ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

五月尽・信州への旅

2014-05-31 21:52:04 | Stroll
5月はなにかと忙しく、ついに「尽」となりました。

4月後半から、メールを通して友人2人と連詩をはじめました。3人で36作品を繋いでゆきます。
「36」に拘ったのは「連句」に対抗すべく……。(汗。。。)
その間に旅をしたり……そして季節は春から夏へと……。
いつまで続くかわかりませんが、真面目に3人で取り組んでいます。

さて、旅のスナップだけでも。


 《善光寺》


 《仁王さまの足におどろいた!》


 《今回の旅は個人的な計画で、幼い時期に短期間過ごした土地の記憶を確かめに。》


 《姉たちが通ったと思われる小学校。わたしは学齢に達していなかった。》


 《松本市美術館。草間弥生さんは松本生まれ。》


 《旧松本高校。作家北杜夫の母校。》


 《旧開智学校》


 《松本城》

松本の旧開智学校と松本城の近くに住んでいた時期もあったけれど、記憶を辿れなかった。
ここへの旅は子供たちがプレゼント(…というか、費用のプレゼント。)してくれたもの。ありがとう。

 *     *     *     *     *

コメント下さったこめつがさんに、もう1枚の画像を追加します。
旧松本高校の教室を撮影したものです。教師の言葉が当時の学生の姿を浮き彫りにしていますね。



『ここは高等学校なのだから、
 ただ教わるのではなく、自ら考えて学びとって欲しい。
 そして教室の外ではおおいに羽目を外すこと!』……と、教師が言っておりました。

女児として育てられたリルケ

2014-05-05 21:59:48 | Memorandum


この絵画は、イギリスの画家ジョシュア・レノルズ(1723~1792年)が最晩年の1788年に描いた「マスター・ヘアー」です。
2歳の「フランシス・ジョージ・ヘアー(1786~1842年)」の肖像画です。
このころの就学前の男児がみんなそうであったようにモスリンの女児服を着て、長い髪形ですね。
何故このような風習があったのか?
一説によれば、女児の方が男児よりも生命力が強いので、その願いからとも言われていますが……。



リルケは1875年生まれですから、これは1877年の写真ですね。
これは「マスター・ヘアー」のような考え方からきたものではなく、
母親ゾフィアの屈折した考え方からきたのではないかしら?
「ゾフィア」は裕福な商家に生まれ、フランスの血をひくと自称し、
大皇紀のような黒衣を好み、虚栄心が強く、凡庸な夫のとの生活に幻滅して、
「リルケ=ルネ」を連れて別居します。そこで女の子として育てられました。
「ゾフィア」は「リルケ」よりも長生きをしていますが、
彼の生涯にわたる影響力を持っていました。良きにつけ悪しきにつけ・・・・・・。



今度はオランダの画家「ヨハネス・フェルメール・1632~1675」と
同時代の「ピーテル・デ・ホーホ・1629~1684」の描いた「食料貯蔵庫の女と子供」です。
この子も実は男の子です。肩布と金のボタンで、男の子だとわかるのだそうですが、
帽子、ドレス、髪型は女の子ですね。


さてさて、こうして男児が女児の服装で育てられた真相ははっきりとはしませぬが。。。