ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

百人一首我流解釈 63~67

2023-06-15 15:31:42 | Poem

63

今はただ 思ひ絶えなむとばかりを

人づてならで いふよしもがな (左京大夫道正・九九二~一〇五四)

今となっては、もう諦めています。それを人伝ではなく、直接にもうしあげます。

あああ。本当に恋歌ばかりだなあ。→→→独り言。

64

朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに

あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼・九九五~一〇四五)

しらじらと夜が明ける頃、宇治川の川面に漂う朝霧が少しずつ晴れて、

そこから表われる鮎の稚魚たち。「網代木」とは、その魚たちを獲るために、しかけられた、瀬に打ち込まれた棒杭のこと。

65

恨みわび ほさぬ袖だにあるものを

恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ (相模・さがみ・生没年未詳)

辛い恋に、あなたを恨み、涙で濡れた袖は乾くことがない。しかし、この恋ゆえに

わたくしの名も、朽ちかけているのです。

66

もろともに あはれと思へ 山桜

花よりほかに 知る人もなし (大僧正行尊・一〇五五~一一三五)

大峰山にて修験者として修行中に歌ったもの。山桜に語りかけて……。

 

67

春の夜の 夢ばかりなる手枕(たまくら)に

かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

(周防内侍・すおうのないし・生没年未詳)

短い春の夜の集いに、大納言忠家は、周防内侍の「枕が欲しい」と言うつぶやきを聞いて、

手枕を差し出す。噂を恐れて、周防内侍はお断りするのですが……。春夜の戯言?


百人一首我流解釈 61~62

2023-06-13 15:23:49 | Poem

 

61

いにしえの奈良の都の八重桜

けふ九重に にほいぬるかな (伊勢大輔・生没年末詳)

 

「九重」とは、中国の王城が、門を九重に囲ったところから、「九重」と言えば

「宮中」や「都」を指して言うようになった。

 

62

夜をこめて 鳥の空音ははかるとも

よに逢坂の関はゆるさじ (清少納言 ・生没年末詳)

 

夜が明けないうちから、鶏の声を真似ても、「逢坂の関」は、簡単には開きません。


百人一首我流解釈 56~60

2023-06-12 19:37:57 | Poem

56

あらざらむこの世のほかの想ひ出に

いまひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部・生没年不詳)

 

私はほどなく死んでしまうでしょう。

あの世への思い出にもう一度だけお逢いしとうございます。

57

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に

雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部・九七〇~一〇四頃)

 

式部が久し振りに幼馴染に会って、積もる話をしたかったのに、

瞬く間に帰ってしまった。まるで雲に隠れた月のように。

 

58

有馬山猪名の笹原風吹けば

いでそよ人を 忘れやはする (大弐三位・九九九頃~没年未詳)

 

はじめの「五・七・五」は「いでそよ」に繋ぐための序詞と思われる。

「いで」は「さあ!」ということ。「そよ」は風音ではなくて、「そこが肝心な

ことです。」ということ。貴方を忘れることはできませぬ。

 

59

やすらはで寝なましものを小夜更けて

かたぶくまでの月を見しかな (赤染衛門・生没年未詳)

躊躇うことなく寝てしまえばよかったのに。こうして西にかたぶくまでの

月を見てしまいました。

 

60

大江山 いく野の道の遠ければ

まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 生年未詳~一〇二五)

 

小式部内侍は「和泉式部」の娘で「小式部」という女房名で呼ばれていたらしい。

この歌は、両親が丹後国に行っている時に、「歌合せ」があり、ある男から「お母さんがいなくても大丈夫?」とからかわれた時に歌ったもの。


百人一首我流解釈 51~55

2023-06-11 09:59:07 | Poem

51

かくとだに えやはいぶきの さしも草

さしも知らじな 燃ゆる思ひを (藤原実方朝臣・?~九九八)

 

「も草」は「燃ゆる」を引き出すためとか?「思ひ」の「ひ」は「火」だとか……。

どうか、この熱い恋心を知って下さいませ……ということかな?

52

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら

なほうらめしき あさぼらけかな (藤原道信朝臣・九七二~九九四)

 

夜が明ければ、また日が暮れます。そうしたらまた、貴方にお逢いできると

わかっておりますが、あさぼらけは、やはり恨めしいのです。

 

53

嘆きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は

いかに久しき ものとかは知る (右大将道綱の母・九三七~九九五)

 

彼女は何を嘆いたか? それは夫である藤原兼家の浮気である。

彼女は、帰ってきた夫を家に入れなかったそうです。

この歌に色褪せた菊を添えて、夫に送ったとのことです。

 

54

忘れじの 行末までは かたければ

今日を限りの 命ともがな (儀同三司母・ぎどうさんしのはは・生年未詳~九九六)

 

「決して忘れることはない。」と仰って下さいましたが、それは難しいことでしょう。ですから、今日一日の命であれば良いと思います。

 

55

滝の音は絶えて久しくなりぬれど

名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任・九九六~一〇四一)

 

昔の京都の嵯峨の大覚寺には滝がありましたが、その音が絶えてから久しい。

しかし、その名は語り継がれて、今もなお聴こえているのです。


百人一首我流解釈 46~50

2023-06-06 18:58:59 | Poem

46

由良の門(と)を 渡る船人 かぢをたえ

行くへも知らぬ 恋の道かな (曽禰好忠・そねのよしただ・生没年不詳)

 

京都府の日本海側にある、由良川の川口にて、舟人が櫂(あるいは櫓)を

なくしてしまったかのように、行方のわからない恋です。

 

47

八重葎 茂れる宿のさびしきに

人こそ見えね 秋は来にけり  (恵慶法師・えぎょうほうし・生没年末詳)

 

「八重葎」とは、荒地や野原に茂る雑草の総称。そのような草の茂る宿に訪れる人もいないが、秋はくるものだ。

 

48

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ

くだけてものを 思ふころかな (源 重之 ?~千年頃)

強い風が吹いている。

岩打つ波も砕けている。そのように私の恋も、心砕けるほどだ。

 

49

みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え

昼は消えつつ ものをこそ思へ  

 ( 大中臣能宣朝臣・おおなかとみのよしのぶあそん・九二一~九九一)

 

「衛士・えじ」は篝火を焚いて、皇居の門を警護する人たちのこと。

その篝火のように、私の恋は燃えているのだ。

 

50 

君がため 惜しからざりし 命さへ

長くもがなと 思ひけるかな (藤原義孝・九五四~九七四)

 

あなたにお逢いできるのでしたら、我が命さへ惜しくはないと

思っていたが、お逢いできました今は、ながく生きていたいと思います。

(勝手にしやがれ。わたしの本音 笑)


百人一首我流解釈 41~45

2023-06-06 09:52:55 | Poem

41

恋すてふ わが名はまだき立ちにけり

人しれずこそ 思ひそめしか  (壬生忠見 生没年不詳)

 

わたくしが恋をしているという噂がすでにたっているのですね。

密かに思いはじめたばかりですのに……。

 

42

契りきな かたみに袖をしぼりつつ

末の松山 浪こさじとは  (清原元輔 九〇八~九九〇)

 

「末の松山」は海岸近くにあっても、波が越えることはないと言われています。

お互いに涙を流しながら、約束しましたよね。心変わりはないと……。

 

43

逢ひみての のちの心にくらぶれば

昔はものを思はざりけり   (権中納言敦忠  九〇六~九四三)

 

こういうのって、今の時代と変わらないのね。契りを結べば熱が冷める??

 

44

逢うことの 絶えてしなくばなかなかに

人をも身をも 恨みざらまし (清原元輔 九〇八~九九〇)

 

「恋心」って、時代が変わっても何も変わっていないのね。

それを「歌」にすることで、さらに熱を帯びていくようです。

 

45

あはれともいふべき人は 思ほえで

身のいたづらに なりぬべきかな (謙徳公 九二四~九七二)

 

私をなぐさめて下さる人いないようです。虚しく死んでしまうのでしょう。

(私的つぶやき・・・・・・恋歌ばかりで疲れました。)


百人一首我流解釈 34~40

2023-06-04 15:54:05 | Poem

 

34

誰もかも知る人にせむ 高砂の

松も昔の 友ならなくに (藤原興風・ふじわらおきかぜ・生没年不詳)

 

興風は、歌の学門書を書いた「藤原浜成」の曾孫である。貫之や躬恒(みつね)などと

才能を競い合った。さらに琴の名手でもあった。

 

35

人はいさ 心も知らず ふるさとは

花ぞ昔の 香ににほいける (紀貫之 八六八~九四五)

 

「花」はここでは「梅の花」を指す。その花に会いに来たのだが、迎えた者がつれない。

(多分、女性)。けれども花は変わりなく美しい。その花のように迎えてほしい。

 

36

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

雲のいづこに 月やどるらむ (清原深養父・きよはらふかやぶ・生没年不詳)

 

作者は、清少納言の曾祖父にあたる。官位は上がらず、貫之と親しかった。

晩年は、京都の北に「補陀落寺」という寺を建てて住んでいたらしい。

夏の夜は短く、月は出る間もなく、雲のどこかに隠れているのだろうか?

 

37

白露に風の吹きしく秋の野は

つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける (文屋朝康・生没年不詳)

 

「つらぬきとめぬ玉」とは、「糸や紐で繋いでいない玉」と言う意味。

「ばらばらになった玉」ということらしい。白露の様子をこのように表現したか‼

 

38

忘らるる身をば思はず誓ひてし

人の命の惜しくもあるかな (右近・生没年不詳)

 

これは、恐い歌でありますね。多くの貴公子との恋に生きたけれど、誓いを守れぬ恋人に「ばちがあたりますよ。」とおっしゃっています。

 

39

浅茅生の小野のしのはらしのぶれど

あまりてなどか 人の恋しき  (参議 等 880~951)

 

最初の「5・7」は「忍ぶ」を呼び出すための助詞である。切ないな……。

 

40

しのぶれど色に出でにけりわが恋は

ものや思ふと 人の問ふまで   (平兼盛 ?~990)

 

それにしても「恋歌」が多いなぁ。兼盛は官位は低かったが、平安時代を代表する歌人である。


百人一首我流解釈 31~33

2023-06-04 11:01:35 | Poem

31

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに

吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則・さかのうえのこれのり・生没年不詳)

 

明け方に、月の光が地上を照らしているのかと思うほどに、吉野の里は一面の雪である。

 

32

山川(やまがは)に 風のかけたる しがらみは

流れもあへぬ 紅葉なりけり

(春道列樹・はるみちのつらき・生年未詳・遠喜二〇年・九二〇年没)

 

「しがらみ」とは、水の流れをせき止めるために、川に杭を打ち込んだもの。

農業用水を引く設備であるが、ここでは人ではなく、風が仕掛けたと言っている。

おそらく、思いをせき止められたのではないか? 柵。これを「しがらみ」と読むらしい。

 

33

久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ 

(紀友則・九〇五年頃没・享年六〇歳くらい。)

 

紀友則は、貫之の従兄である。古今集の撰者の棟梁であった。

しかし古今集の完成をみないまま他界している。


百人一首我流解釈 28~30

2023-06-01 00:30:21 | Poem

28

山里は 冬ぞさびしさまさりける

人目も草もかれぬと思へば (源宗千朝臣・みなもとむねゆきあそん(?~939)

 

山里の暮らしは寂しいものです。冬の寂しさはひときわ辛いものです。

訪問して下さる方もいない。草木も枯れます。

 

29

心あてに 折らばや折らむ 初霜の

置きまどはせる 白菊の花  (凡河内躬恒 おおしこうちのみつね 生没年末詳)

 

初霜がおりた庭では、どこに白菊の花があるのか?

当てずっぽうに折ってみようか。

 

30

有明の つれなく見えし 別れより

あかつきばかり 憂きものはなし (壬生忠岑・みぶのただみね)

 

別れの朝の辛さも知らず、有明の月が空にかかる。

その朝以来、あかつきほど辛いものはない。


百人一首我流解釈 25~27

2023-05-27 21:42:35 | Poem

25

名にし負(を)はば 逢(相)坂山のさねかづら

人にしられで くるよしもがな  (三条右大臣 873~932)

 

「さねかづら」の「ね」は「寝」。「かづら」はからみつくもの。

かなり濃厚な表現になっている。逢うことの難しさが歌われている。

 

26

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

今ひとたびの みゆき待たなむ  (貞信公 880~949)

 

「みゆき」は漢字で書くと「行幸」つまり天皇のお出かけ。

その日まで、小倉山のもみじよ、散らずにいておくれ。

 

27

みかの原 わきて流るる いづみ川 

いつ見きとてか 恋しかるらむ   (中納言兼輔 877~933)

 

記憶に遠い方を何度も思い出そうとしているのは何故?

「恋しい」という言葉すら遠いものと思えてならないのに

湧き出る泉のように胸の奥で音を立てています。