前回「水原八幡宮4」で、水原八幡宮は荘園公領制確立後の神社・・と書きました。ところで「荘園」とは何?
正確な答えでないのですが、「荘園」とは現在の「新潟市」のようなイメージ、市長が管理・・のようなもの?
阿賀野市は「白河荘 しらかわしょう」と呼ばれた地域。 越後の荘園の多くは、鳥羽院政期に成立したもの。笹神村・安田町・水原町・京ヶ瀬村そして豊栄市の一部は、摂関家領である白河荘の荘園内に含まれていた。
上の図は「笹神村史 通史編」に載っている図面。 図面内の「加地荘」は新発田市付近? 奥山荘は中条町付近? 蒲原津は新潟市付近? 金津保は新津市付近? 菅名荘は村松町付近?
荘園は、立荘以前は国衙領であった。白河荘は1134年立荘。
白河荘の成立当時は、鳥羽上皇による院政が敷かれており、摂関家はその政治的地位を大きく低下させていた・・等々、学校で習わない歴史の話が続きます。詳しく知りたい方は、前記の本をお読みください。
水原八幡宮の神様は、平安時代・鎌倉時代・白河荘の立荘・戦国時代・江戸時代・水原代官所時代・そして明治・大正・昭和・平成・令和・・と、多くの時代を眺めてきました。もちろん、瓢湖が造られ、桜木が植えられ、白鳥が飛来した等々も見てきました。水原八幡宮の神様が書かれた回顧録という本があれば、興味深い話が多く載っているでしょう。
次回に続きます。