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「大地主・市島邸の物語 10」 新発田藩の領地説明図1833

2024年02月16日 | 大地主・市島邸の物語

新発田藩の領地説明図(天保4年・1833年) 着色しているのが新発田藩の土地

最初の新発田藩の時は、図右下の赤い矢印先「赤色斜線部分」のおおよそ阿賀野市地区も新発田藩領。その後、幕府領になり、水原代官所が設置・管理した。新発田藩は、新潟市中央区沼垂・鳥屋野潟、旧亀田町、旧横越村、旧新津市、旧小須戸町、旧加茂市、旧中之口村、少し離れて三条市と旧与板町の中間部分など広大な土地が領地でした。新発田城は領地の右端に置かれました。図面の色の違いは、管理地区の違いです。それにしても新発田藩は、広大な土地を支配していました。溝口家が豊臣秀吉に信頼されていたからでしょう。そして、徳川の時代になり、外様大名になっても同じ土地を支配。徳川家からも信頼されていたと考えます。  藩主・溝口家は最初に新発田市五十公野に住居。城が完成してから新発田市の街中に転居。市島家も最初に五十公野に住居。藩主・溝口家と近い関係だったから五十公野に住居したと考えられます。市島家は侍の身分だったけれど、戦闘要員でなく事務方のような仕事をしていたのだろうと推測します。


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