阿賀野市ブログ応援隊

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「オーブ」の写真 11

2015年09月05日 | 「オーブ」の写真

 2015年8月2日 長岡花火 「白菊」 長岡花火の最初に打ち上げられる「白菊」という花火。 慰霊の為に打ち上げます。 このころ私は、いつでもオーブの写真が撮れるという自信(?)がありました。 慰霊の為なら花火とともにオーブも写るはず・・とシャッターを切りました。 結果は、花火の周りに白いオーブが幾つも写っています。

 8月2日 PM7:29分撮影。 オーブが写っています。

 赤い↑の先に「ピクシー」が写っています。

 赤い↑の部分を拡大しました。 「羽のあるピクシー」です。

 これもオーブが写っています。 PM8:23分撮影

 PM8:41分撮影。これもオーブが写っています。  以上の写真、長岡花火会場左岸マス席で撮影しました。 私の周囲には大勢の人たちが居り、作り物の写真ではありません。 長岡花火を「霊」が喜んで観ているのか、それとも・・・・  

 

 本来なら、こんな風に花火が写るはず。  次回に続きます。 管理人

 

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新聞で知ったこと・村杉温泉

2015年09月05日 | 日記

2015年8月30日の新潟日報18面の記事から  阿賀野市の村杉温泉は1335年、足利家の武将だった荒木正高が戦乱を逃れて村杉に着き、薬師如来のお告げで温泉を見つけたそうです。 鎌倉幕府滅亡が1333年ですから、滅亡2年後の話です。 村杉温泉はラジウムを多く含みます。大正初期に17軒の旅館があったけれど、現在は7軒だそうです。 1921年(大正10年)、東京の日比谷公園の設計などに携わり「日本の公園の父」とされる林学博士・本多清六さんが村杉を訪れ「村杉ラジウム温泉風景利用策」述べています。この利用策は実現されませんでした。1924年(村杉温泉の提案3年後です)に同様の利用策を提唱した大分県の湯布院では実行し、全国有数の温泉地になりました。 本多さんの利用策を基に2009年、「村杉を愛する会」のみなさんが地域活性化事業を始めました。 関心のある方は、新聞をお読みください。 新聞のタイトルは「ひと・郷バンザイ」です。  管理人   (参考: 水原駅に跨線橋ができたのが、大正11年(1922年)。村杉温泉利用策が述べられた1年後です)

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