in Tosca (Live from the MET)



メトロポリタンオペラ・「トスカ」・プッチーニの録画を観ました。


1800年、ナポレオン軍が迫るローマを舞台とした、歌姫「トスカ」の悲劇を描いたオペラです。
恋人の画家は、逃亡政治犯をかばって死んでしまう。政治犯も死ぬ。
警視総監のスカルピアは、トスカに殺される。トスカは自死。

こんなに血を流すオペラは観ていても辛い。
歌声が美しいので、なおさら辛い。

アンドリュー・ワイエス展 「オルソン・ハウスの物語」

2010-12-08 23:07:36 | Art



7日午後、埼玉県立近代美術館での展示作品(約240点)は、すべて農家「オルソン家」の家族と、
家の内外の風景(窓、玄関、階段、テーブル、暖房器具などなど。)、農業用具、動物など。
1点を描くために多くの習作が描かれていました。
この画家は何かにとりつかれると、そればかり描くという性格のようです。
こういう画家は好きですが。



アンドリュー・ワイエスは1917年、ペンシルベニア州のチャッズ・フォードに生まれる。
心身ともに虚弱であったワイエスは、ほとんど学校教育を受けず、家庭教師から読み書きを習い、
著名な挿絵画家であった父親(ニューウェル・コンヴァース・ワイエス)から絵画の指導を受けている。


アンドリュー・ワイエスは、ペンシルベニア州のチャッズ・フォードと、
別荘のあるメーン州クッシングの2つの場所以外にはほとんど旅行もせず、
彼の作品はほとんどすべて、この2つの場所の風景と、そこに暮らす人々とがテーマになっている。

代表作「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは、ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性である。
生来病弱で孤独に育ったワイエスは、この、ポリオで足が不自由な女性が、何もかも自分の力でやってのける生命力に感動し、
出会いの時からその死まで30年に亘ってこの女性を描き続けた。



オルソン家の近くには入り江があります。
このオルソン家の長男アルヴァロは漁師をやめて農家の跡取りとなりました。
このようにして、一家の物語を見るようなドラマティックな絵画展でした。