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阿賀野市ブログ応援隊

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阿賀野市 水原八幡宮7

2020年06月03日 | 史跡など

水原城(館)「後に水原代官所敷地」から太陽の昇る方向に、旦飯野神社(応神天皇を祀る)が。同じ方向に水原八幡宮(応神天皇を祀る)が。

上の左側の拡大図

1枚目の図 右側の拡大図

阿賀野市宮下にある旦飯野神社は、応神天皇を祀っている。水原地区の神明宮は天照大御神を祀っている。水原八幡宮は応神天皇を祀っている。一番古いのが旦飯野神社。2番目は水原の神明宮。この神明宮は水原村民が伊勢神宮内宮を勧請し991年に神社を創設。社殿の方向を東北「太陽の昇方向」にとりて春秋祭祀を行った(水原町編年史から)。神明宮のあとに建立されたのが水原八幡宮。水原八幡宮の正確な建立年は不明。この3神社を並べると上の図のようになる。

神明宮は水原村民が創建したので991年建立したと記録がある。水原八幡宮には正確な建立日の記録が無い。水原町編年史によると1259年に水原八幡宮再建とある。「郷土史 外城物語 2011年発行」によれば1793年に社殿建替の記録から水原八幡宮の創建は600年以前のものと認む、とある。ここで考えてみる。旦飯野神社の境内に神主が住んでいる。水原八幡宮の境内にも神主が住んでいる。境内の敷地面積は192坪(実際はもっと多い坪数でしょう)。所有者は「官有地第一種」とある(現在の登記名義人は未確認)。神明宮の現在の所有者は「阿賀野市中央町1丁目7番10号 神明宮」と登記されている。水原八幡宮の境内地が官有地第一種と言うことは、水原八幡宮を建立したのは地主などの集落の人達でなく、役所の可能性があると考えます。この時代の役所と言えば「白河庄」。荘園公領制が確立したのが1110年。もし、白河庄という役所が建立したのなら、役所である白河庄が無くなっているので、建立日の記録帳も無い・・でしょう。水原八幡宮の神主が創建当時からの神主でなければ創建日の記録がないのも理解できます。※「官有地第一種」になったのは、江戸時代~明治時代になってからの可能性もあります」

現在の水原八幡宮では、創建の日付が不明。もしかしたら、白河庄が創建した・・と考えると、瓢湖の道路向かいにある町内の神社でなく、「夢」を感じます。違うかもしれないけれど、正しいかもしれません。どなたか研究されませんか?

次回に続きます。

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