これをくわえて近くの樹にかくれました。この樹を覚えておこう♫
マーケットで豆苗を買って、すべてを切り取ってお料理しましたが、
その袋に「水につけておくと新しい豆苗が再び伸びてきます。」と書いてありました。
一回目はお肉と炒めて、2回目はさっと茹でて蒸し鶏サラダにしました。
この画像は、2回目の豆苗です。目下、3回目に挑戦中です。
美味しそうなブルーベリー。
柿の赤ちゃん。
大好きなネジバナ。
病人との生活は、どこにも出掛けられない。近所をぶらぶらして。
「高校生の頃からです。」と答えましたが、後になって違うような気がしました。
私がものを書くようになったのは、小学校4年生からでした。
作文教育に熱心な担任の先生(女性)に出会ってからです。
作文教育が盛んになったのは、おそらく戦後からでしょう。
戦時中の「言論統制」から解かれた時代に一気に開花したのでは?
以下を参照なさって下さい。
(獄中メモは問う・作文教育が罪にされた時代 佐竹直子)
自由に何でも書けた少女時代に、先生の作文授業は楽しかった。
今頃になって、その有難さがわかります。
先生が自由を手にされた歓びも、私は頂いたのでしょう。
昨夜は「雲のかげ~~」で、十五夜(満月)を撮影できませんでした。
今夜は「十六夜」です。
夕方の散歩のお伴の折に撮影した「ネジバナ」です。
徐々に、野花の名前を覚えてゆく夫さまでした。
病む人との暮しで得たもの。失ったもの。
得たものは思いつかない。なんだろう?
失ったものは、自由、体力、詩作時間、読書時間。
今日も疲れて、昼食を用意してあげてから、爆睡してしまった。
テレビの大きな音で目覚めた。(病む人がつけたテレビの音だけど。)
このままでは、私は家政婦だけの人生になりかねない。
なんとか、心と体のバランスを整えたい。
毎年ネジバナが咲く場所があって、そこが5月に徹底的な草刈りが行われて、
心配していましたが、今年も姿をみせてくれました。野花は強い!
おまけ。黄色い花。キンシバイ。
コマツヨイグサ。
夫の散歩(歩行訓練とも云う。)のお伴をしながら、花の名前を教えてあげる。
夫の退院後のお薬を頂くために、診療所へ。
道すがら、コノテガシワに出会う。
梅雨の季節の貴重な晴れ間。夜の月がきれい。(13日の夜、撮影)
今日は夫の退院日。
病院へのバスに乗るまでの道すがら、「マンネングサ」に出会う。
星のような小さな花でした。
夕食後、キッチンの窓から、きれいなお月様。
雨に降られずに、静かな日でした。
大きな鳴き声が聞こえる。人間は飛べずに走る。カメラをもって。
鳴きかわしていたのか、一羽だけが呼びかけていたのか、確認できないが、
最後に電線の上で見つめ合っていた。
・・・・・・・というのも、ニンゲンの勝手な想像か?
童謡・唱歌: ♪大黒さま 歌:beni9jyaku(紅孔雀)
子供の頃、父と「蒲の穂」が茂る川べりの道を歩いたことがある。
父は少年のようにずんずん歩いている
父のズボンには容赦なく「蒲の穂綿」がつく
家の縁側で父のズボンの穂綿を摘み取りながら、私は父に訊ねた。
「蒲の穂綿って、からだの傷を治せるの?」
「傷は治せない。白い穂綿と白うさぎの体毛が似ているだけだ。」
「そうしたら、傷ついたからだに穂綿がついたら、ヒリヒリ痛いでしょ?」
「そうだなぁ~。」と父は答える。
聴きたいことは尽きないが、小さな私は黙り込んだ。
詩には嘘がある。嘘が歌い継がれていた。
美しいメロディーと嘘のお話。
不器用に言葉を歩かせて、ここまで詩を書いてきた。
歩き疲れてしまった。
今年も蒲の穂が飛んでいる
飛び立ってごらん。私のことば。