ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

Loreley (ローレライ) F. Silcher / H. Heine / S. Kondo (日本語歌詞)

2016-10-30 16:55:17 | Music
Loreley (ローレライ) F. Silcher / H. Heine / S. Kondo (日本語歌詞)


作詞 ハイネ 
作曲 フリードリヒ・ジルヒャー

1933年、ナチス・ドイツは、ベルリンにおいて、大々的な焚書を行なった。
その中に、「ハイネ」の書籍も含まれていた。
しかし、人々の「ローレライ」の記憶は消せない。
そのためナチスは「全体主義らしい丁重さで……ハイネの名前を抹消し、歌だけ残した。」


ジークムント・フロイト
エミール・ルートヴィヒ
エーリッヒ・マリア・レマルク
カール・マルクス
アプトン・シンクレア
ジャック・ロンドン
ハインリヒ・マル
ヘレン・ケラー
アルバート・フィンシュタイン
トーマス・マン
アルトゥル・シュニッツラー
シンクレア・ルイス(ノーベル文学賞)

以上の方々の書籍が同様に焚書されました。

そして、1935年ヒットラーの「我が闘争」のみが兵士の本とされた。

さらに、1934年パリにて「燃やされた本の図書館」が創設された。(H・G・ウエルズによって。)


 《戦地の図書館・モリ―・グプティル・マニング》より。覚書として。

秋の散歩

2016-10-28 20:50:28 | Stroll
秋になると、少しだけ元気になる。そして疲れる。写真が増えるし(笑)。


 コスモスが咲いている。


 セセリが蜜を求めてくる。


 モンシロチョウも来る。


 ルリシジミも来る。珍しい蝶ではないが、毎年会えるのは嬉しい。もうすぐ会えなくなるわね。


 ノシメトンボ。羽の先が黒い。ダンディー。

 
 赤トンボ。


 シオカラトンボ。


会えてうれしかったよ。


赤トンボ三姉妹 秋いろいろ

2016-10-25 12:46:03 | Stroll
いつもの買い物の通り道なのですが、何故かトンボが好む場所らしい。


 三姉妹 きちんとお行儀よく並んでいる。


 こちらは一人っ子で。


 こちらは冒険好きな子で。


 名前はわかりませんが。蝶々。


 やっと名前がわかったわ。シソバフジバカマ。間違っていたら、ごめんなさい。


 フクシア……だと思う。。。


 毎日、秋になると気になる、スミレの種。来年もここに咲いてね。


夕月や流残りのきりぎりす  一茶

2016-10-22 13:09:55 | Haiku
やっと涼しくなってきて、「一茶双樹記念館」なるものを訪問。
「双樹」というのは俳号であって、秋元三左衛門と言う方で、千葉県流山において、みりんなどの醸造販売を行っていた方らしい。1801年~1818年ころに、一茶は流山を訪れ、「双樹」がお世話をしたということらしい。
建物と庭は、当時のものではなく、解体調査、改修、復元によるものであるらしい。入口は「秋元本家」であって、奥には「双樹亭」「一茶庵」がある。
「流山のみりん黄金時代」の復元とも言えるのではないだろうか?










お庭の見える座敷で、桜茶と甘味をいただきました。


サルスベリの実。ホトトギス。





もつれ雲らしい?

2016-10-14 20:44:14 | Stroll
今日のお昼頃の空です。








この雲は、上空の風が弱いときにできやすいそうです。そう言えば今日は洗濯物や布団干しのための風の心配がなかったわ。
この雲が見られた後は、晴天が続くことが多いとされている。よかったわ♪



 スミレの種です。

内村剛介ロングインタビュー・生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀

2016-10-07 21:43:58 | Book



インタビュアー、及び編集、構成は陶山幾朗氏である。


内村剛介に恋してる。今まで使用しなかった脳内のどこかが、にわかに働き始めたせいではないか?
内村剛介少年は紅い夕日にひかれて、少年大陸浪人となって満洲へ。「台連第二中学校」を経て「哈爾浜学院」へ。卒業後は関東軍に徴用。敗戦時にソ連軍に逮捕され、シベリアに抑留され、1945~1956年の間「スターリン獄の日本人」となる。
ここには、究極のエピソードがある。逮捕されたが、すぐに延吉の収容所から開放されたが、一緒に開放された友が発疹チフスの高熱におかされる。進退窮まった内村氏は、医師を求めて収容所に戻るしかなかった。そこから11年である。

帰国後の内村氏は、「挫折」や「悔恨」に陥るいとまはなく、エネルギッシュな執筆活動を始められました。しかしながら内村氏は日本へ帰ることに固執していたわけではないようです。奥様には「再婚」を勧める手紙を、ロシアから出していました。しかしながら、それで女性が「ああ、そうですか。」と再婚するわけないでしょ。自分の論理だけで妻の論理と重ねることのできない男よ。

この本では、抑留生活についてばかりでなく、ロシア文学者として、ロシア語とロシア文学、ロシアの国の特性についてたくさん語っておられます。今後ロシア文学を読む場合に、これが頭を離れないことでしょう。さらに、こんなお話がありました。以下引用します。(長いですが。)

『ロシアのように余りにも広大な土地に対して、人間の数が極めて少ないという、このどうしようもなく乖離した現象に発していると言えます。そして、この乖離ないしは空白部分というものを埋め、かつこれを支配することができるのは、つまるところより強力にして絶大なるパワーなんですね。だから中央集権もその極まった体制をもってしなければ、とてもこの広大な空間を有効支配できないということになるわけです。で、ともかくそれには人間が足りない、となる。そこで、どうするか。じゃあその足りないところへ捕虜をもってくるとか、あるいは囚人を使えばいいじゃないかということになる。要するに強制的な力をもってして人間を狩り集め、これをあてがって労働をさせればいいという発想になるわけですね。
このように、昔からロシアを開発するためには、極めて強大な集中力と強制力をもったところの中央集権的な力によって、その広い土地と人間とをドッキングさせるというのが唯一の方法だったわけです。そういう論理がもともとロシアにはあり、それが彼等の発想の根源にあると僕は思います。』

ロシアの捕虜となったご当人が冷静に分析しています。すごい。
このように、内村剛介氏はロシアの文学者、政治家、民衆、不満分子などなどを分析してゆきます。一番私が「目からうろこ」だったのは「コザック」でした。若い頃にロシア民謡を好んで歌っていた私でしたが、これらのほとんどがロシアの歴史を如実に表していたのではないだろうか?
コザックは、エンクロージャー(囲い込み政策)に反発して、新天地を求めて出てゆき、そこを開拓して豊かな土地にする。そこを国家が奪う。そしてそこはすでに自由の天地ではなくなる。また新天地を求める。この繰り返しがロシア全土を豊かにしていったということのようです。

書き出すときりがないほどですので、これにて終りにします。
あの世の内村剛介さま。遅ればせながら深く感謝致します。


 (2008年初版発行 2009年第3刷発行 恵雅堂出版株式会社刊)