2枚見つかった写真の一枚。水原ふるさと歴史農業資料館で撮影。
1996年3月17日の新聞記事から(誌名記録無し) → 明治5年、齋藤忠敬は指導者として水原村の初代戸長として任命された。
水原村で書物のほか化粧品、医薬品などを販売する「紅屋潤身堂」の二代目だったので「紅屋戸長」と言われたという。
越後府の資料は、造営の棟梁に任命された五十嵐徳次郎が部屋の寸法と門の図を描いたといわれる日記帳しかなかっただけに、渡辺勇さんは「探し続けた幻の越後府の証拠。あると知った夜は眠れなかったほど嬉しかった」と話したそうです。
斎藤家に代々引き継がれた6尺(1.82m)の長持には、歴史的に貴重な資料が詰まっており、齋藤さんも小さい時から父に聞いていたそうです。
(大部分が新聞記事の紹介です) 次回に続きます。