ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

コロナウイルスワクチン接種 1回目

2021-07-09 20:11:01 | Care

小雨降る日、かかりつけ医院にて、ワクチン一回目の接種をどうやら受けられました。

午後2時半頃に接種しましたが、問題はないようです。刺されたところが気になるくらい。

ドクターの腕前もやさしかったですよ。夕飯も普通通りにいただきました。

2回目は、8月6日とのこと。これが済めば、安心して外出ができそうですね。

ずっと会えない人たちにももうすぐ会えますね。


長い道のり

2020-09-12 13:22:07 | Care

この辺で、夫の現状(病状)の整理をするのも悪くはないだろう。

2017年6月26日 入院

2017年10月12日 退院

2019年5月24日 再入院

2019年6月12日 退院

2020年6月30日 再検査 悪化はないとのこと。つまり回復もないということ。

        この検査のおかげで、別の病気が発見される。

        これも治り難い病気であり、老化によるものか?

・・・・・・・こんなことが生涯続くということ。

私の体力が持つか?夫の生命力が勝つか?誰にもわからないこと。

「詩を書く」と言うことだけが、私を支えているということ。

かつて父、母、独り身の姉を看取ったが、私の後半の人生は病人との日々が多かったようだ。

満州からの引き揚げの時、死にかけた2歳児の私のこれが人生だろうね。


どうにもならないことですが・・・・・。

2020-08-21 21:14:11 | Care

夫の病気は退院から、間もなく3年になる。この病気は「リハビリ」を続ける以外方法はない。

さらに、もう一つの病気を抱えてしまった。老人の病気だ。

毎日、愚痴ばかりだが、内臓は丈夫らしい。よく食べる。

暑くて、散歩が少なくなって、歩き方に後退が見られる。

本当に面倒な病気ばかりを抱えているのだ。

丈夫とはいいがたい私だが、この状況を毎日生きている。

夫は、私は健康に過ごしていると思って、心配も疑いも抱かない。

以前にも書いたと思うが、私は満州から2歳で引き揚げてきた栄養失調の子供だった。

同い年の夫は、山村を走りまわっていた超元気な子供だった。

健康な者ほど病気に弱いのだろう。

さらに、夫は大変な読書家でありながら、自らの病状に冷静な判断ができない。

書棚にひしめく本を、私は虚しく見ている。病に関する本は読んでいない。

こういうことは、二度と書くまいと思っているが。


疲れました。

2020-07-29 00:05:43 | Care

夫の病気は、発症から3年が過ぎました。

完治を望めないという出発でした。3か月の入院。退院後はリハビリ以外道はない。

体の状態は、わずかづつ悪化しているが、ドクターは再度の入院を勧めない。

・・・・・ということは、私にすべてが委ねられるということに他ならない。

夫の病状の訴えは、すべて私に。日々続いています。

(我ながら、よくぞ頑張っていると、褒めてやりたい。)

同い年の夫婦だが、健康度は同い年ではない。

元気に野山を駆け回って少年期を過ごした夫、

病気ばかりしていた少女期を過ごした私。

永い人生、どんな逆転が訪れるか、誰にもわからない。

私が倒れたら、どうにもならない。


妻は夫の看護人か?

2019-09-19 21:08:05 | Care

夫の同級生だった友人が病床にいる。奥様は彼より若い。

夫も1人では生きていけない病人である。私と同い年。

その二人が携帯電話で時々話している。

「お互いに妻が元気でよかったな。」

「君の奥さんは年下だってな。」

 

はいはい。そうですか。

「いつまでもあると思うな親と金。」という言葉がありますが

「いつまでもあると思うな妻の体力。」と言いたい。 

あああ。怒る元気もないわ。

妻は大変疲れているのだ。心もからだも。

 

そして夫たちは、妻に看取られるであろう自画像しか描けない。

貧しい想像力だ。

夫は私より数十倍の読書量であるが、何を学んだのか?

目下の目標は「死ぬまで、どのくらい本が読めるだろうか?」だけ。

 

疲れて、読書の途中で寝ている妻を想像できまい。

雑事に追われて、集中力も枯渇している。


失うもの・・・・・・・

2019-06-16 00:19:52 | Care

病む人との暮しで得たもの。失ったもの。

得たものは思いつかない。なんだろう?

失ったものは、自由、体力、詩作時間、読書時間。

今日も疲れて、昼食を用意してあげてから、爆睡してしまった。

テレビの大きな音で目覚めた。(病む人がつけたテレビの音だけど。)

このままでは、私は家政婦だけの人生になりかねない。

なんとか、心と体のバランスを整えたい。

 


再入院

2019-05-25 23:52:26 | Care

2017年6月26日に入院して、2017年10月に退院してから、2019年5月24日まで、なんとか頑張った夫は再入院となった。

最初の入院時の状態の困難さではないけれど、どうやらここまで頑張って生きてきました。

自主リハビリも頑張りましたが、救急搬送で入院と決まりました。

これから、病院で徹底的なリハビリが再開されるのですね。

不安と戦いながらの生活でしたが、またドクターと医学療法士のお世話になりながら、

再出発です。夫はまた頑張ることでしょう。

ユリノキに会いに行った散歩が、入院前の二人の最後の散歩でした。

ふたたびユリノキに会える日までに。ガンバロウ!


バスの運転手さん

2018-11-23 12:29:18 | Care


左半身に麻痺が残る夫のお伴をして外出すると、世間が違って見えてきます。
20日午後、駅前にて、バスを待っていましたら、一旦停車したバスがバックを始めました。
「移動しますから、お下がり下さい。」と車内から運転手さんの声が。
バスは、歩道すれすれの位置に停車して下さいました。
こうして頂くと、夫はバスに乗りやすくなるのです。
乗車してから、運転手さんにお礼を申し上げますと、
「どこで降りますか?」と聞いて下さいました。
いつものバス停に停める時にも、歩道すれすれに停めて下さいました。
丁寧にお礼を申し上げて下車致しました。「心温まるお心遣いありがとうございます。」
週に2度ほどバスに乗りますが、こうしたお心遣いは初体験でした。
退院してから、1年以上経過していますが。
いつまでも、我々老夫婦の温かい思い出になることでしょう。

ありがとうございました。

老いというもの

2018-10-17 00:44:19 | Care
   

かつて、老いた両親の看護を三姉妹の三女の私が
たった一人で背負った時期があった。
父は医師の手の施しようもない末期の病故自宅へ帰された。
母の認知症は急速に進んでいた。
老父母の心身の限界は明らかだった。
しかし、老人施設に入れるのはあまりにも可哀想だ。
両親も行きたくないのだ。
その当時には、施設は病人は預からない。

誰もが逃れたい希望のない役目、私はを迷わずに受け入れた。
報酬のある仕事に追われている者に見捨てられた仕事を。

その時「老人施設があるだろう。そこに頼れ。」
と私に強く助言した者は、今は老いて、そして病んでいる。
「老人施設になど入りたくないなぁ。」とつぶやいている。
「入れる。」と私は一度も言っていない。

私は絶句する。 沈黙する。
いつか私も倒れる日がくるだろう。
そこから目を逸らしているのは誰だ?
「老い」とは身勝手になることではないだろう。


こんなこと書きたくないけれど、一つの記録としよう。