本当に長い2日だった。
「終戦」を決定し、その宣言を天皇が行う。
8月14日正午から、15日正午まで、「天皇のお言葉」を国民に知らせるという
前代未聞の展開は、スムーズにいったわけではない。
そこには、数え切れないほどの人々が関わっているわけで。
まず軍人たちの抵抗と阻止。そこを治めてゆくことの困難さ。
ラジオ局における「天皇の御言葉」を放送までに無事に保管しておくこと。
それまでは軍人が戦争の先陣にいたわけで、しかも天皇の下に。
その天皇が「終戦」を全国民に、ラジオを通して「宣言」するわけで。
それでも、天皇の決意を軍人たちは受け入れた。
けれども、受け入れられない軍人のなかには、自ら命を断つ者もいる。
あの時代の「命」ってなんだろう?
これは、国民は誰も知らない間に決められ、実行された「天皇の終戦宣言」だったわけで、
そのお言葉を国民はどのように理解したのだろうか?
その後では、「戦争裁判」が行われ、兵士たちの帰国、「引揚者」の帰国、などなど、
ほとんどアメリカの力によるものだったろう。
「戦争」ほど、馬鹿馬鹿しいものはない。始まりも終わりも。
半藤一利氏は、このような著書を沢山残して下さいました。感謝致します。
2006年 第一刷 2021年 第31刷 文藝春秋刊
かつての戦時下に生まれたが、筆者は記憶にないあの時代を記した母親のノートから、
その満州での足跡を辿る。こうして「敗戦国」の困難な時代の波を生き抜いた家族を確認する。
筆者はその時4歳。その弟は新京から葫蘆島に辿り着く前に亡くなった。
父親は別の困難(ソ連抑留)のなかにいた。
そして語り継ぐ。それが人間の本当の歴史となるのだ。
藤原てい氏の自伝小説「流れる星は生きている」もその一冊だろう。
「新京」から「葫蘆島」への困難な移動は、多分同じだったろう。
我が家族も、敗戦から一年後に同じコースを辿っているが、その時期には
「引揚団」という組織的な動きが具体化された時期に入っていたようだ。
ほとんど、海路はアメリカのお世話になったようだが……。
私が「戦争」をテーマに書いた詩を合評会に提出した時、「またか……」と
言われたことがある。
私は沈黙した。仲間も沈黙した。こうした状況はどこにでもある。
それでも、託された者は書き続け、語り続けるのだ。
梓陽子さんの母上が残されたノートは、どんな歴史書よりも尊い。
そして、偽りのない歴史証言となるのだ。
このご本を送って下さった友人K・Aさんに深く深く感謝いたします。
2021年4月16日(九条の会中原区連絡会発行)
本当に長い2日だった。
「終戦」を決定し、その宣言を天皇が行う。
8月14日正午から、15日正午まで、「天皇のお言葉」を国民に知らせるという
前代未聞の展開は、スムーズにいったわけではない。
そこには、数え切れないほどの人々が関わっているわけで。
まず軍人たちの抵抗と阻止。そこを治めてゆくことの困難さ。
ラジオ局における「天皇の御言葉」を放送までに無事に保管しておくこと。
それまでは軍人が戦争の先陣にいたわけで、しかも天皇の下に。
その天皇が「終戦」を全国民に、ラジオを通して「宣言」するわけで。
それでも、天皇の決意を軍人たちは受け入れた。
けれども、受け入れられない軍人のなかには、自ら命を経った者もいる。
あの時代の「命」ってなんだろう?
これは、国民は誰も知らない間に決められ、実行された「天皇の終戦宣言」だったわけで、
そのお言葉をどのように理解したのだろうか?
この本には書かれていませんが。
その後では、「戦争裁判」が行われ、兵士たちの帰国、「引揚者」の帰国、などなど、
ほとんどアメリカの力によるものだったろう。
「戦争」ほど、馬鹿馬鹿しいものはない。始まりも終わりも。
2006年 第一刷 2021年 第31刷 文藝春秋刊
スヴェトラーナ・アレクシェーウ“ィチは1948年ウクライナ生まれ。
2015年度のノーベル文学賞受賞。
彼女の本を読むのは、これで2冊目となる。1冊目は「セカンドハンドの時代・赤い国を生きた人々」だった。この2冊の本に共通することは、彼女の徹底した膨大で丁寧な取材である。そして、彼女の国では「戦争」に若い女性たちが深く関わっていたということだった。実戦にも参加していた。
この本は、兵士として、ナチス・ドイツ対ソ連の戦争に、自ら志願した若い女性たちの戦争記録である。その女性たちは特別な女性ではない。その彼女たちを戦争に駆り立てたものは何だったのか?
スヴェトラーナ・アレクシェーウ“ィチは、そのたくさんの女性たちに粘り強い取材を試みて、その言葉を丹念に記録した一冊です。気が遠くなるようなお仕事です。これに対して感想など書けない。ただ読むだけだ。無心に。
以下引用。(引用したいところは沢山あるのですが・・・・・。)
『戦線にいた時、私がまたハイネの詩を読むことができるなんて思いもしませんでした。大好きだったゲーテの作品とか。ワグナーの曲も我慢できなかったでしょう。私の家は音楽一家でした。ドイツ音楽が好きだったんです。バッハやべートーベンが、偉大なバッハ!そういうことの全部を自分の世界から消し去りました。それから、私たちは火葬場を見ました。アウシュビッツ収容所を。山と積んだ婦人服や子供用の靴。灰色の灰。そういう灰が畑でキャベツやサラダ菜の肥料にされたんだ・・・・・私はもうドイツ音楽が聴けなくなりました。私がバッハをまた聴けるようになるまで、モーツアルトも弾くようになるまで長い年月がかかりました。』
『ハイネの詩集を手にすることができるようになったのは戦後何十年もしてからです。それと、戦前好きだったドイツの作曲家のレコードも。』
引用終わり。
これはほんの一部で、スヴェトラーナ・アレクシェーウ“ィチの取材姿勢は尋常ではないのだ。
脅威である。
三浦英之著『白い土地 ルポ 福島「帰還困難区域」とその周辺』PV
人が過酷な状況を伝え記そうとするときに、人は冷静さを
自らに課すのだろうと、私自身は考えていたように思う。
どうやらそれだけではないと、読み進むうちに、自らの甘さに気付く。
まず、三浦氏がなさったことは、目前の過酷な事実に向き合いながら、
そこに向き合う様々な人々の姿を克明に記録することだったのではないか。
新聞記者の三浦氏は、新聞配達を手伝いながら、町長への取材、
被害者の方々の様々な状況把握。(これには、人間の様々な本質が表われる。)
町長は志半ばでお亡くなりになりました。
そして、最も過酷な事故を起こした「東京電力」の被災者への対応について。
巨大な組織の空回りの対策。国の救助、対策の遅さ。冷酷さ。
それらすべてが「人間」なのだろう。
「白い土地」とは、「地図上になにも描かれていない土地」ということだろう。
そこはすでに道も田畑も民家も学校もないということなのだろう。
そして、一面の緑であるが、それは健やかな緑ではない。
この途方に暮れる状況に、人々は賢明に生きようとしている。
三浦氏の賢明な記録が読者に届けられたのだということ。
病人との暮らしは、外出もままならぬ。
アマゾンで、気分転換にこのような本を買いました。
料理に休日はない。主婦業そのものにも休日はない。
アンから楽しさを読み取ってみよう。
まず、ここから。昭和44年8月15日 初版第一刷 平成28年 第23刷
2018年7月24日 初版第一刷発行
2019年5月24日 初版第一刷発行
渡邊白泉の「戦争が廊下の奥に立っていた」より。
2019年7月20日 初版第一刷発行
一番目に紹介しました本は、まず私の亡き母が買った本でした。
あんまりボロボロになってしまったので、買い直しました。(まだ在庫がありました♪)
そして、時々開いて読んでいます。すべて読者から届いた実際の声です。
生れていたけれど、私の記憶にはない「戦中戦後」ですが、
これほど多くの人々が「戦争」に翻弄された
大変不幸な時代を記録して下さいました。
二度と「戦争」をしないために。
これを募集し、本にして残して下さった「暮しの手帖社」さんに感謝します。