1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き
大森頭取が原動力になって、1991年3月に経済界、新潟県、新潟市の出資による第三セクター方式の「ソ連投資環境整備会社」(本店同市、資本金15億円)が設立された。自ら合弁事業を展開するほか、県内企業の合弁などを支援するのが目的。同社はその後、「ユーラシア投資環境整備会社」と名前を変えている。
しかし、極東との経済交流は進まない。交渉を重ね契約に近い文書を交わしても それが履行されず、突然一方的なほごの報が入ったりする。大森頭取はそこには文化の違いがあり、まずそれを理解した上でないとロシアとの交流は進まないと考え、文化村としてのロシア村を構想した。 ※当初の計画では、笹神村は関係なし。文化の違い~から、笹神村でのロシア村構想が出来たのでしょうか? ※当時の雑誌(財界にいがた)さんの記事に、大森頭取は「資源が無尽蔵にあるソ連は、魅力に富んだ有望な相手だ。国民の程度は低いが、指導者層は有能で、上から統率できる国だ。投資するには都合がいい」と知り合いの会社社長に語った。と、あります。 平成元年5月に、大森さん(昭和3年生)は新潟中央銀行の頭取になった(60才か61才)。大森さんが頭取になってからの新潟中央銀行の躍進ぶりは目覚ましく、預金量もいっときは北越銀行に迫る勢いだった。詳しくは前誌をお読みください。
ロシア村は会員制のロシア風ホテルと文化施設などを配したテーマパーク会社「新潟ロシア村」(本社新潟市、資本金35億円)の設立にひた走る。 以下、次回に続きます。