まずは、登場人物を。
長江古義人(こぎと):国際的な作家。
長江アカリ:古義人の息子。音楽家。
長江千樫(ちかし)古義人の妻。
長江真木:古義人の娘。
アサ:長江古義人の妹。
吾良(ごろう):自殺した古義人の義理の兄。映画監督。千樫(ちかし)の兄。
ギ―兄さん:長江古義人の兄か?
ギ―・ジュニア
リッチャン
この物語は「3.11=原発事故」から始まる。
長江古義人は、反原発運動の一員となり、デモ行進に加わわったり、演説もしている。
自分たちの時代が原発事故を起こして、自分たちの生きている間に回復させることはできない。
繰り返し出てくる「カタストロフィ」という言葉は「3.11」だけではなく、
主人公の家族の中でも進行する。
文豪「長江古義人=大江健三郎の分身?」も老人になる。
そして今まで書いてきた小説の登場人物たちに、逆襲される時を迎えるのだ。
それも身近な女性たちから。
私の感覚では、むしろ「カタストロフィ」は、家族のなかで展開される要素が強い。
1935年生まれの大江健三郎は、この本を出版された時78歳の高齢者になっている。
このノーベル賞作家が書いてきた様々な小説の登場人物たちに、
この小説のなかで作家は逆襲されるわけですね。
その中心となるのは、障害をもった長男であり、妻であり、娘であり、故郷の妹であった。
(特に娘の真木と妹のアサのパンチがお見事!)
しかし、大江はこれまで私小説を書いているわけではない。私小説的な小説だと思うけれど。
大江の小説を読んできたが、今まで読書中に笑い出すことはなかったけれど、
今回は途中で何度も爆笑していました。
世界的作家を支えていたのは、やはり女性の力でしたね?
教養とか知識とか読書量とかが、やたらに高いおのこにあり得る現象で、
日常を支えている存在が見えなくなってきて、ひたすら自己意識だけが独走してしまう。
それが、大きな現実的な誤りになることもある。
それに困った女性たちが、小説のなかに現れて大作家に意見するのでした。
それらの意見と小説とが、ギ―・ジュニアが中心となって「晩年様式集+α」という冊子を編纂する。
それが、この小説の強固な骨組となっていました。
「カタストロフィ」は小説家が導いたものではなく、今までの小説の登場人物が導いたものかもしれない。
佐々木敦の書評←←これが一番腑に落ちました。
(2013年第一刷・講談社刊)