ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

お寺と神社

2015-01-20 16:22:05 | Stroll
1月13日、向島と浅草を「七福神めぐり」とも言えないような散歩をしました。
写真を撮ったので、ここにアップしておきます。













7か所にならない???





わずかに春の気配が……。

水無田気流さんの言葉

2015-01-08 22:16:22 | Memorandum
1月7日の朝日新聞に掲載された水無田気流さんの言葉をここに残しておきたい。

「安倍首相 その先に」「国民の欲望 読み解けぬ選挙」

社会学者、詩人の水無田気流さんが語る的確な言葉に力と輝きがありました。





この質問者となった記者の言葉も付記します。


「戦」の「後」であり続けるために

2015-01-07 15:54:58 | Memorandum

2015年元旦の朝日新聞より。遅くなりましたがここに記しておきます。


大江健三郎が示した「渡辺一夫」の言葉です。


《「狂氣」なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。
それはうそであります。「狂氣」によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。
真に偉大な事業は、「狂氣」に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです。》




さらに、歴史家のジョン・W・ダワーの言葉を掲載しておきます。


《うちひしがれた日本(注・1945年)は、このような凄まじい状況のなかで、
再出発の難行に立向かい、新憲法に具体化された「平和とデモクラシー」の理想に、
社会のあらゆる層の人びとが奮いたったのでした。
政治やイデオロギーの衝突は戦後日本にいつもありました。
しかし、実に多くの日本人が豊かで平和を愛する社会を懸命に創りあげた、
その草の根の回復力、規律、反戦の理想は、どれほど称賛してもしつくせるものではありません。



獅子舞の目こそ哀しき平和かな

2015-01-05 22:07:19 | Haiku



1月5日の「清水哲男・新・増殖する俳句歳時記」において、清水哲男さんの大事なメッセージがありました。過去ログに行く前に、ここにコピーさせていただきました。



獅子舞の目こそ哀しき平和かな    辻井 喬



俳句では「平和」というような抽象的直裁的な表現を嫌うようだが、それは使い方によるもので、この句では「平和」がよく効いている。
獅子頭の目はただ黒々と丸く描かれたものだから、何の感情も宿してはいない。
人形などのそれのように、だからこそ逆に見るものの見方によってさまざまな感情を表すことになる。
句意は獅子の目を見ているとその大きく見開かれた瞳が、現今の「哀しき平和」の様態を映し出しているように見えるというわけだが、
同じ「平和」と言ってもその様態はさまざまだ。
「平和」とは単に戦争の無い様態を言うこともできるけれど、内容的には大きな深浅の違いがあるだろう。
簡単に言っておけば、戦後日本の「平和」は、戦後十五年ほどが最も深かった。
もう戦争は御免だという意識が国民的な広がりを持っていて、再軍備などはとんでもないという理屈以前の根拠が大きな力を持っていた。
国は貧しかったが、こんな時代はおそらく史上はじめてだつたと思う。
「平和を守れ」とは単なるお題目ではなかった、それが今はどうだろう。
戦争を知る世代の作者は、大きな哀しみをもって、お題目と化しつつある浅き「平和」の様態を眺めているという図だ。
何をかいわんや。空爆くらいしか戦争を知らない私にしてからが、いまの「平和」の浅さには呆然としてしまう。


「毎日新聞」(2014年5月24日・夕刊)所載。(清水哲男)



2015年1月5日  月曜日 『清水哲男・新・増殖する俳句歳時記』より

謹賀新年 2015

2015-01-01 13:34:24 | Letter


ひつじがめえと鳴いて
つがなき朝です
んせいの更新日
んばらず
んどうがらず
がおで
を開けると
だれこむ幸せが
りぐちに溢れて
んてこまいの新年でありますように。
          

2015年元旦