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誰もかも知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに (藤原興風・ふじわらおきかぜ・生没年不詳)
興風は、歌の学門書を書いた「藤原浜成」の曾孫である。貫之や躬恒(みつね)などと
才能を競い合った。さらに琴の名手でもあった。
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人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほいける (紀貫之 八六八~九四五)
「花」はここでは「梅の花」を指す。その花に会いに来たのだが、迎えた者がつれない。
(多分、女性)。けれども花は変わりなく美しい。その花のように迎えてほしい。
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夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
雲のいづこに 月やどるらむ (清原深養父・きよはらふかやぶ・生没年不詳)
作者は、清少納言の曾祖父にあたる。官位は上がらず、貫之と親しかった。
晩年は、京都の北に「補陀落寺」という寺を建てて住んでいたらしい。
夏の夜は短く、月は出る間もなく、雲のどこかに隠れているのだろうか?
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白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける (文屋朝康・生没年不詳)
「つらぬきとめぬ玉」とは、「糸や紐で繋いでいない玉」と言う意味。
「ばらばらになった玉」ということらしい。白露の様子をこのように表現したか‼
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忘らるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな (右近・生没年不詳)
これは、恐い歌でありますね。多くの貴公子との恋に生きたけれど、誓いを守れぬ恋人に「ばちがあたりますよ。」とおっしゃっています。
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浅茅生の小野のしのはらしのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき (参議 等 880~951)
最初の「5・7」は「忍ぶ」を呼び出すための助詞である。切ないな……。
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しのぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで (平兼盛 ?~990)
それにしても「恋歌」が多いなぁ。兼盛は官位は低かったが、平安時代を代表する歌人である。