小雨降る日、かかりつけ医院にて、ワクチン一回目の接種をどうやら受けられました。
午後2時半頃に接種しましたが、問題はないようです。刺されたところが気になるくらい。
ドクターの腕前もやさしかったですよ。夕飯も普通通りにいただきました。
2回目は、8月6日とのこと。これが済めば、安心して外出ができそうですね。
ずっと会えない人たちにももうすぐ会えますね。
小雨降る日、かかりつけ医院にて、ワクチン一回目の接種をどうやら受けられました。
午後2時半頃に接種しましたが、問題はないようです。刺されたところが気になるくらい。
ドクターの腕前もやさしかったですよ。夕飯も普通通りにいただきました。
2回目は、8月6日とのこと。これが済めば、安心して外出ができそうですね。
ずっと会えない人たちにももうすぐ会えますね。
この辺で、夫の現状(病状)の整理をするのも悪くはないだろう。
2017年6月26日 入院
2017年10月12日 退院
2019年5月24日 再入院
2019年6月12日 退院
2020年6月30日 再検査 悪化はないとのこと。つまり回復もないということ。
この検査のおかげで、別の病気が発見される。
これも治り難い病気であり、老化によるものか?
・・・・・・・こんなことが生涯続くということ。
私の体力が持つか?夫の生命力が勝つか?誰にもわからないこと。
「詩を書く」と言うことだけが、私を支えているということ。
かつて父、母、独り身の姉を看取ったが、私の後半の人生は病人との日々が多かったようだ。
満州からの引き揚げの時、死にかけた2歳児の私のこれが人生だろうね。
夫の病気は退院から、間もなく3年になる。この病気は「リハビリ」を続ける以外方法はない。
さらに、もう一つの病気を抱えてしまった。老人の病気だ。
毎日、愚痴ばかりだが、内臓は丈夫らしい。よく食べる。
暑くて、散歩が少なくなって、歩き方に後退が見られる。
本当に面倒な病気ばかりを抱えているのだ。
丈夫とはいいがたい私だが、この状況を毎日生きている。
夫は、私は健康に過ごしていると思って、心配も疑いも抱かない。
以前にも書いたと思うが、私は満州から2歳で引き揚げてきた栄養失調の子供だった。
同い年の夫は、山村を走りまわっていた超元気な子供だった。
健康な者ほど病気に弱いのだろう。
さらに、夫は大変な読書家でありながら、自らの病状に冷静な判断ができない。
書棚にひしめく本を、私は虚しく見ている。病に関する本は読んでいない。
こういうことは、二度と書くまいと思っているが。
夫の病気は、発症から3年が過ぎました。
完治を望めないという出発でした。3か月の入院。退院後はリハビリ以外道はない。
体の状態は、わずかづつ悪化しているが、ドクターは再度の入院を勧めない。
・・・・・ということは、私にすべてが委ねられるということに他ならない。
夫の病状の訴えは、すべて私に。日々続いています。
(我ながら、よくぞ頑張っていると、褒めてやりたい。)
同い年の夫婦だが、健康度は同い年ではない。
元気に野山を駆け回って少年期を過ごした夫、
病気ばかりしていた少女期を過ごした私。
永い人生、どんな逆転が訪れるか、誰にもわからない。
私が倒れたら、どうにもならない。
夫の同級生だった友人が病床にいる。奥様は彼より若い。
夫も1人では生きていけない病人である。私と同い年。
その二人が携帯電話で時々話している。
「お互いに妻が元気でよかったな。」
「君の奥さんは年下だってな。」
はいはい。そうですか。
「いつまでもあると思うな親と金。」という言葉がありますが
「いつまでもあると思うな妻の体力。」と言いたい。
あああ。怒る元気もないわ。
妻は大変疲れているのだ。心もからだも。
そして夫たちは、妻に看取られるであろう自画像しか描けない。
貧しい想像力だ。
夫は私より数十倍の読書量であるが、何を学んだのか?
目下の目標は「死ぬまで、どのくらい本が読めるだろうか?」だけ。
疲れて、読書の途中で寝ている妻を想像できまい。
雑事に追われて、集中力も枯渇している。
老々介護とは
病む者と看る者の二人暮し
共に別々の悲しみを抱きながら
癒すこともお互いにできない。
病む人との暮しで得たもの。失ったもの。
得たものは思いつかない。なんだろう?
失ったものは、自由、体力、詩作時間、読書時間。
今日も疲れて、昼食を用意してあげてから、爆睡してしまった。
テレビの大きな音で目覚めた。(病む人がつけたテレビの音だけど。)
このままでは、私は家政婦だけの人生になりかねない。
なんとか、心と体のバランスを整えたい。
2017年6月26日に入院して、2017年10月に退院してから、2019年5月24日まで、なんとか頑張った夫は再入院となった。
最初の入院時の状態の困難さではないけれど、どうやらここまで頑張って生きてきました。
自主リハビリも頑張りましたが、救急搬送で入院と決まりました。
これから、病院で徹底的なリハビリが再開されるのですね。
不安と戦いながらの生活でしたが、またドクターと医学療法士のお世話になりながら、
再出発です。夫はまた頑張ることでしょう。
ユリノキに会いに行った散歩が、入院前の二人の最後の散歩でした。
ふたたびユリノキに会える日までに。ガンバロウ!