ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

直島へ。

2010-05-29 22:18:00 | Stroll


 24日、高松港から直島の宮浦港へ朝の船で渡る。直島は周囲16キロの小さな島です。岡山のベネッセ(元福武書店)御曹司が「ベネッセ・アートサイト直島」代表、「直島福武美術館財団」理事長を努められて、直島全般をアートの島としたという経緯のある島です。代表的なものとしては・・・・・・

①地中美術館
②ベネッセハウス
③家プロジェクト
④屋外作品

 ①は島の景観をそこねないように地中に造られた美術館です。ヨーロッパの画家たちの作品が展示されています。③は個人の家あるいは廃屋、、神社、お寺などをそのまま生かし、修復したりして、ユニークでうつくしい建築作品となっています。①と③は月曜休館のため外側しか見られませんでした。②のベネッセハウス・ミュージアムのみ開館していましたので、宮浦港前からバスに乗ってゆきました。詳しいことは「ベネッセハウス・ミュージアム」のサイトでどーぞ。



 海辺の高地にたたずんでいるこのミュージアムは、外に出られる出入り口がたくさんあって、そこから海が見えます。自然とよく調和していました。その全体がミュージアムなのですね。岡山から高松に来る途中の瀬戸大橋も見えました。



 ④は島の公共施設や学校そのものが建築作品でありました。また草間弥生の巨大なオブジェが海岸に点々と・・・。何気なく港に置かれた椅子さえも作品でした。





 直島にはタクシーが1台しかないと聞いていました。「そのタクシーをお願いできませんか?」と高松港の切符売り場の案内の方にお尋ねしましたら、「バスの運転手とタクシーの運転手は同一人物です。」だって!
 帰りのバスに乗っていたら途中で運転手さんが交代。ううむ。つまりこの島の移動手段を支えていらっしゃるのは、このややご高齢の運転手さんお2人なのですね?道はどこでも狭いです。小さなバスでもやっと通っているような感覚です。このバスは観光客のみならず、島の方々の足にもなっています。

 この小さな島に持ち込まれたこれらのアート・プロジェクトは島民の方々と調和しながら共存できているのでしょうか?と思わず考えてしまったのは、「ベネッセハウス・ミュージアム」はホテル付きという滅多にない形式を取り入れていることにあります。この島に宿泊しなかったのは、その高額なホテル代(庶民感覚で計るならば、2~4倍)にあったのでした。

 さて直島もさようなら。船で宇野港に出ました。JR宇野駅から岡山へ、その先は新幹線で東京・・・そして帰宅。雨は娘がマラソンする日から、直島の「ベネッセハウス・ミュージアム」を出る時まで降っていました。ビジョ(?)2人旅ゆえ♪

小豆島へ。

2010-05-29 15:23:38 | Stroll


 愛娘の「小豆島・オリーブ・マラソン」参加に引率して(されて?)22日、東京駅発のぞみ17号08:30~11:56岡山着。岡山発マリンライナー29号12:12~13:05高松着。高松港より高速船で小豆島の草壁港まで。遠かった・・・。



 しかししかし、瀬戸内海の風景はうつくしい。ここまで来なければ見られなかった風景。島に着く前の海と数々の島の風景を堪能しました。


 小波がくりかえし
 盛り上がり 崩れて
 瀬戸の海面は揺れ続ける
 
 この寡黙に繰り返されるものを
 わたくしたちは身の内に知っていたはず
 こうして日々はあり、これからもこうであることを

 そして波は
 世界の岸辺に打ち寄せているはず
 世界の人々の願いを込めて・・・ 






 小豆島の草壁港に着いたものの、マラソン大会前日ゆえ、ホテルからの送迎車は来ない。バス停留所の時刻表をみたけれど、よくわからない。近所にタクシー会社があるというので行ってみましたが1台もない。親切なタクシー会社の女性事務員の方がホテル前に停車するバスの時刻表を調べて下さって、30分後に出るバスに乗るしかないとわかる。「島」というものの実態をここで再確認しました。

 港付近を散歩しながらバスを待つ。その時間もまたよろしい。娘と旅をするのは何年ぶりだろう?小さい頃は冬はスキーに、夏は海や高原にと繰り返し、いつのまにか、父母や義父母のお見舞いやら葬儀などで一緒に旅をすることしかなくなっていました。まぁ。それは自然なこと。若者にはその仲間と目的と体力に合わせた旅があるものですから。今回同行できたのは、マラソン参加の相棒が仕事の都合で参加できなくなって、それをキャンセルせずに母親を招待してくれたのでした。

 さて、ホテルに無事到着。このホテルは小豆島で一番大きなホテルで、マラソン大会のスポンサーでもあって、ランナーへのサービスは行き届いていました。部屋に荷物を置いてから、ホテルが出してくださるライトバンで、明日の大会の手続きにゴール地点となる坂出港まで。ホテルに帰るともう夕方でした。東京も小豆島も曇天。明日の天気予報はあまりよろしくない・・・。


 23日朝、雨さらに風も・・・。マラソンの雨天決行は常識ゆえ、娘は朝風呂で体をほぐし、さっさとウエァーに着替える。5000人参加のマラソンゆえ、ゴール地点は混雑する。「マラソンコースはホテル前を2度通過するので、そこで待機していなさい。」という娘の言いつけ通り、9時にホテル前でランナーたちを乗せたバスを見送る。10時スタートを告げるピストルの音が聴こえる。その5分後には娘が手を振ってホテル前を通過。10時32分には2度目の通過を無事見届ける。笑顔だったので安心。しかし、あっという間に走り過ぎる娘をカメラに収めるのは難儀なことだった。戻ったホテルの9階の部屋からランナーたちの列が見えるので、あわてて撮影。



 結果は女性世代別順位では4位となり、表彰状を頂く。自己ベストタイムの更新はできなかったけれど。ホテルで汗やら雨やらを洗い流し、着替えてから遅い昼食。それからホテルの車で草壁港まで送っていただいて、船で高松へ。ここに1泊。(つづく)

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ・大江健三郎

2010-05-27 22:13:12 | Book
 「アナベル・リイ」「エドガー・アラン・ポー」の最期(1849年)の詩からの引用です。大江健三郎は小説を書く以前から、たくさんの詩に出会っています。


アナベル・リイ (日夏耿之介訳)

(1)主人公17歳の時に「創元選書」で読む。

わたの水阿(みさき)のうらかげや
二なくめでしれいつくしぶ
アナベル・リイとわが身こそ
もとよりともにうなゐなれど
帝郷羽衣の天人だも
ものうらやみのたねなりかし。

(2)主人公が老作家となった時期に読む。

在りし昔のことなれども
わたの水阿(みさき)の里住みの
あさ瀬をとめよそのよび名を
アナベル・リイときこえしか。
をとめひたすらこのわれと
なまめきあひてよねんもなし。


 そして天使に妬まれて夭折したほどの美少女「アナベル・リー」。全文は6連ありますが、その1連のみ引用されています。そして最終連の6連が、この小説のタイトルに繋がっています。


月照るなべ
たしアナベル・リイ夢路に入り、
星光るなべ
たしアナベル・リイが明眸俤にたつ
夜のほどろわたつみの水阿(みさき)の土封(つむれ)
うみのみぎはのみはかべや
こひびと我妹(わぎも)いきの緒の
そぎえに居臥す身のすゑかも。


 主人公の作家が旧友の映画監督の「木守有」と、戦後すぐ製作された映画版「アナベル・リイ」に主演した元少女スター「サクラ」とともに、ドイツ作家の「クライスト」が19世紀初頭に執筆した小説「ミヒャエル・コールハースの運命』を映画化するという計画から始まる。この小説は、16世紀の末、ブランデンブルク出身の博労「コールハース」が、隣国のサクソニヤへ行った時に、新城主となったトロンカの謀略で黒馬を取り上げられ、愛妻まで殺され、復讐をする物語です。

 しかしこの企画は実現しませんでした。30年後にこれを、老作家の故郷の四国で実際にあった「農民一揆」に置き換え、中心人物である「コールハース」を女性に振り替えるという構想を練る。いよいよ製作再開。老作家と老監督と元少女スターから国際女優となった「サクラ」が「後期の仕事」を共作していくのでした。
 
 「農民一揆」とは、大江健三郎の小説「水死」のなかに書かれている、一揆で殺された「メイスケ」に変わり、「メイスケ母」が一揆の先導者となる物語です。

 「アナベル・リイ」が「ロリータ系小説」の出発点であったことは予想外なことでした。それゆえ「サクラ」は元少女スターから脱却してゆかねばならないということでした。そして最も自分が演じてみたい「メイスケ母」を選ぶのでした。「コールハース」の妻も「メイスケ母」も権力に抗するゆえに、精神的肉体的な辱めを受けるということでは共通しています。さらに「サクラ」が少女時代に演じさせられた「アナベル・リイ」の制作過程においても・・・・・・。

 (2007年・新潮社刊)

山本容子のワンダーランド

2010-05-14 01:19:41 | Art


 13日午後、新緑の森のなかの埼玉県立近代美術館へ。山本容子さんを銅版画家という認識しか抱いていなかったのですし、「不思議の国のアリス」や「鏡の国のアリス」の挿絵を中心とした美術展だと思っていましたら、なんと作品領域の広い画家でありました。





 もちろん、上記の絵画もありましたが、ステンドグラス、画家(ピカソ、マチスなど。)の肖像画、書籍の挿画、表紙絵、日常のささやかな道具、草花、野菜、食べ物、装身具、玩具、動物などなど、作品総数は小さなものから大きなものまで、約700点以上になると思われます。
 さらに興味深かったのは「姫君」シリーズでした。日本の古典文学やお伽話に出てくる「若紫」「かぐや姫」「落窪姫」「虫めずる姫」などなど・・・・・・。



 あるいは谷川俊太郎の詩と絵画、オペラと絵画、ミュージカル映画と絵画・・・・・・ともかく貪欲に広範囲に、美術の世界を言葉と音楽の世界にまで向けて、網を投げるように網羅した画家ではないか?と思われます。なんとエネルギッシュで繊細で大胆な画家なのでしょう!

 女性美術家として、特別視をするつもりはありません。彼女は非常に美しい女性ですが、絵画のなかの女性や少女の表情は決して美しいとは言い難いものです。このわたくしの戸惑いと疑問は夜になっても消えません。どう解釈すればいいのか???

彗星の住人・島田雅彦

2010-05-09 22:16:44 | Book
 いやはや永い旅をしました。蝶々夫人が、海軍士官のピン・カートンに見初められ長崎で暮らし、仕官がアメリカに帰国中に1人息子「JB」を生む。そして再び戻ってきたピン・カートンはアメリカの妻を連れてきて「JB」だけを連れて帰国。1894年に蝶々夫人は自害する・・・というのがプッチーニのオペラのだいたいの筋書きで、1904年にミラノで初演されている。オペラ好きの作家らしい小説のはじまりです。

 この架空の人物かもしれない蝶々夫人から5代目にあたる「椿文緒」が辿る、「JB」→「蔵人」→「カオル=椿文緒の父親」の恋物語です。この4代の恋物語に作家はなにを言おうとして、こうした仕掛けを作ったのか?それが島田氏らしい展開となっています。それぞれの時代の権力と、もう1つのぼやけた権力(?)に対する痛烈な批判ではないだろうか?

 ハーフである「JB」は、アメリカ軍部に翻弄される。あまり役に立たないスパイであったり、通訳であったり、領事であったり。またオペラのヒロイン「蝶々夫人」が母親であることを知る。

 「蔵人」は売れない天才音楽家であったが、戦後日本のトップ女優「松原妙子」との結ばれぬ恋があった。彼女はアメリカの元帥が帰国(大統領から元帥として不適格とされて。)するまで元帥の日本の秘密の愛人として、後は生涯1人でひっそりと暮らすのだが。この女優のモデルが誰であるのか?想像はできますが、あえて書くまい。「蔵人」も短い生涯を送り、その妻もまだ少年の「カオル」を遺して亡くなる。

 孤児となった「カオル」は「蔵人」夫妻の親密な友人「常盤シゲル」の養子となり、義理の姉は「アンジュ」であり、「カオル」はその友人の「淺川不二子」に長い時間と距離をかけた恋をしたが、結ばれることはなかった。なぜなら彼女は「KO-KYO」と呼ばれる東京の大きな静かな森に住んでしまったからだった。

 なんとまぁ。あぶない恋物語を書いた島田氏ですねぁ。しかしこれもまた密かな「戦争」と「権力構造」への批判が見えてきます。最後はこう結ばれています。

 『蝶々夫人は末期の夢にも見なかっただろう。おのが恋が遠い未来の子孫の恋を左右するとは。恋は喜怒哀楽をゆがめ、理性を壊し、命さえ危険にさらしてもなお、終わらず、滅びず、今日もまた別の誰かが繰り返す。たとえ、恋人たちが死んでも、彼らの満たされなかった欲望は未来に持ち越され、忘れられた頃、蘇る。』・・・無限カノンー1

 (2000年・新潮社刊)