(左)越後府門の図 (右)越後府の矢倉 棟梁の五十嵐徳次郎が作図
前回の続きです。 → 2つあった長持は、明治41年の大火と昭和30年の新潟大火で焼失。 掛け軸などのほか頼山陽や元新潟市長・八木朋直の書簡も入っていたそうで、焼失して残念だと斎藤さんは振り返ったそうです。
図面と写真が大火を奇跡的に免れたのは、新潟市中央区東大畑に住んでいた斎藤さんの実父が調べもので借り出していたから。 焼けなくてよかったですね。 もし、焼けていたら越後府の矢倉などの証拠写真は世に出なかったのですから。
この写真が発見されたのは、現在の水原代官所が再建された翌年でした。 次回に続きます。