深く納得しました。
オリンピックの柔道の試合を観ながら、亡き父の言葉をしきりに思い出していました。
父は上京後の大学時代は、講道館で柔道の稽古に励み、時には警察官の柔道指導も
やっていたらしいのです。
小柄な父は、オリンピックの柔道の試合が、選手の体重に応じて相手が決められる方法に、
かなり抵抗があったようでした。
それを、懐かしく思い出していました。
深く深く納得しました。
病人にも、それぞれ個性があって、病気との向き合い方に個性が現れる。
病人の看護人への思いも、幼い日からの母親への依存がそのまま表れる。
新しい詩集を出して、後悔と期待がないまぜになっていて、あまりよろしくない心理状態になる。
ひどく、つまらない。いや、これでいい。様々な波が寄せては返す。
このフォスターの言葉に救われるほどに、私は優れた詩人でもなくて、また悲しい。
言葉よ。届け。
昨日の朝日新聞から。
思わず切り抜いて、忘れないようにしたいと思いました。
いくら、のほほんとしている私ですら、今日の日本の状況はかなり危機に瀕していると感じます。
ましてや、86歳の半藤一利氏にとっては、戦争の記憶があるわけで、その上お父上は「治安維持法違反」で逮捕されたとのこと。
これらの記憶がある世代からの貴重な警告です。
なんて素敵な先生でしょう。鶴見俊輔さん!
高校時代、わが校は女子高だったけれど、男子校にはユニークな先生がいらした。
新入生を迎えた担任教師が、まずすることは生徒の名前を覚えることだとおっしゃったそうです。
生徒に名札をつけさせたり、体育着にもつけさせたり、するのは反対だったそうです。
とても大事なことは、朝礼の訓示ではなく、教師が生徒たちを見つめることね。
昨日の朝日新聞の「折々のことば」より。
経済学者の猪木武徳氏の言葉はこわい。
こわいけれど、これが真実なのよね。
今こそ、この言葉の重みを忘れないでいよう。
7月22日の「折々のことば」は思わず立ち止まりました。望月通陽さんが谷川俊太郎さんにおっしゃった言葉だそうです。「ら抜き」言葉で書こうとする人には「ら」の値段をつりあげましょうか?
確かに言葉には金銭がかからない。紙とペンがあれば詩は書けます。考えたこともなかったわ。染色家や造形作家や画家には、絵具、素材、道具、などなど様々なものが必要ですね。かの「フェルメール・ブルー」は高価な「ラピス・ラズリ」が必要だったし。
自由にふんだんに言葉は使えるのだから、よき詩人になりましょう。(自戒)
堅斗君は小学六年生かしら? 来春は中学生になるのかしら?
朝日新聞12月29日掲載されたものです。
「反原爆」「反戦」の意識がこのような若い世代にまで浸透したことを喜びたい。